【10月4日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2025 vol.16
鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は10月4日に行われる2025明治安田J3リーグ第30節、鹿児島ユナイテッドFC vs 栃木シティのマッチデープログラムです。


2025明治安田J3リーグ第28節
vs テゲバジャーロ宮崎 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)


2025明治安田J3リーグ第29節
vs ヴァンラーレ八戸 会場:プライフーズスタジアム(青森県八戸市)


コラム「鹿児島をもっとひとつに。vol.53(Total vol.65)」
川畑佑樹さん(株式会社ナンワ 代表取締役社長)

金曜日の13時に行われた9月26日のヴァンラーレ八戸戦。
川畑さんは社員に分からない角度でスマホを立てて、先制されてからも何とか1点返そうと、逆転しようと走り続ける鹿児島の姿にちらりちらりと視線を送っていました。
「相手も一番失点数が少ないチームで、なんとかこじ開けて欲しいと思いながら見ていましたけど。10人になってからも攻撃はしていたし」
久しぶりの悔しい敗戦を経て、今週末の栃木シティ戦は「ナンワ スペシャルマッチ」です。
鹿児島県サッカー協会の会長としてもサポーターにとってもおなじみの川畑さんですが、スペシャルマッチとしては2021年10月21日のアスルクラロ沼津戦以来になります。
今回は「県協会会長」と「ユニフォームスポンサーの社長」という、ユナイテッドにとって2つの顔を持つ川畑佑樹さんに話をうかがいました。
サッカーではなくバレーボールに夢中
株式会社ナンワは昭和54年の創業で、川畑さんが生まれるより前のこと。
以前は、会長を務めるお父さんが経営していますが、川畑さんはあまり後を継ぐとかの意識はありませんでした。
学生時代はサッカー少年ということもなく。
「高校時代はほとんど部活しかしてなかったですね。バレーボール部だったので。サッカーやったことないです。ずっと部活部活みたいな感じで、ほとんど勉強しなかったですね。
もうずっとバレーで、昼間の授業中はずっと寝てました。
ちゃんと聞いてるふりして寝てましたね」
そう言って川畑さんは夏目漱石やロダンの作品のようなポーズをしますが、のっけからなかなか強いエピソードです笑
「それで入試で上から3番目の成績で入って、最初の三者面談で“トップクラスだね”とか言われていたんですけど、卒業する時は下から3番目」
ずっとバレーボールばっかりやっていた川畑さんは、将来のことをどのように考えていたのでしょうか?
「もう部活しかしてなくて、勉強もしてなかったので、社会人の像みたいなものもまったくなかったんです。
それでうちの親戚がけっこう日本大学が多かったのと、建設業というところもあったので、(関連会社である)南生建設の叔父に“同じ工学部系に行ったらどうだ?”と言われて、推薦で小論文と面接の入試を受けて、それで高校3年の9月には大学が決まりました」

なんだかんだで建設業のことを念頭においていた川畑さんですが、高校生のころは将来のことをどのように考えていたのでしょうか?
「その頃はなんとなく将来ここの会社を継いでいくみたいなのは、ぼやぼやっと考えていましたよ。だから工学部系に入って“片足つっこんだな”って思って、それで大学出る時は就職氷河期だったんですけど、ゼネコンに入れさせてもらって、これで“両足つっこんだ”みたいな感じですね。
親父、うちの会長からは1回も継いでくれって言われたことはなかったんです。
大学の時も就職してからも言われることはなく、自分としては目の前の仕事をこなそうと。
“継がなかったらどうしたの?”ってそんな話をしたことがあるんですけど。
姉と妹がいるけれど男は1人でしたし。
そうしたら“継ぐように仕向けてたのよ”と会長は言ってましたね。だから敷かれたレールに乗ったというよりは、レールを敷かれていたみたいな感じで。
まあでも自由にさせてもらいましたよ。学生の時に勉強しろって言われたこともないですし」
大学を出て就職したのは業界のなかでは最大手5社に継ぐ、準大手とされる戸田建設。

