【8月3日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2024 vol.13
鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は8月3日に行われる2024明治安田J2リーグ第25節、鹿児島ユナイテッドFC vs 藤枝MYFCのマッチデープログラムです。
日程表・順位表・テキスト速報
前回までの振り返り
2024年7月13日(土)2024明治安田J2リーグ第24節
vs ザスパ群馬 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)
7月13日の第24節、シーズン中断前最後の試合となるホーム群馬戦。
15分、群馬のボール回しからペナルティエリア内でシュートを打たれるが、GK泉森涼太がキャッチ。
27分、左サイドから外山凌が入れたボールにファーサイドの鈴木翔大が飛び込むがわずかに合わない。
30分、ペナルティエリア右側でボールを拾った田中渉が後ろに戻したボールを中原秀人がダイレクトで逆サイドへ送り、外山がボレーで合わせるがわずかに枠を外れる。
40分、左サイドでロングボールを収めた圓道将良のクロスがこぼれたところを回収して、外山が入れたクロスに藤本憲明はわずかに合わせきれない。
54分、右サイドでボールを受けた田中が中に入り込みながら左足で打ったシュートは群馬守備陣に弾かれる。
76分、群馬のコーナーキックから合わされたヘディングはバーを直撃する。
81分、セットプレーのこぼれ球を拾われたところから際どいシュートを打たれる。
83分、群馬陣内でボールを奪った有田光希のドリブルからスルーパスが出るが武星弥とはタイミングが合わない。
85分、左サイドで外山からのパスをボランチに移った田中はダイレクトで群馬の背後へ、左サイドを抜け出した武が鈴木へ送ったパスはクリアされる。
90分、群馬から奪ったボールを鈴木が浮き球のスルーパスで前線へ。右サイドで受けた有田が打ったシュートは群馬守備陣に当たってコースが変わってゴールに包まれる。
93分、左サイドからクロスが入ってヘディングを打たれる。
96分、鹿児島陣内での競り合いからシュートを打たれるがポストに当たる。
97分、鹿児島陣内へボールを運ばれ、切り替えされての強烈な左足のシュートが決まり1-1。
中断前の試合は引き分けで終わった。
浅野哲也 監督コメント(7月30日トレーニング後の記者会見より抜粋)
この暑さはしんどいとは思いますが、うちだけではありません。
選手たちはこういう環境でも集中力を保てていると思いますし、こういうところで集中力が切れて怪我につながるところがあるので気をつけなければなりません。
新加入選手について
かなり数が多くなりましたし、試合に出るための競争も激化していきます。
既存の選手と新加入選手がいい感じにマッチしていますし、私たちの取り組んでいる守備がベースとなっているサッカーを体現してくれればと思います。
選手たち同士でしっかりコミュニケーションを取ってくれていますし、スタッフも気にかけています。
またピッチに入れば、お互いにいい声かけをやってくれています。
新加入選手に限らず、色々な選手の特徴を理解しながらプレーすればいいものが出てくると思います。
選手選考について
新加入だからとか既存の選手だからとか、これまでの試合に関わってきた選手とかは関係ありません。
勝点を逃さないためにひとつひとつのプレーで100%出せる選手、最後の1秒、1メートル、ワンプレーに妥協しない選手を送り出したいです。
これからのシーズンに向けて
残り14試合ですが、とにかく目の前の試合、まず藤枝MYFC戦は大きな試合です。
内容もしっかり求めたいですが、我々は勝ち点3をどう取っていくかです。
1メートル、1センチ、1ミリでも身体を動かしてスキのないプレーをしたいです。
