【8月24日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2024 vol.14
鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は8月24日に行われる2024明治安田J2リーグ第28節、鹿児島ユナイテッドFC vs 清水エスパルスのマッチデープログラムです。
日程表・順位表・テキスト速報
前回までの振り返り
2024年8月3日(土)2024明治安田J2リーグ第25節
vs 藤枝MYFC 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)
中断明け最初の対戦はホームで迎えた藤枝MYFC戦。
10分、鹿児島は藤枝守備の背後へ大きく蹴ったボールに藤本憲明が抜け出ようとするが藤枝GKが飛び出してクリアする。
21分、右サイドを抜けた田中渉がゴール前に入れたボールは藤枝の守備で遮られる。
28分、田中のフリーキックから鈴木翔大がゴール前に折り返したボールが、藤枝のオウンゴールにつながって先制する。
35分、藤枝が右サイドから入れたボールを逆サイドで拾われて、強烈なシュートが決まって同点。
45分、藤枝の速攻から右サイドへボールが渡り、角度のないところから打たれたシュートが決まって逆転を許す。
後半に入った50分、遠目から渡邉英祐がミドルシュートを狙う。
52分、田中のスルーパスを受けた沼田駿也が左足で打ったシュートはGKが弾く。
さらに拾った藤本のシュートはゴール前で藤枝がクリアする。
58分、藤枝は右サイドからパスを回しながら前進して左サイドから再びゴール前へ送られたボールが決まって1-3とリードが広がる。
63分、山口卓己がゴール前に入れたボールを鈴木が頭で合わせるがゴールを外れる。
80分、ゴール前のフリーキックから入ったクロスをファーサイドで鈴木が折り返し、ゴール前の有田光希が押し込んで1点を返す。
終了間際には藤村慶太が蹴ったボールが逆サイドのネットに入りそうになるが、GKが弾く。
リーグ再開後の初戦を2-3で落とした。
2024年8月11日(日)2024明治安田J2リーグ第26節
vs ブラウブリッツ秋田 会場:ソユースタジアム(秋田県秋田市)
アウェイで迎えたブラウブリッツ秋田戦。
10分、秋田のコーナーキックからヘディングを打たれるが、泉森涼太がかき出す。
32分、左サイドのクロスから頭でつながれ、ゴール前でヘディングを打たれるが泉森が止める。
42分、左サイドの突破をファウルで止めて、秋田にPKが与えられる。
失点の危機だが、シュートはポストにあたって外れ、泉森は拳を握る。
前半終了間際には稲葉修土がペナルティエリア内での競り合いでマイボールにするなど、守備で奮闘するが攻撃の場面を作れないまま前半が終わる。
後半開始直後の46分、ロングボールを鹿児島陣内でつながられてのシュートで先制を許す。
58分、右サイドから入ったクロスボールが逆サイドにこぼれたところを押し込まれて追加点を奪われる。
62分、パスを回しながら前進した鹿児島は左サイドの沼田駿也のパスをゴール前で有田稜が収めるが、シュートまではいたらない。
直後も沼田が左サイドのドリブルからシュートまで持ち込むが秋田守備陣に跳ね返される。
79分、泉森が蹴ったロングボールに抜けた沼田がシュートを打つが、GKに防がれる。
83分、ロングボールを収めた武星弥からのパスを受けた藤本憲明が振り向きざまに打ったシュートは枠を捉えられない。
89分、秋田のミドルシュートを泉森が弾き、拾われたボールをつながれてフリーでのヘディングを許すが泉森がキャッチ。
90分、中盤の奪い合いを制した藤村のスルーパスに、藤本が抜け出すが、飛び出したGKが防ぐ。
そのまま得点を奪えず0-2で敗戦した。
2024年8月17日(土)2024明治安田J2リーグ第27節
