【9月15日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2024 vol.16
鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は9月15日に行われる2024明治安田J2リーグ第31節、鹿児島ユナイテッドFC vs ロアッソ熊本のマッチデープログラムです。
日程表・順位表・テキスト速報
前回までの振り返り
2024年9月7日(土)2024明治安田J2リーグ第30節
vs いわきFC 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)
ホームにいわきFCを迎えた第30節。
8分、いわきのサイドチェンジから右サイドを突破されるが、ゴール前に入ったボールは広瀬健太がクリアする。
15分、スローインから鈴木翔大がヘディングでそらしたボールをゴール前で有田稜がキープして、渡したボールを沼田駿也が打ったシュートはバーとポストに跳ね返る。
20分、鈴木が左サイドでボールを運び、右サイドを抜ける武星弥にスルーパス。パスを受けた武のシュートはブロックされる。
直後のコーナーキックがファーサイドに流れたところを渡邉英祐がダイレクトでシュートを打つ。
30分、いわきが右サイドからボールを運び、そのまま打ったミドルシュートがニアサイドに決まって先制される。
39分、左サイドからいわきがゴール前に送ったフリーキックに、ファーサイドで合わせられて追加点を許す。
45分、いわきの中央突破からゴール前にスルーパスを通されるが、泉森涼太が防ぐ。
58分、いわきが左サイドを突破してゴール前に入ったクロスを合わせられ、0-3。
63分、いわき陣内でボールを奪った藤本憲明が送ったパスを途中出場の圓道将良が抜けて1対1のチャンスを作るが、GKが足で防ぎ、渡邉が続けて打ったシュートはブロックされる。
89分、岡本將成が最終ラインから右サイドにサイドチェンジを送り、落としたボールを藤本が角度のないところから狙う。
91分、岡本のロングボールを圓道、星広太とつないでゴール前に入ったクロスを有田光希が落として、最後は山口卓己がボレーで合わせる。
92分、井林章のロングボールを鈴木が頭でスペースへ送り、藤本が左足で抜けて倒れながら打ったシュートで1点を返す。
最終スコアは1-3で敗戦となった。
浅野哲也 監督コメント(9月11日トレーニング後の記者会見より抜粋)
我々が伝えなくても選手たちは熊本戦の位置づけは分かっています。
ミーティングではもちろんいわき戦の振り返り、何を大事にするのか、熊本戦で勝ち点3を取るために何が必要なのかを徹底して、練習がすべてだと選手たちにもう1回意識をさせました。
練習でできないことは試合でできません。
やはり意図的に選手たちから発信をすることがひとつ課題でしたが、今日はスタッフだけでなく色々な選手たちが声をかけながら練習できていました。
質や集中力もしっかり保ちながらできたと思います。
ロアッソ熊本の印象
非常に攻撃において細かさと大胆さのあるチームです。
我々は1人1人も大事ですが、チームとしていかに向かっていけるかです。
攻守において相手を上回る気力、闘いをお見せできるかです。
その上で局面局面で妥協せず、甘えることなく、ボールに寄せる、競る、闘う。
そこを熊本さんよりも上回れれば積極的な展開になります
選手に求めるところ
攻撃に関しては最後の質のところもここ数試合のテーマですが、それ以上に全体のところで私が大事にしている切り替えのところや球際のところ、相手への寄せが少しゆるくなっていると感じます。
もちろん全部が全部ボールを奪えるわけではありませんが、その姿勢は必要です。
引いてしまう守備ではなくボールにアタックして、最終ラインもラインをキープしながらもボールに対してアプローチに行ける積極的な守備をすることが大切です。
ここのところ、失点を恐れて下がることで結果的に失点につながっているのでそこを確認したいです。
攻守にわたってゴール前のところではずっとこだわっていますが、やり続けること、意識させ続けることを今日も選手たちに取り組んでもらいました。
チームがまとまるために必要なこと
当然我々はチームで闘っているので同じ方向を向かなければなりません。
ただ結果が出ない中でずれてくることはどのチームでもありますが、我々はそこの位置づけ方向づけを確認して、もう1回全員で矢印を合わせて次に向かっていきたいです。
