DAZNに入会+ユナイテッドFCの試合を視聴してクラブを応援しよう!

お知らせ

  1. ホーム
  2. お知らせ
  3. 【9月20日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2025 vol.15
2025.09.19 お知らせ

【9月20日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2025 vol.15

鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は9月20日に行われる2025明治安田J3リーグ第28節、鹿児島ユナイテッドFC vs テゲバジャーロ宮崎のマッチデープログラムです。

GMOペパボSPECIAL MATCH 2025明治安田J3リーグ第28節

2025明治安田J3リーグ第26節
vs 高知ユナイテッドSC 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)

2025明治安田J3リーグ第26節 試合結果・監督選手コメント

2025明治安田J3リーグ第27節
vs 奈良クラブ 会場:ロートフィールド奈良(奈良県奈良市)

2025明治安田J3リーグ第27節 試合結果・監督選手コメント

コラム「鹿児島をもっとひとつに。vol.52(Total vol.64)」
佐藤健太郎さん(GMOペパボ株式会社 代表取締役社長)

Zoom画面越しの佐藤健太郎さんに画面共有で1枚の写真をお見せしました。
2012シーズンの九州リーグ最終節。
赤尾公率いるヴォルカ鹿児島と田上裕率いるFC KAGOSHIMAの2つの鹿児島がどちらが優勝するかを決める。
その直接対決と同じ会場では、このシーズン「第3の鹿児島」として九州リーグに参加していたLiberty.FCが最終節を闘っていました。
その選手たちの背中をどんどんズームしていくと背中上にはGMOペパボの旧社名である「paperboy&co.」のロゴ。
今は東証スタンダードに上場しているGMOペパボ、2019シーズンから鹿児島ユナイテッドFCの鎖骨にロゴを掲出するGMOペパボは、実はこんな時代からサッカー界との縁がある企業でもあります。
それにしてもなぜ東京で上場もしている企業が、当時「鹿児島からJリーグ」を掲げる2つの鹿児島ではなく「第3の鹿児島」のスポンサーをしていたのだろうと思っていましたが、、、そこが「サッカー少年」佐藤さんの原点でした。

鹿児島時代の佐藤さん

鹿児島市の吉野に生まれ育った佐藤さんは、サッカー少年でした。
もう少し上の世代になると「キャプテン翼」きっかけが多いですが、1993年を小学6年生で迎えた佐藤さんはプロサッカーリーグ、Jリーグが始まったことの影響は大きいものでした。
「小学校5年生くらいの時にサッカーをしたいなって気持ちが友だちと芽生えて、でもサッカー少年団がなくて、父親が若い頃からずっとサッカーをやっていたから少年団を作ってもらったんですね。
それで中学校までやってやめたんですけど、父親はそこからLiberty.FCというチームを引き受けて自分で代表をやって監督をやって、それから下部組織まで作っていたんです」

GMOペパボの旧社名である「paperboy&co.」のロゴが背中に入った2012シーズンのLiberty.FC

Libery.FCは今も鹿児島県社会人サッカーリーグ1部に在籍していて、優勝争いの常連にいるチームで「だから鹿児島のサッカー関係者では僕より父のことを知っている人のほうが多いですよ」と笑います。
GMOペパボの前身「paperboy&co.」がスポンサーをした2012シーズンごろはまさに九州リーグに昇格をしていた時期でもありました。
Liberty.FCを離れたあともお父さんは地元の少年団で指導を続けていて、佐藤さんの親戚もまた所属しています。
そんなわけで2019シーズンの鹿児島J2元年にGMOペパボが鹿児島ユナイテッドFCのユニフォームスポンサーになったことで存在を知ったサポーターは多いでしょうが、佐藤さんとサッカーは濃い付き合いがありました。
そして鹿児島工業高校へ進学したタイミングで水泳部へ。
いきなり水泳部?
「ちょっと泳げたっていうのはあったんで」と言いつつもかなり特殊な事情がありました。
「水泳部の顧問の先生がCADっていうコンピューターで図面を作ることを教えている先生で、その先生のところに行けばパソコンを触らせてもらえるかもしれないっていう、また良くわかんない発想で笑」
学校では生徒1人1人にポケットコンピューター、通称「ポケコン」が配られます。