vs ベガルタ仙台 会場:ユアテックスタジアム仙台(宮城県仙台市)
前節に続いてアウェイで迎えたベガルタ仙台戦。
8分、広瀬健太が最終ラインから送ったロングボールを有田稜が収めて、戻したボールを田中渉が狙うが仙台守備時がブロックする。
11分、左サイドで外山凌、山口卓己、中原秀人とつなぎながらゴール前の決定的なスペースを狙うが仙台がスキを見せずにクリアする。
14分、仙台の直接フリーキックから打たれたシュートは泉森涼太が弾いてコーナーキック。
15分、コーナーキックをファーサイドから折り返されたところを決められ、先制される。
18分、渡邉英祐が浮かせたボールを有田稜が収めてタッチライン際からゴール前に折り返すが仙台GKがキャッチ。
29分、仙台が左サイドから入れたクロスをヘディングで合わされるが、ポスト外へ外れる。
47分、中盤でボールを収めた田中がドリブルで中央を突き進み、左足のシュートを狙うがわずかに外れる。
51分、泉森のロングボールを武星弥が胸でおさめて、左サイドの田中がゴール前にクロスを入れてこぼれたところをもう一度武が拾い、山口がシュートするが弾かれる。
77分、泉森のキックを拾われたところから速い攻撃でゴール前にクロスが入るが、ヘディングは外れる。
82分、仙台コーナーキックを防いだところから永井颯太が持ち上がり、左サイドに流れたところでボールを受けた有田稜を永井が追い抜き、ゴール前にふわりと浮かせたクロスに星広太が後ろからフリーで走り込むがシュートは合わない。
83分、長いボールを左サイドで収めた有田稜が振り向いてシュートで狙う。
89分、仙台の直接フリーキックは枠を外れる。
最後まで仙台ゴールを攻め続けた鹿児島だが1点を奪えず、0-1で3連敗となった。
コラム「鹿児島をもっとひとつに。vol.33(Total vol.45)」
八反田康平選手(ジェイリースFC)
「清水は今はJ2にいるけれど、優勝して昇格して欲しいし、J1にいるべきクラブ。J1で優勝争いをする清水を1人のファンとして応援する身として楽しみにしています。僕は清水でキャリアをはじめたし、今後も自分とは切っても切れない関係があります」
故郷の古巣はもちろんだけど、5シーズン所属したクラブもやはり特別。
彼は「次の試合はどっちが勝って欲しいとかは分からない」と前置きした上で、「両方やり合って欲しい、お互いのチームに知っている選手たちがいるのでベストを尽くしてがんばって欲しい」と2つの古巣に期待を込めました。
奇しくも前節対戦したベガルタ仙台戦もまた古巣。
ただ試合をひと通り見届けた彼の中にあったのは、もっと鹿児島の選手たちはチャレンジしてもいいんじゃないかという想いだったようです。
ひとつひとつの言葉はゆっくり丁寧に。
今は九州リーグのジェイリースFCに所属して、JFL昇格をめざしてプレーしている八反田康平選手に今回、色々と話をうかがいました。
ZOOMの向こうからは時々、小さな命が力いっぱい発する泣き声が聞こえてきました。
プロになるまでの日々
八反田選手の出身は強豪として県内外に知られる神村学園高等部、鹿児島城西高校、鹿児島実業高校のいずれでもなく、県内屈指の進学校である「鹿児島中央高校」です。
同学年の五領淳樹選手、永畑祐樹、ひとつ下の大迫勇也選手、谷口功、中原秀人選手といった面々からすると異色の選択と言えるでしょうが、さらにおどろくべきはU-17日本代表に名を連ねていたことです。
公立の進学校から世代別代表、そして世界の舞台へ。
長期の合宿や遠征で授業を受けられなくても、先生たちが「だからできなくてもしょうがないよね」ではなく、たっぷりの問題集で「遅れはちゃんと勉強して取り戻すべし!」という方向への理解もあり、八反田選手は文武両道をやり切ります。
大学は「選手生活が終わったら学校の先生になろうと思っていた」と、ここでも文武両道で筑波大学へ進学。