その雰囲気になりました。
サポーターへの想い
いい時もありますし、苦しい時もあります。
今は当然、関わるすべての方が苦しい状況だと思います。
それを打ち破っていくのは選手、スタッフ、クラブです。
これまでもですが、まちがいなくサポーターの皆さんが選手たちの背中を押してくれますし、
我々もそのサポーターに対して全力を尽くす姿を見せなければなりません。
何が何でも勝ち点3を取るために、どういう内容であれ目指す姿を見せたいと全員が思っています。
苦しいですけれど、我々といっしょに闘っていただきたいです。
次の熊本戦、必ず勝ち点3取ろうということをお伝えしたいです。
星広太 選手コメント(9月11日トレーニング後の記者会見より抜粋)
試合に出ている時も出ていない時も自分の中でやることは変わりません。
変わることなく準備をしてきた中でチャンスをもらいました。
そこで勝利に貢献できなかった悔しさはありますが、やり続けるしかありません。
いわき戦を振り返って
ひとつ前の甲府戦もスタメンで、2試合目だったので心と身体の準備はできていました。
身体は動いていましたが、やはり勝ちにもってこれなかったことはまだまだ力不足だと感じています。
チームとして粘り強さというところがまだまだ足りないところです。
これは練習からひとつひとつやっていくしかありません。
今日もミーティングからで、大一番なので次に向けてひとつになることを話しましたが、アウェイで対戦した時に見せた粘り強さも大事です。
次は勝ちに持ってこれるように自分の力を100出して貢献したいです。
ロアッソ熊本の印象
若さがあるチームですし、得点力もあります。
チームとしてやるべきことをやって勝利に貢献したいです。
残り8試合に向けて
チームとしても個人としてもうまくいかないシーズンですが、逃げずに立ち向かっていくことが大事だと思いますし、その積み重ねが残留に近づくと思います。
誰も諦めていませんし、サポーターも諦めていないですし、次の試合を全力で勝ちにいきたいです
沼田駿也 選手コメント(9月11日トレーニング後の記者会見より抜粋)
トレーニング前のミーティングでも話がありましたが、熊本戦が重要な一戦になることは分かっています。
その熊本戦の勝ちにつながるトレーニングにしようと、強度の高いトレーニングができました。
攻守におけるクロス練習について
いわき戦のところでゴール前の対応や守備のところで改善をしたいところもありました。
自分も含めて攻撃のところで得点を奪えていないので、そのクオリティーを上げるために取り組みました。
いい形もできていたので次につなげていきたいです。
いわき戦を振り返って
ゴールに迫る場面もありましたけど、ポストに当たったシーンも含めて自分が取れていてば、あの展開にならなかったと思います。
その少しのところを突き詰めていかないと勝利に結びついていかないと思いますし、徹底していきたいです。
選手間での声かけについて
球際のところ、またクロスを上げられたことが前節失点に直結したので、上げさせないことを強く要求しているところです。
熊本戦に向けて
守備のところで相手はコンビネーションから得点を奪うところはすごく高いクオリティーを持っています。
対する自分たちは複数得点を前節取られている反省もあります。
そこは連携を取っていきたいですし、攻撃のところでは最後の質のところで奪えていないところがあるので、そこを上げていきたいです。
なかなか勝てていない状況ですが、前節のスタジアムの雰囲気はすごく自分にも感じる部分もありました。
ああいう苦しい状況の中でファンサポーターの皆さんは自分たちの後押しを続けてくれているので、そこに対して感謝の気持もあるので、結果で示していきたいです。
自分たちの意地と執念を可能性のあるかぎり、前を向いて闘っていきたいです
コラム「鹿児島をもっとひとつに。vol.35(Total vol.47)」
山本啓人さん(日本大学サッカー部コーチ)
「・・・持ってるなあって」
鹿児島のJFL昇格を決める約40メートルの直接フリーキックを、報道陣の前で振り返っての言葉はたった8文字でした。
他の選手ならその何倍もの文字数を費やして自分の想いを表現するところですが、たった8文字が無愛想にもチャラそうにも映ることなく、にっこり笑顔と動じない雰囲気で、すべてを成立させる。
山本啓人とはそういう選手でした。