「新入社員で入った時は九州支店配属の土木の現場監督をやっていて。
九州新幹線の高架橋の現場監督をして、宮崎の東九州自動車道の西都インターから先の高速道の橋をかけて、そこから大分に行ってトンネルを掘る現場監督をやって」
新卒の20代そこそこで、お父さんくらいの年齢の現場作業員がしっかりと仕事を進められるように管轄する仕事です。
「現場は2年半くらいですかね。若くて体力もあって動ける人が欲しいということであちこちに行かされました。
今では考えられないですけど、最初の現場は同じ職場の人たちと一軒家に5人で住んでました。で、宮崎に行った時は3DKに7人で住んでましたね。そして大分の時はプレハブで。一応1人の部屋なんですけど、まあベニヤ板一枚みたいなので隣の声もものすごく響いて」
その後は本社で技術支援の仕事に従事します。
各現場の困りごとがあると本社からサポートに行ったり、あるいは素材開発をしたり、学会で発表をしたり、果ては特許を取ったり。
「コンクリートにこんなものを混ぜたらどうなんだろう?みたいなのを大学とかと共同研究して、学会で僕が発表して、特許申請をして」
こうして本社勤務が4年になり着実にキャリアを重ねていた2011年。
日本中を文字通り激震させた東日本大震災が川畑さんにも大きく影響します。
「うちの長女が3月19日生まれなんです。それでうちの嫁さんは福島県出身なので里帰り出産をしていた時期に震災になって。それで車で引き取りに行って東京に戻ってきたんですけど。
そうしていたら鹿児島の両親から“もう帰ってこい”と。
それで8月のお盆に戸田建設を辞めて鹿児島に戻ってきた感じです」
東京の同業他社の大手で修業して満を持して後を継ぐために帰郷する、みたいな流れを想像していましたが、川畑さんの場合はまったく違う流れでした。
ナンワエナジーと鹿児島ユナイテッドFC

28歳で鹿児島に帰ってきた川畑さんは株式会社南和(現在は株式会社ナンワ)の常務取締役に就任しますが、明確な役割があったわけではありませんでした。
ただ当時は「コンクリートから人へ」を掲げる民主党政権の時期であることは、業界全体に大きく影響していました。
「何をするかも分からずに帰ってきましたが、公共工事の予算を縮小して社会福祉などに振りましょうという時代で、うちの会社も僕が戻った時はおそらく過去最低売上くらいのところになっていました。
このまま建設業がなくなるとかはなく、続けていくのですが、他のことも探さなければならない、新しい事業を考えなさいという話で、色々と検討した結果、エネルギーの仕事をはじめる流れになりましたね」
建設業界が他の様々な業種に挑戦することは珍しくありませんが、電力、エネルギーの分野に商機と勝機を見出したのはなぜなのでしょうか?
「その時は福島原発とか全国の原子力発電所が止まって、再生可能エネルギーへの転換のタイミングだったんですよ。それで最初はメガソーラー発電所を作ろうとしていたんですけど、東京に行きながら色々な人と意見交換をしていたら“電力の小売の代理店をやってみませんか”みたいに言われて、他人の代理店をするのは嫌だなと思って調べていたら自分たちでできるんじゃないかなと思って。
省エネとかLEDとかにも一旦手をつけたんですけど、同業者も増えていたので、うちにしかできないことを考えて勉強したら、これで会社を作ったら九州で初みたいだし、おもしろいかもと思いまして」
こうして電力の小売を中心にする株式会社ナンワエナジーが2013年に誕生します。
さらに転機となったのが2016年から一般家庭でも電力会社を選べるようになったこと。
建設業との違いは数多くあるでしょうが、特に大きな違いとしてBtoBという業者同士のビジネスではなく、BtoC、一般消費者向けのビジネスという点が大きく異なります。
「うちとしてもPRできるものを探していた時に、当時いた社員が知り合いの田上裕を連れてきて」
当時、JFLからJ3リーグ入会を果たしたばかりの鹿児島ユナイテッドFCのキャプテンを通じて、最初は「ユニフォームのパンツでお願いしたい」という提案を受けます。
「それで“分かった”となったんですけど、すぐ後に徳重さんから連絡が来て“ユニフォームのパンツは商品としてファンが買うものではない”という話があって、それで“シャツの背中裾はどうですか?”と。
ここが広告枠として出たのが初めてで、まだ空いていたので、クラブとして埋めたい想いもあったみたいなので、そこに入らせてもらいました」