風間八宏さんが監督に就任したばかりの環境で、試合に出られない時期はありながらもそれを乗り越えて大学生の日本代表「ユニバーシアード」代表に選ばれるなど活躍した4年生時、八反田選手のもとにはいくつかのJクラブからオファーがあり、清水エスパルスへの加入を決めました。
ところが大学4年生の夏頃からグロインペイン症候群に悩まされ、平日は休み、週末の大学リーグ戦に専念するような状況。
最後のインカレが終わって2~3週間たって、清水エスパルスの練習に合流しても症状は改善しません。
「今でも覚えているんですけど、3日目の2部練習の午前練習が終わったあと、もう限界だ歩けねえってなって」
プロサッカー選手のスタートはリハビリでしたが、復帰して夏頃からはどんどん身体のキレが増して調子を上げいきます。
パスを受けては出し、出しては動いてパスを受けて、また出して。
小柄な八反田選手はチームのリズムを作り、トップ下のポジションで出場機会をつかみます。
さらにナビスコカップ(現在はルヴァンカップ)決勝の鹿島アントラーズ戦にもスタメンで出場するなど上場の滑り出しでした。
2年目の2013シーズンには初ゴールを決めましたが出場は6試合。
「(アフシン)ゴドビ監督から求められることと、自分のこうしたいと思うことに食い違いが出てきて」
ほかのクラブも経験したいという想いもあって、2014シーズンはベガルタ仙台への期限付き移籍を決意します。
仙台は現在オーストラリア代表を率いるアーノルド監督のもと、ポゼッションを大事にするサッカーに取り組みますが、開幕すると公式戦8試合で3分5敗と大苦戦して、監督は退任。
八反田選手も出場機会を得られないまま期限付き移籍期間を満了して、清水へ復帰します。
J2への降格と九州への移籍
復帰した清水では前のシーズン途中から大榎克己監督が指揮をとっていました。
「選手たちから聞いていて、自分にもあうというかやりやすい感じではいました」
2015シーズンは開幕から試合に出続ける八反田選手でしたが、チームは苦戦が続きます。
「結果論になっちゃうけど勝てない時はチームがまとまりにくいというか、上手くいかない雰囲気は少なからずありました。でも、結局は僕たち選手が監督の戦術や期待に応えられなかったのが一番ですけど」
大榎監督から田坂和昭監督に代わった夏場から八反田選手はベンチにも入らない試合が増えていき、そしてほかチームの結果をもって、チーム史上初のJ2降格が決まりました。
「なんか実感がわかなかったというか、ピッチで降格の時を迎えていたら、その時の雰囲気とか、サポーターの人たちの表情とか声とか、色々と感じられるものがたくさんあったと思うんですけど」
J2での闘いに挑む2016シーズンの清水エスパルスですが、八反田選手はベンチ外が続きます。
この状況を受けた7月、サッカー選手として試合出場の機会を得るため、J3からJ2への復帰をめざす大分トリニータへ期限付き移籍を決断しました。
加入直後から大分の中盤に欠かせない存在として八反田選手は輝きます。
そして全30節で行われるリーグ終盤の第24節、ホームに鹿児島ユナイテッドFCを迎えました。
鹿児島との“再会”とJ2昇格
「この日、めっちゃ覚えてますよ。鹿児島がJ3に昇格してから結果とかも気にしていたし、知っている選手も多かったし、それでJ3の大分に行くことになって対戦することになってすごく楽しみでしたし」
鹿児島にとっては史上初のJ2クラブライセンス不交付が公になり、成績に関わらずJ2昇格の可能性が絶たれた中で迎えた一戦。
一方の大分にとってはJ2復帰のために絶対に落とせない上位との直接対決。
「この試合は結構、鹿児島に押されていて、今でも覚えているんですけどカツ(水本勝成)がコーナーキックからゴール前で“やられた”と思ったシュートを外したんですよ。それで“ラッキーだ、いける“って」
この水本勝成さんは高校時代、同じように早生まれのU-17日本代表でのチームメイトでした。
