【3月4日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2023 vol.01
鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は3月4日に行われる2023明治安田生命J3リーグ第1節、鹿児島ユナイテッドFC vs FC大阪のマッチデープログラムです。
日程表・順位表・テキスト速報
前回までの振り返り
2022年11月20日(日)2022明治安田生命J3リーグ第34節
vs カターレ富山(富山県総合運動公園陸上競技場)
前半早々、コーナーキックからキャプテン広瀬健太がヘディングで合わせて先制。
しかし、そこに笑顔はなかった。
木出雄斗がすぐにボールを拾い上げ、みんなすぐに試合を再開しようと自陣へ戻っていく。
逆転を許し迎えた後半、クロスボールを有田光希が競り、こぼれたボールにいち早く反応したロメロ フランクがゴールに流し込んで同点。
さらに五領淳樹が蹴ったフリーキックが直接ゴールに刺さって勝ち越し。
終了間際には左サイドバックの薩川淳貴がドリブルで突撃し、GKの鼻先で浮かせるシュートでリードを広げる。
鹿児島ユナイテッドFCの2022シーズン最終節は4-2で勝利。
しかし、それでも大嶽直人監督や選手やスタッフ、はるばる北陸まで大挙して訪れたサポーターたちにあったものは、勝利の喜びではなく、悔しさだった。
2位藤枝MYFCとの間に10以上開いていた得失点差を埋めるために選手の誰もが走り続け、サポーターも含めた全員が戦い続けたが、それでも昇格にはあと一歩及ばなかった。
試合後、キャプテンは涙を流しながら、1年間のどんな時も熱く応援してもらえた感謝と、来シーズンこそはの気持ちを込めてあいさつをした。
サポーターたちは、心からのねぎらいの声と拍手を贈った。
そして2023シーズンへ
そして1月、2023シーズンのチームが始動した。
大嶽直人監督は2シーズン目を迎える。
多くの選手が今シーズンも鹿児島でプレーすることを決意した。
千布一輝、松山健太、戸根一誓、大内一生、鈴木翔大、河辺駿太郎の実績ある選手たちが加わった。
堀江貴大、山口卓己、武星弥の3人が鹿児島でプロ1年目を迎える。
そして2016-17の2シーズン、鹿児島でプレーして、2度のJ3得点王に輝き、移籍した大分トリニータではJ1昇格を成し遂げ、ヴィッセル神戸では天皇杯優勝に導く2ゴールを決めた男、藤本憲明が「今度こそJ2昇格を成し遂げる」と帰還した。
新加入選手と既存の選手が指宿でのキャンプや日々のハードなトレーニングを重ねて、チーム力を向上させてきている。
「新加入選手が加わってレベルアップしましたし、コミュニケーションを取ることでバリエーションも増えてきています。昨シーズン以上の得点力と、守備の面では失点が多かったので監督とコミュニケーション取りながら改善できていると思います」
今年もキャプテンを務める広瀬はチームの仕上がりに手応えを感じている。
今シーズンのチームスローガンは「ITADAKI SOUL」。
J3優勝そしてその先にあるJ2昇格を目指す。
「始動してここまで練習を積み重ねて来る中で、J1とJ2が先に開幕してし、早くやりたかったです。やっと開幕する実感が湧いてきました。ひとつの目安として開幕戦に合わせて来ましたので、自信はあります。しかし、そこだけではなく1年間戦うためにトレーニングをしてきたので、まずはいいスタートを切れるように集中したいです」
有田光希は長いシーズンを見据えた上で、今は開幕戦に勝利することだけに視線を向けている。
そしてJ1とJ2に遅れること2週間、3月4日にJ3リーグが開幕する。
対戦相手は新たにJリーグに参戦するFC大阪。
「相手もあるけれど、最初の15分で自分たちのサッカーを示したいです。たくさんのサポーターに向けて自分たちのサッカーを表現するのが一番で、色々な状況の中でもしっかりと相手ゴールに向かって戦えるようにしたいです。自分たち胸を張ってやってきたことをやるので、共に楽しんで喜べるサッカーをしたいです。全員がいいプレーヤーで、責任感を持っているし、誰が先発でもおかしくありません。頂点目指してがんばるだけなので、そこに向けて熱い想いをつなげていきたいです」
大嶽直人も熱い想いとともに開幕戦に挑む。
3月4日の2023シーズン開幕戦、JFLを勝ち抜いた地力ある相手に、勝ち点3をつかむことだけを考えて、選手、スタッフ、サポーター一体となって最後まで魂を込めて走り続ける。
昨シーズンの悔しさを晴らし、頂へ登り詰めるシーズン終わりまで!