「計算機みたいな、サイン・コサイン・タンジェントみたいなのを計算できる小さなコンピューターみたいなのが配られるんですけど、少しだけプログラミングできる機能があってそれで小さいゲームを作ったりとか、図書館に本があったのでそれを読みながら実際にやってみるとかして。ポケコンってシャーペンの芯を指すとデータを飛ばせるようになっていたんです。それで友だちのポケコンとつないでデータを移すみたいなことをその頃やっていました」
シャーペンの芯が炭素でできていることで、データ転送に使えることは知る人ぞ知る情報だったようですが…。
もともと実家が建設業をしている関係で土木科に進学していた佐藤さんですが、今の仕事にいたる原点が見えます。

福岡で過ごした20代

高校を卒業後は福岡の大学に進学したのが27年前、1999年のこと。
この頃の佐藤健太郎は鹿児島をどのようにとらえていたのか、そしてどのようなことを考えて福岡へ進学したのでしょうか?
「うーん、なんかやっぱり自分が思春期だったのもあるんでしょうけど、なんかつまんないなみたいな感覚はやっぱりあって。もっとおもしろいことないかなって。
それで“ドォーモ”とか見てるとやっぱり楽しそうだな、福岡は楽しそうだなみたいなのがあったので、福岡に行きたいなっていうのはあったんですよね。住んでみて、やっぱ都会だなって思いましたね。多分できたばっかりの天神の西鉄ビルとか。ビルの中に電車が走って入っていくみたいなのがすごくて」
一定年齢以上の方には説明するまでもない九州が誇る人気深夜番組ですが、佐藤さんもその影響をどっぷりと受けていました。

「もともと実家も建設業を営んでいたので将来的に会社をやりたいというのがあったし、経営の勉強もしたいっていうのがあって工学部の中でも経営工学科という経営寄りだったんです」
2000年頃というのが今では「インターネット老人会」と自虐的な表現がされるインターネット黎明期であり、新しいこと楽しいことに感度の高い佐藤さんがハマっていくのは必然のことだと言えます。
「自分でホームページを作っていたんですけど、みんな同じように自分のホームページを作っているので、他の人のホームページを見に行って掲示板に書き込みをしたりとか、自分のサイトにも見に来てもらったりとかみたいな。承認欲求みたいなところもありますし、作ることの喜びみたいなところもあったかなって思いますね」
今同じようなことをしようと思うとスマホだけでXやInstagramのアカウントを取得して世界中の人たちと交流できますし、noteを使えばある程度凝ったコンテンツを作ることができますし、YouTubeやTikTokで動画を世界中に発信することもできる時代です。
対してこの頃は、ホームページを手軽に作るサービスもブログもまだない時代でした。
「自分は個人で法人向けサービスのサーバーを借りて、初期設置費用で1万円、月額5,000円みたいな感じのサーバーでホームページを作って。
コンビニの新商品レビューみたいなのを書いたりとか、ネットで知り合った人たちにコラム書いてもらったりとか、なんかウェブマガジン的なものをやっていましたね」
今の鹿児島で言えばカゴシマニアックスが近いような印象を受けます。
「ああいう方向に近かったかもしれません。(糸井重里さんの)“ほぼ日”みたいな感じですよね」
今もスポンサードしているアビスパ福岡の試合とかを観に行ったりはしなかったのでしょうか?
「なかったですね。当時付き合っていた子が佐賀に住んでいたのでサガン鳥栖は何度か観に行きましたね」

今では鹿児島と同じくアビスパ福岡のスポンサーでもあるGMOペパボ

福岡での大学生活を満喫している佐藤さん。
「普通」であれば4年生が近づくにつれて就職活動が迫り、どんな職種、どんな企業を選ぶのか、福岡に住み続けるのか、鹿児島に帰るのか、また別の街に引っ越すのか、といった話が出てくるものです。
しかし佐藤さんの流れはここから「普通」ではない方向に進んでいくことになります。

企業を起業

クラウドファンディングの「CAMPFIRE」を立ち上げたことで知られる家入一真さんという実業家がいらっしゃいます。
「福岡で自分と同じようにホームページを作っている人がいて、それで時期もタイプも似ていて、インターネットで知り合ったんですけど、その家入さんが近くに住んでいるってことが分かったので、それじゃあ、みたいな感じで会って、それで仲良くなって。
さっき言っていたようなコラムを書いてもらったり、いっしょに遊んだりってしていて」

