【3月11日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2023 vol.02
鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は3月11日に行われる2023明治安田生命J3リーグ第2節、鹿児島ユナイテッドFC vs FC今治のマッチデープログラムです。
日程表・順位表・テキスト速報
前回までの振り返り
2023年3月4日(土)2023明治安田生命J3リーグ第1節
vs FC大阪 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)
3月4日の昼下がり、5,999名の観客が足を運んだ。
バスで鴨池公園に入ってくる監督や選手たちを数百のサポーターが、チャントや手拍子や鳴り物、大旗、ゲーフラなどで盛大に迎える。
「やっぱりバス待ちのサポーターを見た瞬間から震えましたし、あそこでプレーできる幸せを感じました。街一体で応援してもらっているのを感じますし、だからこそ結果を出さなければなりません」
1年前、この場所でアウェイの選手としてJリーグデビューを果たした鈴木翔大は、この日を鹿児島の選手として迎えた。
アップ前には登尾顕徳GMと大嶽直人監督がサポーターのもとをおとずれ、共に戦い鹿児島をもっと熱くしようと呼びかける。
試合前には五領淳樹が昨シーズン最終戦でJリーグ通算200試合出場を達成した記念のセレモニーが行われる。
15:03、「ITADAKI SOUL」を掲げた2023シーズンがはじまった。
直後の1:30、FC大阪が左サイドからボールを運び、渡邉英祐と河辺駿太郎が対応するが、こぼれたボールをゴール前に入れられ、そのままボレーが決まって早々と先制を許す。
「相手はJFLからJリーグに入ってきた勢いを持って食らいついてきましたし、そこに受け身になったわけではありませんが、自分たちも緊張感の高いなかで試合をしていたので、その辺が難しく普段は起きないようなミスも起きてしまったと思っています(薩川淳貴)」
しかし、鹿児島は慌てることなくサイドからボールを運びFC大阪のゴールを目指す。
7分、右サイドから戻されたボールを中原秀人がゴール前にダイレクトでクロスを入れ、有田光希が競ったボールをロメロ フランクがファーサイドに向けて蹴ったボールを左サイドから中に入って来た鈴木が合わせるが枠を外れる。
13分、CKの流れからゴール前で混戦が生じて、最後は有田がシュートを打つがサイドネットの外側に刺さる。
「見えない難しさ、プレッシャーがあったと思います。それが事故のような感じで早い時間に失点しましたが、選手が焦らず自分たちのサッカーを続ける集中力と我慢強くプレーすること、自分たちの鹿児島のサッカーを続けました(大嶽直人監督)」
「開幕戦は難しいし、早い失点もありえるなかで、ずるずる複数失点を重ねるパターンもあったけどそうならないようにチームとして持っていけました。浮かれたムードから引き締まったと思います(五領淳樹)」
37分、河辺駿太郎から有田にボールが入り、最後は鈴木が合わせたシュートはポストに当たって跳ね返る。
さらにボールを拾った中原が送ったスルーパスをロメロがゴール前にボールを送る。
FC大阪の守備でコースが変わり、走り込んできた河辺は合わせきれない。
後半に入っても鹿児島がボールを保持して、攻め続ける。
61分、左サイドから中へボールを運ぶ薩川がゴール前に入れたボールがこぼれたところを、右サイドから上ってきた渡邉英祐がミドルシュートを打つがわずかに左ポストの外側を通り抜ける。
FC大阪がボールを奪っても、岡本將成や広瀬健太、GK大内一生を中心に適切な対応で守っていく。
62分、有田とロメロに代わり、端戸仁と山本駿亮がピッチに投入される。
「仁と駿亮が入って流れがこっちに傾いたのを感じました。前半からフランクさんの対応で疲弊した後に、今度はポジション取りがうまくて強さもある仁が入っていたのは相手にとって本当にきつかったと思います(五領淳樹)」