~前回の対戦では~
2015JFLセカンドステージ第8節
鹿児島ユナイテッドFCが前回FC大阪と対戦したのは2015年9月13日、2015シーズンのJFLセカンドステージ第8節のこと。
姶良市総合運動公園陸上競技場で行われた一戦は、悲願のJリーグを入りを目指す鹿児島と、JFL昇格1年目にして上位争いに加わるFC大阪で、試合前から激闘が予想された。
試合開始からお互いに好機を作るも前半はスコアレスで終える。
後半先にPKのチャンスを得たのはFC大阪。
しかしこの絶体絶命の場面を、GK植田峻佑(現テゲバジャーロ宮崎)がコースを読み切って見事に止める。
直後の56分、赤尾公が左サイドから蹴ったフリーキックを、ファーサイドで田中秀人が頭で合わせて先制する。
さらに76分、相手陣内でボールを奪った途中出場の新中剛史がそのままGKとの1対1を冷静に決めて2-0とリードを広げる。
鹿児島の選手たちは最後まで落ち着いた展開でリードを保ち、Jリーグ入会の条件である4位以内を争うライバル相手に勝利を得た。
試合以外の場面でも、同じくJリーグ入会の条件である「1試合平均入場者数2,000人以上」に向けて、2,853名が足を運んだ。
ピッチ内では選手たちが一丸となって4位以内を死守し、ピッチ外ではクラブのみならずスポンサーもメディアもサポーターもシーズン開幕前から一体になって取り組んできた命題「15試合で入場者30,000人」が、達成に向けて「残り3試合で5,062名」「1試合平均1,688名」というところまで迫った。
この日、ピッチ内外で「行けるぞ!」の確信がさらに固まった。
コラム鹿児島をもっとひとつに。vol.01(total vol.13):
世界に愛され鹿児島を愛する優しい王子(?)のサッカー物語
じゃんけんマン、その生い立ち
2月19日、天文館で行われた周年祭の会場にはグッズやコラボお弁当の販売ブースの他に、変身グッズを作るワークショップ、そしてこれまでの活動を紹介したパネル展。
お披露目された新曲「キミも天才さん」ではじゃんけんガールズや子どもたちといっしょに踊り、曲が間奏に入るとみんなで観客の中から「天才さん」を探し始めて、なんだかんだで見る側演る側が一体感に包まれています。
そんなステージを観た感想を後日伝えると、彼は穏やかに微笑んでいました。
大きめの身体ですが、声がデカかったり、ぐいぐい来るようなことはありません。
しかし、話せば話すほど、どんな姿であっても、その存在価値は変わらない、と思わせてくれる誠実な彼は、自身の生い立ちから丁寧にお話してくれました。
鹿児島市郊外の住宅街で彼は生まれ、育ちました。
学校が終わればあちこちの公園まで自転車で遊びに行ったり、夢中になってサッカーボールを追いかけたり、そんな少年でした。
中学生になっても高校生になってもサッカーを続けて、大学生になったら社会人チームをみずから運営して、その結果、ほとんどの仕事を任されることになってしまったり、、、。
そんな彼の人生の転機は、アルバイト先でのバレンタインイベントでした。
大学では児童学科で勉強していた彼が、イベントに訪れた子どもたちにじゃんけん大会で楽しんでもらおうという気持ちでいたところ、その気持ちに最適すぎる人格が降臨することになります。
顔から手足まで真っ白な身体。
うさぎのように頭から飛び出た2本の太い突起。
さらにじっくりじっくり見てみると、それは「チョキ」の形。
じゃんけん王国からやってきた王子は、悪の「後出し団」に勝つための修業をするためにやってきた、、、
「じゃんけんマン」が鹿児島に出現した瞬間でした。
じゃんけんマンは一度見たら忘れられない存在感とやさしさで子供だけでなく大人からも親しまれるようになり、ご当地ヒーロー(?)として様々な活動を鹿児島で展開していくことになります。
…詳しい話のディテールは割愛します笑
サッカーを愛するじゃんけんマンとユナイテッドの出会い
もともとサッカーが大好きな、そして鹿児島が大好きなじゃんけんマン。
2014シーズンに鹿児島ユナイテッドFCが始動した時、はじめてのホームゲームを応援するために鴨池陸上競技場に足を運ぶことになったのは当然の流れでした。
…と思いきや。