鹿児島ユナイテッドFCで現役を引退してから8年目の現在は、母校である日本大学サッカー部でコーチを務める山本さん。
久しぶりに言葉をかわした山本さんは変わることなく要所要所でひと言を決めてから、しかも丁寧に自分の考えを説明してくれます。
いわきFC戦の感想を聞くとやはり入りはひと言。
「ああ、悔しいなって」
そして、山本さんはこれまでの歩みから、今の鹿児島ユナイテッドFCを見て感じていることまでたくさん、たくさん語ってくれました。
地域リーグ時代の鹿児島から
茨城県に生まれ、鹿島アントラーズで小中高校までサッカーをして、日本大学を卒業後はザスパ草津に2シーズン所属。
2012シーズンでザスパを契約満了後、知り合いを通じて当時鹿児島からJリーグを目指して九州リーグに所属していたFC KAGOSHIMAで2013シーズンに臨みます。
カテゴリーとしてはJ2から2つ下で、なんの縁もなく、関東から離れた鹿児島。
「ま、チャレンジでしたよね。で、行ったら行ったでみんな一生懸命なのはクラブからも周囲からも伝わってきたので、こっちもやる気になりましたよね」
中盤の底に入る山本さんはボールを受けるとテンポよく長いパス短いパスを使い分け、左右にボールを展開して、ゲームを作っていきます。
そして正確で、威力があって、大きく変化するフリーキックで次々と決定的な場面を演出します。
谷口堅三、辻勇人、栗山裕貴、そして田上裕たちが山本さんのキックを受けて躍動します。
しかし、九州リーグ前半戦が終わった段階で山本さんを鹿児島に呼んでくれた片山博義監督が退任。
大久保毅コーチが監督になりますが、それでもチームは波に乗ることができません。
そんななかでも山本さんはぶれません。
「何をしに来たのかって言ったら昇格させるためなので、それしか考えてなかったですよね」
どんな試合内容が続いても、目指すところだけはみんなで統一して闘い抜いたFCK。
以前、内薗大貴さんや辻勇人さん、村口良平U-12監督のコラムでご紹介したように、修羅場の連続です。
そしてJFL昇格権利のかかったグルージャ盛岡戦。
0-0で迎えた86分、センターサークルを少し過ぎたくらいの位置で得た直接フリーキック。
「昔トレーニングマッチで決めたことがあって、その感触があったから思い切って狙って」
2日前の脳しんとうを押して強行出場していた田上裕が「GKがこぼすところを狙っていた」という山本さんが蹴ったボールは、その相手GKの手の届かないゴール左上の隅っこに決まって…FCKが有終の美を飾りました。
「運もあったけど、コツコツみんな真面目に向き合っていたと思うんです。結局それじゃないですか、一番は」
背番号10の3シーズン
FCKがヴォルカ鹿児島と統合して誕生した鹿児島ユナイテッドFC。
山本さんが選んだのは背番号10でした。
「もうほかのひと桁とかの番号は他の選手が選んでいて、それで10番は誰も選ばずに空いていたから、まあいっか、みたいな」
言葉そのものや口調にはいささかも重々しさを感じさせませんが、あくまでプロとしてやるべきことをやるという姿勢です。
2014シーズン、横河武蔵野FCを迎えてのホーム開幕戦は前半アディショナルタイムに直接フリーキックの一撃。
ホーム2戦目となる佐川印刷京都戦では同点のPKと、終了間際の逆転ゴール。
観客が増えて、メディアの注目度も高まったなかで「鹿児島は全国の舞台でもやれるんだ」と印象付ける立役者となりました。
ピッチ上で勝ち続ける一方で、この頃から山本さんは股関節や足の付根に痛みや不快感が継続するグロインペイン症候群に苦しむようになります。
「サッカーにはつきものなんで」と前向きな姿勢を崩すことなく山本さんはピッチに立ち続けます。
チームもJ3ライセンスがないことで勝敗に関わらずJリーグ入りが絶たれますが、シーズン通算3位で、Jリーグに行くだけの力があることを証明しました。
「(Jリーグには入れなくても)クラブの価値はまちがいなく上がっただろうから」
2015シーズン、Jリーグに行くことだけを考えて迎えたシーズン、浅野哲也監督が就任しました。
「もう熱いっすね。基本的に熱があって、やっぱり日本代表という経験もあるので。守備についてはよく言っていたと思いますよ。逆にその守備のところに応えられなかったのが自分だと思うんです。ちょっとそこは悔いじゃないですけど、若かったんだろうなと」
長短のパスでゲームを作る山本さんは、赤尾公との交代出場などベンチスタートが多くなっていきます。
