【6月14日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2025 vol.09
鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は6月14日に行われる2025明治安田J3リーグ第16節、鹿児島ユナイテッドFC vs ヴァンラーレ八戸のマッチデープログラムです。


2025明治安田J3リーグ第15節
vs FC岐阜 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)


天皇杯JFA第105回全日本サッカー選手権大会 2回戦
vs モンテディオ山形 会場:NDソフトスタジアム山形(山形県天童市)

コラム「鹿児島をもっとひとつに。vol.46(Total vol.58)」
西園大晃さん(南国交通株式会社 旅行開発部長)

「これは3番だから薩川(了洋)な気がします。こっちはエドゥー」
エドゥーって、あの40メートルFKの?!
背中の方を見るとまず視界に飛び込むのは「MONER」のサイン。
モネールダンスはなんか記憶に焼き付いています。
ビブス入れのような袋から飛び出してきた2枚のシャツは40代以上のファンにはたまらない逸品でした。

もう1枚はオレンジ色のシャツで、スポンサー名を見ると歴史がまざまざと浮かび上がってきます。
「私がサッカーに携わるのは運命なんですよ」
眼の前で柔和に微笑む男性、南国交通の西園大晃さんの言葉は、話を聞けば聞くほど納得するしかありませんでした。
そして見た目だけでは推し量れないくらい、狂的なまでのサッカーへの情熱に満ちていました。
サッカー人生のはじまり
鹿児島市生まれの西園さんがサッカーを始めたのは小学生の頃。
当時は大多数が野球少年だった時代です。
「ソフトボールをやりたいって親に言ったら肩を壊すから走るサッカーにしろって言われて、どういう理由?って今は思いますけど」
なんとなくサッカーを始めたその数カ月後、日本サッカー史を塗り替えたサッカー漫画「キャプテン翼」の連載がはじまります。
「全然うまくはなかった」という西園さんですが、中学校、高校、さらに鹿児島経済大学(現在は鹿児島国際大学)とサッカーを続けます。
観る方も熱心で1988年に2年前までブラジル代表の背番号10を背負っていたジーコ率いるフラメンゴと中国代表が鴨池陸上競技場で対戦した時も観戦しています。
https://www.kirin.co.jp/soccer/history/1988/kcs_0529.html
その一方で在学中、西園さんはアメリカに1年間旅に出ました。
「鹿児島から出たかったので、だけど長男だから鹿児島に残らないといけないみたいな雰囲気があったので、だったら1年間アメリカに行ってみようかなって思って」
まずはシアトルの大学に通ってビザを取得して、3ヶ月4ヶ月と乗り放題の路線バスのパスを使ってあちこちを見て回って。
スマートフォンはおろかインターネットも存在しない時代、聖書のように手放せない一冊は「地球の歩き方」。

「アメリカンスポーツって野球のMLB、バスケ、アメフト、ホッケーとかすごくたくさんあって、地域の人たちが自分の街に誇りを持っていて、色々と応援する景色をまざまざと見て。
それからアメリカってメジャー四大スポーツだけじゃなくて、小さいな地域の高校のアメフト部とかそういうのも応援しているのがいいなあって肌感覚で思っていたんです」
こうしてスポーツ大国の空気をたっぷりを吸って帰国した鹿児島経済大学生にとってさらに転機となったのが、1993年のJリーグ誕生でした。
さらに横浜フリューゲルスという横浜をホームタウンとする、非常に強いチームが、長崎、熊本、そして鹿児島をサブのホームタウンとしたのです。
「やっぱり二十歳のときにアメリカに行ってから自分の中で生まれ育ったところを盛り上げたいっていう気持ちがあったんです。
そこで鹿児島県サッカー協会だったと思うんですけど、鹿児島に縁がある人たちを集めてジェッツという団体の鹿児島支部ができて。
僕なんで応募したのか思い出せないんですけど、行って応援をはじめて、何気なく入ってちょうど大学生で時間を自由にできていたし、発言も色々したりして、そのジェッツ鹿児島支部の代表というかリーダーが自分だったという」
にこやかなシゴデキお父さん雰囲気満載の西園さんから、完全に想定外のエピソードが飛び出してきます。

