【9月7日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2024 vol.15
鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は9月7日に行われる2024明治安田J2リーグ第30節、鹿児島ユナイテッドFC vs いわきFCのマッチデープログラムです。
日程表・順位表・テキスト速報
前回までの振り返り
2024年8月24日(土)2024明治安田J2リーグ第28節
vs 清水エスパルス 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)
ホームに清水エスパルスを迎えた第28節。
3分、河野諒祐のコーナーキックに鈴木翔大が競り勝つがわずかにバーの上。
6分、田中渉がボールキープから右サイドへ展開して、河野が入れたクロスに有田稜が頭で合わせる。
16分、清水が左サイドから入れたボールからゴール前でシュートを打たれる。
19分、清水のドリブルからシュートを打たれるが泉森涼太がキャッチ。
38分、清水の元日本代表乾貴士にドリブルで突破され、岡本將成のプレスを受けながらシュートまで持ち込む。
43分、左サイドから沼田駿也がゴール前に送ったボールを鈴木が胸で落として有田稜がボレーで合わせる。
45分、清水は速攻から左サイドの突破にかかるが岡本がタックルで防ぐ。
47分、乾の突破から空いたスペースに展開されるが外山凌が身体を投げ出してコースを限定して、ゴールを許さない。
後半に入った49分、中盤でボールを持った鹿児島は右を走る鈴木が最後ゴール前に入れたボールはGK権田修一がキャッチ。
54分、セットプレーのこぼれ球から打たれたシュートを泉森がキャッチ。
60分、清水の左サイドからゴール前に入った早めのボールに合わされたシュートは枠を外れる。
61分、沼田がドリブルでボールを運び、左サイドに流れた有田稜がゴール前へ走る鈴木に合わせたボールは清水にクリアされる。
65分、泉森のキックに中盤で鈴木が競ってこぼれたボールを有田稜が清水の選手たちに包囲されながらも強引に突破して左足で打ったシュートはGK権田が弾く。
ボールを支配する清水が何度もゴール前にボールを送り、シュートを打つが、鹿児島は失点を許さない。
85分、鹿児島ペナルティエリア内で相手を競りに行った有田光希がファウルの判定を受けてPK。
これを決められて0-1。
スコアは動かず敗戦した。
2024年8月31日(土)2024明治安田J2リーグ第29節
vs ヴァンフォーレ甲府 会場:JITリサイクルインクスタジアム(山梨県甲府市)
台風の影響を受けるなかでヴァンフォーレ甲府と対戦したアウェイ戦。
序盤から甲府がボールを握って鹿児島陣内で展開するが、鹿児島の選手たちは要所要所を固めてシュートを打たせない。
固めの展開が続いた23分、甲府が左サイドから入れたクロスをクリアしようとした戸山凌のヘディングがそのままゴールに入って、先制を許す。
27分、甲府のコーナーキックからヘディングであわせられるが、泉森涼太が横に飛んでキャッチする。
45分、甲府のミドルシュートは鹿児島守備陣でコースを限定して、空いたコースに飛んだボールは泉森が抑える。
46分、甲府陣内でのボール回しに距離を詰めていた有田稜が、GKのパスを収める。キープして後方から走り込む藤本憲明がパスを受けて打ったシュートはポストに当たる。
前半終了間際の50分、右サイドから河野諒祐が送ったクロスを逆サイドの外山が収めて、中央にカットインしながら打ったシュート性のクロスはポストに当たる。
こぼれたボールを藤本がボレーで合わせるがバーの上を通過する。
後半開始直後の46分、センターバック広瀬健太が入れた縦パスから有田稜が抜け出し、ゴールラインぎりぎりから入れたボールは藤本にわずかに合わず、こぼれ球を星広太が飛び込むが甲府にクリアされる。
49分、中盤のパス回しから中原秀人がダイレクトで甲府の背後にボールを送り、有田稜が抜けかけるが甲府GKが防ぐ。
67分、甲府のロングフィードから1対2のピンチを作られるが、戸根一誓が冷静な対応で守り、更に続く攻撃も外山がさえぎる。