中盤両サイドの五領淳樹&永畑祐樹は小学生の頃から鹿児島県のトレセンでいっしょだった古い顔なじみ。
水本さんとともにセンターバックを組むのは、筑波大学で3つ上の先輩だった田中秀人さん。
「淳樹たちはともかく、カツとか秀人さんとかも鹿児島でプレーしていて、相手にいることが不思議でしょうがない感覚でしたね。しかも言い方は悪いかもしれませんけど、鹿児島にJリーグのチームができるなんて僕らが高校の頃は思っていませんでしたから。その鹿児島のJリーグのチームと対戦するって本当にすごいなって思いましたね」
試合は大分が1-0で勝利。
次の長野戦は落としましたが、大分はそこから残り5試合を5連勝と駆け抜け、首位を走っていた栃木SCを一気に追い抜き、J3優勝、1年でのJ2復帰を決めました。
移籍してからの全14試合に出場した八反田選手。
一方で5シーズン所属していた清水エスパルスを離れることは決定的でしたが、大分からの熱烈な完全移籍の話があり、家族を残していた清水から引っ越すつもりだった八反田選手でした、が。
「そうしたら代理人から来年、風間(八宏)さんが名古屋の監督をやるので、名古屋から話が来ているって。めちゃめちゃ悩みましたね。それまで清水でも仙台でも試合に出られなくて苦しい時期を過ごしていたので、そこで大分で試合に出る喜びだったり楽しさを感じさせてくれて優勝させてくれて、もう1回自分を復活させてくれて、それがあったから選手として続けられていると思っているので、そのメンバーといっしょにやりたかったですし」
名古屋はJ2から1年でのJ1復帰をめざす名門であり、大学時代に自分をプロまで育ててくれた風間監督のもとでプレーしたいという想いで名古屋を選びました。
名古屋での1シーズン目はコンスタントに出場機会を得ましたが、9月に右膝後十字靭帯損傷の負傷で離脱するなど苦しい時期が続きます。
J1に復帰した2シーズン目も11試合に出場して、チームはぎりぎりでJ1に残留しましたが、八反田選手はチームを離れ、J2に昇格したばかりの鹿児島ユナイテッドFCへの移籍が決まりました。
故郷のJリーグクラブで
高校卒業以来の鹿児島生活で、プロサッカー選手として鴨池の雰囲気をどのように感じていたのでしょうか?
「鴨池に立つってことが鹿児島中央高校の僕からしたら、なかなかない経験だったんですよ。それこそ1回だけ、高校2年生の時に選手権ベスト4で神村学園の淳樹たちにボコられて笑、でもそのくらいだったので特別な感覚でした」
2シーズンぶりのJ2を故郷で闘った2019シーズン。
「結果的に降格になったんですけど、僕としてはめちゃくちゃ楽しくて。もちろん新潟とか大宮とか横浜FCとか大敗する試合もあったんですけど、それ以上に結構やりあえていた試合も多くて、惜しくも負けたとかもあったんですけど、やっていて楽しかったですよね」
金鍾成監督のもとで攻撃的なサッカーで挑んだ2019シーズン、八反田選手はボランチで27試合に出場して、ゲームをコントロールしましたが、最終的には1シーズンでJ3降格となりました。
「清水の時よりも試合に出ていたし、ピッチの上で闘えるっていう手応えがあっての降格だったので、やっぱりすごく悔しさがありましたね」
落ち着いた口調で、それでも「やっぱり」「すごく」という言葉をつけて、想いを表現しました。
八反田パーティー
J3での闘いに戻った2020シーズンと2021シーズン、八反田選手は中原選手や田辺選手たちと競いながらボランチとしてピッチに立ち続けますが、チームは思うように勝ちを積み重ねられません。
批判の声も上がるなか、それまでのシーズンと違っていたのは田上裕が応援リーダーになり、谷口功さんと水本勝成さんが応援副リーダーとして、主にYouTubeを通して外から応援してくれていることでした。
この時期の名物が、元選手の彼らがハイライトには載るような場面ではないけれど、プロの技術や戦術理解が詰まったプレーを解説する「PICK UP PLAY」。