「自分がやりたいことよりも、チームが勝つために必要なことは何かを考えるところから入るべきだというのがあります。サッカー選手としての価値は自分がやりたいところにつながっているんですけど、試合ではチームを勝たせなきゃいけないんで、いかにそこに向き合えるかが大事なんですけど。それって選手って実は分かっていそうでいないというか」
言葉で表現すると簡単ですが、実際にピッチに立って実践するのは簡単ではないように思えます。
「試合が90分ある。それで89分は応えられました、でもスキも見せちゃいましたとなったらちょっと使う側としたら信用できないじゃないですか。そういう甘さがありましたよね。僕のプレーを振り返って間違いなくできている時もあるけど、できていない時もあるよねとなったら、それは“できてない”なんですよ」
限られた出場機会でも、ピッチに立てばゴールやチャンスメイクで貢献して、クラブとしてもJリーグ入りを達成しました。
「個人的なところどうこうじゃなくて、やっぱりクラブも鹿児島も好きだったんで。それだけ上に行けるのかっていうのも目標にしていたので、うれしい部分はやっぱりかなり大きかったですよ」
鹿児島にとって悲願のJリーグ元年となる2016シーズン。
しかし、山本さんはベンチに入れない試合も出てきて、最終的には30試合中2試合の出場にとどまりました。
「それこそグロインペインとかもあったんですけど、でも考えすぎてもしょうがないので、やることやって準備して、クラブとして勝つために、上に行くために、プロとしてできることをやるだけっていう」
ホーム最終戦、グルージャ盛岡との試合ではスタメンで出場。
正確なサイドチェンジを通して、フリーキックも含めて背番号10らしく攻撃を彩ります。
2-1と勝ち越すゴールを藤本憲明選手が決めて、みんなで抱き合って喜ぶ写真が出てきました。
当時背番号9で2シーズン連続J3得点王に輝いた藤本選手が、今は背番号10を背負っています。
「ノリはこの前途中でしたけどやっぱりいいですよね、シンプルに実力があるんで。ああいう選手が出てくると相手は嫌だし、チャンスも広がりますよ。いわき戦のあのゴールも簡単じゃないですからね。あれ大体バランス崩しちゃったりするけど、身体を倒しながらでもゴールに持っていくし、体幹とかもめちゃくちゃいいですよね。
体力的なところとか裏に抜け出す回数とかはこの頃に比べたらそれは減ったんだろうけど、でも点を取ることに関しては逆に磨かれていることもあるので。この試合までにもバーに当てたりとかあるし、もう3点4点普通に決めていてもおかしくない感じだし、出て活躍して欲しいなあ」
どうしても今のユナイテッドに話が行きがちですが、、、
この2016シーズンをもって山本さんは契約満了となりました。
シーズン終了後のファン感謝祭では「何を言ったか憶えていない」ほどにこみ上げるものがあり、目を真っ赤にしながらこれまでのお礼を伝えて、そして最後の出場になったグルージャ盛岡戦を勝ちたかったと言葉を絞り出しました。
指導者としての挑戦
契約満了になった山本さんは次のチームを探すことなく、現役引退を決めていました。
まだ28歳でした。
「もう身体が動かなかったですよね。あと前からそうだけど、どんどんどんどんフィジカルが大事になるってことは分かっていたので、その時代についていけないのはもう分かっていたから。やめるってなったとしたら指導者の勉強をゼロからやるかって感じで」
2013-14シーズン監督として共に闘ったアカデミーダイレクターの大久保毅さんと話をした時に、引退の意思を伝えると指導者としてユナイテッドに残って欲しいという話が出てきました。
「やっぱ大好きなクラブなんで」
やはり山本啓人は明快です。
こうしてスクールコーチとして指導者のキャリアをはじめた山本さんですが、日々悩むばかりです。
「こんな難しいんだって毎回毎回もう頭を抱えながら。子どもたちを伸ばすのが下手で教えること、自分が分かりやすく伝えるとかの指導力ゼロなんで、まあ頭を抱えますよね。でも楽しいは楽しいですよね。サッカーは基本的に好きなんで。ただ頭かかえてました。“どう教えればいいんだ?”みたいな」
元プロサッカー選手として、実際に蹴って見せることはできる。
でも言葉にして伝えることができない。
大久保さんが必要な言葉がどんどん出てくるのとは対照的だったと、指導者8年目の今、振り返ります。