69分、鹿児島は左サイドのパス交換から藤村慶太がペナルティエリア内に入り込むがシュートまでは行けない。
76分、右サイド左サイドと甲府のクロスが入り、最後は強烈なシュートを打たれる。
77分、空いたスペースにボールを展開されるが、戸根が身体を張って対応してマイボールにする。
87分、右サイドから藤村が浮かせたボールを有田稜が胸で落として、有田光希が左足で狙う。
しかし、最後まで1点を奪うことができず0−1で敗戦。
コラム「鹿児島をもっとひとつに。vol.34(Total vol.46)」
緒方隼コーチ(鹿児島ユナイテッドFC U-12)
8月31日で閉店を迎えたイオン鹿児島鴨池店。
49年の歴史の中で、鹿児島ユナイテッドFCは5年という期間でしたが、屋上のフットサルコート「ユナイテッド・ゾーン」の運営として深く関わってきました。
「やっぱり寂しいですよね。最初の頃はレンタルコートだけで、そこから個サルをするようになったり、グッズを売るようになったりしてお客さんが増えてきて。最後の2日間とかめちゃくちゃお客さんが来てくれてガチャガチャ回してくれたり、グッズ買ってくれたりしてにぎわっていて。またああいう場所ができたらいいなって思います」
緒方隼コーチにとってもユナイテッド・ゾーン、通称ユナゾンは特別な場所です。
受付のアルバイトにはじまり、スクールコーチとして、そして現在はU-12コーチとしてユナゾンで平日のトレーニングを行っていて、5年間の歴史のほとんどを見てきました。
9月第1週、指導者も選手も慣れ親しんだユナゾンを離れて鹿児島市内各地のグラウンドでのトレーニング生活を控えたタイミングで、朝から事務作業に励んでる緒方コーチに色々と話を聞かせてもらいました。
まずは地元喜入のことから、そして実は鹿児島ユナイテッドFC U-18が発足した1期生として過ごした日々のことから。
喜入のサッカー少年
緒方少年は喜入小学校3年生の時からサッカー少年団でサッカーをはじめ、喜入中学校サッカー部と着実に力をつけていきます。
その頃、緒方少年にとって特別な選手は鹿児島が生んだ遠藤保仁、大迫勇也といった日本代表ではなく、、、山田裕也。
鹿児島からJリーグをめざすヴォルカ鹿児島、さらに誕生1年目の鹿児島ユナイテッドFCで活躍する、喜入生れのFWでした。
中学3年生の緒方選手はプロになることを夢見て、鹿児島の強豪校の練習会に参加してところ、高く評価されていて、どの高校に進学したものかと考えていましたが…。
部活を引退して代わりに、鹿児島ユナイテッドFCが運営する指宿スクールに通い始めたことで運命が変わりはじめました。
辻勇人選手、谷口功選手、あの山田裕也選手たちがコーチとしてサッカーを教えてくれている環境でした。
今と変わらない毎週金曜日、今と変わらない岩本公園のスクールでボールを蹴っていたある日。
「高校どうしようって相談していたら辻さんから“ユナイテッドのU-18ができるんだよ”って教えてもらって」
こちらも当時はまだ中学1年生しかいなかったU-15の練習に参加した緒方選手は合格をもらい、その段階で進路を決定しました。
「ユナイテッドのスクールに通っていて選手たちと接することができることがうれしかったし、応援していたし、惹かれていた存在だったので」
冬の選手権をめざして闘う強豪校ではなく、自分たちが1期生となる鹿児島ユナイテッドFC U-18でのプレーと、そして学校としては鹿児島情報高校への進学を決めるのに迷いはありませんでした。
U-18の1期生として過ごした3年間
チーム創設初年度の2014シーズン、トップチームで指揮を取った大久保毅監督が育成組織アカデミーのダイレクター(責任者)と兼任で就任したU-18。
しかし緒方選手たち1期生だけでは11人を満たしません。
さらに韓国からの留学生チョ ヒョンイン、チェ ジェヒョンの2人も18歳になるまで公式戦に出場することができないので、そもそもの人数不足。
中学生チームU-15の選手たちを加えることでようやく県3部リーグのような試合に挑むことができる体制を整えても、やはり上級生たちを相手に1年生+中学生ではなかなか結果はついてきません。
「厳しかったですね」
