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2023.03.25 お知らせ

【3月26日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2023 vol.03

鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は3月26日に行われる2023明治安田生命J3リーグ第4節、鹿児島ユナイテッドFC vs SC相模原のマッチデープログラムです。

エヌ・ケイ・カスタマイズ SPECIAL MATCH 2023明治安田生命J3リーグ第4節

日程表・順位表・テキスト速報

前回までの振り返り

2023年3月11日(土)2023明治安田生命J3リーグ第2節
vs FC今治 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)

3月4日の開幕戦に続き、ホーム鴨池で迎える第2節のFC今治戦。
「2週連続ホームの2戦目」「土曜昼のゲーム」という来場者が少なくなりやすい傾向にある試合だが、それでも5,000名を超えるサポーターがスタジアムに足を運ぶ。

開幕戦を終盤の逆転でモノにした勢いのままに押し切りたい鹿児島。
しかし序盤は今治がチャンスを作る。
3分、左サイドから打たれたシュートが広瀬健太に当たってコースが変わるが、GK大内一生が伸ばした右手で弾き出す。
さらに6分、7分、16分とシュートを打たれる。

「入りに関してはロングボールを蹴りすぎたというか、あれだけ蹴ってしまうと相手のディフェンスも競り合いが強く、相手の土俵で戦ってしまうことになるので、もう少し自分たちの時間を増やしたかったです(端戸仁)」
今治の攻撃を防ぐ鹿児島が、反撃に出る。
25分、右サイドでボールをキープした五領淳樹が、中に入ってきた星広太にパスを通す。
星は伸ばした足でボールを収めると、ニアサイドへ走る有田光希にボールを送るが、今治GKがクリアする。
40分、中盤で中原秀人が左サイドへ浮かせたスルーパスに抜け出た鈴木翔大がGKとの1対1を迎えるが、寸前でクリアされる。
さらに端戸がそのボールをGK不在のゴールへ狙うが枠を外れる。
41分、中原から右サイドの五領へ。
五領が左足で入れたクロスを有田が頭で合わせるが、オフサイドの判定でノーゴール。
いい場面を作りながらも0-0で前半を終える。

「前半20分過ぎから少しずつ押し込めるようになってチャンスも作れましたが、もう少し自分たちが高い位置でボールを保持して、押し込む時間を増やすともっと良くなると思います(端戸仁)」
後半も最初のチャンスは鹿児島が作る。
48分、クリアボールを拾った山口卓己がゴール前に入れたボールを岡本將成が競り合い、ファーサイドの端戸が合わせるがバーを叩く。

徐々にFC今治がボールを握る時間が増えていく。
57分、鹿児島陣内での攻防から、こぼれたボールをミドルで打たれるが、大内が身体を伸ばして弾く。
73分、右サイドから突破され混戦したところを決められて先制を許す。
1点を追う鹿児島はベンチからトップ下にロメロ フランク、右サイドに河辺駿太郎、左サイドに山本駿亮、そしてワントップにU-18から昇格した武星弥を送り込む。

スタジアムがさらに大音響に包まれる。
「デビュー戦ということもあって思い切ってやってこいと送り出されて、思いっきり自分のプレーを出そうとピッチに立ちました。やっぱりピッチに立った時の声援がすごくて鳥肌が立ちました。(武星弥)」
「武に関しては今週のトレーニングから成果を出してくれましたし、しっかりと結果を出せる選手がいるとチームの活性化になります。うちの選手は全員がスタートから行けますし、チャンスがあればどんどん出して行くつもりです(大嶽直人監督)」
今治を押し込みゴールを狙い続ける。
94分、右サイド深くに入り込んだ星広太がクロスを入れる。
密集したところでボールを収めた武がシュートを打つ。
さらにこぼれたボールを今度はロメロが打つ。
またもGKが弾く。
そのボールが、今治守備陣の足に当たって、ゴールに転がる。
武が、ロメロが、広瀬健太が、みんなが歓喜する。
そのまま試合が終わった。

1-1の引き分け。
「選手たちの点を取られた後の押し返しは評価できます。果敢に攻めていく姿勢とリスクを冒して攻めていく姿勢、守備でも攻めていくポジションを取ったことが非常に大きかったです。自分たちはまた修正点と、次に向かっていくところが見えた試合でした(大嶽直人監督)」
Jリーグデビューを果たした武星弥は納得していない。
「0-1で負けている状況で“ここで点を取ればヒーローになれるぞ”とベンチから言ってもらえて、そこで自分が点を取って逆転まで持っていければ一番良かったです。自分が点を取れなくて引き分けになってしまったので、そこは悔しさがあります(武星弥)」

ホーム開幕2連戦を終えて1勝1分。
どちらも最後の最後でのゴールで得た勝ち点3と勝ち点1。
「前節に続きサポーターが素晴らしい雰囲気をつくってくれたおかげのゴールなので感謝しています。押し込まれたところもありましたが、チームとして立ち上がりのところは課題だと思うので、そこは修正して次につなげたいです(星広太)」
次戦はアウェイでFC岐阜と対戦する。

2023年3月18日(土)2023明治安田生命J3リーグ第3節
vs FC岐阜 会場:岐阜メモリアルセンター長良川競技場(岐阜県岐阜市)

今シーズン初のアウェイ、FC岐阜戦。
前節からトップ下にはロメロ フランクが入り、左サイドには今シーズン初スタメンとなる山本駿亮、センターバックも今シーズン初スタメンの戸根一誓、そしてボランチには今シーズン初出場の木村祐志が入った。

