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2026.08.21 お知らせ

【8月22日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2026/27 vol.02

鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム。
今回は8月22日に行われる2026/27明治安田J3リーグ第3節、鹿児島ユナイテッドFC vs FC岐阜のマッチデープログラムです。

タイヤ安売り王BEELINE SPECIAL MATCH 2026/27明治安田J3リーグ第3節

2026年8月8日(土) 2026/27明治安田J3リーグ第1節
vs ザスパ群馬 白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)

2026/27明治安田J3リーグ 第1節試合結果

2026年8月16日(日)2026/27明治安田J3リーグ第2節
vs 奈良クラブ ロートフィールド奈良(奈良県奈良市)

2026/27明治安田J3リーグ 第2節試合結果

8月19日(水)天皇杯JFA第106回全日本サッカー選手権大会 1回戦
vs レノファ山口FC 白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)

【第106回 天皇杯1回戦】vs レノファ山口FC 試合結果

コラム「鹿児島をもっとひとつに。」vol.71
今村優和さん(筑波大学)

ユニータに集まったたくさんのサポーターに向けたサインや写真撮影を終えてクラブハウスに入った武星弥選手は、「彼」の来訪を知ると再び外に出てきました。
握手をかわし、チームメイトだった頃からお互いに身体が大きくなっていることに感慨深さがあり、いっしょにサッカーをしていた頃の話、「あいつは◯◯大学に進学したよ」「あいつはサッカー続けてるのかな?」「あいつはプロに練習参加していた」と同期だった他の選手たちが今何しているんだろうという話で盛り上がっていました。
「なんか大きくなっていましたよね。上(身長)もだけど横の方に厚みが増していて」
後日、オンラインで話をした茨城県在住の「彼」、今村優和さんは振り返りました。
今村さんは現在、筑波大学4年生。
遡れば鹿児島中央高校出身。
もうひとつ遡ると鹿児島ユナイテッドFC U-15の出身で、同期には武選手がいました。
今回は卒論の取材のために帰郷し喜入を訪れていた今村さんに、サッカーへの想い、鹿児島への想い、鹿児島ユナイテッドFCへの想い、そして同期への想いなどをうかがいました。

好きだからはじめたサッカー

今村さんは鹿児島県の生まれ。
県内の転勤が多かったご両親の仕事の関係で奄美大島、さらに大隅半島などを経て最終的な育ちは鹿児島市内。
小学校に入ると友だちに誘われてサッカーを始めるようになります。
と言っても、意外と少なくないタイプですが、チームに所属するのではなくクラブチームが運営するスクール通いが中心でした。
「6年生の時に誘われてサッカー少年団に入ったんですけど、そこで6年生がそろっていて結構強くて、それで自分もひょっとしたらプロになれるんじゃないかって」
無邪気に夢を追いかけ、6年生の仲間たちはクラブチームを進路に選んでいきます。

鹿児島市のU-13大会の表彰式にて。前列右端が今村さん

今村さんが選んだのも、クラブチーム。
2016年、鹿児島ではじめてJリーグを舞台にしたシーズンを闘っている鹿児島ユナイテッドFCの中学生チーム「U-15」でした。
「なんか、みんなと違う場所を受けたいなっていうのがひとつあって。
それで誰も受けてなかったから、ユナイテッドを受けたいなっていう。
あとは漠然とプロに行くなら、その下部組織がいいとは聞いていたので、そこを受けてみたいなっていうのとふたつですね」

今村さんの口調はおだやかで、考えを整理しながら丁寧に話をしてくれています。
こうして2017年4月から、今村さんは鹿児島ユナイテッドFC U-15の選手となりました。
当時は元選手の栗山裕貴監督(現FCトリンブル)と、柳崎祥兵コーチ(現鹿児島ユナイテッドFCアカデミーコーチ)の体制。
レベルの高い選手がそろっていて、今村さんはなかなか出場機会を得ることができません。
「一番感じたのは、それこそ自分が勝手にうまいと思って入ってきたので、最初とか(同学年の)13人とかの中でも出れてなくて、なんか、下手なんだなっていうふうに気づかされたのが一番の印象ですね」