家入さんはやがてサーバーのサービスをはじめることになり、やがて佐藤さんに声がかかることになります。
「それで自分が4年生になった頃に法人を作るからいっしょにやろうよ、セグウェイを買ってあげるからいっしょにやろうよって言われて、ああいいねって。
結局セグウェイは買ってもらえなかったんですけど笑
もともとロリポップ!でレンタルサーバーは家入さんが個人事業主としてスタートしていて、それから有限会社paperboy&co.という会社を作るっていうタイミングで入社したのがきっかけです」

経営工学を勉強されていたという意味では起業への参画には必然性は見いだせます。
「本当はその時、本屋さんをやりたいなと思っていたんですけど。当時チェーン店の書店でバイトしてて、なんかこれよりおしゃれな本屋さん作ったらおもしろそうだなって」
ちょっと方向性はちがいましたがpaperboy&co.は着実に企業として成長していき、今のGMOインターネットグループのグループ会社になり、本社を東京都渋谷区に移し、2008年には東京証券取引所のなかでも中小規模の企業を中心に扱うJASDAQに上場を果たします。
そして2009年に別の道を模索していた家入さんは経営を離れ、29歳の佐藤さんが上場企業の代表取締役社長に就任。
「日々社内でやっていることは変わらなかったかもしれませんが、社外向けの部分はちょっと変わったかなと思います。社外からは見え方が変わりますし、表に出ないといけないところは増えましたし。
もともとペパボ自体が友だち同士ではじまったっていうところもあるので、その延長線上のコミュニケーションは続いているのかなと、距離感自体はすごく近い会社だと思いますし。
自分が社長になったことでそのカルチャーを明文化して、今でも「わたしたちが大切にしている3つのこと」として掲げているものがあります。
“みんなと仲良くすること”
“ファンを増やすこと”
“アウトプットすること”
だからその仲良くしていこうというのはどの立場でも気にしているところですね」

仲良くすることをわざわざ明文化するというのも珍しい気がします。
「これは自分の反省点もひとつあって、社長になる前くらいから会社の中でのポジションはあるけれど年齢的には20代前半とかそのくらいだったので、やっぱり尖っていたというか、なめられないようなコミュニケーションをしちゃったりとか、素直に仲良くできないみたいなところもあったんです。
また会社に対しての向き合い方も定まらず、別に自分がここで続けていこうという気持ちがあったわけではなくて、多分いずれ抜けていくだろうなみたいな前提で物事を考えていて。
一方でみんなと色々イベントをやって楽しかったみたいな想いもありました。
そこで仲良く仕事をすることによって、今いる人たちとも友だち以上の付き合いにもなってきて、組織自体が自分の中で、自分のもの、自分が所属するものになってきて、意識が変わってきたんです。
自分自身だけでなく、そういう風に向き合っている人のほうが活躍したりパフォーマンスが高いなと実感していたので、仲良くしていくことは重要な考え方だろうなと明文化しました」

GMOペパボは毎年、職種や部署を横断したチームを組んで「人類のアウトプットを増やす」ために成果物を作るために2日間の合宿を行う「お産合宿」があります。
そこで佐藤さんみずからが出演してレポートと言うか、、、その様子をお届けしているのですがまわりのざわざわ具合とか風景を見ていると、社内の雰囲気の良さが感じ取れます。
ちなみに11分ごろから佐藤社長が鹿児島ユナイテッドFCのことをしゃべっているので、よろしければご覧下さい笑

「100円を出せ」という強盗風の放送ギリギリな表現から最高の形で落とす佐藤社長。そのオチの部分は動画でぜひ見ていただきたいです。
https://www.youtube.com/live/K2YBVmZw36E?si=QXQ1KbslIpWSkuMl&t=630

ついに鹿児島ユナイテッドFCと

上場企業の代表取締役社長として試行錯誤しながら組織と事業を成長させている佐藤さんと、故郷鹿児島のサッカーが最初に近づいたのは2012シーズンのこと。
それまでも「鹿児島からJリーグ入り」をめざして鹿児島教員団を母体にしたヴォルカ鹿児島が活動していた中で、2010シーズンに同じ「鹿児島からJリーグ入り」を掲げて発足したFC KAGOSHIMAの営業がつてのつてのつてをたどる形で佐藤さんのところをたずねてきたのです。

