【11月23日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2025 vol.19
鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は11月23日に行われる2025明治安田J3リーグ第37節、鹿児島ユナイテッドFC vs FC琉球のマッチデープログラムです。


2025明治安田J3リーグ第34節
vs 松本山雅FC 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)


2025明治安田J3リーグ第35節
vs 栃木SC 会場:カンセキスタジアムとちぎ(栃木県宇都宮市)


2025明治安田J3リーグ第36節
vs カマタマーレ讃岐 会場:香川県立丸亀競技場(香川県丸亀市)


山口卓己 選手コメント(11月19日トレーニング後の取材より抜粋)

前節の振り返り
自分たちは昇格争いの中にいて、相手の讃岐さんも残留がかかっているという試合で、簡単な試合にはならないだろうなというのは試合前から分かっていました。
ただ最後の部分でこじ開けることができなくて、そこは今までも自分たちの課題でしたし、そこを克服しないとJ2昇格は厳しいのかなと思います。
個人として前節の反省する点
決定的な仕事ができなかったのは自分の課題でもあります。
そこができている時はチームは勝っているので、得点に絡むことをもっとやらないといけません。
昇格争いのプレッシャー
やっぱり目の前の試合に集中してはいましたけど、情報は入ってきます。
そういった意味では勝ち点差は必ず縮めないといけない、というのは頭の中にあったのかなと思います。
自分たちはいつでもチャレンジャーという気持ちでやっているので、どこが相手でも関係なく、自分たちらしさを出すサッカーができれば勝ち点3は必ず取れると思います。
今のチームの雰囲気
練習前に相馬さんから話がありましたが、自分たちはやることをやるだけです。
まわりのことは考えずに、まずは自分たちのやるべきことをやる。
しっかり自分たちのサッカーをもう一度見つめ直して、一からやっていくという話だったので、その雰囲気は出せているのかなと思います。
攻撃の意識と最後の質
今日はゴール前での練習をしましたけど、シュートを狙える位置でもありました。
積極的にシュートを狙うところはもちろん、その中で守備でも守りきるところ、そこはお互いに高めていかないといけません。
自分自身ももっともっと貪欲にシュートを打ちにいかないといけないなと思います。
決め切ることはもちろん大事ですけど、まずそのシュートシーンを増やすことです。
一本一本大事にすることはもちろんですが、その数を増やせばチャンスも増えますし、結果はついてくると思います。
次の試合で点を取るために必要なこと
やっぱりゴール前で思い切って足を振り切るところだったりします。
シュートを打たないと入りません。
そういった意味ではもっと貪欲に全員がゴールに向かってプレーすることができれば、ゴールと勝ちを取れると思います。
引いた相手の崩し方
やっぱり最後崩し切ることはなかなか難しいですし、相手も必死に守ってきます。
そういった意味では遠いところからでもシュートを打てば、そのこぼれ球が入るかもしれません。
そのチャンスのシーンを増やす、シュート数を増やすことが鍵になるのかなと思います。
今のチーム戦術における自身の役割
自分の役割というよりは、全員が攻めて全員が守るっていうのがこのチームのサッカーだと思います。
特別なことはせずにゴールに向かって攻める。
その決定機をチャンスメイクできれば一番いいかなと思います。
難しい状況で立ち戻るべき共有点
自分たちがやるサッカーはそこまで複雑なサッカーではありません。
本当にシンプルに前に前に圧力をかけていって、攻撃でも守備でも相手の陣地で試合をすることができれば、自分たちのサッカーはおのずと形ができてくると思います。
迷った時にはゴールに向かうというところが大事かなと思います。
昇格に向けて
この状況になる前からもそうですが、相馬さんは常々「今この瞬間に集中する」ということを言っています。
それは開幕から変わりませんし、どの順位にいても自分たちがやることは変わらないので、それが今活きているのかなと思います。
目の前の試合に集中したいと思います。
今シーズンのここまでを振り返って
個人的にはとても早かったなと思います。
あまり先を見ていませんでした。
一試合一試合、目の前のことに集中してやっていたら、気づいたらもうホーム最終戦という形になっていました。
そういった意味では感覚的に早かったなと思います。
今シーズンにかける想い
自分も中堅の年齢になってますし、シーズン開幕前からこのシーズンにかける想いは強かったです。
最後、後悔がないように、やれることはすべてやり切りたいと思います。
ホーム最終戦に向けて
ホームの試合は自分たちの中で特別な試合です。
苦しい時もどんな時も声援を届けてくれるので、それが自分たちの力にもなっています。
一年間サポーターの皆さんに本当に支えてもらいました。
ホームではもちろんたくさんの人が来てくれましたけど、アウェーのなかでも本当にたくさんのサポーターの方が駆けつけてくれて、その応援のおかげで今の位置にいると思っています。
そういった意味では必ずホーム最後、勝ち切っていい形で最終節につなげたいですし、期待に応えられるように、100%力を出し切りたいと思います。
山崎倫 選手コメント(11月19日トレーニング後の取材より抜粋)

