【6月15日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2024 vol.10
鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は6月15日に行われる2024明治安田J2リーグ第20節、鹿児島ユナイテッドFC vs モンテディオ山形のマッチデープログラムです。
日程表・順位表・テキスト速報
前回までの振り返り
2024年6月2日(日)2024明治安田J2リーグ第18節
vs ブラウブリッツ秋田 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)
浅野哲也新監督のもとで迎えた第18節はホームでブラウブリッツ秋田と対戦。
4分、右サイドで圓道将良、中の野嶽寛也、山口卓己、ペナルティエリア内に侵入した藤村慶太がゴール前に送ったボールを藤本憲明が合わせるがGKが左手でセーブする。
11分、スローインから打たれたミドルシュートは泉森涼太がしっかりと収める。
12分、右サイドから入ったクロスをボレーで合わされるが、鈴木翔大がブロックして防ぐ。
34分、中央でボールを受けた岡本將成はパスの可能性を匂わせながらボールを持ち運び、ついにはペナルティエリアまで入り込んでゴール前に入れたボールはクリアされる。
47分、フリーキックでゴール前に混戦が生じるが、人数をかけてコースを消して守り切る。
55分、スローインを右サイドで展開した秋田が鹿児島陣内に入り込むが戸根一誓が対応する。
62分、ペナルティエリアすぐ外で与えた直接フリーキックは鈴木がブロックして、チームメイトたちから称えられる。
68分、右サイドに投入された河辺駿太郎がドリブルでしかけ、スタジアムが沸く。
72分、中盤のこぼれ球にいち早く反応した藤村が縦パスを入れて、右サイドから野嶽寛也がペナルティエリア内にボールを送り、河辺が出したラストパスは秋田守備陣がクリア。
75分、コーナーキックを戸根が頭ですらして藤本が飛び込むが直前でクリアされる。
秋田も速攻に出るが戸根や岡本の冷静なカバーリングでチャンスは作らせない。
89分、福田望久斗がドリブルで持ち上がり、フリーで走り込んだ河辺がシュートするがGKに防がれる。
94分、コーナーキックのこぼれ球を田中渉が左足で狙うがわずかに沸くの外。
0-0で引き分けた。
2024年6月9日(日)2024明治安田J2リーグ第19節
vs ファジアーノ岡山 会場:シティライトスタジアム(岡山県岡山市)
雨が降る中で迎えたリーグ前半最後となるアウェイ、ファジアーノ岡山戦。
開始直後から鈴木翔大がミドルシュートを打って、ゴールへの意欲を出す。
7分、右サイドの展開からゴール前に飛び込んだ山口卓己が合わせる。
10分、岡山の素早い攻撃から打たれた低いシュートをGK泉森涼太が止めて、岡山より先に戸根一誓がクリアする。
14分にも早い攻撃から最後はゴール前でヘディングを打たれるが枠の外。
岡山は元鹿児島のFWルカオが背後のスペースに向けて走るが岡本將成を中心に決定的な場面は作らせない。
41分、ロングボールを収めた福田望久斗がボールを運び、素早くアウトサイドでゴール前に送ったボールは、鈴木がわずかに届かない。
44分、岡山の強烈なミドルシュートは泉森がしっかりと弾き出す。
後半に入った55分、相手GKの縦パスに鈴木が反応して足を出し、ボールを受けたンドカ チャールスは落ち着いてGKの頭上を超えるシュートを決めて鹿児島が先制する。
61分、岡山が左サイドから入れたクロスを頭で合わされるが、泉森がキャッチ。
66分、藤村慶太のフリーキックはGKがパンチで防ぐ。
70分、ロングボールを拾われ、そのままゴール前でフリーになった岡山FWがスルーパスを受けてのゴールで1−1になる。
そこからお互いにゴールは生まれず引き分けた。
岡山戦の2日後は天皇杯2回戦を大分トリニータと戦う。
いつもとメンバーを入れ替えた一戦はチャンスを作りながらも1点を奪えず、0−1で敗戦した。
コラム「鹿児島をもっとひとつに。vol.29(Total vol.41)」
村口良平さん(鹿児島ユナイテッドFC U-12監督)
鹿児島ユナイテッドFCの小学生チーム「U-12」で監督を務める村口良平さんは、いつもと変わることなくかすかに微笑みながら、クラブ事務所の応接間に入り、座りました。