最後の最後まで走り切る、粘り強いサッカーを見せて、勝ち点3を取れるチームにする第一歩です。
サポーターの皆さんもこの中断期間でどうなったか期待されていると思いますが、我々のやるサッカーは今までやってきたことの質を上げるだけです。
新加入選手の存在でさらに勝負強さをお見せしたいです。
サポーターの皆さんにも変わらず後押ししていただいて、勝ち点3を取れるように、いっしょに闘っていただければと思います。
河野諒祐 選手コメント(7月30日トレーニング後の記者会見より抜粋)
鹿児島の印象
対戦した時に感じたのは、みんなすごく技術があってハードワークしてくる印象でした。
実際に練習して、印象通りでしたし、すごく雰囲気も良く、いい練習ができています。
鹿児島への思い
この時期に必要としてくれたことがありがたいです。
チームを残留させるために、よりチームに勢いをもたらせられるようにしたいです。
自身の持ち味について
自分はクロスが持ち味なので、得点に直結するプレーをより多く出して、ゴールの数を増やせるように貢献したいです。
チームのみんなもクロスを要求して動いてくれるのでやりやすく、チームの狙いでもあるので、特徴を出しやすいと感じています。
今後に向けて
中断明けで大事な試合になります。
しっかり全員で闘って勝ち点3を取れるようにしたいです。
沼田駿也 選手コメント(7月30日トレーニング後の記者会見より抜粋)
今日も強度の高いトレーニングができましたし、藤枝戦に向けていい状態で来れていると思っています。
実際に練習しての印象
攻守においてアグレッシブでいい守備からのいい攻撃は自分の長所でもあるので、スムーズに入ることができました。
もともと知っている選手もいるので、スムーズに溶け込めています。
連携面について
まだ数日しかたっていませんが、素早く自分の特徴を表現してコミュニケーションを取ることで、関係性は築けていけます。
自分から発信することもできていると思います。
自身の持ち味
攻撃のところでゴールに向かっていく推進力です。
またチームに求められているところはアシストやゴールの結果の部分であり、その数字につながるプレーが特徴です。
田中渉選手について
山口で1年いっしょにプレーして、まちがいなくクオリティーの高い選手だと思います。
彼が前を向いたときはまちがいなくボールが出てきます。
ボールを運びながら判断を変えられますし、自分が最終ラインと駆け引きした時に、こんなにボールが配球されることを感じたことはありませんでした。
自分がここにくる理由のひとつでもあります。
練習からでもいいコミュニケーションと関係性が出ているので、結果につなげていきたいです。
これからのリーグ戦に向けて
具体的な数値としては5ゴール以上に絡みたいですし、それがチームにとってまちがいなく必要になってくると思います。
ゴール、アシストでチームを少しでも高い順位に導いていけるようにしたいです。
コラム「鹿児島をもっとひとつに。vol.32(Total vol.44)」
五領淳樹選手(鹿児島ユナイテッドFC)
「“これ”だけは絶対に避けなければいけない。今年はもうそれだけです」
鹿児島でのキャリアを振り返る取材の終盤、彼は何度も繰り返し、叩くように指さします。
クラブと彼の10年間の歩みをまとめたA4用紙。
彼が指さすのは2019シーズンのところに記載された「J3降格」の4文字。
チーム内で2019シーズンを知るのは森永直彬コーチ、選手としては当時キャプテンだった中原秀人選手、セレッソ大阪から移籍して1年目の米澤令衣選手、U-18から昇格した1年目の野嶽寛也選手。
そして彼、五領淳樹選手。
クラブ創設2年目の2015シーズンに加入し、左足のキックを武器に3回の昇格と1回の降格を経験しながら10シーズン目を迎え、「最古参」が枕詞のようにつきます。
クラブ10年史を語る上で、そのほとんどの期間をピッチ上で生きてきた五領淳樹はどのような想いでプレーしてきたのでしょうか?