負傷から復帰した讃岐戦を振り返って
楽しかったのが一番です。
緊張もなくピッチに入れました。
あとは色々な選手や、支えてくれた人たちから押し出しがありましたので素直にピッチに入れました。
プレーで意識したこと
自分の持ち味がドリブルなので、そこから切り込んでいって、チャンスを作ることやゴールは意識していました。
出れた時間は少なかったのですが、ボールを受ける位置が低かったので、もっと高い位置でどんどん仕掛ければよかったなと思っています。
外から見ていたことを踏まえて意識したこと
自分みたいな勢いよく行ける選手があまりいないので、そこは意識していました。
讃岐は引いていたので、そこで違いを出し、1枚2枚はがすことを意識しましたが、うまくできませんでした。
実際にピッチに立ってプレーした感想
イメージ通りのファーストタッチからドリブル、そしてパスとプレーしましたが、受ける位置が低かったです。
ボールを受ける立ち位置、ボールを失わないこと、そしてもっとチャンスを出していかなければならないと考えています。
相馬さんからも言われましたが、もっと高い位置を意識して、次の試合にはちゃんと入りたいです
なにかやりそうな雰囲気を出すのは得意なので、それを結果として出せればと思います。
次戦に向けて
やることは変わらず、結果にこだわってやっていきたいです。
チーム的にもここ2試合勝っていないので、勝って勢いに乗りたいです。
今のチームの雰囲気について
いい具合にピリついていると思います。
大一番なので前回の試合が終わってからの会話も増えていますし、そういった面ではいいピリつきがあります。
白波スタジアムでプレーすることについて
小6の時に全日本U-12選手権で1回ここに来ていて、白波での決勝で優勝しています。
そういった意味では感慨深いです。
普段、上から見ていて応援の迫力も感じているので、その雰囲気に乗っかれればと思います
コラム「鹿児島をもっとひとつに。vol.56(Total vol.68)」
阿久根 淳さん(株式会社新日本科学)