背番号14が1年生の時の今村さん

怪我の影響もあったと本人は振り返りますし、まわりのレベルの高さもあったかもしれませんが、傍目には当時150cmに満たなかったかもしれないくらい小柄だったことも無視できない理由だったように映ります。
特に小学生年代8人制のコートやゴールから、プロと同じ仕様のコートやゴールになるし、成長期がいつ訪れるかで体格に差が出るし、その体格差がプレーにも影響しがちな年代です。
ただ…今村さんと同じように150cmあるかないかくらいの身長だったにも関わらず、同学年の中で完全にエースストライカーとしての地位を確立し、さらに上級生の試合にも絡む選手もいました。
それが武星弥。
「他にも色々上手い選手がいたけれど、あいつが一番うまかったですね」

当時も背番号10を着けることが多かった武星弥選手

2年生になり、怪我も癒えて、少しずつ身体も大きくなります。
様々な縁があってU-15のメンバーで中国に遠征する機会を得て、その集中した期間でチーム内での存在感を高めていきます。
U-15に入る時はFWとして入ってきた今村さんは、武星弥たちがいることでポジションをサイドバックに変えて徐々に出場機会を得るようになっていきました。
「ポジションへのこだわりはそんなになくて、試合に出られるなら、どこのポジションでも良かったので」
3年生になると完全にサイドバックに定着して、チームも九州大会やインターシティカップなどの大きな舞台を経験するようになっていきます。

中国遠征での交流試合前に。前列右から2番目が今村さん

そして進路を決めるタイミング。
多くがそのままU-18を希望して昇格して、なかには強豪高校に進む同級生もいます。
今村さんもU-18への昇格を考えていましたが、もうひとつ違うことも考えていました。
「増成さん(現セレッソ大阪アカデミー)って筑波大学出身のトレーナーがいらっしゃって、とても親切にして下さった影響があって、筑波大学からプロを目指すのも良いなってチームメイト何人かと話していたんです」
奇しくも当時のトップチームには鹿児島中央高校から筑波大学を経て清水エスパルスでプロになった八反田康平選手(現ジェイリースFC)がいて、同じく東京都立国分寺高校から筑波大学を経てFC岐阜でプロになった田中秀人さん(現ジュビロ磐田)がいました。

この段階で今村さんはプロサッカー選手という道を断つのではなく、進学校に通いながらU-18でプレーすることも考えていました。
「それで進路を決める面談をした時に、そうやって迷った状態で闘えるほど甘い世界じゃない、U-18でも厳しいかもしれないと言われて。
それで勉強をがんばろうと決めて、鹿児島中央高校を選びました」
同じように進学校に通いながらU-18に所属する先例はないわけではありませんが、やはり練習を始めとしたチームの活動に充分に参加できず、両立をやりきるのが難しかったのは否めません。
こうして武選手たちはU-18でのプレーを選び、今村さんはU-15を卒団して、ユナイテッドを離れることになりました。
ここまでちょっとはしょり気味でしたが、改めて今、鹿児島ユナイテッドFC U-15の日々をどう振り返るのかたずねると、今村さんは少し考え込みました。

そこで質問を「もう一度、小学6年生に戻るとして、また鹿児島ユナイテッドFCを選ぶか?」に変えてみました。
「難しいですね。もう1回ユナイテッドかなと思うんですけど、でも部活を選ばなかったデメリットもあって、同じ中学の部活のやつとは結構ちょっと疎遠になるっていうか、温度感は合わなくなってきて、そこだけ唯一、部活に行っていたら楽しくはできたのかなっていうところはあります。
でもそれぐらいかもですね。
それこそ多分他のクラブとか部活とかではできない経験も色々させてもらったと思います。
中国への遠征とかもですし、それこそホームゲームでも毎回手伝わせてもらったり、それは他のクラブではできないことです」

Jリーグのホームゲームでは多くの中学生、高校生年代のチームがボールパーソンや担架要員、さらに試合前に灰の積もった椅子を拭いたりしてくれていますが、U-18やU-15の選手たちにお願いする機会は多くなります。
それは大人からすると「やらされている」じゃないのかなと思いますが、少なくとも大学4年生の今村さんは「その感覚はあまりなかったし、いい経験ができた」と言い切りました。
当時トップチームではJ3得点王に2年連続で輝いた藤本憲明選手(現福山シティFC)がいて、U-15の選手たちにとっては特別なスターでしたし、FC岐阜戦の劇的なゴールで鹿児島サポーターの心に存在を刻むルカオ選手(現ファジアーノ岡山)は今も気になる選手で、ボールパーソンや担架スタッフとして、そういった選手たちを観客席から観るよりもっと身近に感じる機会でもありました。