76分、河辺に変わってその五領がピッチに投入されると一気にスタンドが沸き立つ。
五領はかつて後半から出場するたびにスタンドを沸かせてきた初代キャプテンのことを思い出しながら、同時に「こういう試合は途中出場の選手がヒーローになるチャンスがあるぞ」ととらえ、同じベンチスタートの選手たちにも伝えてきた。
前線の顔ぶれを変えた鹿児島はチャンスを作り続けるが、ゴールが決まらない。
それでも、だからこそ、バックスタンドとメインスタンドに集まったサポーターは大きな声と鳴り物の大音響で選手たちを鼓舞する。
89分、CKを蹴るのは五領。
ゴール前にボールが行くが、FC大阪のGKは飛び出すことができない。
「(中原)秀人がうまくファウルにならないようにしながら、GKが出づらい位置にいてくれたのが影のMVPです(五領淳樹)」
「なんとかして同点に持っていこうと思っていましたが、(五領)淳樹さんから良いボールが来て僕は合わせるだけでした(広瀬健太)」
キャプテン広瀬が頭で合わせて、ついにFC大阪のゴールネットが揺れる。
スタジアムが一気に大興奮に包まれる。
端戸はすぐにボールを拾い上げてセンターサークルへ走る。
ゴールを決めた広瀬も走って戻りながら「もう1点行くぞ」と選手たちに、そしてサポーターに呼びかける。
「引き分けでは物足りないですし、今日観に来てくださった皆さまに勝利を届けるためにプレーしていたので、同点ゴールに追いついてからも早く帰ってもう1点取りに行こうと体現しました(広瀬健太)」
スタンドに集まったサポーターもそれに呼応するように応援の圧力を強める。
「雰囲気がやばかったので行くだろうな、という気持ちがありました(五領淳樹)」
91分、広瀬が最後尾からペナルティエリア内左側に向けて大きくボールを蹴る。
90分の戦いを感じさせないような跳躍力で鈴木が競り勝つ。
ボールをおさめた山口卓己がシュートする。
FC大阪守備陣に当たってまたボールがこぼれる。
自分のボールにしたのは、ゴール前まで入ってきていた左サイドバックの薩川だった。
「今日は全体的にクロスへの入りは狙っていました。今年自分は個人的に点を取れるサイドバックを目指しているので、その意識があって最後ボールが転がってきたのかなと思います(薩川淳貴)」
薩川はひとつボールを前に運ぶ。
そのまま左足でシュート。
GKの手が届かないコースに飛び、サイドネットに突き刺さる。
薩川はコーナーに向かって駆け出し、次々と選手たちが追いかける。
目の前でシュートの軌道を見ていた端戸も、今度はボールではなく薩川のほうへ駆けていく。
ベンチからも選手やスタッフが駆け寄る。
そして大嶽直人監督も歓喜に加わる。
「我慢強く戦って、最後の最後まで諦めないプレーができました。その諦めずに戦い続ける姿勢が、守備に対してもしっかりリスク管理できた部分も大きかったです。それが最後チームの力になりました。最後の場面まで声出しの力が、選手の心に響いて戦えました(大嶽直人監督)」
開幕戦を終盤の逆転で勝利した。
J2デビューとなった2019シーズン以来の、J3では2017シーズン以来2度目の勝利。
試合後も全席で声出しを解禁されたサポーターとともに、選手たちが喜びを分かち合った。
「僕自身、全席での声出し応援がサッカー人生で初めてだったのですが、本当にバス待ちのところから声援が聞こえてきましたし、今日も90分圧倒的な雰囲気で、あの雰囲気だから逆転できたと思っています(薩川淳貴)」
声出し応援が当然のようにあった時代を知るのは五領淳樹、中原秀人、米澤令衣、野嶽寛也、当時はアカデミー生としてピッチサイドでボールパーソンなどをしていた武星弥、そして今シーズン復帰した藤本憲明の6人。
「正直あの頃を知っている選手は少ないから、一部声出しが解禁された去年の松本戦でも思いましたが、本当の意味でやっと帰ってきたなって感じです(五領淳樹)」
続けてのホーム戦となる今週はFC今治を迎える。