その細かい好プレー集のなかでも、第1回から八反田選手は正確な読みと動き出しの早さと速さでこぼれたボールを回収しまくり、相手のボールも奪い去るプレーをも取り上げられます。
谷口さんがその独壇場ぶりに「八反田パーティーですよ」と(若干力技で)表現して、それまでボール扱いやパスセンスのイメージがあった八反田選手の新しい魅力としてサポーターに提示されたものでした。
「懐かしいですね。あの言葉は結構みんなに言われましたね。家族とか友だちとかにも“八反田パーティー”って言われて。でもやっぱり年齢を重ねてからああなった気がします。昔はもうどんどん前に前に攻撃攻撃、大学時代とかボランチなのに真ん中ぶっちぎってドリブルとかしていましたからね。多分、今のプレーを知っている人が昔の俺を見たらびっくりしますよ」
番組内で3人の元選手が「コンディション良さそう」「切れてるね」と連呼するように八反田選手個人としては心身ともに調子の良さを実感していました。
「試合でやれている感覚は自分の中でありました。でもやっぱりチームとして良い時も悪い時はもちろんあるんだけど、圧倒的に勝ち続けるだけの力がまだ自分たちに足りなかったのかなと思ます。良い時はもちろんいいけど、この悪くなった時に立ち戻るというものというか。まだチームとして成熟していなかったのかなと思います」
もちろん悔しさ、もどかしさがないわけはありません。
そういう感情面は当然のこととして、八反田選手の論理的な振り返りには、今の鹿児島ユナイテッドFCに関わるすべての人たちが踏まえるべき大切な要素がつまっています。
鹿児島で最後の4シーズン目
2022シーズン、Jリーグ初挑戦となる大嶽直人監督が就任して、選手は大幅に入れ替わりました。
前線では有田光希選手やロメロ フランク選手が次々と相手ゴールを陥れ、最終ラインでは広瀬健太選手と岡本將成選手のコンビが安定した守備を披露して、新加入選手がいきなり主力として躍動。
5月末までの10試合で7勝2分1敗とスタートダッシュに成功すると、その後も首位争い昇格争いが続きます。
快進撃を続けるチームのなかで、しかし、八反田選手はほとんど出場機会がありません。
ボランチ2枚は中原秀人選手と木村祐志選手のコンビが鉄板。
どちらかが欠場した時は高卒4年目の野嶽寛也選手や、特別強化指定である大学生の山口卓己選手がボランチとして出場。
それでも八反田選手は変わりません。
平日はもちろん、アウェイ遠征のメンバーから外れて鹿児島に残る週末も変わることなく自分のやるべきこととしてトレーニングに向き合い続けます。
その姿を見ていたチームメイトやスタッフたちの誰もが「ハチさんは模範だった」と述懐します。
「そこまで意識はしていないですけどね。試合に出られる準備をしっかりする。やっぱり選手としては試合に出ないと始まらないので、いかに自分が試合に絡めるかを常に考えながらやっていました。
それこそ監督に”自分に何が足りていないのか”って話をしにいったこともありますし、色々となんとかして状況を変えてやろうという気持ちを常に持っていました。
そんなしょっちゅう話をしに行くわけじゃないですよ。でも自分の感覚として調子が良かったり動けているなって感じているのに出られないわけで、それはチームの状況がよかったらなかなか変えづらい部分はあるんですけど、やっぱり悔しいじゃないですか。
それでどこを改善したら試合に絡んでいけるのかっていうことを、昔はなかなか行けなかったんですけど、歳を重ねて、そういう話をすることも必要じゃないかって思えるようになってからは行くようになりましたよね」
諦めることなく、ふてくされることもなく、プロとしてチームのために自分のために試合に出る努力を続ける。
前の試合に出られなくても、次の試合に出てチームの力になるために必要なことを模索して、トレーニングする。