株式会社新日本科学の鹿児島本社は、鹿児島市の郊外、宮之浦町にあります。
東京証券取引所のプライム上場企業であり、東京にもコーポレート機能や営業活動の拠点となる本社を構えていますし、県外から就職する人たちが過半数で、国内各所はもちろん海外(アメリカやカンボジアなど)にも拠点を構えていますが、永田良一社長(代表取締役会長兼社長)は鹿児島出身、創業の地も鹿児島となります。
私たち鹿児島人は胸を張って「鹿児島の新日本科学」と表現して差し支えないと思われます。
今回、リポートに応じていただいたのは「総務人事本部 総務課 課長」阿久根さん。
いつもユナイテッドのホームゲームに顔を出してらっしゃる、生粋のユナイテッドサポーターでもあります。
「無口なのでおしゃべりはどうも」と言いながら、お話ししました。
新入社員時代
阿久根さんが就職したのは平成元年、1989年のことです。
鹿児島を離れて東京の大学で工学系専攻していた阿久根さんですが、「まわりより遅く」就職活動をするなかで、大学から紹介された地元の新日本科学へ就職することにしました。
「理学系っていえば理学なんですけど、大学では工学専攻で測量とかもやってたんです。でも理科や科学が得意で、実験も好きだったんですよね。わが社には、医薬品の開発支援というところにもすごく興味を持っていました。」
とはいえ大学時代に学んできたこととは異なる領域ですが、、、阿久根さんは努力の人でした。
「入社したときは何も知らないところからのスタートでした。もちろん指導は受けましたけど、自分でも医学用語辞典を買ったり、看護師さん向けのテキストが分かりやすかったので、そういうところから、本をいろいろ集めたりしました。薬の作用が分からなくて、薬理学の分厚い辞書を当時4万円くらいで自分で買ったこともあります。
あの頃はまだ社員が120人くらいで、まわりもみんな勉強しながら仕事をしていたので、自分も勉強しながら溶け込んで、実験の技術を磨いて、末端から少しずつステップアップしていったんです。」
阿久根さんは医薬品開発のなかでも、非臨床試験という領域を新日本科学が主に担っている領域のことを丁寧に説明してくださいました。
事業内容 | 株式会社新日本科学

与えられた現場での仕事に加えて自分自身でも寸暇を惜しんで研究を重ねるなど、台頭していった阿久根さん。
社員はどんどん増えていって、会社もどんどん大きくなっていくなかで、阿久根さんは東京での営業職などを経て管理部門へ移っていきます。
はやわかり新日本科学
キャリアのなかにはアメリカでの約1年間の出向もありました。
「49歳のとき、シアトルにあるうちの会社を“日本みたいにきめ細かい対応を浸透させて、精度を上げる”というミッションで渡米しました。
事前に英語を勉強して、あとはボキャブラリーを増やせば何とかなるかなって思ってたんですけど、ネイティブの世界は甘くなかったですね。発音ひとつで聞き取りづらいし、相手も自分の英語をうまく理解できないことがあって…。日本語をカタコトで話す外国人っているじゃないですか、たぶんあんな感じだったんだと思います。」
鹿児島本社など日本の現場で実施している作業の基準からして改善するべきポイントを見つけたらしっかりとレポートして、同時に日本や鹿児島に持ち帰ろうと学べるところもあり、このような人事に新日本科学が社員の視野を広げることの大切さを重んじている社風が反映されているようです。
大卒で入社した阿久根さんは勤続37年目になります。
「新日本科学に入社してから、ずっと我が社一筋です。
何が一番良かったかって、言葉にするのは難しいんですけど、みんなで積み上げてきたものがあって、それをベースに組織が動いているんですよね。しかも、一人ひとりを大切にする考え方がしっかりあって、その管理を任せてもらえる立場にもなれた。
そういうところに、すごく満足感があったんだと思います」

こうして仕事に充足感を得ていた阿久根さんの仕事に、ちょっとした変化が生じたのは総務担当になって1年目、2018年から2019年にかけてのことでした。
新日本科学が、地元のプロサッカークラブ、鹿児島ユナイテッドFCのスポンサー企業になったのです。
新日本科学とサッカーと鹿児島ユナイテッドFC
実は阿久根さん、かつてはサッカー少年でした。
今では薩摩川内市となった東郷町の出身で、その段階で気づく方も多いでしょうが、後には元日本代表MF前園真聖さんも所属した少年団でサッカーをしていました。
「鹿児島県サッカー協会の役員もされた諏訪監督が有名で笑」
サッカーにはもともと興味があったし、ユナイテッドのことも認識はしていた、くらいの阿久根さんですが、会社としてスポンサーになるというのはさすがにびっくりでした。
「うちは協賛自体、学会とかのイベントのパンフレットに出すとかくらいで、一般的に知ってもらうのは難しいんじゃないかと思っていましたし」
そもそも企業団体からの依頼を受けての研究開発という業務内容的に、一般消費者に知ってもらう意義もさほどないように客観的には思いますが、角﨑専務(専務取締役)が「鹿児島にこういうクラブがあることは大事なことだから」と訴えます。
こうしてJ2に上がるタイミングで、それでは看板を出そうという話になり、、、気がつけばユニフォームの左袖へのロゴ掲出へと話は大きくなっていました。
「当時クリスマス会が社内であって、300人くらいが集まっていたんです。
そこで “来年(2019年)から鹿児島ユナイテッドFCのユニフォームにロゴが載ることになりました!”ってサプライズで言ったら、みんなが喜んでめちゃめちゃ盛り上がったんですよ」