ユナイテッド以前(〜2014シーズン)
神村学園で冬の選手権ベスト4に入り、宮崎産業経営大学でも主力として活躍して、卒業後は2012シーズンからJ2ロアッソ熊本へ加入。
そのころの鹿児島は九州リーグでヴォルカ鹿児島とFC KAGOSHIMAが競い合っていた時代です。
田上裕選手兼監督が産経大出身という縁などがあり、FCKとは何度もトレーニングマッチをした間柄。
さらに2013シーズンからは高卒でJ1の清水エスパルス、J2のギラヴァンツ北九州に所属していた神村学園の同級生、永畑祐樹がヴォルカ鹿児島に加入します。
同級生はまだ20代前半でJリーグから地域リーグへとカテゴリーを落とすことになりましたが、それでも現役を続けること、鹿児島で道を切り開こうとすることはうれしいものでした。
2014シーズンに2つの鹿児島が統合して、鹿児島ユナイテッドFCとしてJFLに参戦することになり、背番号8をつけた永畑と同じく神村学園でともに全国を沸かせた鮫島翼が、こちらはチームマネージャーとして支える側に回ります。
五領選手も鹿児島の動向は色々と気になりながらも、J2のロアッソ熊本でプレーを続けてきましたが、3年目の2014シーズンで熊本を契約満了となります。
トライアウトを受けて、自身のプレー集を作ってもらい、次なるプレー場所を探し求める五領選手には紆余曲折があり、鹿児島ユナイテッドFCと、東欧から興味を持ってくれたチームが選択肢としてありました。
「本当は海外でのプレーにも興味があったんだけど、(永畑)祐樹がいるし、地元だし」
こうして鹿児島ユナイテッドFCの五領淳樹選手が誕生しました。
背番号20を背負い、JFLからJ3を目指す闘いが始まります。
とはいえ注目されたのは姶良市出身の田原豊。
Jリーグ300試合を超える経験と、世代別代表経験のあるベテランFWがスポットライトを浴びるなかで、鹿児島での再出発でした。
浅野哲也監督との1回目(2015〜2016)
「J2経験者として故郷のクラブをJリーグ入りに導く」
強い思いとは裏腹に、五領選手はなかなか活躍することができません。
浅野哲也監督のもと、開幕直後はスタメンで出ていましたがゴールという結果を残すことができず、サイドハーフには井上渉、新中剛史、大庭裕平たちが起用されるようになり、五領選手は後半途中から投入される試合が増えていきます。
もどかしい思いをするなかで迎えた6月、昇格争い直接のライバル、アスルクラロ沼津とホーム霧島市国分運動公園で対戦した試合。
開始早々に柳崎祥兵のゴールで先制して、追いつかれ、逆転され、折り返した後半に井上のゴールで追いつき、、、終了間際、ペナルティエリア前にこぼれたボールを五領選手が利き足とは逆の右足ボレーで叩き込み、3-2での勝利の立役者となります。
地元国分で決めた移籍後のリーグ戦初ゴール。
「あれがターニングポイントになった」
以降も途中出場が中心となるなか正確で強烈な左足のキックや果敢なドリブル突破を駆使しながら4得点を決めて、鹿児島のJ3入りを牽引します。
「自分自身が1年でJリーグに戻れたっていうのはめっちゃ嬉しかったし。鹿児島のチームでっていう、なんか夢のようなね。昔じゃ考えられない話が現実的に起きたっていうのは、何とも言えない気持ちでしたね」
お父さんといっしょにヴォルカ鹿児島の試合を観に行った少年時代、神村学園の時も宮崎産業経営大学の時も現実味の薄い話だった鹿児島のJリーグ入り。
それが現実のものとなり、自身が選手としてそこにいることは特別な体験でした。
一方でこのシーズン、27試合4得点と数字上は結果を残しましたが、前述の通りスタメンでの出場は多くありませんでした。
「もし自分自身が簡単に活躍できていればまた天狗になって王様気分になってたかもしれない。けれどJ2からJFLへ下のカテゴリーに落ちたのに、そこでも自分はスタメンで出れなくて、自分の中でどん底というか“俺こんなこんなものか”って思わせられたのは結構大きかったかもしれないですね」
達成感と悔しさが残った2015シーズンを経て、ロアッソ熊本のJ2からはひとつ下のJ3が舞台となった2016シーズン。
それでもJリーグ、鹿児島にとって初挑戦という喜び。
「1年目、正直苦しかったし悔しかったけどそのテツさん(浅野監督)からめちゃくちゃ守備のこと言われてて。自分自身ずっと守備が大嫌いだったし。サボる人間だったけど、テツさんのもとで守備をしなきゃいけないっていうのを学んだ1年でした」