と振り返る緒方コーチですが、その表情には暗さがなかったのは、自分たちが着実にレベルアップしているという実感を得られていたからでした。
高校の授業が終わってグラウンドに移動すると、5時半くらいから大久保監督や前年で引退したばかりの本城宏紀U-18コーチから「止める、蹴る、運ぶ」にはじまる技術の基礎、さらにボールをどの位置でどのような体勢で受けるのがいいのかといった戦術的な基礎もとことん叩き込まれます。
そして1時間ほどが過ぎると、今度はトップチーム昇格を目指す若い選手たちで構成された社会人チーム「セカンド」の選手たちといっしょにゲーム形式を中心にしたトレーニングという二部練習。
高校1年生ながら日々のトレーニングは大人が相手で、何より大久保監督は相手のレベルは見極めながらもテンポの良い指導ぶりで、心技体あらゆる面で限界を高めてくれます。
「もうまったく知らないサッカー用語も出てくるし、サッカーって難しいんだなって思いましたね。それで厳しいんだけど、きちんと理にかなっている厳しさなんです。自分たちが目指すところはここにある、だからこころしっかりするんだって根拠があったことが、自分も指導者になった今、よく分かるんですよね」
2年生になると、U-18単体で試合ができるだけの新1年生が加入してきました。
そのなかには野嶽寛也の名前がありました。
「うまいのは当然なんですけど、こういうやつがプロになるんだろうな、って自分たちの代みんな思ったんじゃないでしょうか。止める、蹴る、運ぶを高校1年生でこんなにできるんだって驚かされましたし、できないことが少ないっていう感じで」
もちろん緒方選手も自身の成長は実感できていました。
同級生たちの中では技術に秀でたほうではないかもしれないけれど、それでも適応できていたし、もともとの持ち味であるスピードや跳躍力、そして身体を張ったプレーがより活きていることがさらなる自信になっていました。
はじめて出場したJユースカップでは1回戦でサンフレッチェ広島ユースと対戦して二桁失点でトップレベルとの差を体感させられるようなこともありました。
今と違って専用の練習グラウンドがなく、本城コーチたちが手を尽くして確保するグラウンドを転々とする日々。
ネガティブになれる要素はいくらでも挙げられましたが、それも含めて成長につながる糧、と言えるだけのエネルギーが1期生を筆頭にしたU-18には満ちていました。
Jリーグの試合に際してはボールパーソンや担架要員として、間近でトップチームの選手たちのプレーぶりを目の当たりにします。
「自分がFWだったこともあって、藤本(憲明)さんや中原(優生)さんのプレーに夢中になっていましたね。夢中になりすぎてボールを出すのが遅れちゃったりすることもあったんですけど笑
出場機会は減っていてもやはり山田選手は喜入の憧れでしたし、トップチーム全体が憧れ。
いっぽうで緒方選手自身は、徐々にプロになるのは難しいかもしれないと認識しつつありました。
多くの高校生が今の自分とプロとのレベルの違いという「現実」を受け入れて諦めていくなか、緒方選手にとっては腰の負傷が原因でした。
「中学2年生の時も腰を痛めてサッカーができない時期があったんですけど、椎間板ヘルニアもやってしまって。それでコルセットつけていたし、練習ではなくリハビリの時間が長くなっていて」
復帰と離脱を繰り返しながら、それでもピッチに立ち続ける緒方選手。
公式戦最後となった県2部リーグ昇格をかけた試合では、大久保監督から引き継いだ新中剛史監督のもと、ハットトリックという結果とともにU-18での3年間を締めくくりました。
「あの中学3年生の時に指宿スクールに通っていたことでこの道が拓けたわけで、あの時スクールに通っていてよかったですし、あの時に辻さんから“U-18ができるよ”って声をかけてくれて、本城さんが加入を認めてくれて、だからU-18で3年間の経験をできて、今の自分を見ても財産になりました」
とはいえU-18としてはさほど陽が当たることはなく、県3部リーグが主戦場でした。
もう一度あの時に戻るとして、練習環境が整っていて、県1部リーグや九州プリンスリーグやJプレミアリーグ、そして冬の選手権といった舞台をうかがう強豪校への進学はありえないのでしょうか?