「去年誰よりも悔しい想いをしてきましたし、そういう面でオフ期間は今までやってきたオフの中で最高の準備をしてきたつもりですし、優勝するつもりでコンディションを考えてきました。ホームでは負けられないですし、次の今治も強敵です。しっかりと今まで以上に良い準備をして、FC大阪戦の反省をして、次のゲームに向いたいです」
薩川はまだまだ走り続けるべく気持ちを高めている。
「去年も対戦して能力の高い選手が前線にいるし、その良さを出さないように守らなければなりません。そして得点のチャンスは必ずあるのでホームとして戦い勝ちます」
2018シーズンの昇格を知る数少ない選手、中原秀人は静かに闘志を燃やす。
「自分たちがアグレッシブに、トランジッションでいかに早く攻撃できるかです。ホームが続くので、今度は自分たちから受け身にならずに先制できるようにしたいです。サポーターとともにいいゲームをして喜んでいけるように、次に繋がるようにしていきたいです(大嶽直人監督)」
J3優勝の頂きを目指すシーズンの先はまだまだこれから。
今はただ魂を燃やして、FC今治という強敵を相手に勝ち点3を獲るために戦い続ける。
コラム鹿児島をもっとひとつに。vol.02(total vol.14):
鴨池、愛媛、鹿児島を経てたどり着いた薩摩川内市の女子サッカーという宿命
サッカーとの出会い、フリューゲルスとの出会い
現在、レイナ川内レディースSCの代表兼監督を務める山口さんは、1988年1月、鴨池に生まれ、鴨池で育ちました。
お父さんはサッカーの指導者、おばあちゃんとお母さんは当時「サロンフットボール」と呼ばれていた、いわゆるフットサルの女子選手。
当時としては珍しく女性までがサッカーに染まった一家に生まれたのだから、山口さんがサッカーを始めるのは必然でした。
最初に所属したサッカーチームは「鹿児島フリューゲルス・ジュニア」です。
当時、Jリーグには横浜フリューゲルスという「非常に強いチーム」があり、長崎と熊本と鹿児島を準ホームタウンとして活動していて、鹿児島には「フリューゲルス」のU-12が創設されていたのです。
フリューゲルスの一員として、近所の鹿児島県立鴨池陸上競技場で横浜フリューゲルスの試合が行われる際には、スタジアムに通い、フラッグベアラーを務めるのも必然でした。
「あの頃フリューゲルスには鹿児島出身の前田浩二さんがいて、キレキレの前園(真聖)さんがいて、サンパイオがいて、三浦淳宏さんもいましたし、楢崎さんもフリューゲルスの選手だったんですよ」
もちろんドーハの悲劇を経験した日本代表DFのことも忘れてはいません。
「大嶽直人さん、何度もスライディングして相手からボールを奪って、熱い選手でした。トップチームの選手として見ていた人がユナイテッドの監督になった時は本当にびっくりしました」
多くのサッカー少年はその光景に「自分もJリーガーになりたい」と思っていましたが、山口さんはただただサッカーボールを蹴ることが楽しく、うまくなるために練習に励んでいました。
横浜フリューゲルスが横浜マリノスとの合併が決まり、最後の試合まで国立に応援に行くほどの熱意はありましたが、プロというものには現実味はなくその「ただただうまくなりたい」という姿勢は鴨池中学校サッカー部でも変わりません。
ものごとが変わったのは、鹿児島城西高校に進学してから。
3年生には中山博貴、吉井孝輔、有薗真吾がいて、2年生には西田剛や新中剛史がいて、同じ1年生にも山内智裕や内薗大貴といった後にJリーグでプレーする選手たちがいました。
一般入試での入学から特待生たちをごぼう抜きにしてレギュラーをつかんだ3年生の左サイドハーフ田上裕は「自分で突っ込んで、ミスして奪われて、でもすぐ自分で奪い返して(笑)。本当に凄いですよ。一般からレギュラー取るまでやれる気持ちの強さがあるから、あの年齢まで選手としてやれたと思うんです」。
当時まだ新興だった鹿児島城西高校は、興梠慎三を擁する鵬翔高校、平山相太や中村北斗を擁する国見高校など強豪を次々と破り、九州プリンスリーグの初代王者に輝きます。