前のシーズンで学んだことをピッチで体現した五領選手は、相手ボールになったらとにかく走ってプレッシャーをかけてボールを奪いにかかります。
奪い返したら迷わず相手ゴールに向かってどんどんしかける。
第3節でスタメン出場すると、以降は左サイドハーフの永畑とともに、右サイドハーフのポジションを確立します。
それでもちょっとでも緩いプレーをしたら外される、という危機感を背負い、毎週永畑と「ここだぞ、今週末の試合が大事だぞ」と声をかけ合いながら練習に向かい、試合になるとすべてを出し尽くし、大歓声で迎えられるキャプテン田上や同郷の新中と交代する。
ドラガン・ストイコビッチにあこがれて、攻撃の花形だった五領選手は「泥臭く走る」という新しい価値を身に着けていました。
その2016シーズンで浅野監督が退任し、後任に三浦泰年監督を迎えることになります。
1度目のJ2昇格へ(2017〜2018)
新しいシーズンを迎えるにあたって背番号も新しくなりました。
「本当は神村学園でも宮崎産経大でも着けていた14番が空いたから狙っていたんですけど、先輩の(西岡)謙太くんが着けることになったし、霧島市の先輩として(新中)剛史さんから11を引き継いでくれって言われて」
たくさんのことが新しくなり、監督から求められることも変わりました。
「怖かったですよ。ひとつひとつのプレーに対する質とか、ミスに対する追求がすごくて、ミスを軽く思うことがなくなりました。ちょっとした練習のひとつひとつからですね」
田上応援リーダーが当時、ウォーミングアップのリフティングでも落とせないという重圧を感じていたというエピソードを披露することがありますが、五領選手は「オレたちは“早くタノさん最初に落としてくれ”って思ってましたよ」と大笑いしました。
浅野監督時代の厳しさに培われたのが「少しも足を止められない」だとすれば、三浦監督時代の厳しさで培われたのは「どんなプレーも気を抜けない」。
そしてプレースタイルの転換もありました。
「ヤスさん(三浦監督)になってポゼッションをめっちゃ練習でするようになって、それで自分もワンタッチとか好きじゃなかったけど、ヤスさんはそこを求めてくるから、ドリブルでしかけるプレーから変わりましたね」
2017シーズン、終盤まで上位に食らいつきますが最終的には4位でシーズンを終えます。
次こそはの気持ちで挑んだ2018シーズン。
「本当にめちゃくちゃ調子の良いシーズンだったんですよ」
右サイドでシンプルなワンタッチと突破を使い分けながら攻撃の起点となり、相手ボールの時にも手堅い守備でチーム全体を引き締める五領選手。
チームも開幕した3月こそ1勝1分2敗と出遅れますが、そこからは3連勝、引き分け、3連勝、引き分けと一気に勝点を伸ばし、アスルクラロ沼津やFC琉球と首位争いを繰り広げます。
チームも個人も最高の状態。
「だから、これだけ調子の良いときってやっぱり何か不具合が起きるんだろうなって感じですけど」
第14節、桜島の大爆発でスタジアム内外が銀世界…灰世界となったホーム、セレッソ大阪U-23戦。
「最初やったときはピッチサイドで痛みが全然ないのを確認して、試合に戻ってちょっとステップ踏んだら膝がおかしくて、これダメなやつだって交代して」
結果は左膝前十字靭帯断裂および左膝外側半月板損傷。
全治8カ月と、キャリアで初めての大怪我でした。
J2昇格に向けてチームも個人も突き進む中でのアクシデントです。
「でも別に一瞬だったんですよね、落ち込んだのは」
まったくの予想外な言葉でした。
「トミくん(冨成慎司)がいたのがでかかったですね。トミくんがいなかったらしんどかったと思うんですけど、実際はしんどいなって思ったことは一回もありませんでした。楽ではもちろんないんだけど、心強かったです。トミくんは2回目でリハビリの流れも分かっているし先輩だから変な話甘えれるっていうか、そういうのがあったのかもしれないですね」
リハビリ生活は孤独ではなく“相方”がいました。
「チーム練習ではなくて今村病院で午前中はリハビリして、午後からERGに行くみたいな流れでそれが良かったです。それで途中からは(田中)秀人くんもリハビリに加わって。たとえば練習場でやっていると俺、多分ダメでした。ぜったいに他の選手がやっているのを見るとオレもやりたくなって歯がゆかったかもしれない。でもチームと距離を取れたのも大きかったです。自分の中では本当にサポーターの1人くらいの感覚で、週末だけスタジアムやDAZNで試合を観る生活でしたから」