「今、小学生のスクールも日大でやっていて、学生たちをスクールにおいていて、あの頃の(大久保)毅さんみたいにコーチを指導する立場になってすごい分かるんです。声が出てこない学生がいて“なんて言ったらいいんですかね?”みたいに聞かれるから、なんか懐かしいなあって」
指導者の勉強会に積極的に参加して、指導に必要なことを知識としても積み重ねて、現場で子どもたちと接する経験を積み重ねていきます。
本人は内心頭を抱えることがあったとしても、傍から見ると安定感抜群。
笑顔で堂々とふるまうコーチぶりです。
スクールコーチを2年務めたあとの2019シーズンからは、新設されたU-12の監督に就任しました。
あの頃の小学4年生は中学3年生になり、U-15最上級生になり、U-18への昇格を控える選手もいます。
1人1人の若きユナイテッド選手たちを見ながら山本コーチは本当にうれしそうで、懐かしそうでした。
「この頃の子たちは単純にサッカーが好きっていう、それだけでやっていて良かったですね。楽しかった」
自身も単純にサッカーが好きという雰囲気に満ちた山本監督のもと、少年たちは何も恐れることなく相手ゴールへ殺到して、シュートして、ゴールを決めて、みんなで喜んでいました。
そんな日々を3シーズン過ごしました。
「面白かったですね、面白かった。まっすぐなんで。
だから僕もどっちかっていうとまっすぐ伝える方なんですけど。
だからはっきりしますよね。
僕が伝えられなかったらプレーにも出ちゃいますし、逆にこっちが伝えることを本当に伝えられたなと思うときは、しっかり返ってきますよね。
なんか子どもたちはしっかり表現するし、一生懸命やりますよ。
本当に、大学生に見て欲しいですね」
2021シーズンをもってU-12監督を退任。
その後、日本大学コーチへの就任が決まり、鹿児島を離れることになりました。
2013年に選手として縁もゆかりもない南国へやってきて、はや9年。
「もう故郷です」
その思いをたずねると、やはりひと言でした。
「僕の故郷って言いたいくらい、いいところですよね、本当に」
鹿児島後~大学の指導者として
こちらも母校という思い入れがあり、オファーをもらった日本大学サッカー部のコーチに就任した山本さん。
サッカー部は2022シーズンに関東2部から1部への昇格を決めました。
「すごいねって言われるんですけど僕がなんかしたってわけじゃないんで。ここは誤解しないで欲しい。僕が学生でいた頃のスタッフが入れ替わりもあったけれど復帰した時にはそのままいて、十何年も色々と苦労していたみたいだっていうのも聞いていたんですけど、でもそういう監督も含めてスタッフ陣が報われて本当に良かったです」
大学の練習は朝の6時頃からはじまり、練習後は時間をおいて午後は幼稚園や小学生の指導に当たり、サッカー部でBチームを主に担当しています。
「小学生とはまったく違うけどまた違った楽しさがありますよ。高校生に比べてさらにもう1個完成度が高いわけじゃないですか。その完成されてきた中で色々全国から集まってきてね。でも考え方とかメンタルとかまだまだ若いなっていうところもあると思います。面白いですよね」
練習に混ざることもあり、さすがに体力がついてこなくなりつつあるのは感じていますが、まだまだ技術は錆びることなく簡単にはボールを奪われません。
鹿児島にいた頃よりも体重は増していて「やばいっすよ」と笑っていますが、現役時代ユナイテッド屈指のイケメンだった頃とほとんど変わっていないことを本人の名誉のために付け加えておきます笑
鹿児島が好きだから
鹿児島を離れてからも全部とまではいきませんがユナイテッドの試合はDAZNでしっかりとチェックしています。
今シーズン5月末には浅野哲也監督が就任して、山本さんも期待しました。
山本さんが浅野監督のもとでプレーした2シーズン、出場機会に恵まれたほうではありませんでしたが、それでも共に闘った思い入れがあります。
「まあでもけっこうよく見てますよ、テツさん。コミュニケーションを積極的にみんなと取るっていうことはないんですけど、日常の色んなところをよく見てくれていて」
思い入れがあるからこそ、連敗をしている今の状況は山本さんにとっても辛いものであり、違和感もあります。
「なんかテツさんのチームっぽくないですよね。
ウノゼロ(1-0での勝利)が大好きな監督じゃないですか。守備のところで主導権を取っていって、攻撃はそこまで細かくは指示しないけど、その代わり堅いよっていうのがテツさんのチームだと思っていたので。