「いやもう1回選択し直すとしても絶対にU-18を選びますね」
まっすぐな笑顔で迷いなく緒方コーチは言い切りました。
大人の表現、とかではなく、心の底から「鹿児島ユナイテッドFC U-18」以外の選択肢は考えられないようです。
それだけ思い入れのあったU-18卒団と高校卒業に伴い、緒方隼と鹿児島ユナイテッドFCの関係がひと区切りつきました。
…のでしたが、再会はものすごく早いタイミングで訪れました笑
ユナイテッドゾーン誕生
サッカー選手の道を離れた緒方くんは志學館大学で心理学を学ぶことにします。
「子どもが好きで、子どもたちになにか教えることが好きだったので学校の先生っていうのはひとつ選択肢としてあったんです。でも自分の場合はちょっと違う気もして。もともと人とお話して、相談を聞いたり、この人のために何が良いんだろうって考えるのも好きだったので、それを活かすことを考えると心理学かなと思って、それで最初は福岡大学を考えていたんです」
奇しくも福岡大学にはU-18の同期で、最近はユナイテッドのスクールに携わっている山之内幹コーチがスポーツ推薦で進学することが決まっていました。
「自分はスポーツ推薦でサッカーをすることはもうしないと決めていたので、一般入試で福岡大学に行こうと思っていたんですけど、志學館大学にも心理臨床学科があることを知ったので、それで鹿児島に残りたいなって思ったから志學館大学に決めました」
喜入駅からJRで南鹿児島駅まで運ばれたら、駅からは坂道を歩いて登って大学へ。
授業はしっかり受けて単位を取得して、学校以外の時間では喜入中学校で後輩たちにサッカーを教えたり、マリンピア喜入でアルバイトをしたり。
競技としてのサッカーからは離れても緒方くんの人生は充実したものでした。
そんな2018年が終わり、翌2019年のゴールデンウィーク。
イオン鹿児島鴨池店の屋上に、鹿児島ユナイテッドFCのフットサルコート「ユナイテッド・ゾーン」がオープンしました。
当初はクラブスタッフが受付に立って運営しなければなりませんでしたが、アルバイトが必要なことは明白。
そこでU-18を卒団したなかで、鹿児島在住でアルバイトできそうなOBとして浮上してきたのが緒方くんでした。
「新中さんから連絡が来て“バイトなにかやってんの?”って聞かれて、それで“今度フットサルコートを作るんだけど、受付のバイトしない?”って言われて、それで興味があったので面接して、雇ってもらえることになって」
こうして緒方くんはユナイテッド・ゾーン、通称ユナゾンのアルバイトスタッフとしての生活がはじまりました。
レンタルコートの受付業務に加えて、ユナゾンの利用促進としてはじまった個人参加型のフットサル「個サル」にもスタッフとして参加するようになります。
U-18時代にピッチ内外で大久保毅監督のもとで根拠ある厳しさに鍛えられ、おおらかな本城コーチからは緒方くん生来のポジティブさがさらに引き出されていて、とにかく前向きにどんよくに業務に取り組んでいきます。
ユナゾンでのスクールがはじまってからはアシストタントコーチとして、子どもたちの指導にもあたります。
「やる?って(当時スクールリーダーだった)モクさんから聞かれてすぐやりますの即答でした。喜入中学校で教えていて指導って楽しいっていうのがあって」
紫原にある志學館大学に通う→大学の最寄り駅からそう遠くないイオン鹿児島鴨池店のユナゾンのアルバイトで受付をする→個サルの運営をする→スクールのアシスタントをする。
ここまででもなかなか貪欲っぷりですが、さらに緒方くんはユナイテッドにどっぷりと浸かっていきます。
「振り返ると1年目ぐらいからほぼ毎日スクールに行っていたんです。月曜日の紫原スクール、火曜日はユナゾン、水曜日は小松原と南さつま、木曜日はユナゾンだったり吉野、金曜日は指宿、週末はスキルアップとか大人のサッカースクールとか」
大学の授業はちゃんと通って単位を取りながら。
多忙な大学生です。
「月曜から金曜まで楽しかった。めちゃくちゃ楽しかったです。スクールに行っても指導者ごとに違いがあって、自分は誰が良いとか悪いとかはまったくなくて、全部吸収しようと思っていたので。ヒロさん(山之内大晃スクールリーダー)は小さい子たちの楽しませ方がすごいなって思いながらついて行って」
かつて喜入出身の選手として憧れていた山田裕也スクールコーチもいます。
「山田さんの盛り上げ方もすごくて。キャラを作っているとか技術じゃなくて素でやっていて、真似できないです。それで自分がメインでやっても全然うまくいかなくて、子どもたちが全然楽しそうじゃなくて、これを山田さんがやったらすごく生き生きしているんですよね」