2018年は自然災害が相次いだ年で、選手会長としての冨成慎司が呼びかける形で、ホームゲームのたびにベンチ入りしない選手たちは約30分募金を呼びかけていました。
時間が来て他の選手が引き上げた後も、冨成五領の2人が1時間以上スタジアム場外を回りながら募金をうながして、サポーターと交流する光景は恒例のものとなっていました。
「それも俺はトミくんについていっただけですよ笑。他にできることもなかったし」
五領選手が負傷離脱して以降のチームは苦しい闘いが続きましたが、粘り強く勝ち点3と勝ち点1を積み重ねて、J2昇格を達成しました。
「嬉しさ半分だけど、何もできなかったの気持ちが半分くらいずっと残っていました」
降格と、仲間たちから取り残されて(2019〜2021)
金鍾成監督のもとで挑んだJ2の舞台でも、五領選手はリハビリからのスタートでしたが、当時の三栖英揮コンディショニングコーチが厳しいトレーニングを課してくれたことで、3月末、万全の状態でピッチに帰ってきました。
そこからは「怪我明けだったんだっけ?」と言いたくなるほどの活躍ぶりです。
4月21日のFC琉球戦の終了間際にカットインから決めたシュート、5月4日の柏レイソル戦でゴール前でのコンビネーションの最後を彩るシュートなどは今でもクラブのベストゴールのひとつとしてサポーターの脳裏に焼き付くゴールです。
「多分、復帰する前の自分を追いかけるとだめだろうなって、頭の中にあったんです。熊本でいっしょにやっていた北嶋(秀朗)さんは膝とか手術していてボロボロだったんだけど、怪我をした状態で何ができるかを探さなければいけない、前のプレーを追いかけるとうまくいかないって言われていたことを覚えていて」
今の自分にできるプレーを徹底して意識した結果、個人としては主力として躍動したシーズンで終わりました。
が、最終的な結果は22チーム中21位でJ3降格。
「まさかね。ホーム最終戦の水戸にも勝って、正直残留はできそうだって気持ちはあったんですけど、まさか(21位だった)栃木があんなに粘ってくるとは思わなかったですし。甘さだったんですよ。まだ自分たちは未熟で早かったのかもしれないですね。でも、今になって思うと、あれを経験した選手たちがフロントにいて、今こそそれがつながってくるんじゃないかって思うんです」
失意のシーズン終了後、多くの選手が引退することになりました。
クラブの象徴的存在だった田上裕と赤尾公、熊本時代からチームメイトだった吉井孝輔、リハビリをともにした冨成慎司や田中秀人、西岡謙太、堤俊輔、自分より若い谷口功や中原優生。
「普通なら去っていく選手が寂しさを感じるんだろうけど、自分のなかで喪失感があって寂しくて、取り残されたなって感じで沈んで。でもクラブとして新しい時代へ進むっていう覚悟は感じられたんですよね」
その引退していく選手の1人に、高校時代からの親友、永畑祐樹の名前もありました。
「それ聞いて俺、こもって1人で泣いちゃって」
その永畑祐樹は強化部に転身して、大卒の優秀な選手、なかでも福田望久斗選手や圓道将良選手といった五領選手と同じサイドを主戦場にする有望株が台頭してきているところに、歴史のめぐり合わせが感じられます。
J3降格どうこうではなくコロナ禍で苦しみ抜いた2020シーズン。
「サポーターの声があってこそなんだって、こんなに感じたシーズンはなかったです」
肉離れでの離脱もあった五領選手は14試合1得点と満足いく結果は残せず「今年で満了かも」と覚悟するシーズンでしたが、契約更新。
そして同い年で2014シーズンのクラブ創設を知る最後の1人、水本勝成が現役を引退します。
2021シーズン、五領選手は「最古参」となりベテランと呼ばれる年齢になりつつありました。
オーストラリア人アーサー・パパス監督を迎えたサッカーはものすごく走って肉体的にはきついけれど「めちゃめちゃ楽しい!」サッカーでした。
勝ち星こそついてこないけれど、選手1人1人の想いにしっかりと向き合い、あるべき姿を提示してくれるパパス監督のもと、これが完成したらすごいことになるとチームの誰もがワクワクしていたシーズン序盤。