川畑さんは大学でも社会人になってからもバレーボールを続ける熱の入れようでしたが、それ以外にも小さい頃からソフトボールと野球と、合間に陸上と水泳と体操をやっていて、そもそもスポーツ全般が大好きな少年でした。
「サッカーだと特にウイニングイレブンがめちゃくちゃ流行っていて、学生時代はずっとそれで友だちと遊んだりしていたので。
あとは日韓ワールドカップも観に行きました。日産スタジアムで日本対ロシア戦」
日本がワールドカップではじめて勝利した歴史的一戦を現場で目撃されていた川畑さんですが、10年以上の時を経て、地元のサッカークラブがJリーグに参戦する記念すべき1年目にユニフォームのスポンサーとなりました。
「やっぱり徐々に愛着が出てきたのはありますね。基本的には最初会社のPRのためのツールと位置づけていたものが、試合を通したり、スポンサーの交流があったり、選手との交流があったり、フロントの人たちの交流があったりしていって、クラブへの愛着が出てきて、試合に行けない時はDAZNで観て。
昇格した時のスタジアムの雰囲気だったりとか報道でも流れたりしますし。
それからうちの社員の中でも“ユナイテッドのスポンサーをしているから”っていう理由で会社に応募することがあったりして、少しずつユナイテッドが活躍してくれることで、僕らがそれを応援していることがまわりにも広まって“働いてみたい”っていう声も聞こえて来たので、それはいい効果だったと思いますね」
2018シーズンに初めてのJ2昇格を果たした景色は、10年の付き合いの中でも川畑さんにとって特に印象深いものです。

「あの時のスタジアムが満杯になって、バックスタンドに“UP to J2”のコレオグラフィーを見た時のゾワッとした感覚は今でも覚えていますね。
やっぱり本当はもうちょっと早めに、楽に決めてもらえるといいですけど。
今シーズンもそうなりそうですけど、ギリギリのところで闘ってそれで達成できた時の感覚は一番印象的ですね」
翌2019シーズンははじめてのJ2で苦しい闘いが続き、1シーズンでの降格が決まります。
その直後に行われた法人サポート交流会で、スポンサー企業を代表してごあいさつされた川畑さんは「これは自分たちのサポートが不足していたことでもあります」と、さらにクラブ内外がレベルアップしていかなければならないと指針を示し、みずからもトップパートナーの契約を継続しました。
またこの川畑さんのあいさつを聞いて「自分たちもがんばらなければならないと思った」というスポンサー企業の方々がいらっしゃったことも、追記されるべき事項といえるでしょう。
コロナ禍とウクライナ侵攻の影響で

翌シーズンからはコロナ禍という世界的に混迷する時代のなかで、それでも2020、2021シーズンとナンワエナジーは背中のスポンサーを継続し続けます。
どちらのシーズンでもJ2再昇格を果たすことはできませんでしたが、川畑さんはじっくりとクラブの成長を見守っていました。
ところが。
2022年1月14日、2022シーズンもトップパートナーとして継続することが発表されましたが…
2022年2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻がはじまります。
「急激に燃料価格とかが急騰して、それで4月からの事業計画の内容が1日1日変わっていくんです。
まだ1月にトップパートナー契約をしたくらいの時は黒字化のイメージができていたんですけど、2月3月になると赤字のイメージになって、しかもそれが赤字のレベルを通り越しているみたいなレベルで。
3月下旬くらいになってくると4月1日からの1日1日でこれくらいの赤字になるというのが見えてきて」
毎月数億円の赤字が生じる計算でした。
それまでもコロナ禍で燃料を運ぶための船が船員不足で動かなかったり、逆に引き受ける港の方の人員不足で届かなかったりと価格高騰は続いていましたが、ウクライナ侵攻の影響は決定的でした。
「4月上旬にこれは事業が継続できないと判断して、徳重さんにも“申し訳ない”と全額は払いきれないから一部を違約金として収めて、そのシーズンも一応名前は出ていたし、会社としては存続していましたが事業としては縮小の方向に向かっていて、4月にやめると決めて、6月末でサービスを停止して」
ウクライナ侵攻から2ヶ月ほどでの判断はかなり早い印象を受けますが…
「これが良くなる未来ともっと悪く未来とがあって、どうなるかが分からないのが一番でした。
この戦争がもし仮に終わるとしても、それを誰が予見できるのか、考えるだけで不毛だし議論してもしょうがないと思っていました。
だから取引先やお客さんにも急なご案内だったのですごく迷惑をかけたとは思ってはいました。
当時は早めに判断したから“逃げた”みたいな感じで言われることもありましたが、僕たちの半年後くらいからばたばたと倒産や廃業がニュースで出てきて、“こういうことだったんだね”とご理解をいただいたところはありました。
ナンワエナジーの人たちも一部を除いてリストラすることになりましたが、判断が3ヶ月くらい遅れていたら多分うちの会社全体がなかったかもしれません」
自身が立ち上げた会社が10年目を迎えたタイミングで事業を閉じる。
それも一企業どころか、日本という国レベルですら、どうしようもできないコロナ禍とウクライナ侵攻という世界規模の出来事により。

