武星弥選手が鹿児島情報高校で講話しました(12/19)
12月19日、武星弥選手が原田学園 鹿児島情報高校を訪問しました。
鹿児島情報高校は武選手にとって3年間を過ごした母校であり、生徒からの「武選手の話を聞きたい」という要望がはじまりとなって、講話が実現しました。
まずはクラブスタッフより、事業としての鹿児島ユナイテッドFCがどのように成り立っているかの話をしたあとに、武選手が自身の歩みについてお話しました。
強豪高校で冬の選手権を目指すことと迷ったうえで、自分が活躍できるチーム、プロになる道筋を考えて鹿児島ユナイテッドFCのU-18、そして鹿児島情報高校を選んだこと。
U-18加入当初から試合には出ていましたが、県1部リーグでチームとしては1勝もできず、鹿児島城西高校に二桁失点で敗れるなど苦しい時期を過ごし、「進路選択を間違ったかも」と思ってしまった1年生の時代。
それでもまわりではなく、自身が結果を出すことに意識を向けました。
2年生になると前年トップチームのコーチを務めていた辻本茂輝さんが監督に就任。
1年生の頃のレベルを50とすると、辻本監督は他の選手たちには70とか80のレベルまで要求してきます。
さらに武選手に対しては最初の2ヶ月3ヶ月ほど、いいプレーをしても褒められることはなく、徹底して100のレベルを要求され、ダメ出しをされまくり、かなり苦しい思いをしました。
それでもふてくされることなく「この辻本さんを認めさせたら、自分はすごいことになるはずだ」という気持ちでサッカーに向き合ってきたことで、おもしろいようにゴールを決められるようになっていって、結果としてプロへの道筋が開けたと辻本さんへの想いを語りました。
卒団するときには「本気でプロになろうという気持ちが感じられたから、それだけのことを要求した」と伝えられたそうです。
また高校生時代に「メンタルが強い方ではなかった」と自覚して、だからこそ心が強い自分を描き、外に向かって表現し続けることで、プロの競争社会でもやっていけるためのメンタル的な基盤を築き上げていきました。
2023シーズンにプロになってからも順風満帆ではなく、最初のうちはトレーニングが終わると疲れ切って爆睡するほどだったという武選手。
徐々に適応していき、プロになったことに満たされることもなく、さらにプロの世界で年上の実績あるライバルたちとの競争を乗り越えて生き残るために必要なことを模索し続けます。
全体トレーニング以外にも個人でトレーナーに観てもらうことで自分の長所だと思うダッシュ力を高め、比較的短所と思っていた左足のキックを向上させるためにとにかく蹴りまくって試合でもためらいなく蹴られるように磨き上げました。
自身のこれまでの歩みを振り返ったうえで、目標を達成するため、自分が何をしなければならないかをしっかりと見つめ、上手くいかないときも他人に原因を求めるのではなく、自分がするべきことを見失わない姿勢と、努力を積み重ねることの大切さを特に強調して伝えました。
そのうえでプロとは色々な考え方があるけれど、「とにかくそれが大好きで大好きで探究心をもって努力し続けられる人」だと武選手は位置づけています。
自分のゴールでチームを勝利に導いたことも、自分のミスで失点して敗戦する痛みも、昇格に涙が自然と流れるほどの喜びもありつつ、今シーズンは負傷離脱もあって思うような結果を出せずチームとしても降格する悔しさを味わいます。
それも踏まえて覚悟を持って2025シーズンは10番を背負わせて欲しいとクラブに志願して、背番号10として、中心選手としてチームを牽引する決意を後輩たちに語りました。
最後に自身がJ3の育成組織出身でももっと高いレベルでやれることを証明したいし、海外でプレーしたいし、日の丸をつけたいという目標を語り、後輩たちに向けたエールを送りました。
武選手にとっては、はじめて自身のキャリアを語る場でしたが、マイク一本で50分休むことなく、自身の情熱を言葉にし続けていて、生徒たちも真剣に聞いてくれていましたし、かつての担任の先生たちも成長した姿に感動していました。
貴重な経験を提供してくださった鹿児島情報高校の皆さま、ありがとうございました。
おまけ
生徒からのサインに応じる武選手ですが、タブレットへのサインは初めてということでした。
また「46」でサインをする最後の機会かもしれません。