しかし家庭の事情でパパス監督は退任して、長らくともに闘ってきた大島康明コーチが暫定監督として指揮を取り、上野展裕監督が就任しましたが、最後までチームは波に乗ることができず、J3での過去最低となる14チーム中7位で失意のシーズンを送ります。
このシーズンでセレッソ大阪での豊富な経験をひっさげて3シーズン所属した酒本憲幸が引退しました。
「本当にこういう想いでサッカーってやるべきなんだろうなってシャケさん(酒本憲幸)に学ばせてもらいましたね。サッカーって楽しいものだって改めてシャケさんに気づかせてもらった」
その経験は今も生きているか聞くと「生きてる、生きてる、生きてる、生きてる」と4回繰り返しました。
2度目のJ2昇格へ(2022〜2023)
大嶽直人監督を迎えた2022シーズン、ここでも変わることなく「(大嶽)直人さんの自由とオーシ(大島康明)さんの細やかさ」を吸収した五領選手は右サイドのレギュラーで攻守にチームを牽引し続けます。
シーズン中盤まで首位争いを演じて「今シーズンこそ行ける」という期待が内外に満ちていました。
それが終盤、藤枝MYFCが逆転して2位に浮上してJ2昇格を果たし、鹿児島は3位で昇格を逃します。
翌2023シーズンも夏前まで昇格争いを繰り広げますが、3連敗を喫して大嶽監督が退任して、大島監督体制になります。
そこから安定して勝ち点を積み重ねながらも、終盤になるとなかなか勝てなくなる苦境。
「すごく責任を感じるようになりました。本当に俺が原因じゃないかって思うようになって。前回は俺が出てない時に昇格が決まったじゃないですか。それで今はそんなに悪いわけじゃない成績なんだけど、結局上がれないのは俺なんじゃないかって。もし2023シーズンも最後ダメだったら俺だったのかってなってたかもしれないし」
体力が尽きるまで攻守に走り続け、ゲームを作り、決定的な場面を演出して、ピッチを離れればサポーターにも仲間たちにも大きな笑顔でいつづける五領選手。
「五領がだめだから」ではなく、どんな苦しい時期にも「五領がいてくれたから」がサポーターの総意でしょうし、彼こそが鹿児島ユナイテッドFCの大切ななにかを体現する存在だと傍目には思われますが、五領選手にあったのは重圧でした。
それでもみんなの力で掴んだ2度目のJ2昇格。
「前回よりも全然うれしかった。前回は思い描いていたものではなく、今回は、やっと鹿児島の力になれたって思えましたから。どちらかといえば安堵ですね」
現在、そして残りのシーズンへ
鹿児島にとって2度目の挑戦となるJ2の舞台。
24節を終えて5勝8分11敗、20チーム中18位のJ3降格圏内にいます。
5月末には、2017シーズンからともに闘ってきた大島監督が解任されました。
「感謝と申し訳なさ。もっと自分はできたんじゃないか、自分が点を取っていればっていくつも思い浮かぶし。本当に良くしてもらったし、色々と話をしていたし、信じてもらっているのを感じていますから。だからなおさら申し訳なさは強かったけど、でも、やっぱり感謝しかないですね」
だからこそ、残り14試合への想いはより強いものになります。
「浅野監督とは久しぶりだったけど良い意味で変わっていなかったから。人間としてもサッカーとしても。それで自分はなかなか試合に絡めなくなったりしたけど、チームとして“これ”にならなければ、降格しなければって想いしかありませんから。本当に究極、“これ”にならなければもなんでもいいっていうぐらいの気持ちですよね」
冒頭の通り、何度も何度も「J3降格」の4文字を叩くように指さしました。
一方で監督が変わり、闘い方が変わり、新しい選手が多く加わる変化に対して期待はもちろんですが、不安を抱くサポーターもいることでしょう。
「監督が変わって闘い方が変わるとか、選手からしたら合わせるしかありませんから。クラブとして監督して、方針を打ち出す。だからやるって決めたらみんながそれに乗っかるしかないし、みんなで乗っかっていかないと目標って達成できないものですから。だから新しく入ってきた選手とかも含めて、どれだけそこを理解してやれるかです。それは不満とか、そういう声は絶対にあると思うんですけど、やっぱりチームですから。最終的に決めたことに対して乗っかるしかない。30歳を超えた俺たちが示していって、乗せていく、その役割をしなければいけないのかなって思いますけど」
その目標に対して、ここからの残り14試合をどう闘うのでしょうか?