「当時の応援スタイルがサンバで、あの大きな太鼓を自分がドーンってやったらサンバがはじまるんですよ。僕自身は音楽とか一切やっていなかったんだけど、リーダーがやらないといけなくて、それで当時はコールリーダーとかがいなくて、音楽がはじまってチャントが始まりみたいな感じで」
はじめて鴨池陸上競技場で行われたのは横浜フリューゲルス対サンフレッチェ広島。
その後、15,000名を超える入場者も記録します。
「それを覚えていて、だから絶対鹿児島は満員にできるって。
だから鹿児島ユナイテッドFCがはじまったJFLのころから(サポーター団体の)川畑さんたちに“これも絶対長く続けていけば15,000入るベースがあるからがんばろうね”って。
彼らはあのころ中学生とか高校生ぐらいだったんですよ」
大学の卒論も地域経済学を学んでいたこともあって「鹿児島にJリーグチームを作る」というテーマで作成したりしながら、卒業の時を迎えます。
社会人になって、鹿児島のサッカーを眺めながら
就職したのは南国交通株式会社。
アメリカに留学したりする旅好きですもんね、分かります、、、と思ったら少し違いました。
「旅は、旅はですね、好きとか嫌いとかじゃなくてとにかく世界が見たかったから。だからそれはでも旅が好きっていうことなのかもしれませんけどね。
でも大きかったのは南国交通は全日空、ANAの鹿児島の総代理店をしていて、カウンターの代理店業務をしていて、空港での運営もしているので。
やっぱり全日空といえばフリューゲルスのラインですよね。
それが結果として今にいたっているし、全部サッカーにつながっているんです」

当時で言えば地元のプロサッカークラブに就職するなんて概念がない時代、横浜フリューゲルスの親会社とつながりのある会社に就職するという発想は順当なのかもしれません。
しかし西園さんが配属されたのは南国交通のなかでも旅行代理店の業務を担当する「トラベルサービス」でしたが、仕事は仕事として西園さんは真摯に取り組み続けます。
それが西園さんの次なるサッカーとの縁につながっていくのですが、それはそれとして90年代の鹿児島のサッカー界ではフリューゲルスのほかに、「鹿児島からJリーグ」を本格的にめざすヴォルカ鹿児島というクラブの登場も大きなトピックでした。
西園さんのお宝は横浜フリューゲルスのユニフォームだけでなく、ヴォルカ鹿児島の初代ユニフォームもあります。
赤と黒のイメージが強いヴォルカ鹿児島ですが、鹿児島教員団を母体にヴォルカ鹿児島が誕生したばかりのころはオレンジ色のユニフォームでした。

さらに西園さんにとっては鹿児島経済大学の後輩に当たる西眞一さんが加入当初から得点王を取り続ける伝説として輝いていて、ジェッツ鹿児島支部の一員としていっしょにフリューゲルスを応援していた中高生たちはそのままヴォルカのサポーターとして活動を続けています。
しかし西園さんは仕事がどんどん忙しくなり、ライフステージも変わっていくにつれて、本格的な応援生活から少しずつ離れていきます。
そのなかでも横浜フリューゲルスが横浜マリノスに吸収合併する形で消滅し、最後の天皇杯で優勝する姿はもちろん国立競技場で見届けましたし、たまたまの翌日、鹿児島実業高校が全国高校サッカー選手権を闘うところをサポーター仲間たちといっしょに応援に行ったりして、そうしてひとつのピリオドが打たれました。
ここからサッカーの話を進める前に、西園さんと南国交通株式会社のことをもう少し見ていきましょう。
南国交通株式会社とは
南国交通の歴史はとても古く、北薩方面の路線バス事業を開始した1941年までさかのぼります。
バスの運行には車体のメンテナンスもですが、なによりガソリンを確保しなければなりません。
ガソリンとかタイヤの供給などをするためにできたのが南国殖産株式会社。
「“弟”のほうが大きくなったんですけどね笑」と西園さんは笑いますが、南国交通は路線バス、高速バスをはじめ鹿児島県のインフラを担い続けて今にいたります。
さらに鹿児島空港の全体的な運用、旅行代理店の業務があり、最近で言えば指定管理をしている鹿児島県立吉野公園内で「Kagoshima Glamping Yoshizora」などの事業も手がけています。
さらにマスコットキャラクター「にゃんごくん」が登場したり、「にゃんごくんおねえさん」が登場したりと、インフラ企業という言葉だけでは説明のしづらい多様な顔を見せてくれています。