サッカーという面では、今はユニータという専用の練習場がありますが、当時は鹿児島県立サッカー・ラグビー場、郡山の運動公園、天保山の公園、喜入総合運動場などあちこちのグラウンドを転々とする生活でしたが、そういった事もふくめて、今村さんには財産になっています。
…もちろんユニータを訪れると「いいなあ」の本音は漏れますが笑

鹿児島中央高校

U-18ではなく鹿児島中央高校サッカー部を選んだ今村さんですが、プロサッカー選手の道を断ったつもりはありませんでした。
前述の八反田選手にはU-17日本代表という経歴がありますが、それ以外にも渡米してインドアサッカーという種目でプロになった先輩もいますし、八反田選手以外にもJリーグまでたどり着いた先輩はいますし、満留芳顕というもう1人鹿児島ユナイテッドFCで選手を経験した先輩もいます。

入学早々コロナ禍でサッカーも学業も支障をきたすような時期もありましたが、今村さんは鹿児島中央高校でサッカーも学業もしっかりと継続します。
鹿児島中央高校サッカー部は伝統的に、鹿児島県の公立高校のなかでも強い高校でもあります。
それでも2年生になったあたりからサッカーを続けることへの迷いはありました。
「小中学校とかはやっぱり、プロっていう夢を目指してやっていくなかで、高校とかでは自分の能力とかも分かってきて、“なんで続けてんだろう”って想いとして出てくる部分があるので、そこで、やめたいなと思うタイミングもありました」
サッカー選手としての可能性の天井が見えてきて、プロにはなれないだろうなという実感が染み渡ります。
「でも、そうですね、なんか続けたというより、やめられなかったっていう感じが大きくて。
自分は本当に小さい時からサッカーしかしてこなかったからこそ、なんかサッカーしか残ってないなっていう感覚はありました。
その自分のアイデンティティーのひとつであるサッカーは続けたいなっていう想いはありました」
プロサッカー選手になれるとかなれないとかの次元を超えて、今村さんにとってサッカーは欠かせないものでした。

写真:今村さん提供

だからこそこちらの初志は貫徹する形で、筑波大学を志望します。
「増成さんみたいなトレーナーになるか、それ以外に別の形なのか分からないけれど、サッカーの仕事をしたい想いがありました」
高校では試合会場で顔を合わせたかな、くらいの感覚になっていた鹿児島ユナイテッドFC U-18から武選手はトップチーム昇格を果たし、J3優勝とJ2昇格を目指す2023シーズンの3月にはリーグ戦デビューを果たしたころ、今村さんは1500メートル走とサッカーで筑波大学を受験し、合格し、はじめて鹿児島県を離れ茨城県へ移り住みました。

筑波大学で世の中の広さを知る

筑波大学サッカー部は約200名の部員がいて、特徴的なひとつは監督が細かく指導するのではなく、指導者を志す学生がコーチを務めるし、ピッチを離れた部自体も主務と副務を中心にしたチームが部全体を牽引する形で自治的に運営しています。
今村さんのひとつ上には鹿児島中央高校時代からの先輩がいて、副務を経て主務になり、大学サッカーでは先進的に入場料を設定したりホームゲームの賑わいをどう育むかと試行錯誤していて、もちろん200名もの部員の心をまとめ上げるという難題にも直面しながらピッチ外から昨年の大学日本一を支えていました。

プロサッカー選手養成の場だけではない筑波大学サッカー部。
「小井土監督は本当に散歩ついでみたいな雰囲気で来る感じなんですよ」
今村さんが1年生の時にはトップチームから6軍まであるうちの6軍でしたが、そこではトップチームでアナリストを兼任しながらコーチを務める大学院生の先輩がいました。
それが2025シーズンから鹿児島ユナイテッドFCに加入した𠮷川僚佑アナリストです。
「𠮷川さんはあの雰囲気のまま、穏やかなコーチでした。厳しいというよりはやさしいお兄ちゃんっていう感じで接してくれていました。
それから、やっぱりアナリストが本業だから、戦術的な指示が多かったのは覚えています」
人の縁の意外さを感じさせられます。