お互いの立場が変わった今でもリスペクトする先輩です。
就職もユナイテッドで
大学2年生からユナゾンのアルバイトになって、がっつりとスクールの指導にもたずさわってきた緒方コーチ。
大学3年生になる頃にはユナイテッドに就職したいと意思表示して、そのまま卒業とともにフルタイムの…すでにフルタイムに近い感じですが笑、正式にスクールコーチに就任しました。
「もちろん大変なところはありますよ。難しいっていうのはもう毎日毎日で、今日は100点の指導ができたって思ったことはないです。移動もあるし、イベントは準備もあるし。でもなんか全部楽しいんですよね。子どもと関わるのが超楽しくて、大人のサッカースクールもあって、個サルとかで大人と関わるのもやっぱり楽しくて」
テンション高く語りまくる、ということはないのですが、笑顔な緒方コーチの言葉には湿っぽさがまったくありません。
サッカーのプレーそのもの以外でも、子どもたちの様子を見ていて「今日学校でなにかあったのかな」と感じて、聞いてみるとやっぱりそういうことがあって、コミュニケーションを取ることが得意でかつ楽しいものです。
保護者から求められることも若いコーチにとって楽なことではないでしょうが、それも実績と年齢を積み重ねていってからは逆に言ってもらえなくなるかもしれなくて、だから逆に今でないと経験できないことだと前向きにとらえています。
そして2024シーズンからはU-12チームのコーチという新しいポジションに就きました。
同じように小学生年代が相手ですが、「普及」と「育成」で求められる要素が異なります。
「ユナゾンで自分がスクールをやっている隣でU-12チームがいるんですけど、自分が教えていた下級生のスクール生が3年生4年生になるタイミングでU-12に行っていて、それで“U-12のコーチをやってみない?”って言われた時にやってみようと」
好奇心旺盛というかすんなりと新しい道を決断しました。
村口良平監督が上級生を中心に見て、緒方コーチが下級生を見ます。
「スクール時代と同じ小学生年代なんで楽しんでもらってサッカーを好きになってもらうことが一番なんですけど、少しずつでもサッカーの原理を教えていきたいですね。今は多少理解するのが難しいことも少しずつ頭に入れていく作業をしないといけないので、なるべくやわらかく理解しやすいように子どもたちに伝えることは、スクールよりも考えないといけないことです」
育成組織「アカデミー」は野嶽寛也選手や武星弥選手、FC大阪に期限付き移籍中の小島凛士郎選手のようにトップチームで活躍する選手を輩出するのが役割であり、トップチームを踏まえたサッカーを噛み砕いてU-12にも伝える必要があります。
「ボールを大事にするようなサッカーもあって、色々なサッカーがありますけどうちはチャンスならどんどん相手ゴールに向かうという姿勢がベースにあるわけです。そのなかで自分が見ているのは下の学年だからゴールに行きたい欲はみんな強いからそれは消さないようにしつつ、でもすぐに行けない時のやり方もちょっとずつ入れていく。ボールを奪われたらすぐに奪い返す。奪ったらまずゴールを目指すし、そのなかで色々な選択肢があるっていうイメージで。“ボールを失ったらどうしろって浅野監督が言ってる?”って聞いたら子どもたちは“3秒で奪い返す”って答えます。だからそれをできるようになるためにこの年代だったら、まずは奪われたらすぐに近くにいる選手がアプローチにいく姿勢、とにかく反応する、身体を動かす習慣づくりですね」
もちろん目の前の試合を勝ちに行くことは大切ですが、今よりもさらに成長して花開くことを念頭において、アカデミーの指導者たちは選手に向き合っています。
アカデミーから見たトップチーム
特にナイトゲームが多いこの時期、U-12の選手たちはほとんどのホームゲームに足を運んでいるし、アウェイゲームもDAZNのライブ配信やYouTubeのハイライトでチェックしています。
「もうむちゃくちゃ憧れていますよ。特に最近はもともとユナイテッドのスクール生だったりするから純粋にファン目線で見ていて。自分からしたらうらやましいんですよね。小さい頃からあこがれの選手がいて、そこで見ることができるっていうのが」
緒方少年が山田選手を偉大な先輩として見ていた時代、鹿児島の舞台は九州リーグであり、プロと言えばキャンプシーズンに家族で見に行くくらいのものでした。
鹿児島ユナイテッドFCがJリーグ入りを果たして、眼の前の藤本選手たちのプレーに夢中になっていたのは高校生になってからのことだったからこそ、感慨深いものがあります。
そして今の子どもたちが純粋に憧れて声援を送っている先には、いっしょに高校時代を過ごした仲間がいます。