現場を見ていないのでちょっと試合を見る限りですけど、らしくないんですよ。
いっしょにやっていた頃の印象が強いんでしっくりこないんですよ。
テツさん、やさしいといえばやさしいんだろうし、今まで積み重ねてきた軸は尊重したいとか、そういう気を使うところもテツさんの人間性にはあるので。
でもそれも含めてテツさんが8割9割タクトを振って、残りの部分をみんなでアクセントつけていくような感じで、思い切りやって欲しいですよね」
もちろんサポーターたちにも深い思い入れがあります。
「鹿児島ユナイテッドFCっていうクラブは県民のためだったり、関わる人たちのためのクラブなんで、そこに対する想いはちゃんとみんなが言う権利があるし、表現していいんじゃないですかね。この前ブーイングがあったらしいけど、そこは全然言ってもいいと思いますよ。真剣だからそういう表現になるっていうのはよく分かります。プロなんだし結果を残さなかったら何も評価する必要はないと思うし。
もちろん本人の表現なんで、みんながブーイングやれってことじゃなくて。
それぞれに自分の感情があって表現の仕方があって、ただみんなが真剣で愛情があるから。
だからお客さんもすごいじゃないですか。
クラブの努力の部分もたくさんあると思うけど、もう5,000人は平均で入っているじゃないですか」
先週の試合で1試合平均で6,200人を超え、今週末も9,000人を超える勢いです。
そしてそんなサポーターがいるからこそ、選手にがんばって欲しいという想いにもなっていきます。
「だから本当に好きなんでしょうね。ユナイテッドとかクラブとかサポーターとか含めてこういう雰囲気を作れているんだから、やっぱりね。
選手たちはやんなきゃいけないですよね。
きれいにしようとかカッコつける必要はまったくないし、むしろ鹿児島は泥臭さとか闘う部分がベースにあると思うんで。
でも選手みんな、鹿児島に来たら感じていると思うけどな。
クラブの温かさとか、サポーターの温かさとか、県民の温かさとか親切さとか」
クラブ創設前夜から選手としてプレーして、引退後はスクールコーチ、U-12監督という立場も経験してきたからこそ、山本さんの視点は多角的です。
そんな山本さんに、これからユナイテッドにどうなっていって欲しいのかをたずねました。
「満足っていうわけじゃないんですけど、だいぶいい調子なんじゃないかって思うので、あとはスタジアムですかね?
やっぱり今の6,000名のさらに上を目指していくとなったらどうするのか?
そういう戦略を考えるのも楽しいですよね。
大きいクラブになっていくとしても郷土愛というか、鹿児島愛がある。
そういう鹿児島の匂いは残して欲しいです。
“鹿児島の選手ってこういう選手だよね”っていう感じで。
プレーだけじゃなくて人間性も含めて。
変な言い方なんですけどね。
でもオレの故郷だもんねって言いたいですね」
最後に、山本啓人さん自身がどうしていきたいのかをたずねましたが、やはり今は日本大学サッカー部を強くしていくことで頭はいっぱいです。
関東1部に復帰した2023シーズンは4位と上位に食い込み、今シーズンも安定した闘いを続けています。
「いつかは鹿児島でやりたいんですけどね。でもまだ帰れないし、まだ成長したいし。(鹿児島ユナイテッドFCの強化部が)関東に来ることもあるんで話すけど、うちの選手も送り出したいんですけどね。鹿児島の力になれそうな選手、送り出したいですね」
思えば鹿児島で生活していた9年間、もちろんピッチの上では真剣だし、悔しさを素直に表現することもありましたが、記憶に残る山本さんはいつも楽しそうな表情を浮かべていました。
いつも明るく元気に目の前のことに全力で向かっていました。
サッカー選手としても、指導者としても。
それは山本さんの座右の銘そのままの生き様に映ります。
その座右の銘を調べてみてもなかなか由来が見つからなかったので本人にたずねたところ、日本大学の川津監督が言っていたと教えてくれました。
日本大学サッカー部は、山本さんがプレーしていた頃から関東2部や東京都1部リーグでの闘いが続いていましたが、苦難を乗り越えて関東の雄へ飛躍しようとしつつあります。
どんな時もブレることのなかった鹿児島での山本さんのたくましさを思い出すたびに、あの言葉が思い出されます。
辛い時、苦しい時、悔しい時、腹立たしい時、心が折れそうになる時、ふと笑顔とともに思い出されます。
何事も前向きに!!
今できることを全力で!!