もともとサッカー関係の仕事に就きたいという想いで筑波大学を選んだ今村さんですが、学生生活を送るうちに「サッカーの外には広い世界が広がっている」ことを痛感するようになっていきます。
大学を卒業してそのままサッカー業界に身を投じるのではなく、もっと違う世界を見ていって、その上で自分を究めたほうが良いのではないかと考えるようになりました。
サッカー部としては6軍、5軍、4軍、3軍とプレーを続けながら、最終的に卒業後は「なるべくサッカーから離れたところを選ぼう」と首都圏のコンサル会社に就職することにしました。
そして「スポーツ×文化人類学」を学んでいる今村さんは、学生生活の集大成とも言うべき卒論のテーマに「ゆなべーす喜入」をはじめとした喜入地域を選びました。
自分がかつて在籍したクラブが、喜入という自分には馴染みの薄かった地域で、スポンサー企業や地域の方々と何をしようとしているのか。
前述の先輩や𠮷川さんのつてをたどり、みずからゆなべーす喜入を日々運営する株式会社エヌ・ケイ・カスタマイズに連絡をとって取材の段取りをして、さらに喜入支所の職員や地域住民の声を集めて、ゆなべーす喜入を利用するサポーターにもインタビューを行いました。

ゆなべーす喜入にて。今村さん撮影

それがお盆を前にした時期のことです。
「今回、喜入支所の方やエヌ・ケイ・カスタマイズの方や地域の方に話をうかがって、クラブに対しても地域に対しても熱い想いを持ってらっしゃる方々が本当に多くて、思っている以上に色々なことに取り組んでらっしゃっていて、そこは一番素直に驚きました」
これまで今村さんにとって喜入とは鹿児島市街地から指宿市への通り道でしかなく、残念なことですが、その感覚は多くの方に共通するところでしょう。
「サポーターの方々が仰っていたことも色々だったんですけど、ひとつはやっぱりなかなか行く機会がなかった地域だったのが、クラブが喜入地域に関わったりしていることで行くきっかけになったって仰っていて、自分もうれしかったです」
今村さん自身もユナイテッドがなければ喜入を卒論に選ばなかったんじゃないですか?とたずねると「そうですね」と微笑みました。

4年生になり、多忙な生活を送りながら、いよいよ競技としてのサッカーにひと区切りがつこうとしている今「本当に哀しいし寂しい」という想いは否めませんが、だからこそ選手としても最後までやり尽くす決意です。
将来的なことはまだまだ暗中模索ですが、それでも今村さんはひとつひとつ眼の前のことに着実に立ち向かって道を切り開くはずです。

これからのユナイテッドと。

筑波大学といえば三笘薫選手を筆頭にたくさんのプロを輩出している強豪です。
そこでプロになれるか、なれないか、人の縁やチームの縁、チャンスを掴めるか掴めないか、色々な要素があって分岐していくのでしょうが、今村さんはどのようにとらえているのでしょうか?
「なんかその努力の基準が違うっていうか。
本人からしたら、“俺めっちゃこれがんばっている”って思っていることでも、“それくらいの努力は当たり前でしょ”みたいな感覚の人もいて。
楽しくて好きでそういう努力をできている人がなんか上にいる感じはしますね。
努力の基準が全部違うっていうのはめっちゃ思います」

すごく能力が高いのに2軍3軍でくすぶる選手がいれば、入学時に5軍6軍スタートなのに最終的に1軍まで登りつめる選手もいる。
そこに努力という補助線を引いた今村さんの回答は、他の人の口からも出てくるかもしれませんが、ひとつ異なる重みがありました。
ところで今でも今村さんはDAZNで鹿児島ユナイテッドFCの試合を追いかけているといいます。
ザスパ群馬戦も奈良クラブ戦も見届けています。
「自分が見ていたU-15の時代のトップチームとよく比べて考えるんですけど、なんかその時に比べてもやっぱりハードワークして、前からどんどんプレスかけてみたいなところは確かにすごいなっていうのは改めて感じましたね。
あとは、やっぱりなんだけれど、ずっと縦に速いサッカーというか、前に前にみたいなところはなんかやっぱりユナイテッドの良さだし、観ていて面白いなってところは改めて感じました」
それでは武星弥選手以外に気になる選手はいるのかを尋ねると申し訳なさそうに苦笑いしました。