「まあでもやっぱり若い選手とかがふてくされたりするのは基本わかりますよ。みんなプロになるくらいの選手だから、今まではそれぞれのチームで一番うまいとか、中心選手でやってきている。それがプロになってなかなか出られないっていう状況になった時はやっぱりきついし、気持ちは分かるんですよ。
でもそこで何ができるか。
自分に目線を向けて、歯を食いしばってやり続けられるかどうかっていうことは、サッカーだけに限らずやっぱり大事なことなんじゃないかなと思いますね」
2022シーズン、八反田選手のリーグ戦出場は3試合、24分。
プロ11シーズン目でもっとも少ない出場数と時間でした。
「でもやっぱりチームの調子はずっと良かったし、自分が出ていないけど昇格して欲しいというと他人事に聞こえるかもしれないですけど、ずっとありました。
鹿児島に帰ってきてから応援してくれる人とか、まわりで支えてくれる人のありがたみとか、それをすごく感じていました。
高校を卒業してから10年くらい離れていたんですけど、友だちとかもちろん家族もそうだし、帰ってきてから知り合った人たちももちろんいるんですけど、本当に応援してくれる人たちがいることが実感できて、その人たちのために昇格して喜んで欲しいっていう気持ちと、やっぱりその初年度のJ2の印象があるので、やっぱりもう1回あの舞台で試合したいって気持ちがありました。だからやっぱり前の2シーズンと違って行けそうだったから、自分たち次第でいける可能性があったので、それだけ惜しいというところを含めて悔しかったですよね」
チームとしての結果は御存知の通り3位、勝点1の差で昇格を逃しました。
そしてシーズン終了後、八反田康平選手の契約満了が発表されました。
コロナ禍でながらく途絶えていた選手によるサインや写真撮影の場としてシーズン終了後に交流会が喜入のユニータで開催され、500名を超えるサポーターが集まり、お目当ての選手を前に行列を作る光景がありました。
トライアウトに向けてコンディション調整のトレーニングを続けていた八反田選手の姿もそこにあり、別れを惜しむサポーターから激励の言葉が次々とかけられます。
最後の方では、思わず涙ぐむ姿も見られました。
「本当にこの応援してくれる人たちを直接的に感じられる4年間でした。もちろん親や身近な人がいることも一番ですし。それからやっぱり鹿児島ってサッカー熱がものすごく高いと思うんですよ。サポーターもカテゴリーに関係なくすごく来てくれて応援してくれていますし、応援を身に染みて感じることができて、地元でプロのサッカー選手でサッカーができるって本当に幸せなことなので。
僕が高校生とか大学生の頃、鹿児島にはプロがなかったじゃないですか。それが僕が選手でいる時にJリーグのクラブができて、巡り巡って地元に帰ってきてプレーできてすごいことだって思います。
降格したり、昇格を逃したり、サッカーの結果としてはあまりふるいませんでしたけど、僕自身としては鹿児島の地でプレーできる喜びがあって、応援してくれている人たちに自分ががんばっている姿や元気な姿を見せられて、本当に、ちょっとタノさんみたいですけど、本当に感謝の4年間ですね」
Jリーグから大分で、地域リーグで
サッカー選手として経験できる時に経験したいと参加したトライアウトを経て、九州リーグに所属する大分県のチーム、ジェイリースFCへの加入が発表されました。
「あの時は監督で、今はGMをやられている永芳(卓磨)さんが筑波大学の先輩なんですけど、それまでもちょこちょこ連絡をくれたりもしていて、それこそ鹿児島で全国社会人サッカー選手権大会があった時にも観に行って挨拶していたんですけど、それで今後どう考えてるのって話をしてもらって、満了のリリースが出たらすぐ話をもらって決めました」
文字にするとややこしいのでここで日本サッカーのプロアマのピラミッドと、九州を含む地域リーグからJFL昇格に至る道程を図にしました。(例外的な状況が発生することがあります)