村口さんの視線の先には、シーズンごとにスポンサー企業にお送りしているフォトフレーム。
2016シーズン始動を前に監督、コーチ、選手で撮影した集合写真が収められています。
紺色のユニフォームをまとうのは田上裕、赤尾公、五領淳樹、藤本憲明たち。
前列中央に座っているのは浅野哲也監督。
後列左端、背番号24のセルビア人FWネナド・ジヴコヴィッチさんの隣に立つのがGKコーチの村口さん。
話をしている間、村口さんの視線は何度もその写真に向いていました。
選手として黙々と励む
鹿児島市生まれの村口さんは小学生の頃からサッカーを始めて、鹿児島商業高校、そして九州産業大学へと進学。
九州大学サッカーリーグ1部の強豪大学で4年間プレーして卒業後は、ニューウェーブ北九州、後にギラヴァンツ北九州となるクラブに新卒で加入します。
Jリーグ入りを目指して九州リーグを戦う北九州でしたが、長くJリーグやJFLで活躍してきたGK水原大樹さんをはじめ、多くの有力選手を擁している時期でした。
与那城ジョージ監督を迎えた2007シーズン、北九州は九州リーグで優勝し、全国大会では2位になりJFL昇格を達成します。
JFLに舞台を移した2008シーズンも北九州は上位をうかがう勢いを見せますが、村口さんは試合に出場機会を得ることができず、このシーズンをもって退団します。
翌シーズンからは九州リーグの九州INAX(現BrewKASHIMA)へ移籍して、別の仕事をしながらサッカーを続ける生活です。
「最初は工場に派遣で入ったんだけど、仕事の都合で退勤時間が伸びたりするんです。そういう職場だからしょうがなくて、今度は郵便局の仕事で、こちらはむしろ残業しないで欲しいという職場で」
転機が訪れたのは2010年夏。
シーズン前半を9チーム中4位で終えていた九州INAXは、全国社会人大会をかけた九州社会人選手に出場します。
そこで対戦したのが故郷のFC KAGOSHIMA(FCK)。
九州リーグの下部カテゴリーである鹿児島県リーグに所属するチームであり、鹿児島からJリーグを目指すクラブとして立ち上がってまだ数ヶ月のクラブですが、サガン鳥栖から移籍してきた谷口堅三をはじめ、田上裕、内薗大貴、前田将大など、実力ある若手選手を多く擁していました。
「(谷口)堅三とは小学校がいっしょで、あいつの兄ちゃんが自分の1個下でいっしょにサッカーをした仲で、堅三のことも小さい頃を知っていました」
結果は前田と谷口のゴールで0-2の敗戦。
クラブとしてもチームとしても上を目指す勢いを感じた村口さんは、この大会後、九州INAXからFCKへと移籍し、故郷鹿児島でプレーすることになります。
鹿児島県リーグでFCKは7戦全勝。
九州各県リーグ決勝大会で村口さんはゴールを守り、優勝とともに九州リーグ昇格を達成します。
2011シーズン、同じく九州リーグからJリーグ入りを目指すヴォルカ鹿児島とは、天皇杯予選をかけた県選手権決勝で対戦した際に出場して、延長戦の末に勝利します。
ところが…クラブの起用法やその他の方針などが合わないと感じた村口さんは、このシーズン限りで現役を引退します。
村口さんのなかで一貫しているのは「自分の意見はちゃんと伝える。その意見をどうするかは相手次第。採用されなかったら、その判断を受け入れるか、すっぱりと辞める」という姿勢です。
裏でぐちぐち言いながら居座るのを好まない村口さんでした。
引退して不動産会社に就職してからも、チームメイトたちがプレーするFCKの応援は続けていました。
その後、クラブの体制が変遷していった2013年夏、村口さんは徳重剛クラブ代表や大久保毅監督、田上裕キャプテンたちに相談して、ピッチに帰ってきました。
相変わらず生計を立てるための仕事も続けながら。
「選手としてのお金はもらっていないけど、もっともっとパフォーマンスを上げなければならない。その意識でサッカーを中心にした生活をするという意味では、プロだからとか、お金をもらっているいないではないと思うんです」
その頃のFCKは満留芳顕さんが第1GKとして試合に出続けていて、村口さんは最年長としてGK陣を牽引する立場。
2014シーズンからヴォルカ鹿児島と統合することが決まっていたFCKはJFL昇格のかかった全国地域サッカー決勝大会に出場します。