そんな南国交通の中で西園さんは前述の通り、入社以来、今にいたるまでトラベルサービスで旅行部門を担当しています。
飛行機の航空券販売や旅行のパック商品、さらに団体旅行や社員旅行の営業をしたり手配をしたり。
「旅行って“飛行機を予約しました、ホテルを予約しました、移動の新幹線やバスを予約しました”っていうのを足すだけといえば足すだけなんですけど、それを手配する人の気持ちというか想いが入ってくると、ただ単純にくっつけただけよりもやっぱりいいものになるんですよ。
これは30年くらいやって感じることで、旅行に限らず例えばカレーライスも同じ材料で適当に作るカレーと、ちゃんと想いを込めて作るのとではやっぱり違うのといっしょですよね」
そう言われてみると南国交通はユナイテッドのツアー商品も多く販売されていますが、様々なところにサポーターへの心配りがされているように映ります。
こうした旅行代理の業務を中心に多忙な生活を送ってきた西園さんに新たなる転機が訪れたのが2013年の終わりから2014年のはじめにかけてのことでした。
アウェイ遠征の手配
ヴォルカ鹿児島と後発のFC KAGOSHIMAが統合して誕生した鹿児島ユナイテッドFCから、徳重剛クラブ代表たちが訪れたのです。
目的はJFLという鹿児島としてははじめて全国リーグに挑戦するタイミングであり、県外に遠征する際の移動手段や宿泊先の手配と、スポンサードのお願いでした。
「いらした時に自分としてはいいですよと。自分がやりたいことだったし、少しでもスポンサーとしてできないかと会社のほうに説明しました」
2013年まで九州地域リーグを舞台にするレベルでしたし、組織として発足したばかりで、期待感はありつつも大丈夫なのかという懐疑的な見方が鹿児島県全体としてはされていたことは否めません。
「“これは鹿児島に対する投資だから、自分たちの会社としてもやったほうが絶対プラスになる”と当時の役員に説明をして、そうしたら意外と好意的に受け止めてくれたので良かったでした」
当時はJ3リーグがはじめて創設されるタイミングで、一気に全国リーグのクラブが日本中に増えたタイミングでもありました。

「徳重さんたちのほうから来てくれたっていうのもあるし、“鹿児島をもっとひとつに。”のクラブスローガンとか、“鹿児島でできることは鹿児島でしよう”という考え方でしたから。
私はもうきっぱりと、このチームに対する想いは誰にも負けないから絶対に自分に任せて下さいと伝えました。
大手旅行代理店がやることになっても、それなりのことはできたと思います。
それでもやっぱりいっしょに育てていくという道のりは、自分で言うのもなんですけど正解だったと思います。
ビジネスライクに売るのではなく、巻き込まれて巻き込んでいっしょにやっている感じですね」
西園さんの志は高い一方で、プロスポーツクラブの遠征は、他の団体旅行とはかなり異なる要素や制約があります。
「大変ですね笑。
1年間のスケジュールが決まればそれに合わせていくんですけど、特に夏場とかは台風が来たり、思うように飛行機が飛ばなかったりして、そこをうまくやらないといけないですよね」
欠航したからいけません、試合できませんというわけにはいかず、なんとかして移動手段を確保するために奔走します。
今シーズンのFC琉球とのアウェイ戦はゴールデンウィークで「なんでこんな時期に」と苦笑い。
今週の天皇杯2回戦が行われた山形では楽天ゴールデンイーグルスの試合が行われる関係で宿泊先に苦慮したり。