「いや、その外国で行われている戦争が影響するとかあまり思っていなかったところは、僕の未熟さがあったかもしれません。だから今はそういう政治とか国際情勢みたいなものが影響する事業をやるのであれば、そこもウォッチしながらになりますね。
コロナ禍も戦争もどうしようもできないけれど、そういう情報をキャッチできなかった責任があるので」
自分には動かせないことで事業の行方が決定的に左右されることがあるとしても、そのなかでできることがあるし、その備えをするのが経営者であると川畑さんは結論づけています。
どれだけ酌量の余地があっても、従業員や取引先や顧客に大きな影響を与えた事実は動かせないことであり、他人にはうかがいしれないその結果という重みを、川畑さんは背負い、なおもナンワの経営に力を尽くしています。
その姿にはどこか、あらゆる事象の積み重ねで生じる結果を受け止め、責任を背負い、次の試合に向かうしかないサッカーの監督にも通じるものが感じられました。
こうして2023シーズンからナンワエナジー、ひいてはナンワとしても鹿児島ユナイテッドFCとの関係は一旦ピリオドが打たれました。
しかし、それでも川畑さん個人としてはサッカーと鹿児島ユナイテッドFCとの関係は続きます。
ご存じの方も多いでしょうが、鹿児島県サッカー協会の役員として。
鹿児島県サッカー協会で
鹿児島が初めてのJ2昇格とJ3降格を経験した2019年末から2020年にかけて。
同じようにユニフォーム左鎖骨にロゴを掲出する西原商会の代表取締役社長であり、鹿児島県サッカー協会の会長である西原一将さんとはスポンサーの仲間であり、比較的年齢の近い経営者の先輩であり、食事をしたり情報交換をする仲でした。

西原商会で働く吉嶺さんのエピソードもご覧下さい→【2月23日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2025 vol.02 – 鹿児島ユナイテッドFC オフィシャルサイト
「それでちょこちょこ言われていたんですよ。“サッカー協会のお手伝いをして欲しい”って。
でも僕はサッカーじゃなくてバレー出身ですし、サッカー協会はどうかなということで何度かお断りをしていたんですよね」
川畑さんはサッカーとのつながりはユナイテッドのスポンサー企業であるというくらいでしたが、経営者の手腕が見込まれたのかもしれません。
西原さんご自身もサッカー経験者ではありましたが、それ以上に経営者としての能力を見込まれて県サッカー協会、そして今は日本サッカー協会でも辣腕を振るっていらっしゃいます。
「あんな偉大な社長から何度もお願いされるから徐々に徐々に考えも傾き始めてきた時に、(2019)年末、“2人でご飯食べよう”って言われて。大勢で飲むのが好きな人なのに珍しいなと思って何かあるんだろうなと思ったんですけど」
「年末」というフレーズだけでピンと来た方は相当なサッカー好きですが、毎年12月の終わりには各県の予選を勝ち抜いた代表チームが集まり、小学生年代日本一を決める、全日本U-12選手権が鹿児島県で開催されています。
西原さんと2人の一次会で食事をした後に案内されたところには…
「ちょうどその時、当時の日本サッカー協会の田嶋(幸三)会長が開会式で鹿児島に来ていて、そこで県協会の副会長たちとご飯を食べているところに連れて行かれて、“この人が僕の後に会長になる予定で、今度、副会長になるんです”って風に紹介されて。
田嶋さんから“よろしく”って手を出されるわけでしょ。
握らないわけいかないです。
それで握って“ああ、決まった”みたいな感じです笑」
1対1の食事でもうやむやにしようと思っていた川畑さんでしたが、西原さんのほうが上手でした。
こうして鹿児島県サッカー協会の副会長に就任した川畑さんは、コロナ禍のなかでも草の根レベルから鹿児島のサッカーを盛り上げていくための取り組みを進めていきます。
上には西原会長がいて、現場には長年鹿児島のサッカーに尽力してきた人生の先輩たちがいて、そういったサッカーへの情熱を損なうことなく、より効果的に発揮できるように川畑さんは配慮しながら。
そして西原さんが日本サッカー協会の副会長に就任したことから、後を継ぐ形で鹿児島県サッカー協会の会長に就任します。