その先輩たちの様子を見ていた山口さんは「これだ!」と、もっとレベルの高いサッカー、プロサッカー選手を志すようになっていくのです。
長髪金髪を振り乱して戦った現役時代
ここから山口さんのプロを目指して戦う選手生活は、、、このコラムが3倍くらいの分量になってしまうので今回は割愛します。
日本文理大学を卒業して入ったHOYO大分(現在のヴェルスパ大分)をすぐに辞めて、Jリーグの愛媛FCが当時運営していたセカンドチーム「しまなみ」で働きながらサッカーを続けチャンスを待つ日々。
その頃から愛媛に来ていた岡田武史さんのサッカーに対する姿勢、未来を育む姿勢に感銘を受けていたこと。
2011シーズン、四国リーグで無敗優勝を果たしながらもチームは活動休止。
しまなみとしての最後の大会では、鴨池中学校サッカー部の先輩でもある徳重剛がクラブ代表として奮闘していて、田上裕が選手兼監督を務め、城西高校出身の選手が多く所属するFC KAGOSHIMAとの激闘の末の勝利。
しまなみからFC今治へと運営が変わったなかで、自身は最初に声をかけてくれたヴォルカ鹿児島を新しい場所に選ぶ。
金髪長髪を振り乱しながら相手からボールを奪い続け「鹿児島にJリーグを作る」と燃え続けた2012シーズン。
ピッチを離れれば誰よりも明るいキャラクターで、その場その場に自身とヴォルカ鹿児島の爪痕を残そうと呼びかけた日々。
なんとか鹿児島がひとつになることができないのかと、チームの垣根を超えて赤尾公や田上裕たちともがいた2012年末。
そして2013シーズン初め、引退を選びました。
この時代の物語は、いつか誰かが、鹿児島ユナイテッドFCの前夜史として語ってくれることでしょう。
選手を引退した山口さんが選んだのはジュブリーレ鹿児島のコーチでした。
ジュブリーレ鹿児島は、当時なでしこ2部に相当するチャレンジリーグに所属。
鹿児島出身の選手たちを育てて軸として確立し、県外の有力な選手を組み込むことで徐々に結果を出していました。
しかし、2013シーズン、ジュブリーレ鹿児島はなかなか勝点を伸ばすことができません。
山口さんは厳格な出口監督と選手たちの間に立ってチームを勝たせようとしますが、最終的に九州リーグへの降格が決まりました。
出口監督は辞任し、指導者2年目の山口さんが監督を継ぎ、1年での全国リーグ復帰を目指す2014シーズンとなりました。
モク ソンジョン(現アルビレックス新潟レディース コーチ)たち九州リーグで突出した戦力を有するジュブリーレ鹿児島は全国リーグの参入戦に進出しますが、昇格を成し遂げることはできず。
その日々の中で、山口さんは疲弊していました。
日中は仕事、夜に指導、週末は遠征のためにバスを運転。
コーチから監督に立場を変えたことで、選手との関係性も難しいものになりました。
「山口純が、山口純であることを見失っていた」と振り返ります。
多くの経験を経た今の自分ならもっと上手くやれたと思いつつも、男性が女性の指導をすることは簡単ではなく、今も試行錯誤を続けています。
「僕は選手全員の前で話をすることにしています。1対1での話は極力しない。それをすると“特別扱い?”って見られるんです。どうしても1対1で話すしかない時は、その後でみんなに“こういう事情でこういう話をした”と伝えることにしています」
かつて山口さんが見ていたフリューゲルスの選手も、女子サッカーの指導者として実績を積み重ねて鹿児島ユナイテッドFCの監督になりました。
「大嶽さん、本当にすごいですよ。僕が今のレイナでできているのは、自分が育ててきた選手たちだからです。でも大嶽さんが監督をしていたのは、なでしこのトップです。色々なところから集まった一流の選手たちは、みんなプライドが高いわけです。それをまとめ上げてチームを勝たせる、僕には無理です」
20代後半に差しかかっていた山口さんは新しい道に進むことを決めます。
みずから代表を務めるクラブ「レイナ川内レディースSC」の創設でした。
地域のために走り続ける
鹿児島市の鴨池生まれ鴨池育ちな山口さんは、なぜ薩摩川内市を選んだのでしょうか?