業務的にあまり縁がなさそうな企業の方々がそんなにも歓迎してくださるというのは嬉しい限りです。
Jリーグクラブへのスポンサード、それも最上位のオフィシャルトップパートナーとなると一過性のものではなく、毎年のスペシャルマッチなど様々なやり取りが発生します。
そこで新日本科学側の窓口になったのが、阿久根さんでした。
「もう(営業部の)禧久さんにひとつひとつ“どうすればいいの?”って聞きながら。1年に1度のスペシャルマッチだから忘れるんですよ。
それでメモも取ってきたので3年目くらいで大体わかってきて、今年はもう7年目なのでメモを見なくても分かりますけど」
とはいえトップパートナーになって2シーズン目にはコロナ禍となり、色々なことが変わりました。
「無観客試合になったり、鳴り物を叩いてはいけないとか、しゃべっちゃいけないとか。
その流れで最終戦に近いところがスペシャルマッチだったので、席をいくつか空けながら座れるようになって、スタジアムの変化に合わせての準備はギリギリでした。コロナに合わせてフェイスシールドを作ったり、今思えば大した意味がないかもしれないですけれど」

未来から見ればある意味、時代を象徴するものとして貴重な資料のような気もします。
そしてピッチの上に目を向けると、コロナ禍になってからはJ3でなかなか勝てない苦しい時代でもありましたが、、、トップパートナーになって最初のシーズンでJ2から降格して、結果が出ない時期に撤退や減額という考えはなかったのでしょうか?
「それはなかったですね。
要はうちとしてもユナイテッドさんとコラボできたおかげで鹿児島県での認知度を高くできているので。会社としても協賛してよかったと感じています」
そして4シーズン目の2022シーズンは新日本科学とユナイテッドにとって転機となりました。
それまで背中上にロゴを掲出するトップパートナーだったナンワエナジーが、コロナ禍やロシアによるウクライナ侵攻などの影響で事業の継続が困難になったのです。
「当時ナンワエナジーさんが苦しいし、ユナイテッドが窮地にあることも分かっていたので、ここは自分たちがやるべきだと思い、2人の役員といっしょに社内に働きかけました」
10月のホームゲーム2試合のみで着用を予定されているスペシャルマッチのユニフォームには従来の左袖に加えて背中上にもロゴを掲出するとともに、2023シーズンもトップパートナー契約を継続することを、7月末の段階で発表しました。

少しずつコロナ禍による世間的な混迷は収まりつつあったとはいえ、この段階でさらに支援を拡大する新日本科学の判断がクラブにとって大いなる助けになったのは言うまでもありません。
夏場に鹿屋体育大学からの特別指定で山口卓己選手、さらに小野寺健也選手(現在はJFLのレイラック滋賀FC)と端戸仁選手を期限付き移籍で加えたユナイテッドは、最後の最後まで昇格を争った末に勝ち点1の差で昇格を逃しました。
その悔しさを胸に、今度こその2023シーズンも阿久根さんはホームゲームに通います。
姶良にある自宅から混む前の時間帯に海岸沿いの10号線を通って、試合によっては同行者をピックアップしてスタジアムへ。
スタジアムで観戦仲間と顔を合わせたら、主にその前週のアウェイ戦についてああでもないこうでもないと監督気分で話し合って盛り上がって、1人のサポーターとして応援します。
チームは監督の交代を経ながらも勝ち点を積み重ね、新日本科学スペシャルマッチとなったホーム最終戦のアスルクラロ沼津戦ではクラブ史上最多11,978人が来場する中、2-0で勝利!