そして3日で3試合のリーグ戦の最終戦、前日にヴォルカ鹿児島との直接対決を0-4で落としていたFCKの大久保監督はGKに村口さんを起用します。
約2年ぶりに立つ公式戦のピッチは、クラブにとって最後の公式戦。
対戦相手は2014シーズンからJFLを飛び越してJ3への昇格がほぼ決まっているグルージャ盛岡。
なかなか痺れる状況ですが、村口さんの前では内薗大貴さん、水本勝成さんが盛岡の攻撃を跳ね返し続けて、村口さんも終始冷静にペナルティーエリア内のボールを処理し続けて、最後は山本啓人さんが約40mのフリーキックを直接決めて1-0で勝利して、FCKがJFL昇格の権利を得て、クラブ有終の美を飾りました。
「試合に出ることができたことが純粋に楽しかったですよね。そこに勝利と昇格がついてきた」
そして29歳になっていた村口良平さんにとって、このたった1試合の復帰戦が、結果として現役最後の試合となるのです。
指導者の道へ
ヴォルカ鹿児島とFCKが統合して誕生した鹿児島ユナイテッドFC。
両クラブから選抜された選手たちが所属していましたが、同時に入れなかった選手たちがサッカーを続ける場として九州リーグを舞台にするセカンドチームも設けられました。
村口さんはトップチームには漏れましたが、前述の通り立場どうこうではなく「自分自身がどうありたいか」を考えて、セカンドでプレーするつもりでした。
そこへトップの監督に就任した大久保さんたちから「GKコーチをして欲しい」という話をもらいます。
トップとセカンドで練習時間は異なるので、両立はできると受けたのですが、立ち上がったばかりのクラブのトップチームスタッフは多忙であり、徐々にセカンドの練習に参加できない日が出てきます。
「今日は行けます、今日は行けませんっていう環境で、それが中途半端に思ってしまって。それでセカンドの人たちにも伝えてトップのGKコーチ一本に絞ることにしました」
こうして意外な形で村口さんは現役生活に幕を下ろし、指導者の道を歩くことになります。
このシーズン、ユナイテッドには植田峻佑(現テゲバジャーロ宮崎)、満留芳顕、武田大(現FC東京U-15深川)、木川渉(現FCアラーラ鹿児島)と4人のGKが所属していて、特に植田&武田のどちらが試合に出るか、という状況でした。
指導者1年目でGKコーチとしての経験はとぼしい村口さんですが、自身が選手として先輩たちとトレーニングをすることで得てきたこと、特にニューウェーブ北九州時代に水原大樹さんとプレーしたことが基盤にありました。
もうひとつ村口さんは多彩なキックを正確に蹴ることができることも、指導者に転じた際に大きな財産でした。
シュート練習の時に隅に強いボールを蹴るだけでなく、わざと変にバウンドするシュートを打ったり、サイドからクロスを上げる時も様々な場所に蹴り分ける。
小さい頃から壁に向かって延々とボールを蹴っていた村口さんには、北九州時代から「蹴ってくれ」と言われるだけの質の高いキックがありました。
シーズン最初の方は植田選手が、途中からは武田選手がゴールマウスを守りましたが、どちらが出てもチームの守備は安定しており、26試合19失点の堅守で、14チーム中3位で最初のシーズンを成功に導く礎になりました。
結果的にJ3クラブライセンスを取れなかったことでJリーグ入りは夏場にして絶たれましたが、村口さんは変わることなく自分の仕事に視線を向け続け、大久保監督のもとでチーム全体としてもまとまりを失うことなく、シーズンを闘い抜きました。
シーズン後、大久保監督はJリーグで指揮をとるために必要なS級ライセンスを持っていないこともあり、2014シーズン限りで退任して育成組織アカデミーの責任者となります。
2015シーズンこそ、Jリーグ入りを実現させる。
クラブだけでなくスポンサーも、サポーターも、メディアも、関係各所も含めた誰もがその決意を固めていました。
浅野哲也との出会い
Jリーグ入りへ向けた監督は誰になるのか。
注目を集めるなか、浅野哲也の名前がクラブからリリースされました。
名古屋グランパスエイトで活躍した元日本代表MF。
しかし1984年生れの村口さんにとっては「誰だっけ?」でした笑
「テツさんが日本代表だったころ僕は小学生だったので。中学高校生くらいだったら名前も覚えていたのかもしれませんけど。でもスーファミのサッカーゲームでやっている時の記憶で、うっすら覚えてました」
それでは浅野監督になって大きな変化はあったのでしょうか?