「鹿児島県全体がそうですが、特に北薩の女子は中学から先、サッカーをする場がないんです。高校では神村学園や鳳凰高校がありますが、そこまでではない女子選手はサッカーを辞めるか、別のスポーツに転向します。大学生や社会人になってからサッカーをする場もない。その状況をなんとかしたかったんです」
サッカーを通した地域活性化もまた大事にしていることです。
高校を卒業するタイミングで、どうしても若い人たちは市外県外に出ていってしまう流れができています。
「薩摩川内市は高齢化が進んでいて、担い手がいなくて工業も農業も困っています。そこにサッカーを通じてのまちづくりがしたいんです。街がなくなったらサッカーもできないですし、街が視線を向けてくれなくてもサッカーはできないじゃないですか。年に1人とか2人、微力かもしれませんが、サッカーがきっかけで薩摩川内市に就職したり住む人が出てくる。サッカーを通して目配り気配り明るさを身に着けた選手たちが企業を元気にしてくれたら、継続していったらすごいことになるって思うんです」
まわりの配慮もあって日中の山口さんは中小企業を支える団体職員としての仕事をしています。
兼業についてもサッカーに100%のエネルギーを注げないということではなく、地域に関するあれこれを違う立場で関わることができるという風にとらえ、精力的に動き回っています。
奥さまと子どもたちは鹿児島市で暮らし、山口さんは薩摩川内市で生活しながら、時間ができれば鹿児島市の家に戻るという生活を送っています。
多忙ですが、これからのレイナ川内を語る山口さんは熱意に溢れ、希望に燃えています。
「今年、レイナには7年目を迎える選手が3人いるんです。中学生からはじめて専門学校に進学する子、高校からはじめて就職する子、大学からはじめて25歳になる子、それぞれですが中高一貫校の生徒より長くひとつのチームでやっているってすごくないですか? なでしこリーグを目指します。クラブを立ち上げた時、2026年までになでしこリーグに入ると目標を立てました。まだその可能性があるのだから、追い求めていきます。今年は、去年達成できなかった(鹿児島県1部リーグから)九州リーグへの昇格を目指すためにクラブの力をつける1年です」
すでにレイナ川内には専用のグラウンドがあり、住む場所があり、地元での仕事を斡旋できる環境が整っています。
しかし、関東で行われたセレクションを見てきた山口さんにとってはまだまだと言います。
「関東関西では人工芝のグラウンドもあって、仕事もサッカーのために早く上がれる環境がありました。本気で上を目指す選手であれば、そっちを取ると思います」
これからレイナ川内が目指すのはもちろん環境をさらに整えることもですが、鹿児島の才能を掘り起こし、進学就職のタイミングで県外に行く選手たちが残ってプレーしてくれるようにすること、さらに今いる選手たちを育てていくことです。
鹿児島の選手たちを中心にした揺るぎない土台を築き、カテゴリーを上げていき、県外からやってくる選手たちを加えていく。
そうやってセミプロの頂点であるなでしこ1部を目指していきます。
「あくまで地域活性化がクラブの根本ですから、選手たちが仕事を通じて地域を元気にすることも大切なことなんです。地元の人たちの気持ち次第で、プロのWEリーグに行く日が来るかもしれませんけど」
最近、鹿児島市にWEリーグを目指す女子の社会人サッカーチーム「ミゴカリッサ鹿児島」が誕生しました。
「この前はじめて見たんですけど、すごくいいチームでした。挨拶がしっかりしているし、プレー中に倒されてもすぐに立ち上がる。文句をいうスタッフもいない。みんな熱い気持ちをもっているし、自分たちが選手だった頃の原点という気がします。私たちレイナの目的のひとつは鹿児島の女子サッカーを盛り上げることなので、他チームとも協力しあっていきたいです」
祖母、父、母、叔父、そして奥様の存在から女子サッカーが自分の宿命だと自認し、これからも女子サッカーに生きていく決意は揺るぎないものです。
山口さんはまた人と人とのつながりをとことん大切にします。
鴨池の仲間、鹿児島城西高校の仲間、愛媛にいた頃の仲間、そして薩摩川内の仲間、それ以外にも様々なところで得たご縁、どれもおろそかにしません。
ヴォルカ鹿児島時代の仲間で、今はユナイテッドで強化を担う赤尾公の話になるとかなり照れ笑いを浮かべながら、期待を込めたエールを贈ってくれました。
鹿児島ユナイテッドFCは多くの方の想いが込められたクラブです。
ピッチ上での勝負は、お互いが必死に勝ちに行くことだから必ずとは言えません。
しかし、山口さんの情熱に共感する人たちによって薩摩川内市には少しずつでも着実に新しい活気が生まれていくことはまちがいないと思えます。
最後に。
山口さんの奥様は鹿児島の女子サッカーがほとんど何もなかった頃から、選手として先頭に立って戦い続けた開拓者でした。
「13年同じクラブでプレーした奥さんを超える選手を育てたいですね。これはチームとは関係のない僕個人の目標です」