トラブルが何もなくても、限られた予算のなかで移動手段をどうするのか、どこに宿泊するのか、食事はどうするのか、考えなければならないことは限りがありません。
何回も試合をしているスタジアムであれば移動と宿泊も慣れたものですが、今シーズンのアウェイのガイナーレ鳥取戦はこれまでと異なる米子市のYAJINスタジアムで行われたため、段取りがまた変わったり。
さらに監督が変わればちょっとしたところで新しく要望されることもあります。
「そういうなかでも安全に、ストレスなく」です。
最近はその頻度は減っていますが、西園さんは原則的にアウェイ遠征に帯同しています。
「事前に電話やメールで打ち合わせたことと、現場に行ってみると違うことってすごくあるんです」
観光旅行に来た人たちにしてみれば気にもならないところが、チームにとって大きな影響を及ぼすことがあり、そういう時にチーム関係者の代わりに現地でも段取りを整え直して、アウェイ戦でも良いパフォーマンスを発揮できるように尽くします。
それはまさに「移動手段と宿泊先を組み合わせた」だけでは成り立たない領域と言えるでしょう。
「入社した時にANA販売部署に行きたいって言っていたのに、入ったのが旅行のところで、でも、それも運命ですね。
それがなかったらユナイテッドとやっていない可能性もありますから。
何度も言いますけれど、すべてがつながって、もう運命なんですよ」
ホーム戦に比べればチームもサポーターも人数は少なくなりますが、だからこそアウェイ遠征に行くメンバーには独特の連帯感があり、西園さんもここでは明かせないたくさんのできごとをクラブとともに乗り越えています。

鹿児島ユナイテッドFCの盛り上がり
自身もサッカー少年で、横浜フリューゲルスの時代から鴨池陸上競技場に通っていた西園さんは、今、鹿児島ユナイテッドFCのことをどのように見てらっしゃるのでしょうか?
「なんと言えばいいのか、一歩引いて見る時もあれば純粋に応援する時もあって、ちょっと答えが難しいんですけど。
自分とすると100年続くクラブにしたいんですよ。
100年続くクラブを作りたいって大げさに聞こえるかもしれないけど、自分はフリューゲルスで1回、自分が応援したクラブが本当になくなった経験があって、二度とあってはならないと思っているので、せっかくできたチームが終わることはないとは思っていますけど、100年続く鹿児島のシンボルにしたいっていう気持ちがあるんです。
だから自分とすると勝ち負け関係なく、クラブが育っていくために何ができるかっていう部分を考えながら見ているのはありますね」

勝ち負けの極地とも言えるのが昇格や降格ですが、たとえば2015年末、横浜フリューゲルス以来のJリーグクラブが鹿児島に生まれた時にはどんなことを思われたのでしょうか?
「その時に思ったのは、“もっと自分たちに何ができるか”です。
100年続くためにひとつ階段を上がっただけの話だと自分は思いました」
それでは降格した昨シーズン、一度も勝てなかったアウェイ戦で西園さんはどのようなことを思っていたのでしょうか?
「去年は辛抱するシーズンになるだろうと思っていました。もちろん1試合1試合応援しますけれど、何が良くて何がだめだったのか。
アウェイに行くと相手の運営とか色々な部分を見ることができて、やっぱり長年やっている方がうまいというか整っているんですよね。
鹿児島ユナイテッドFCはJリーグ10年目で小学4年生、鹿島アントラーズや横浜F・マリノスは30歳で、資金とかの規模も違うから簡単には勝てるはずがないんですよ。
自分は強さの半分は年数にあると思っているので。
それを考えるとこの10年で土台ができてきたから、次の10年とかを作り上げていく段階になると思いますし、ここまで結構うまくいっている方なんじゃないかなって思います」