ちなみに川畑さんは当初、西原さんが県サッカー協会の会長も兼任するのだろうと思っていましたが、ここでも前述のような「逃げられない」状況が、今度は宮本恒靖会長たちとの間で生じることで、鹿児島県サッカー協会の会長に就任することになります。
川畑さんは引き続き、今度は県協会の役員としてユナイテッドと関わりが続いています。
2度目の昇格と降格と2025シーズン
2023シーズンは2018シーズン以上にギリギリの展開で、2度目のJ2昇格が決まりました。
川畑さんは泰然と最終節のガイナーレ鳥取戦に引き分けて、昇格を果たした結果を受け取りました。
「1回昇格もしていて、今回も昇格するんだろうなっていう感覚はあったんですよね」
それは慢心というよりは、鹿児島ユナイテッドFCの選手たちだけでなく、クラブを取り巻くスポンサーやサポーター、その他関係者たちへの信頼であり、もし良い結果が出なくても、それを受け入れる肝の座り具合のように映ります。
だからこそ2度目のJ2となった昨シーズン、夏から秋にかけて状況が苦しくなっていく中でも、川畑さんに慌てる様子はありませんでした。

「J2からJ3に落ちたとしてもサポーターが急に減るような感じではおそらくないだろうし、これもクラブの経験だから、これは僕らがどうこう言う問題ではなくて、一生懸命がんばって、それだったらもうしょうがないんじゃないかという感覚でしたけどね。
でもサポーターさんもそっちに近いような気がしますけどね。
負けたら次がんばれ、みたいな。
卵を投げるみたいなサポーターはいないじゃないですか、鹿児島は。
スポンサーの人たちと交流していても同じような感覚を受けますけどね。
非常にいいスポンサーやサポーターに囲まれているんではないかと思ったりしますね」
前述の通り2019シーズンに降格した際に「まわりのサポートも足りなかった」という表現をした川畑さんのような方の存在も、その雰囲気づくりには欠かせません。

J3に降格して迎えた2025シーズン。
背中の裾には「NANWA」のロゴが入りました。
川畑さんとナンワにとっては2022シーズン以来のある意味「返り咲き」です。
「もともとどこかで戻りたいとは思っていて、もちろん会社の状況にもよりますし。それでたまたま今年からできたっていうだけかもしれません。
もし去年からできていたらやっていたかもしれませんが、僕の判断としてまだ僕らには早いなと思っただけで、もし今年もだめだったらまた来年チャレンジしていたかもしれません。
今年そのタイミングができたので戻ってこれたっていう感じですかね」
気になるのはナンワエナジーは家庭向けの新電力をPRするという目的に合致したことで鹿児島ユナイテッドFCのユニフォームにロゴを掲出する意味があったことは納得できますが、建設業主体の今、「ナンワ」のロゴを掲出して一般消費者に訴求する必然性はあまり見えてきません。
川畑さんもそのことは重々理解されています。
「うちの、僕の想いとしてはナンワエナジーでやっていた部分があったのができなくなって、“会社は大丈夫なのか”って言われていた時期があったわけです。
これは個人的な気持ちのところもあるんですけど“ちゃんと戻ってきたよ”みたいな。会社として大丈夫だよっていうところを示したい部分もありました」
2022年にナンワエナジーの事業を閉じていく時に、いわゆる「世間」から多くのことを言われたことでしょう。
そのリベンジという小さな話ではなく、ユニフォームに「復帰」することでナンワの健在を証明する意志も込められていました。
いつも表情が大きく変わることはなく、落ち着いて丁寧に言葉を発する川畑さんの、1人の人間としての熱量がありました。