何が何でも残留させる。
今年に関してはそれしかありません。
もちろん自分が試合に絡んで残留させたいし、もちろん試合に出られないって悔しいんですよ。
自分だけかもしれないけど、自分が試合に出て負けるより、テレビとかDAZNで負ける景色を観るほうが悔しいんですよ。
普通は逆かもしれないですけど。
負ける光景を見ていて、何もできない自分に腹が立つし、試合に出ている選手にも“なんでそんなプレーなんだよ”って悔しさもあって倍になる感じがして。
30人くらいを代表して出ている彼らが負けて、出れていない俺はなんなんだろうって。
これは同じポジションの選手だけでなくてみんなに対してです。
みんな全然全然もっとやれるし。
これも普通と逆かもしれないけど、同じポジションの選手が活躍したほうが燃えてくるじゃないですか。
だからせっかく試合に出ているのに“そんなプレーかよ”って言いたくなるようなプレーは見たくないし、“それはお前が出るよね。これを超えなきゃ俺も出られないよね”っていうくらいのプレーを見せて欲しいから、試合に出られなくても応援するんですよ
濃い感情が心のなかに渦巻いているなかで、五領選手はもうひとつ大切なことを最後に語りました。
楽しくやります。
これは忘れずに。
せっかく自分が描いていたサッカー選手になる夢を達成して、しかも子どもたちがめざしてくれる仕事になれているじゃないですか。
それを苦しいだの辛いだの、それだけでやっていたらなんの夢も見せられないじゃないですか。
シャケさんも最後の方にメンバーに入れなかったりしていたんだけど、一番誰よりも楽しそうに練習していて、その背中を見てきたことは今の自分にとってすごく生きていますよね
あらためて思い返しても、五領淳樹がピッチでプレーする姿には、サッカーをできる喜びに満ち満ちています。
10年の間に100を超える選手やスタッフと出会い、別れてきましたが、そのひとつひとつの出会いが、五領淳樹という選手のなかで脈打っているようです。
これからの鹿児島ユナイテッドFCというクラブの方向性についての話になっても、思慮深くとらえています。
「一歩ずつだと思いますよ。(野嶽)寛也にはじまり(武)星弥、(小島)凛士郎とアカデミー出身選手が出てきていいことだし、もちろんユースで言えば神村学園とか城西高校のほうが上にいるし、“鹿児島でプロになるならユナイテッドのユース”ってならないといけないんでしょうけど。練習場ができて、環境面も整っていってるし。だから劇的にこうなって欲しいっていうのは正直ないんですよ。できて一歩一歩だし、確実にその一歩一歩を踏めていると思うし。劇的に変わるんだとしたらトップチームがJ1に行くとか、大きな資金を投入するオーナーが出てくるとか、それくらいしかないと思いますよ。だからクラブ全体に対して“こうなって欲しい”というより、“こうなっていっている”だと思うんですよ」
なんとも大人な答えですが、最後に出てきた言葉には「らしさ」が詰まっていました。
「自分が選手のうちに新しいスタジアムができて欲しいっていうのはありますけどね」
10年の間にプレーは熟成して、最古参の年長者らしい言動ですが、やっぱり根っこではサッカー少年でした。
今シーズンも最後の瞬間まで、五領淳樹がピッチ内外で見せる姿に目を凝らして、そしてともに闘い抜きましょう。
何が何でも残留する!