とはいえ冒頭にご紹介した通り、佐藤さんはお父さんがたずさわるLiberty.FCが九州リーグに参戦していることから、ユニフォームスポンサーを務めていました。
この時は縁がありませんでしたが、それから時は過ぎて、社名は「GMOペパボ株式会社」に変わり、ハンドメイドなどを販売支援する「minne」や在庫リスクを持たずにオリジナルグッズを製作販売できる「SUZURI」など革新的なサービスを世に送り出し、鹿児島オフィスを設けることとなり、鹿児島市とも協定を結び、そして2018シーズンに鹿児島ユナイテッドFCがJ2への昇格を果たし、条件がそろってきました笑
「徳重さんとうちのCFO五十島さんがもともと(監査法人)トーマツ時代の同僚っていうのもあって、営業の東さんからの声かけだけだったら無視していたかもしれないですけど笑、その五十島さん経由で徳重さんからのアプローチもあったので、それも大きかったです」
こうして初のJ2に挑む鹿児島ユナイテッドFCの左鎖骨に「GMOペパボ」のロゴが入りました。

しかしチームは7試合無得点、5連敗など苦しい時期が続き、22チーム中20位とぎりぎりの残留圏で最終節を迎えます。
その最終節は、佐藤さんが長年過ごした福岡のレベルファイブスタジアム(現在はベスト電器スタジアム)で、アビスパ福岡との対戦。
鹿児島から1,000名を超えるサポーターが足を運び、ゴール裏で大声援を送っている、、、その横側に佐藤さんは腰かけて鹿児島を応援していました。
その佐藤さんの視線の先で鹿児島は1-2で敗れ、21位の栃木SCが勝利したことで1シーズンでのJ3降格が決定し、1,000名ものサポーターが選手とともに悲嘆に暮れる姿がありました。
「やっぱり普通に悲しいんだなって。
自分はホームよりもアウェイを観に行くことが多くて、大宮に0-6とか横浜FCにも1-5で大負けするところとかを見ていて、これはなかなかうまくいかないんだなと感じていましたし、やっぱりアビスパとも色々なところで差があるっていうところは感じました。
あとは悲しそうにしている他のサポーターを見ながら、自分もサポーターの気持ちになったのはあの時でしたね」

福岡に敗れた夜に佐藤さんの鹿児島愛とユナイテッド愛が詰まったポストの連投
https://x.com/kentarow/status/1198563276734337025

鹿児島を応援するものとして悲しい気持ちを抱きつつも、佐藤さんはあくまで上場企業であるGMOペパボ株式会社の代表取締役社長です。
J3に降格した結果をもって、経営者としてスポンサーを撤退するという選択肢はなかったのかをたずねると「そこはそんなになかったかなと思いますね」と否定されました。
「1回でおしまいになるようなものではないだろうって思いましたし、こんなにあっけなく降格してしまうもんだなっていうところからすると、やっぱりちゃんと次昇格するところも支えてあげないといけないっていうのはありました。
あとは我々は会社として鹿児島に拠点を作ったタイミングであり、鹿児島のカルチャーを支援したいという取り組みでもあったので1年で終わりっていう感じはならなかったですね」

再びJ3に舞台を戻した2020シーズンはコロナ禍で世界的な混乱に見舞われます。
「我々の業界にとっては外出を控えることの巣ごもり消費でインターネットをする人が増えてECサイトでの買いものはもちろん売る側の人も増えましたし、サーバーを借りてブログをやりますという人も結構増えたりして、IT企業のペパボとしてはポジティブな環境ではありました」
もちろん、あくまで飲食などほかの業界に比べれば、という部分はあるかもしれませんが、佐藤さんは前向きに振り返りました。
一方で「1年で立ち上がってJ2に復帰する」と、半年遅れで開幕したJ3に挑む鹿児島ユナイテッドFCは思うように勝ち点を積み上げることができません。
首位のブラウブリッツ秋田は一度も敗れることがないままJ3優勝とJ2昇格を決め、もう一枠の2位争いでも鹿児島は追いつけそうで追いつけない状況が続きます。
12月5日の福島ユナイテッドFC戦が、GMOペパボにとって二度目のスペシャルマッチ。