これからの鹿児島とユナイテッド
ナンワとして再び関わることになった川畑さんですが、目下最大の取り組みはスタジアム整備に関する署名活動でしょう。
「やっぱりユナイテッドにも関わっていますし、協会の人たちとも話をするとみんなやっぱり、僕はそうでもないかもしれないですけど、みんなサッカーに人生を懸けている人たちというか、趣味レベルの人たちじゃないわけですよね。
指導者や協会の人たちもボランティアでやっているかもしれないけれど、生きがいに思ってやっている方たちもいて、すごく熱心な方たちも多いので、そういうのを目の当たりにすると、やっぱりスタジアムの議論が出てきた時に自分の今の役職、今の立場で何ができるかを考えるわけです。
そうなった時にやっぱり署名をやるべきだろうということで、ユナイテッドさんとラグビーの方たちといっしょにやっていくという話です。
協会の方にも自分で“ああせい、こうせい”っていうことはあんまりなくて、皆さんが“こういうことをしたい、ああいうことをしたい”と考えていることを僕がこの小さい脳を使って叶えられるようにがんばるから、どんどん言ってくれって伝えているんですね。
そのひとつがスタジアム整備だと思っているので、僕が作りたいっていうより“みんなが作りたいんでしょう”というところで、僕も先頭に立ってがんばるから、と」

スタジアム場外では、大学生たちに混じってみずから署名を呼びかける川畑さんの姿を見ることができます。
報道機関のカメラはもちろんいなくて、サポーターもほとんど気にも留めないような環境で、まだ署名をされていないと思われる方を探しながら、地道に、地道に、地道に。
静かに想いを燃やしています。
それでは川畑さんはスタジアムというものについてどのような考えをお持ちなのでしょうか?
「他のスタジアムに行かせてもらう機会もあるんですけど、陸上競技場ではない専用スタジアムが望ましいというのとやっぱり屋根ですよね。
この前の世界陸上でも、あれだけ土砂降りの中で選手は濡れていても、観客は濡れずに見れているわけじゃないですか。
あとは歓声が反響して響いているところを目の当たりにしていると、そういったスタジアムがあると選手の力になるんだろうなと思います。
僕がユナイテッドのことをどうこう言う立場ではありませんが、一定数の観客数がいてくれると安定するし、その分収益が上がってきて、それがチームの強化につながってという好循環にはなるんだろうなと思っています。
あとは協会の立場で言うと、その新スタジアムでプレーすることを目指す子どもたちが増えて欲しいし、スタジアムでやるユナイテッドの試合とか、それ以外の試合も誘致したりしながら、それを観ることでプラスになっていけばいいよねって思います」
話はさらに「街としての鹿児島」へ続きます。
「1人の鹿児島市民としてはエンタメが少なすぎるので、エンターテインメントとしての場としての活用にも期待をしたいです。
僕も子どもが小さいときなんか大変でしたから。
動物園と水族館はあるけど、ライブに行くとなったら県外だし、なんかもうちょっとワクワクする鹿児島を作っていきたいですし、スタジアムはユナイテッドの試合がない時にそういうイベントとかが毎日ではないにしても定期的に行われるようになっていったらよりいいんじゃないかって思います」

それでは鹿児島ユナイテッドFCにはどのようなことを期待されるのでしょうか?
「スポンサーの立場で言えば、鹿児島を象徴するものとして、やっぱりJ2、J1を目指して欲しいっていうのはあります。
スポンサーだからとかは関係なく、時間がかかってもいいのでJ1を目指してもらいたいっていうのは単純に思いますよね。
それからサッカー協会の立場から言えばやっぱり子どもたちが目指すというか、憧れるチームになってもらいたいっていう風には思っています。
今メディアで取り上げられるのはどうしても日本代表とかになりますから、将来J1とかになって、そこから海外に出ていくかもしれないですけれど、日本代表を輩出するようなクラブになっていったら嬉しいみたいなところはありますね。
そうなるにはやっぱりアカデミーの活動とかもしっかりしないといけないので、協会としてもできることは考えなければなりませんが、至らないところもあるので」
J1を目指すという点では、巨大な資本を背景に選手を集めて勝てるチームを作るという事例は世界中にたくさんありますが、川畑さんはどのように解釈されるのでしょうか?