「やっぱり単純に人と人なので、まったく別物です。でもテツさん(浅野監督)は自分自身をすごく持っている方だろうなっていうのはありました。僕らスタッフはそれをサポートする。どんなことがあろうとです。もちろん意見の違いはあるしそれは言ってもいいんですけど、でも監督はこう言っていて違うだろうと思いながらやるくらいだったら多分やらないほうがいいと思うんですよ。それで嫌とかじゃなくて厳しそうだなというイメージがあって、実際にしっかりしていて厳しい」
もちろん村口さんはGKコーチという専門職であり、比較的影響は大きくなかったと振り返ります。
GK1人1人を試合で使えるように調整することと、成長させていくこと。
「(植田)シュンも(武田)大もお互いに一生懸命やっていてライバル意識を持ってやっていたので。それでGKを固定する考えもあるんですけど、マンネリして難しくなる時もあるし。それで替えた時にチームとしても個人としてもパフォーマンスが変わらないのが大事なわけです。GKからしたらいきなり次の試合に出ることになってその1試合がうまくいかなくて、それだけで判断されてまた替えられたらたまらないという想いもあるかもしれないですけど、その1試合でレギュラー取るパフォーマンスをできればいいじゃないってことで。それで僕はテツさんに“次の試合はこっちがいいと思います”と話をして、その上でテツさんが決めて」
もうひとつ村口さんの仕事の中でチーム全体に関わることとしては、攻守両方のセットプレーの分析と落とし込み。
それまでも分析は担当していましたが、浅野監督からより整理しやすいフォーマットを提供されたことでより精度は上がりました。
そうして臨んだ2015シーズン、序盤からJリーグ入会条件である4位以上を保ち、何度も5位以下に接近される状況が続きながらも村口さんは変わることなくGKたちに向き合い続けます。
「普通にやれていたと思いますけど、あるある話で、決めるべきところを決めることができなくて負けたり引き分ける。ただ逆にキーパーからしたらそれを止められたら勝てたのを、止めることができなかったという試合もあるわけです。だから僕は僕でそういうところを取り組まなければならなかったんです」
厳しい闘いの末にJリーグ入りを果たします。
それでも村口さんは大きく変わることはありませんでした。
「毎日が勝負な感じがあって。カテゴリーが上がるっていうだけでやる続けなければならないことは多分J1までいっても変わらないし、意識も変わらない。ただ質が上がる。対戦相手も含めて質が上がっていく中でカテゴリーどうこうではなく、1試合1試合を大事にして闘わなければならないじゃないですし、観に来てくださるお客さんを沸かさないといけないですし」
トップチーム最後のシーズン(現時点で)
J3リーグを舞台に移し、引き続き浅野監督体制で迎えた2016シーズン。
大きな変化としてはJFLの強豪SP京都FCがチーム活動休止したのに伴い、GK山岡哲也が加入したことでした。
以前のコラムでお伝えした通り当時の山岡さんは、負傷からのリハビリで徐々にピッチに戻ろうとしている状態でしたが、注意深く村口さんは経過を見てきました。
開幕直前でしたが「リーグ戦に間に合うし、山岡で行くべき」と村口さんそして浅野監督は判断して、開幕戦のピッチに送り込みます。
「一番はサイズのところでした。大きくてハイボールの処理が強いだけじゃなくて、身体の伸びもありましたし。それから判断の面でも強気に行く時と抑える時のバランスが取れていて、安定していたんですね」
このシーズン、ほとんどの試合で山岡さんがゴールを守り、そのなかでも植田選手と武田さんは自分自身の能力を高めるために、そして出場機会を得るためにトレーニングに向き合い続けていました。
彼らの姿勢は村口さんにとって今でもひとつの基準となってます。
一方でチームは首位争いを続けますが、秋口にJ2ライセンスが取れないことが明確になり、成績にかかわらず昇格はなくなります。