ジェイリースはマンションなどの家賃保証を中心にした賃料保証会社であり、ジェイリースFCはアマチュアサッカーの最高峰としてのJFLをめざしているクラブであり、Jリーグへの登竜門としてJFLを捉えているクラブとは立ち位置が変わります。
1人の社会人としての在り方を追求していることや、地域貢献などに力を入れているところも特徴と言えるでしょう。
ユナイテッドのサポーターにとっては八反田選手以外にも薗田卓馬選手、岩﨑知瑳選手、島津頼盛選手が所属していることもあり、鹿児島のサポーターの姿はジェイリースFCの試合会場で見ることができます。
「環境は良いほうだと思います。本当にジェイリースの会長をはじめ社員の方々だったり、すごくサポートしてくれる体制がありますし、やりやすい環境でサッカーをさせてもらっています」
サッカーだけで生活するプロ契約選手もいるし、練習が終わったあとは社業に従事する選手もいます。
プロ契約のなかでも例えば岩﨑選手はチーム活動以外の時間を活用して、GKコーチとして子どもたちに教える経験を重ねながら引退後のことも見据えています。
八反田選手には…今年はじめ、念願の第一子が誕生しました。
この日のインタビュー冒頭で、イヤホンマイク越しに元気な泣き声を響かせていた赤ちゃんは、すっかり寝静まっていました。
親として、奥さまといっしょに小さな命の成長に日々向き合っています。
もちろん八反田康平選手は今でもサッカー選手です。
九州リーグ制覇を目指した今シーズン、勝点5差とリードされるなかで迎えた首位ヴェロスクロノス都農との直接対決では序盤に先制されるも逆転に成功しますが、残り数十秒で追いつかれて引き分けたことなどが響き、最終節を待たずして都農の優勝が決まりました。
「九州リーグで勝てなかったのは、もちろん相手にもJの経験者も多いこともあります。けれど、もちろん自分たちでは集中しているし、一生懸命やっているんですけど、そのなかでもどこかしらにスキがまだあるんでしょうね。勝てないのにはなにか理由があるので、そこは本当に練習から意識しないといけないんじゃないでしょうか。あとちょっと、あと一歩寄せるとか、そういうところがまだまだ足りないってことなんでしょうね」
沖縄を含めて移動の難しさがともなう九州リーグ。
全10チームが1箇所に集まって土日で2試合を行う集中開催が、年に4回もあるという点で過酷なリーグであり「学生でもなかなかないですよ」と八反田選手は苦笑い。
かつてこのリーグを勝ち上がっていった田上裕や赤尾公といった先輩たちへの敬意を表します。
しかし、そのリーグ優勝を逃した以上、ジェイリースFCがJFLに昇格するにはまず今週末行われる九州社会人サッカー選手権で、県リーグから勝ち上がるチームを下して九州代表となり、10月に行われる全国社会人サッカー選手権大会で3位以上に入る必要があります。
5日間で5試合。
そして3位以上になったら、都農のように各9地域リーグの優勝チームを含めた12チームによる全国地域サッカーチャンピオンズリーグが待っています。
原則1位になる必要がある1次ラウンドでは3日間で3試合。
決勝ラウンドではマシになるけれど、それでも5日間で3試合。
この舞台で勝ち抜いた優勝チームだけがJFLに自動昇格して、2位はJFLの下位チームとの入れ替え戦が待っています。
「最も過酷な昇格への道のり」と呼ばれる世界。
25歳の島津選手、29歳の岩﨑選手ですら厳しい闘いですが、34歳の八反田選手は当然このすべての試合を勝ち続けてJFLへ昇格することだけを考えています。
「本当にチームの総力戦になるので、そこはみんなの力が必要です。やっぱり昇格とか目標を達成するチームっていうのは出ている選手と出ていない選手含めて本当にまとまりがあるので、そこが一番大切かなって思います。もう身体がボロボロになってでも最後、喜びたいですよね」
どのカテゴリーでもやはり大切なことは変わらないのかもしれません。
これからどうするのか?