試合前のあいさつで佐藤社長は「来シーズンも契約を継続します!」と宣言します。
声援はおろか鳴りものを使っての応援すら許されず、日常の場面でもサッカーの場面でも、色々な意味で未来が見通せない不安、息苦しさ、閉塞感に包まれていた鹿児島ユナイテッドFCに、希望が灯ったような瞬間でした。
点の取り合いになった一戦を3-2の勝利でものにすると、1-4からひっくり返した「伝説の」ガンバ大阪U-23戦、チャンピオンの秋田に3-0と快勝した最終節など、鹿児島は5連勝でシーズンの最後を走り抜けました。
「やっぱり続けていくことの重要性もありますし、チームを盛り上げること、そしてチームだけじゃなくてサポーターも盛り上げていかないといけないと思っているので、そのためにどういうことができるか考えたのはありました」
それでも2021シーズン、2022シーズンと昇格を逃す時期が続きます。
その日々を佐藤さんはどのように見ていたのでしょうか?
一喜一憂していたのか、俯瞰するように冷静に見れていたのか。
「ちょっと冷静に見えるようになってきたかなと思います。
2019年にJ2昇格してもこれは多分どうにもならないだろうなっていうのを見てしまっているので、やはりある程度チームが強くなることもですけど、成績以外の部分を含めて強くならないといけないっていうところが見えたので、そこで焦っても難しいだろうなと感じていました。
徳重さんからも今どういうスタンスでどういう事を考えて経営しているっていう話は聞いていたので、そんなに焦りはなかったですね」

佐藤さんはクラブ内外の総合的なレベルアップが欠かせないという風に見ていました。
「もちろんスポンサーの数も増えていかないといけないでしょうし、選手編成もある程度昇格したあとを意識して育成していかないといけないでしょうし、それは1年2年で変わることではないでしょうから。
ちゃんと時間が来るまでやっていくというクラブのスタンスは感じられたので、待とうかなという感じではありましたね」

チームの勝ち負けに左右されるところは当然あるとしても、そこに依拠しないスポンサーとの結びつきや、スタジアムへの来場者を増やすこと、物販の拡大や話題作りなど総合的なクラブの底上げがないと鹿児島はうまくいかないと佐藤さんは見ていました。
そうして迎えた2023シーズンは、夏場に監督が交代するなど激動の時期を乗り越え、引き分け以上でほぼ確実に昇格が決まる状況で最終節のアウェイ、ガイナーレ鳥取戦を迎えます。
東京から遠く離れた鳥取の地に、、、佐藤さんはいました。
「もういてもたってもいられなくて」
1人で鳥取にいた佐藤さんが購入されていたのはゴール裏とバックスタンドの二枚。
当日、ゴール裏の熱気を感じた佐藤さんはサポーターに託し、バックスタンドの上段から運命の一戦に視線を送りました。
後半早い時間帯にPKで先制されますが、佐藤さんは従容と選手たちのプレーを追い続けます。
そして終盤に追いつき、そのまま1-1の引き分けで二度目のJ2昇格の時を迎えました。

「もう良かったなっていう安堵した感じでしたね」
ゴール裏では選手たちがサポーターの前で記念撮影を撮っていて、そこでは胸スポンサーの長島研醸の長山社長や、鹿児島市の下鶴市長もプライベートで声援を送っていましたが、、、
「いやいやいやいやいや、あの人たちからすると本当に自分が主役を張るわけにはいかないので。
でもユナイテッドというクラブのスポンサーをさせていただいているからこそなのかもしれないですけど、やっぱりサポーターの人たちもいるけれど、スポンサーだったり裏側で色々尽力されている方たちの熱量も高いなっていう風に思っています。
それこそ下鶴さんや長山さんはその筆頭なんでしょうけど、裏で汗をかいて動いてくれている人たちもいて成り立っていて、それで他のクラブに比べると多分ユナイテッドのスポンサーって仲がいいと思うので、そういうクラブだな、いい雰囲気だなっていうのは感じますね。
長山社長もそうだし、西原さんとかはそんなに歳が離れているわけじゃないですけど、尊敬する経営者の人たちが鹿児島にいるんだってことはすごく得るものがありました。それはスポンサーとして入らせていただいてからですね」