「自分自身を鍛えることも含めて1人1人が闘うしかないので。昇格できなくなったらじゃあもうやれません、っていうのはなんかもったいないし、そんな事を考えている時間ももったいないし」
最後まで闘い抜き、Jリーグ初年度を16チーム中5位で終えて「J2ライセンスさえあれば鹿児島は昇格が狙えるだけの力がある」ことをチームは証明しました。
このシーズンをもって浅野哲也監督は退任。
新しく三浦泰年監督が就任。
三浦監督のやり方をよく理解する大島康明コーチ、そして吉岡宏GKコーチ(現ファジアーノ岡山)も就任しました。
村口さんにクラブから提示されたのは育成組織アカデミーのGKコーチ。
大久保毅アカデミーダイレクターたちクラブ首脳にとって、トップチームでの経験もある村口さんはぜひとも加えたい人材でした。
実は村口さんには他からの話もありましたが、鹿児島で続けたいという想いがあり、新しい道へ進むことにしました。
次世代の育成を担う
村口さんが新しく見ることなったのは高校生年代のU-18と中学生年代のU-15に所属するGKたち。
「倒れ方とかもすごかったし、独自でやってきたんだなと感じました。たとえば僕らがボールを蹴ると言えばインサイドで蹴るのが基本だけど、素人の人だとつま先だったり親指のあたりで蹴るような感じですね。もっと小さい時に身につけておかないといけない基本が身についていないので、次のステップに進めなくてどうしたらいいんだろうと思いながらやっていました」
それまでのトップチームとはまったく違う種類の仕事になりました。
悩ましいことに、独自の動き方であっても本人にとっては染み付いているものであり、ある意味で最適解なので、本来あるべきプレーに大改修するリスクもあります。
育成年代GKコーチ村口良平にとって幸いだったのは、試行錯誤しながら選手とともに成長するだけの時間があったこと。
そしてトップの吉岡GKコーチとも交流できたことでした。
「ヨシさんが来て見方が変わったんですよね。細かいところまで見ていて。僕なんかは自分の選手経験がベースにあって感覚で見ちゃうんだけど、選手自身には伝わっていなかったりして。それでヨシさんからアカデミー年代で何をしたらいいのか指導の方向性とか、取り組み方を話してもらえたりしていました」
しかしGKはもっとも育成に時間を必要とするポジションです。
現在トップには野嶽寛也、武星弥、小島凛士郎と3人のアカデミー出身選手が所属していますが、プロの舞台にGKを送り出すことができていません。
「今は代表でも二十代前半の選手が使われている時代ですけど、やはり30歳くらいから味が出はじめるポジションなので。どのポジションでも若い選手のほうがミスをすることは多いんですけど、GKはそれが目立ってしまうポジションなんです」
さらに村口さんはやや細かいところまで話をしてくれました。
「例えばペナルティーエリアの外から正面付近に強烈なミドルシュートを打たれたとするじゃないですか。それでキャッチに行こうとするか、あるいは一旦身体の近くに落としてからキャッチしようとしがちなんですけど、ベテランだったら自分の反応も分かっているので“遠くに飛ばそう”と割り切れるんです。ペナルティーエリアの外まで飛ばせばそこで拾われてシュートを打たれても16メートルあるから起き上がれる。でも次をキャッチするためにゴールライン近くに落としたのが、少しコントロールを間違えて相手に拾われたらもう対応する時間がないわけです。もちろんこの前の岡山戦みたいに雨でボールが変化していたりすることもあるし、一瞬のできごとなので、それで決められたのをミスと言ってしまうとひどい話になるんですけど」
どのポジションでもそうですが、GKにはGKでないと理解しづらい見え方があります。
また同じGKでもピッチに立つ本人でないと分からないことがあり、10代の選手たちに対してしっかりと話を聞くようになったことを自身の変化だととらえています。