「(野嶽)寛也はメンバーから外れる試合もあるけど、でも去年くらいから定着してきてすごいなって思っています。サイドバックっていちばん苦手そうな場所だと思っていたんです。もちろん今のサッカーで、すっと中にはいってくるタイミングがあってそれが肝になっているのはわかっているんですけど。高校時代はトップ下とボランチがメインで、センターバックをやっていることもありましたけど、サイドバックは想像できませんでした。本人がサイドバックというポジションをどう思っているのか分かりませんけど、でもこっちは試合の2時間前にスタメンをチェックして名前があったらうれしいんですよね」
そんな野嶽寛也選手をはじめとするトップチームの選手たちを、スタンドから応援するサポーターの熱量を間近に感じています。
「選手たちがゴールを決めたらメインスタンドのまわりもものすごく盛り上がるし、バックスタンド側で応援してくれている人たちの応援もすごいし。なんか高校生の時に見ていた鹿児島ユナイテッドFCの試合がまた全体でレベルアップしていてファンが増えていっているのを感じますね。年齢層がすごく広いんです。年輩の夫婦がユニフォーム着ていたりするし、自分の両親もよく来るんですけど、そういうのってなんかいいなあって思いますよね」
もちろん今、J3降格圏で苦しむ状況は重々理解しています。
「鹿児島のファンってやさしいじゃないですか。負けても“行けるよ、がんばろう”って。でも個人的にはもっと厳しくてもいいと思います。別に暴言を吐くとかそういうことではなくて、勝ってほしいからこそ厳しく言ってもいいし、いいときは評価するというのもいいと思うんです。
でも本当にサポーターは支えてくれているし、お金も時間も割いてくれているし、遠征にも行って人生のかなりの部分をユナイテッドに捧げてくれている人もいっぱいいて、温かいなって思います。でも何より今の熱量を保っていって欲しいです」
その熱量を感じているから、緒方コーチは鹿児島はもっとやれると思っています。
「J1に行って、優勝するところを見たいと思うし、そうなっていかないといけないって思います。あの熱いサポーターがいて、子どもたちも熱心で。他のクラブを見ても鹿児島はその熱はすごくあるって思っているんです」
夏休みのある昼頃にU-12の選手たちがユニータに到着すると、トップチームの全体練習が終わったあとにGKの選手たちがキックの練習をするおなじみの光景がありました。
その姿に気づいた小学生たちはチャントを歌いはじめました。
「おーおお、いずもりりょーた! おーおお、いずもりりょーた!」
泉森選手は子どもたちに気づくとニコリとほほえみ、またキックの練習に戻りました。
中学生、高校生よりも単純に純粋に感情を表現する小学生たちと、U-12コーチとして日頃から接している緒方コーチ。
大学を卒業して3年目を迎えた喜入出身の緒方コーチ。
鹿児島ユナイテッドFCの高校生チームU-18の1期生でもある緒方コーチ。
「もしチャンスがあれば他のクラブチームのアカデミーとかスクールでやってみたい気はありますね。ずっと自分は鹿児島にいるので一回県外とか海外に行くことも人生のどこかでチャレンジしたいっていうのはあります。
でも結局、鹿児島がもう大好きです。
本当に鹿児島が好きで地元にいたくて大学もこっちを選んだし。
就職もここを選んだし。
ショーキやモトキが帰ってきてくれて、いっしょに仕事ができてうれしいです」
U-18の1期生として高校時代を共に過ごした藤田翔輝、山之内幹の2人もまた鹿児島ユナイテッドFCに帰ってきて、スクールコーチとしてクラブにたずさわっています。
10年にして野嶽寛也や武星弥たちプロサッカー選手を輩出してきたことは、アカデミーにとって偉大な成果です。
同時にアカデミーから巣立ってから、今度はみずからが次世代の育成に携わっている緒方コーチたちがいてくれることもアカデミーにとって、クラブにとって偉大な成果ですし、指導者として彼らがどのように成長していってくれるかも楽しみで仕方ありません。
それにしても、ここまでの緒方コーチの歩みを聞きながら、傍目には大変だろうなーと思う場面はたくさんあったのですが、終始、緒方コーチはすべてを前向きにとらえて、にこにこと話してくれました。
喉元過ぎれば熱さ忘れるというかポジティブというか。
若いっていいですね笑!
鹿児島ユナイテッドFCだって色々なことがありましたが、まだ10周年を迎えたばかり。
クラブ内外の誰もがまだまだ守りに入ったり老け込んだりしている場合じゃないなって思わされます。
前を向いて、上を向いて、眼の前のことに全力で挑むばかりです!
We are the challengers!