そういう点でアウェイにどのくらいのサポーターが応援してくださるかは、クラブの成熟度や裾野の広さが表れるひとつの指標と言えるかもしれません。
そこに貢献しているひとつが、南国交通によるバスツアーをはじめとするツアー企画と言えます。
「やっぱり選手の人たちって応援があるとがんばれるので。
そして県外に行って、応援する楽しさを作っていきたいところがあります。
バス1台からはじまって、(2019シーズン最終戦の)福岡の時はバス10台になったりして、赤字覚悟ですし、会社から怒られながらやってはいますけど笑
それがあってツアーで行く文化もできているからすごく良かったと思っています。
自走でいくのはそれはそれでいいんですよ。
バスツアーはバスツアーで自分がおもしろいと思うのは知らない人たちでもバスに入った時点でもう仲間になったりとか。
勝った時負けた時、帰る時の気持ちをみんなと共有しながらっていう部分もあります。
乗ってしまえばそこまで連れていかれるから楽だっていうお声もありますし、お酒を飲んでもいいですし、自分で行った場合は駐車場の確保に苦労するとかがあるので、そういう意味でツアーバスはいいかもしれませんね」
アウェイ宮崎戦では2,000名を超えるサポーターが鹿児島から訪れて、クラブ創設時のホームゲーム入場者よりもにぎわっている光景は西園さんにとって感じるものが大きい試合でした。
「だけど僕はひと足飛びにできるとは思っていないので。
やっぱり積み重ねをしていって、こう増やしていくしかない部分があるでしょうし、今来ている小学生とか子どもたちが楽しいと思えることも必要なんじゃないかなと思いますよね」
どことなく達観しているように映るかもしれませんが、西園さんの場合は目先の1試合と、長い目線で見る世界の両方があるという話であり、1人のサッカー経験者であり、サッカー好きでもあります。
「自分はサッカーの専門ではありませんからあまり戦術の話はできないですけど、監督が変わったからこういうサッカーだっていうよりは、“鹿児島はこういうサッカーだ”っていうのをそろそろ作ってもいいのかなと思いますね。
ブラジルだったら、アルゼンチンだったら、イタリアだったら、という部分があるので。
個人的には“示現流サッカー”って言っているんですよ。
鹿児島には一発で仕留める、あまり守りは考えないっていうのが合っているんじゃないかなって思います。
示現流って相手を一発で斬るんじゃなくて、叩き折るみたいなもので、そういう攻撃的な姿勢が合っているじゃないかなと思います。だから今年はそれに近いことをやっているんじゃないでしょうか」

3-2で逆転勝利したFC岐阜戦は「これまでカウンターで入れられてずるずる行くことが多かったけど、逆転できたしひとつステージをあげたのかなと思った瞬間でした」と振り返ります。
「もちろん勝って勝ってJ1に行ければいいけれど、そんなに簡単に行くものじゃないでしょうし、色々と予算の問題があるでしょうし、クラブハウスはできたけれど、スタジアムの問題とかみんなでクリアしないといけないことでしょうし。
昇格はしたいけれど、それに加えて100年続くための土台もしっかり作っていきたいし、勝ち続けていると見えないところがあるけれど、去年J3に降格した時に何が悪かったのか振り返って変えてみることは必要だと思いますから。
選手は一所懸命やっていましたけれど。
今シーズンはまだ半分も行っていませんが、今年は優勝できると思ってはいますし(アウェイで行われるシーズン最終戦の)金沢戦も応援ツアーしたいし、そこでみんな喜べるように、、、、でもできれば今度はホームで喜びたいですね」
そして「いつかACL(アジアチャンピオンズリーグ)への遠征を手配をする」という西園さんの最終的な野望を明かしてくださりました。
J1昇格どころかJ1で上位に入り出場権を獲得しなければならない遠い道のりですが、いつかきっと。