「それまでは自分の目線からだったり、プロの基準から“こうしなければならない”という感覚だったんですけど、やっぱり子どもたちに育てられているところはあるんです」
GKコーチとしてトップチームとアカデミーの両方で経験を重ねた村口さんは、今シーズンからまた新しい仕事に挑んでいます。
小学生年代U-12の監督が2024シーズンの村口さんの担当です。
GKコーチという専門職から、約30名の小学生選手たちを統括する責任者への転身です。
「実はライセンスを取りに行った時とか、色々な監督さんを見ている中でそれもおもしろそうだなというのはあったし、タイミングがあればとも思っていたんです。それで今シーズン監督をと言われた時に、これもタイミングなんだろうと思って決断しました」
現在は「南国殖産グループ旗争奪戦 KFA第63回鹿児島県ちびっこサッカー選手権大会」通称「県ちび」と呼ばれる鹿児島県内の小学生年代にとって3大タイトルに挙げられる大会の最中にあります。
ユナイテッドU-12は2022年に年末の全国大会に初出場を果たし、今では県内屈指の強豪と目されています。
これからも県内の大会で結果を残すことと、それ以上に中学生年代高校生年代そしてプロの舞台で花開くように基礎を築くところの両面を追い求める難しさがあります。
重圧はもちろんあるでしょうが、村口さんはこれまでと変わることなく粛々と、時に軽く笑みを浮かべながら子どもたちに向き合っています。
これから自身のキャリアがどうなっていくのか、GKコーチという専門職に帰っていくのか、監督という新領域に進んでいくのか、育成年代に居続けるのか、またトップチームに携わっていくのか、そこら辺はまったく分かりませんが、村口さんは地に足をつけて一日一日、一歩一歩前へ進んでいます。
そして5月末、トップチームに浅野哲也監督が就任しました。
「この前の練習の時に会ったんでちょっと話をしたり眺めていたんですけど、体型とか見た目からして変わらないですよね」
チームはJ3降格圏にいる難しい状況ですが、もちろんかつてともに闘った浅野監督に期待するところはあります。
一方でこれからの鹿児島ユナイテッドFCがどうなっていくのか、というテーマになると村口さんの口からは次々と言葉が出てきました。
どれくらいの熱量があるのか、気になります
今、熱量がないとは思いませんが
1試合にかける想い
1日のトレーニングにかける想い
鹿児島への想い
それは絶対に必要なものなんです
テツさんが来てからアグレッシブになっているとは思います
疲れた時に懸命に走って戻って身体を張る
それって本当にしんどいと思うんだけど、足を伸ばしてセカンドボールに反応して、守るべきものを守らなければならないんです
田上がいて赤尾がいて、あの頃のメンバーって五領とか藤本とかしか残っていないけど、あの頃の初期の熱をもう1回、このクラブの中から出していかなければならないって思います
鹿児島のサポーターって負けても”この野郎”みたいなことを言う人っていないじゃないですか
“次行こうぜ”じゃないですか
でもその“次行こうぜ”も、こっちがもう一生懸命やった、これ以上できない、それでも負けたっていうのと、60%くらいしか出せなくて負けてるじゃんっていうのとでは話が違うわけです
誰がやらなければならないとかじゃなくて、フロントも含めてアカデミーも含めて、中から熱を出さなければクラブとして強くなっていかないんじゃないかなって思うんです
もちろんこのような発言は「では村口さんはどうなの?」と自身に跳ね返ってくることも承知の上でしょうし、無難な表現でまとめることもできたはずです。
それでも村口さんは自分の思うことを素直に口にしました。村口さんの視線の先には、2016シーズンの集合写真があります。
過ぎ去った時代を懐かしむのではなく、けれど原点を忘れることなく、その基礎の上に成長を重ねていく。
飄々としていていつも何を考えているのか分かりづらい村口さんでしたが、だからこそ、その言葉には重みがありました。