「可能性はありますけど、そういうことではないと思いますね。
よくサポーターの人とかとも署名活動をする時にちょこちょこっと話をするんですけど、みんな“鹿児島らしいサッカー”っていうんですよね。僕はその鹿児島らしいサッカーがあんまり分かっていないんですけど、“今年のサッカーはとても鹿児島らしくていいね”とおっしゃいますよね。
みんなが求めているのは鹿児島らしさがあって強い、みたいな。
昔の鹿児島実業みたいな。
まあサッカー協会とユナイテッドって誤認されることもあるけど、別なんですよってみたいな話をしながらなんですけど。
だから皆さん“鹿児島らしいサッカー”を求めていて、それに沿って強くなっていくのが理想なんだろうなって思いますよね」
バレーボール出身とはいえ「鹿児島のサッカーがよく分からない」という川畑さんの表現にこちらは「おや?」と感じるものはありますが、そのまま話題はナンワの未来に移っていきます。
「うちの既存の事業は建設とビルメンテナンスがあって、エネルギーも次を見据えて動いていて、会社としては結果、僕が社長になる前に一度事業を立ち上げて何年間かやらせてもらって最後失敗に終わったこともあるんですけど。
挑戦はしていたいと思います。
時代の流れも変わってくるのでそれに対応しながら、失敗を恐れず、もちろん失敗をした人間からすると少し慎重にっていう想いもありつつ、なにかに飛び込んでいかないと会社として大きくなるチャンスを逃すかもしれませんし。
リスクをちゃんと検証しながら、挑戦しつづける企業にはなりたいと思っていますし、そういうマインドを自分よりも歳下の子たちにも感じてもらえればありがたいですね。
安定している事業もいいんですけど、新しい事業に挑戦したい。
挑戦する過程が一番楽しいんですよ。
こういう風になったら事業性があるんじゃないか、いやだめじゃないかと議論しながら“これで進めよう”とそうするなかでまたトライアンドエラーがあって、その先を見すえてやるっていうことは好きなので。
社員の人たちも自分たちの想いの中でやってもらって、分からなければ聞けばいいし、ミスったら僕が責任を取ればいいし、何かしら挑戦し続ける集団ではありたいという風には思っていますけどね」
どちらかというと感情をあらわにすることなく丁寧に粛々と話すことが多い川畑さんですが、やはり心のなかはチャレンジャー精神にあふれていました。
4年ぶりのスペシャルマッチと川畑さんの在り方
明日は4年ぶりのスペシャルマッチです。
「もともと栃木シティがJFLから上がってきたばっかりで、自分のところの冠試合で勝ちたい、勝って欲しいから他に提示された選択肢の中から勝つ可能性がありそうなところと思って選ばせてもらったんですけど、実は超重要な一戦みたいな感じになってしまって」

改めて鹿児島のサポーターに説明するまでもありませんが、勝ち点57で自動昇格圏の2位にいる栃木シティと、勝ち点54の3位で栃木シティを追う鹿児島との直接対決になります。
多くのサポーターが東郷平八郎のZ旗と「皇国ノ興廃此ノ一戦二在リ」のような気持ちでいることと想像しますが…川畑さんは少し異なる目線をお持ちでした。
「この間の宮崎戦もそうでしたけど、にぎやかというか。
署名で外を回っていた時に結構私服の方が多いなっていう印象があったんですよね。
もうユナイテッドのユニフォームを着ている人に話しても“署名やりました”っていうので私服の人を目がけていくんですけど、“今回が初めてで”みたいな人たちもいたので、今回の栃木シティ戦もそういうきっかけになってくれればいいなと思いますね。
もちろん勝って欲しいって気持ちはあるんですけど、勝ち負けはもう時の運みたいなものもあったりするので、それよりも宮崎戦とかでも後半観客数が出るのをみんなが楽しみにしていて、9500人を超えた時にも徳重さんたちと“良かったね”みたいな握手をしたりしたので、なんかそういう盛り上がるきっかけになってくれればいいなって思います」

社員に隠れてスマホで八戸戦を観ているような川畑さんが「鹿児島らしいサッカーとかはよく分からない」という表現をされたことにも少し違和感がありましたが、それは謙虚さに加えて「あえてサッカー界とは距離をおいた目線を忘れないようにしている」という気もしてきます。
スポンサー企業、サポーター、クラブ、そして県サッカー協会とまわりが「サッカーなしでは、ユナイテッドなしでは生きられない」と熱中すればするほどあえて一歩引いて、サッカーが人生の優先事項ではない大多数の人たちの目線や考え方を踏まえ、広い視野でまわりがうまく進むように気を配っている、というような。
この川畑さんに関する見方が違っていたら申し訳ない限りですが…
明日の試合後にいつも落ち着いている川畑さんが「良かった」と満面の笑顔でスタジアムから出てくるような一日になりますように!
みんなで力を尽くしましょう!

会社概要
社名/株式会社ナンワ
代表者/代表取締役社長
本社所在地/鹿児島市東開町3-166