そしてそんな時代の鹿児島はどうなっていて欲しいと願うのでしょうか?
「私は“人”が観光資源だと思っています。
ハワイから来た人が“鹿児島はハワイっぽい”って言うのでどういうことかと思ったら、鹿児島の人たちはみんなあいさつをするっていうんですよ。知らない人でもすれちがったらこんにちは、こんにちはって。
よくよく考えると小学校の時、みんなあいさつしなさいって言うじゃないですか。横断歩道で待っていて、車が止まって渡ったらあいさつをするとか。
その人が“鹿児島ってなんでこんなにあいさつするの?”って聞くんですよ。
それで僕、鹿児島はあいさつも観光資源だし、人がいいっていう部分はあると思うんです。
食べものが美味しくてお酒が美味しいっていうのは九州全部いっしょだと思うので、そこにつながる人とか、地域の香りとか、文化とか、そういうところを取り組んでいけばいいのかなと思うし、そういう部分で鹿児島が良くなっていく土台があるような気がします」
鹿児島の人たちのやさしさはよく言われますが、それが観光資源という発想はあまりないのではないでしょうか?

「サッカーの試合って90分はもうバチバチやるんだけど、終わったら自分たちもユナバルやっている居酒屋に行ったりするんだけど、そこで相手サポーターと仲良くなったりっていう部分があるので。
サッカーで地域が盛り上がるのはすごく感じところがありますし、ユニフォームを着た人が天文館とかにもっと増えれば良いなと思いますし、そういう時代になると思います。
スタジアムも整備されれば、その次のステージはそれをどう上手く活かすか、ですから。
鹿児島の素材は良いのか分かっているから、あとはどう調理するかですよ」
交通を取り巻く社会情勢の変化も言われていますが、「つなぐ、広がる。」の精神で向き合っていけば道は拓けると西園さんは確信されています。
そして鹿児島のアウェイ遠征を段取りするし現場にも足を運ぶ西園さんですが、その業務上、明かせない機密事項は多くあることでしょう。
それでも、西園さんとサッカーの間には濃密なエピソードや想いが詰まっていました。
2014年、誰もが手探りでプロサッカークラブの運営が始まった時に、アウェイ遠征の段取りという重要な仕事を西園さんが担ってくださったのは本当に幸運な運命だったのだと言いたくなります。
ひと通り話が終わりましたが、話の最初から最後まで、横浜フリューゲルスとヴォルカ鹿児島のユニフォームが机の上にありました。
いつか西園さんが退職される時、あるいはその後でも、この横に並ぶ3枚目にはどんなユニフォームを選ぶのでしょうか?

「いい質問ですね」と西園さんは微笑み、2014シーズン、最初のユニフォームをまず挙げ、さらにJ1に昇格するシーズンのユニフォーム、J1優勝するシーズンのユニフォームを候補に挙げました。
「背番号は11です。でも本当は優勝とかじゃなくて100年続いて欲しいです。クラブができたばかりの頃はバルセロナのシャツを着た子どもとかが多かったけど、今は公園とかでもユナイテッドのシャツを着ている子が多いですし、ああ良かったなって想いますね」
背番号11?
先崎勝也さん
新中剛史さん
五領淳樹選手
そして福田望久斗選手、、、
「ミサキくんです。僕はもう死ぬまで背番号11ですよ」
キャプテン翼の背番号11、岬太郎?!結局の原点回帰? いやめっちゃテクニックあって頭が良くていい選手ですけど、かわいい系で女子人気のほうがあったような、、、

「良くないですか?めっちゃいい選手だけど目立たないけどこう大事な時にいるっていうのがめざすところですね。やさしいし。大空翼でも三杉淳でも日向小次郎でもないんです」
黒子でありながら唯一無二な生き様、なんか納得です。
しかし、明日の試合前のスポンサーあいさつ、これまでのように役員クラスが対応することはなく、ついに西園さんにお鉢が回ってきました。
岬太郎な西園さんのごあいさつ、ハードルは低く、でも、めっちゃ楽しみにしてます!
「いや、手短にしますよ、想いを語ったら終わらないので笑」

会社概要
会社名/南国交通株式会社
住所/鹿児島県鹿児島市中央町18-1 南国センタービル4階
代表者/代表取締役社長 岩切 俊一
創業/1941年
従業員数/950名