「藤本(憲明)選手はやっぱり自分たちの中でヒーローでしたし、あの頃観ていた選手はほぼ全員覚えていますし、やっぱり追いかけているんですよね」
思春期に焼き付いた印象はやっぱり強いです。
それでは元チームメイトの武選手に久しぶりに会ってどんなことを感じたのか、プロサッカー選手になっていた先輩たちを多く見てきた今村さんに改めて聞かせてもらいました。
「自分もそんなにプロの世界の練習とかも見れてないんで、分からないですけど。
ひとつ感じるのは、大学で4年間やっているのと、プロの世界で4年間やっているのとでは、やっぱり仕事としてプロの世界としてやってる分、そこはひとつ本気度というのかリアルな生々しさが違うのかなということは感じました」

武選手はこの3年間だけでも藤本憲明、有田光希、米澤令衣、河辺駿太郎、五領淳樹、鈴木翔大といった実績ある年長の選手たちと競いながら出場機会をつかんできました。
言い訳なんて聴いてもらえないし、年少者だからと許されることもない、そんな日々がもたらす引き締まった雰囲気もまた印象深いものだったようです。
一方でリーグ戦の2試合ではまだピッチに立てていませんし、ひとつ後輩の小島凛士郎選手は出場機会を求めて今シーズンはJFLのヴィアティン三重への育成型期限付き移籍を選んでいます。

「鹿児島ユナイテッドFCにはやはりJ2J1と目指して欲しい」という想いと「鹿児島出身の選手が活躍して欲しい」という、相反することなく融合することは可能なふたつの想いが今村さんにもあります。
ただ筑波大学も毎年多くのプロを輩出していますが、出場機会を得られない先輩たちも少なからずいる現状も観ているだけに、それだけプロの世界が綺麗事だけではない峻厳なものであることを痛感しています。
それでも今村さんにとって「一番応援しているし、今もたくさん元気をもらっている」存在です。
「中学1年生の頃から小さいけれどあいつは自分がチームで一番うまいって自信に満ちあふれていて、どんなポジションでもゴールを貪欲に狙い続けていたんです。
誰よりも勝負にこだわる姿勢があったし、その良い意味で変わらないところに加えて、今も“自分がチームを勝たせる”って雰囲気があるんです」

元チームメイトとして、同じ鹿児島出身者として、託す想いは大きなものがあります。
高校卒業とともに鹿児島を離れた今村さんですが、筑波大学のある茨城県に来ても「鹿児島出身者」ということで同郷の方々に良くしてもらって鹿児島愛を実感する機会が少なからずあり、この歳にして「県外在住鹿児島出身者あるある」に染まっています。
首都圏で働くようになってからも、今村さんにとって「鹿児島」は欠かすことのできないアイデンティティでありつづけるでしょうし、その「鹿児島」を構成する核のひとつとして「鹿児島ユナイテッドFC」も脈打ち続けてくれることでしょう。
思えばこの年代のU-15のなかでは出場機会を得るのに時間がかかった、そんな今村さんが大学4年生になり、鹿児島ユナイテッドFCで過ごした日々を糧に着実に前進している姿は頼もしい限りでした。

今、武星弥、小島凛士郎に加えてモンテディオ山形の野嶽寛也、ヴァンラーレ八戸の吉村耕一と4人のアカデミー出身者がプロサッカー選手としてプレーしていますが、それだけでなく10年を超える歴史のなかで何百人ものアカデミー生スクール生が鹿児島ユナイテッドFCのエンブレムを胸にサッカーをプレーしてきました。
そんな若きOBたちに今、そしてこれからの鹿児島ユナイテッドFCは、クラブを取り巻く大人たちはどんな景色を見せられるのか。
願わくはこれから積み重ねる日々を通じて「このエンブレムを胸にサッカーをしていた」ことをずっと誇りに思ってもらえるような存在であり続けられるように。

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