「昔、(鹿児島ユナイテッドFCの前身クラブのひとつ)FC KAGOSHIMAがセレクションをする時に受けに行く? みたいな話をしていたくらいだし、僕にとってサッカーは応援するものではなく、プレーするものでした。だから高校サッカーもなかなか見ることができなかったし、地域リーグ時代のヴォルカ鹿児島とFC KAGOSHIMAも素直に応援することはできませんでした。なんというか自分も選手、みたいな。でも鹿児島ユナイテッドFCができるころには大人になって応援することができるようになっていたんです」
そんな姿勢から、サッカーに対する本気の熱意がうかがえます。
そしてもうひとつユナイテッドを応援するにあたって悩んでいたのは「じゃんけんマン」として行って良いのかどうかでした。
目立ちすぎてはいけないかもしれない、ということを気にするあたりに、じゃんけんマンの人柄がうかがえます。
それでクラブに問い合わせたところ「じゃんけんマンとしてOK」となったことで、じゃんけんマンは鹿児島のコアなサポーターが応援するエリアに出没するようになります。
試合前は場外や観客席のあちこちを自由に歩きながら子どもたちと遊び、試合になったらゴール裏で飛んだり跳ねたり、くるくる回転していたり、独特の存在感があります。
ホームゲームはもちろんアウェイゲームまで熱心に見に行くじゃんけんマン。
南は奄美で行われたホームゲームから、北は青森県八戸市まで、「スタジアムならではの雰囲気」を追い求めて足を運び続けます。
そんなじゃんけんマンは、鹿児島ユナイテッドFCの試合に欠かせない風景の一部と言っても過言ではないでしょう。
さらに日本代表の試合が大分で観戦したことをきっかけに、代表の試合にも足を運ぶようになっていきます。
と言っても、まわりから色々言われることはあるけど「実は日本代表よりユナイテッドが好き」なのですが。
仲間とともに取り組むボランティア
じゃんけんマンは街の様々なイベントにも参加していますが、もうひとつ彼を語る上で欠かせないのがボランティア活動です。
グリーンバード活動として街なかのゴミを仲間たちと拾い集めるような、日常的な取り組みから被災地支援まで。
もともと学生時代からボランティア活動に関わっていたので、本人にとっては比較的自然な行動でしたが、じゃんけんマンは仲間の存在があってこそだと言います。
「単発の活動はともかく、継続することは1人では無理でした。2016年に熊本地震があった時も現地に行ったりしていましたが、必要な物資を届けて、それで終わりでした。けれど、(いっしょに日本代表を応援している、ちょんまげ隊長)ツンさんと出会いは大きかったです。届けるだけで熊本とのパイプなんてなかったけど、ツンさんから熊本に行くから手伝ってと言われて、最初はただ遊んだりするだけだったんですけど、じょじょに子どもたちといっしょに催し物を考えるようになって、運動会までできるようになっていきました」
じゃんけんマンのまわりには様々な人が集まってくるようになってきました。
「まわりから“次はいつやるの?”とか“この日空いてるから行けるよ”とか言われて、じゃんけんガールズとか、グリーンバード活動とか、どんどん背中を押されている感じです。人吉の水害の時(2020年)もたまたま知り合っていた靴屋さんが被害に遭われて、これは行かないとなって思っていたら知り合いのPTA会長さんから“行こうよ!”って背中を押されて」
なにかをしたいという想いを持っている人たちが、じゃんけんマンを通して、その想いを具現化していっている、そんな雰囲気すらあります。
「僕にはパートナーとか相方とかはいないけど、仲間がいっぱいいて、背中を押してくれて大切な存在だし感謝しかないです。でもいっしょにがんばってくれる人たちはもちろんですけど、声をかけてくれる通りすがりの人たちも活力なので、それも含めて“ONE TEAM”だなって思っています」
そんな想いを抱くじゃんけんマンがみんなと力を合わせて、人吉のように被災した地域に住む子どもたちを、カタールで行われたワールドカップに連れていく活動をしていたことは多くの方がご存知のとおりです。
じゃんけんマンが出合ったW杯というお祭り
W杯とはどういう大会なのか?