たくさんの苦しみを乗り越えてつかんだ二度目のJ2でしたが、御存知の通りまたも1シーズンでの降格を余儀なくされます。
そして迎えた2025シーズン、佐藤さんは本当に久しぶりにアウェイで勝利するところを見届け、逆に福島では最後の最後に追いつかれる衝撃を受け、それでも総合的に今シーズンのチームには手応えを感じています。
「前半で先制されることがあっても後で取り返せるくらいになってきたと思いますし、一戦一戦に変なプレッシャーを感じずにやれているんじゃないでしょうか」

そして今週はテゲバジャーロ宮崎を迎えて、2位という状況でのGMOペパボ スペシャルマッチを迎えます。
「勝ちたいっていうのはあるんですけど、宮崎も上位のチームなのでここは勝っておかないと後で苦しくなっちゃうと思いますので。
去年のスペシャルマッチも勝てて本当に良かったです。自分たちも冠持たせてもらっている以上勝ちたいっていうのはありますし、一勝の重みが今までとは違うくらいの気持ちだったので、気持ちよかったです」
マスコットの犬対決、焼酎県対決などの構図は広く知られているところですが、ここにも宮崎に負けられないものがありました。
ペパボさんとしては7000枚のバンダナ配布がありますが、こちらも担当者が去年のボンフィンが好評だったことでどうしようこうしようとがんばって試行錯誤を繰り返した末にたどり着いたアイテムです。
「やっぱり喜んでもらうのがいいんでしょうけど、クラブ運営的に言うと良いグッズを配っちゃうと売るグッズのほうが売れなくなっちゃう可能性もあるんで」
様々な角度から判断する佐藤さんはやはり配慮の人です。
そういえば去年のスペシャルマッチでは車椅子の方々が選手といっしょに入場する光景が見られたことも印象的です。
「これは高校の時にサッカー部だった同級生が、今お子さんが障がいを持たれているっていうきっかけから施設を運営されていて、そこを利用しているお子さんたちに機会を作れないかと相談を受けて、そこから話をしてなんとか実現できて、これは本当に良かったと思いました」

昭和47年の国体に際して作られた競技場だけに、バリアフリーなどの対応は難しいところがあります。
「やっぱりこれをするだけでも今のスタジアムは古いというところだったり、障がいを持たれている方、身体が不自由な方にとっては使いにくいものであるっていうことは知ることができました。
本当に解決していかないといけない課題なんだなっていう認識をしましたね」

GMOペパボと鹿児島ユナイテッドFCのこれから

恒例の質問として今後GMOペパボとして、鹿児島ユナイテッドFCにどうなって欲しいかとたずねました。
「やっぱりJ2に行ってもらいたいなっていうのはあるんですけど…
GMOインターネットグループってナンバーワン主義で、ナンバーワンを目指せってグループ内でよく言われるんですけど、やっぱりまずJ3でナンバーワンを目指して欲しいなって、1位を取ってJ2昇格して、J1に行ってほしいなっていうのはあります。だから勝つっていうことともうひとつ順位を上げてもらうっていうのは続けて欲しいところはあります。
あと個人的な想いとしては10代の時に鹿児島がなんかイケてないとか、なんも面白くねえなと思って出ていった身からすると20年ぐらい離れていて、ユナイテッドの存在があって、なんか思っていた鹿児島の像と違うものになっていて、こんなに盛り上がっているんだっていうのはびっくりしたところでもあるんですけど。
でもこれをまだ知らない人たちもいっぱいいると思いますし、もっと大きくしていくと、かつての自分みたいなことを思わずに鹿児島に残ってくれる人も増えると思うので、そういう意味で言うと我々のペパボの拠点でも同じような想いで鹿児島に残って働いてくれる人たちは増えてほしいなって思っています。
そういうカルチャーであったり、かっこいい象徴としてのサッカーみたいなものがもっと大きくなってくれるといいなとは思いますね」