それにしても、ここまで続けてきた選手生活が終わったあとのことはどのように描いているのでしょう?
「どう思います?」と逆に質問で返されましたが、たとえばサッカーに関わる強化系から事業系までどんな仕事でもしっかりとこなす姿がイメージできますし、サッカーとは関係のない世界にもしっかりと適応する姿がイメージできます。
「なんか適応する力は割とあるかなと思っています。どこに行ってもチームメイトとか変わっても選手の特徴に合わせることができるほうだとは思いますけど。ただ自分が何をしているのかっていう具体的なイメージは全然わかないですね」
そこで話は鹿児島中央高校サッカー部の同級生であり、ユナイテッドで八反田選手より前に背番号21をつけていた元選手であり、今はクラブの営業とアカデミーのGKコーチを兼ねる満留芳顕の話になりました。
「あいつ、すごいですよね。彼はやりたいことがいっぱい出てくるし、それをやっているし、あいつも子供がいるのに、本当にすごいですよね」
丁寧に丁寧に言葉を発する八反田選手ですが、やはり鹿児島の話題は尽きません。
最後に鹿児島ユナイテッドFCの現状について思うことを聞いてみました。
「もうここまで来たら割り切ってというか吹っ切ってというか。清水が強いってことは誰が見ても分かりきっているんで。負けてもともとじゃないんだけど、消極的になるんじゃなくて積極的に、自分たちからどんどんゲームを動かして行くくらいの強気な姿勢で臨んで欲しいですね。
残り試合も現実的に色々なことが関わってくるので簡単には言えないけど、でもあとから“あの時こうしていれば”ってもやもやしたりすることがないように、気持ち的に振り切っていってくれたほうがいいって僕は思いますね。
あと選手は絶対に今の置かれている状況だったり、チームのやり方に対しても人間だから思うところは絶対あると思うんです。でもチームがやることを決めたら、それに向かってひとつにまとまるしかないので、そこは多少やりたくないことでもチームのために徹底するしかないかなと。
サッカーはジャイアントキリングって言葉があるくらい、順位に関係なく何があるかわからないので、とにかく徹底してやり続ける。
清水戦に関しては個人的にやり合って欲しいんですけどね」
このあと、冒頭の清水について思っていることに答えてもらった最後の最後、苦しい思いをしているであろう鹿児島のサポーターへのメッセージをもらいました。
「選手の身からするとサポーターの声や応援って本当によく聞こえるし、僕たちが最後苦しかったりきつい時にあの声援やあの雰囲気で最後のがんばりができて、走り切れたりするんです。
やっぱりチームがなかなか勝てないとか不甲斐ない結果になっている時には“やる気ないのか”とか色々思うことがあるかもしれないですけど、でも確実に応援や声っていうのは僕たちのパワーになるんです。
もやもやしているし色々な想いを持っているかもしれませんけど。
選手は、試合に出ている選手も出ていない選手も、必死にやっていない選手は1人もいません。
それはもうまちがいないことです。
ここまででもすごくたくさんの人が鹿児島の応援に来てくれているんですけど、残り試合、本当に選手の後押し…後押しというか、共に、いっしょに闘って欲しいなと思います」
八反田選手は最初から最後まで、ずっと丁寧にひとつひとつ適切な言葉を探し選びながら1時間以上に渡ってお話をしてくれました。
ずっとやさしく微笑みながら。
理知的で、穏やかで、強い感情が表に出ることはありません。
そのなかでも八反田康平のなかには故郷へ、そして古巣への想いがいっぱいでした。
人柄もプレーも滋味深い魅力を、読む方々に感じていただけたら幸いです。
そして変わることなくサッカーへの想いにも満ちていました。
サッカー選手としての残された時間のすべて、最後の最後まで八反田選手らしく闘いきってくれることでしょう。
パーティーは、まだまだ終わりません!