「やばいっす。お祭りのレベルが、皆さんが考えているお祭りのレベルじゃないんです。とんでもなく広いエリアで、日本人じゃない人たちも日本対スペインの試合を観に来ていて、近くではNARUTOの音楽が流れていたりして、とにかくお祭りです。みんなに観て欲しいです」
じゃんけんマンのW杯は2018年のロシア大会に続いて2回目。
そしてじゃんけんマンを有名にしたゴミ拾いの写真についても改めて語ってもらいました。
「あれは有名なインフルエンサーがたまたま撮影して、それが拡散されたんです。そもそも開幕戦が開催国カタールの試合だったんですけど、当然日本人で観ている人は少なくて。それでカタールが負けたんですけど、日本では考えられないような有様でした。食べ物とかすごく高いのにそれも散らかっていて、“これやらないとだめだよね”ってなって。そのつもりはなかったんだけどバッグの中にごみ袋を入れていたので、それで拾っていったらFIFAが表彰してくれたんです。それでドイツ戦ではスタジアムに入ろうとしたらスタジアムのボランティアが一斉に集まってきて“ありがとう!”を伝えてもらって。でも日本の試合だとみんなするじゃないですか」
もちろんじゃんけんマンがカタールまで足を運んだのは、日本代表を応援するためです。
ドイツとスペインという優勝候補を破り、決勝トーナメントに進出した日本代表。
「もちろん日本代表に勝って欲しいと思っていましたけど、ドイツ戦もスペイン戦も後半から全員入れ替えたのかってくらいスイッチが入ったのが感じられました。観客席が見やすいスタジアムなのもあると思うんですけど、雰囲気を楽しめるのがスタジアムに行く魅力ですね。これは勝てるぞ!となった時の雰囲気がたまらないんです。逆にコスタリカ戦、0-0でやばいんじゃないかとみんなが思っていて、1点取られて負けてしまった。サッカーを見ているスタジアムの雰囲気は格別でそこにしかありませんし、だから現地まで行くんです」
スタジアムというキーワードから、未来の鹿児島像にも話が及んでいきました。
「世界から来たいって思ってもらえる鹿児島になることが夢なんです。最終的な目標は遊園地“じゃんけんマンランド”を作りたいですよね。そしてあんなきれいな街に来たい、住みたいって行ってもらえるようになって欲しい。スタジアムもW杯のようなレベルまではいらないでしょうけど、やっぱり欲しいですよね。反対している人たちもW杯に連れて行ったら絶対作ろうってなるはずですよ。それか、、、じゃんけんマンランドに併設すればいいですかね? いや、そこまで待てないですよね笑」
世界を経てまた鹿児島へ
2018年2022年と世界最高レベルのサッカーと、最大規模のスタジアムの熱狂を体感しているじゃんけんマン。
そんなじゃんけんマンは地元のJ3クラブ、鹿児島ユナイテッドFCに何を思うのでしょう?
「よく“日本代表とか世界の強豪からするとレベルは落ちるでしょ?”って言われるんです。でも行ってみると、どこもいっしょだって気づきました。レベルが低いも高いもありません。スピードの違いとか特に聞かれるんですけど、僕はJ3のほうにアグレッシブさを感じています。それにJ2とかJ3はどこが勝つかわからない楽しさがあります。もちろん鹿児島を応援するんですけど、他のチームだって面白いですよ」
サッカーの話になると熱量が止まることはありません。
日本代表から鹿児島ユナイテッドFC、あるいは小さなグラウンドでボールを蹴っている少年少女も含めて、じゃんけんマンにとっては等しく「サッカー」なのかもしれません。
実はコロナ禍になってからもじゃんけんマンはスタジアムに足を運んではいましたが、ひっそりと観戦していました。
「コロナ禍になってから、ゆないくーが出歩けなくなったじゃないですか。それなのに自分が目立って人を集めるのは良くないなって思いました。それで目立たない格好して、人の少ないところで仲間といっしょにお酒を飲みながら観戦していて、それはそれで楽しかったです。今シーズンは仕事次第ですけど、できるだけ行きたいです。今シーズンから叫べるので楽しみです。もちろん日本代表とかと比べると人数は違いますけど、歓声とかスタジアムにあふれるゴールの匂いとかはいっしょ。ワクワク感を出してくれるスタジアムが大好きです」
そこで悩ましいのはここ数年のように目立たないようにするのか、再びじゃんけんマンとしてにぎやかに行くのかです。
「W杯きっかけで声をかけられることが増えましたけど、試合観戦の邪魔にならないようにしないといけないですし。いっそバックスタンド北側のエリアに行けば顔見知りのメンバーだから“おお、じゃんけんマン”で終わるじゃないですか。開幕戦を観に行けるのが久しぶりなんだけど、どうしようって感じです。でもおじいちゃんおばあちゃんとか色々な人から声をかけられるのは嬉しいし、声をかけられないと寂しいですし、だから10年通っているこのスタジアムって自分の変化を感じられるし、みんなといられる場所でもあるんですよ」
じゃんけんマンは世界的にバズっても変わることなくまわりを気遣いながら、変わることなく鹿児島ユナイテッドFCのある鹿児島の日常を楽しむ気まんまんです。
これからも「鹿児島を拠点にすることは変わりません。じゃんけん王国からやってきたんだけど、県外に行くときは“鹿児島からやってきた”なんです」という鹿児島愛。
とりあえずじゃんけんマンが、シーズン序盤にどんなムーブをするかにもちょっとだけ注目しましょう。
それにしてもこうやって話をしているうちにじゃんけんマンが人間なのかとか別世界の人間なのかとか、どうでも良くなってきますよね笑
じゃんけんマンはじゃんけんマンです。