鹿児島に残って働く人を増やすという意味では、GMOペパボの鹿児島オフィスにも同じ願いが込められています。
「鹿児島オフィスは6年経って7年目に入っていて、ペパボのカルチャーのなかでも鹿児島の拠点として新しいカルチャーを作ってもらいたいと思っています。
今までは鹿児島の拠点立ち上げのフェーズで自分も熱を入れていましたが、会社全体として事業を大きくするためには鹿児島にいる仲間たちが自発的に鹿児島を盛り上げてくれたり、ユナイテッドをどう活用するか考えてくれるようになってもらいたいっていうのはあります」

当初はエンジニアの採用拠点にしようと開設した鹿児島オフィスですが、コロナ禍を経てより多彩な機能を果たすことを佐藤社長は期待されています。
会社全体の事業をどう大きくするかということを佐藤社長はお話されましたが、国内のインターネット利用、EC利用などはひとつピークに達しているという判断もあります。
だからこそ「表現活動の支援」という新しい領域を開拓して、メタバースや動画、Vtuber等様々な表現活動を個人法人両面から活性化することをめざしています。
それはGMOペパボが大切にしている3つのこととして「アウトプットを増やす」ことを掲げていることに通じます。
GMOペパボは、やはりGMOペパボでした。

自分たちがどうあるべきかを明文化し共有できているからこそ、社会が変化していっても対応できる体質がありました。
最後に60回以上の連載ではじめて上場企業の経営者に話をうかがいましたが、佐藤さんご自身はどのような未来を描いてらっしゃるのでしょうか?
「自分のなかではまだやりきった感とか、成功した感が一切持てていなくて。
やっぱり自分のなかでも手応えを感じるようなものをやりたいなっていうのがあって、これはずっともがき続けている部分ではあるんです。
IT業界を見ても常に変化しているし大きなプレイヤーもいっぱいいるし、GMOインターネットグループだけでも上場企業が10社あって、もうすぐ11社になるんですが、自分たちよりもうまくやっている経営者もいて、そのなかで自分はまだまだうまくいっていないと思うので、業績や会社の規模、お客様の数みたいなものでももっと結果を出さないといけないなっていう部分もありますし。
でもその一方で面白いことをし続けたいなっていう思いもあり、自分も興味を持つことは多いほうだと思うので、それを色々と広げていきたいなっていうのはありますね」

傍から見れば20代で起業に参加して、上場企業の代表取締役となり、350名もの社員がいて、しかるべき収入あるいは資産もあるはずで、エンタメという意味でもTHE GREAT SATSUMANIAN HESTIVALのような音楽フェスティバルを鹿児島で開催するに至っていて、、、
それでもなお佐藤健太郎さんは、満足することなく飢えていました。
「もっとおもしろくできる」
佐藤さんの生き様はGMOペパボの企業理念そのものでした。
そんな佐藤さんが心の底から「やりきった!」といえる景色がどんなものか、見てみたい限りです。

2023シーズンの始球式では「クリスティアーノ・ロナウド」で会場をわかせてくれました

約1時間話をして、改めて感じるのは佐藤さんの過不足ない言語化能力の高さはもちろんですが、やさしさ、おもいやり、気遣いです。
その人柄はGMOペパボの社員さんと接していても感じ取れますし、コロナ禍でJ2復帰も厳しくなった2020シーズン終盤に「来シーズンの契約継続の宣言」や、J3降格が現実味を帯びる中で迎えた昨シーズンの水戸戦前の「近道なんてない」など、サポーターの心に深く染み入る言葉にも反映されています。
そんな佐藤さんが昇格圏の2位と、比較的良い状況で迎える明日の宮崎戦を前にどのような言葉をサポーターにかけるのかも楽しみです。
経営者としてもなお飢えている佐藤さんのことだから、きっと会場の鹿児島サポーター全体にも「これくらいで浮かれて満たされていてはいけない」と心に火をつけてくださるような気もしますが、、、
ごめんなさい!
敬愛の念が行き過ぎて、勝手にハードル上げてしまいました笑!
だって「もっとおもしろくできる」のGMOペパボ代表取締役社長ですから!

会社概要
社名/GMOペパボ株式会社
代表者/代表取締役社長 佐藤健太郎
本社所在地/東京都渋谷区桜丘町26番1号セルリアンタワー
創業/2003年1月10日
従業員数/402名(正社員 338名/臨時従業員 64名※2024年12月末時点)

この記事をシェアしよう!