そして引き分けでもほぼ確実にOKで迎えた最終節のガイナーレ鳥取戦。
後半に先制されますが、山本駿亮選手(現在はレノファ山口FCから奈良クラブへ期限付き移籍中)の同点ゴールが決まって、J2昇格を果たしました。
阿久根さんは自宅でDAZN観戦しながら、同僚との「ユナイテッドを応援する」仲間内でのチャットでやり取りをしながら、ゴールが決まった瞬間に部屋で飛び上がり、昇格とともに家族や友人にLINEスタンプを送りまくって昇格に酔いしれました。
クラブにとって特別な瞬間であり、阿久根さんにとっても特別な瞬間でした。
しかし2024シーズン、2度目のJ2挑戦も最終的にJ3降格という結果に終わりましたが、新日本科学は変わることなくトップパートナーとして、2025シーズンも鹿児島ユナイテッドFCを支えています。
2022シーズンからは指宿市でキャンプを行い、新日本科学が経営する指宿ベイヒルズHOTEL&SPAの整った環境でシーズンに向けたチーム作りを行っています。

鹿児島ユナイテッドFCの未来
2025シーズンのユナイテッドに対して、もちろん阿久根さんが期待するところは大きくありました。
「メンバーが入れ替わったし、今年はチームの基盤を作る一年だととらえていて、あわよくば…だと思っていたんですけど、昇格のチャンスがありますからもうモノにして欲しいです。
もちろん悪いことをしてはいけませんが、どんな手を使ってでも。もう他力だけど上位が取りこぼしての昇格でも、プレーオフで上位として同点で笑うみたいな形でもいいから、J2に行って欲しい。
それが今年の成果なんだと思います」
トップパートナーにはしかるべき枚数の招待券をお渡ししていますが、昨シーズンを上回るペースで、毎試合100に届くレベルで招待券が使用されていて、今年のここまでの結果が社内のユナイテッド熱に及ぼす影響を担当者として阿久根さんは実感しています。
それでは長い目で見てユナイテッドにどんなことを期待されているのでしょうか?

「やっぱり地域の誇りとして、鹿児島ユナイテッドFCには強くあってほしいですよね。“また負けた”じゃなくて、3試合あったら2勝1敗、できれば2勝1分くらいの成績で、次に期待できる試合をしてほしい。
J2でも、まずは常に中位にいるような安定したチームになってほしいです。安定してJ2にいれば、GMを兼ねる相馬監督がしっかりコントロールしてくれると思います。
それから、神村学園がこの前の県大会で優勝しましたけど、神村や城西高校の有力選手って、今はJ1やJ2に決まってますよね。将来は、この時期に“鹿児島ユナイテッドFCと契約決定”みたいな流れになってほしいです。
一時期は地元選手がすごく多かったですし、八反田(康平)選手みたいに一度外に出て経験を積んだ選手が、いいタイミングで戻ってこられるチームになったら最高ですよね。」
阿久根さんの言葉はゆっくりと、しかし熱を帯びています。
そんな阿久根さんだからこそ、鹿児島出身の武星弥選手と小島凛士郎選手にはもっともっとチームの中心として牽引するような選手に育っていくことを願っています。

ちなみに海外出張を含めて多忙な生活を送りながらも時間を作ってホームゲームに通っている角﨑専務は鹿屋出身ということもあり、鹿屋市立西原台小学校と鹿屋体育大学を卒業している山口選手への期待は大きいものがあります。
とことんあふれる鹿児島愛。
世界を舞台にする新日本科学ですが、やっぱり鹿児島の企業でした。