10分、右サイドから五領淳樹のサイドチェンジを受けた山本が正確にボールを収め、ドリブルで中央に切り込んでシュートを打つ。
逆に15分、岐阜はサイドからつないで強烈なミドルシュートを打つが、鹿児島守備陣もしっかりコースを切って、シュートは枠を外れる。
鹿児島はボランチの木村、センターバックの戸根、岡本將成、さらにGK大内一生も参加してボールを動かしながら好機をうかがい、チャンスと見るや一気に前線にボールを送って岐阜陣内を急襲する。
「開幕から2試合をスタンドの上から見ていて、こうしたら良いのではないかと感じることは多かったですし、しっかり後ろと前をつなぐことが仕事で、もっともっと良くなると思います(木村祐志)」

28分、左サイドから薩川淳貴がゴール前にクロスを入れて、ペナルティエリア内でボールを収めた五領が右足で打ったシュートは岐阜守備陣に当たってCK。
木村が蹴ったキックのコースが変わったところをファーサイドで待つ薩川が頭で合わせるが岐阜GKが防ぐ。
40分、中盤の奪い合いからいち早く反応した岡本がダイレクトで縦に長いボールを入れる。
左サイドで受けた山本は中央に入りながら有田光希へ。
有田がペナルティエリア前から左足で打ったシュートは枠を外れる。
ゴールは生まれなかったが、鹿児島がペースを握って前半を終えた。

「入りから自分たちのペースで入れたので、前半仕留めることはできれば大きかったですが、ただ流れを作った中でリスク管理をできたのが大きかったと思います(大嶽直人監督)」
後半、岐阜はサイドの突破からチャンスを作る。
51分、左サイドから入ったクロスでシュートを打たれるが、ゴール前の選手たちが集中して防ぐ。
その再開されたゴールキックを大内からパスでつないでいこうとしたところを、ペナルティエリア前で奪われる。
そのまま強烈なミドルシュートが決まって、岐阜に先制を許す。
「別にネガティブになる必要はありません。自分たちがやろうとしているなかでのトライ&エラーで、ファウルがあったかは分かりませんが、そこの判断を間違えないようにすれば問題ないですし、続けていけば大丈夫だと思います(木村祐志)」

75分、コーナーキックからつないで中央で待つ薩川が強烈なミドルシュートを打つ。
81分、木村に代わって2節まで先発した山口卓己と、有田に代わって武星弥が送り込まれる。
右サイドに入った河辺俊太郎、左サイドに入った鈴木翔大もサイドからチャンスを作ろうと走り続ける。
89分、山口のスルーパスに反応した武が左サイドを抜け出て、GKと1対1を迎える。
武が打ったシュートはGKが防いでコーナーキックになる。

94分、左サイドでのパス交換からペナルティエリア左側へ潜り込んだ薩川から、中央のロメロへパスが通る。
ロメロは左足のダイレクトで合わせる。
わずかに枠の外側を通り抜けていく。
95分、コーナーキックのこぼれ球を再びロメロがシュートする。
ボールはゴールを外れ、試合終了のホイッスルが鳴り、ロメロは倒れ込む。
1点が決められず、3節目にしての敗戦。
「運もあると思いますが、今日も前の選手は無得点でしたし、決めきりたいです。前半流れがすごく良くて上手くボールを動かしながら、相手のゴールに向けていけたのですが、そこでシュートを決めきれればチームとして流れが良くなると思いますし、そういう意識を持っていきたいです。(ロメロ)」

「パスもですし、どんどんボールも人も前に入っていく場面を増やせばもっとチャンスは作れます。そしてゴールも増えていくと思います。チャンスは作っていましたけど、決めきることは課題です。失点の場面についてみんなで確認することで修正できる問題だと思うので、切り替えて次に向かいたいです(木村)」

今週はホームにSC相模原を迎える。
「岐阜戦は久しぶりに長時間プレーして楽しかったです。センターバックとボランチでパスを回しましたが、自分も近くしか見れていなかったので、ワイドやFWの選手をもっと意識すれば相手は嫌になるはずです(戸根一誓)」
岐阜戦で初スタメン出場ながら安定したプレーで高く評価された戸根は、冷静に自分がこれからしなければならないことに目を向けている。

「自分たちのパスをつなぐサッカー、ゴールに向かうアグレッシブな姿勢は出せました。でも最初のシュートも自分で、他にも前半決めるチャンスで取れなかったのが負けた要因です。監督から去年からもサイドハーフとして起用することはあると言われていたけど、FWとしての点を取る役割を期待されているので徹底していきたいです(山本駿亮)」
戸根と同じく初スタメンながら左サイドで攻撃を活性化させた山本も、手応えと課題の両方を持って前を向いている。

この3試合を見ても、相模原戦で誰が出るのか予想はつかない。
「我々は全員で鹿児島のサッカーをやっていますし、 本当に誰が出ても同じようにできるので、そこは本当に自信を持ってやっています。岐阜戦の前半素晴らしいゲームができたと思いますし、ただそれは90分間やり続けなくてはいけないというところにまだ我々の甘さがあったと思います。これをまたいい勉強として我々は次のホームに向けて切り替えていい準備をして、またいいパフォーマンスを出して、皆さんの前で喜んでもらえるプレーを出せるようにしたいと思います(大嶽直人監督)」
いつも熱い情熱で選手たちを鼓舞してくれるサポーターとともに、みんながひとつになって戦い、勝ち点3を獲ること。
敗戦を喫した次節も、勢いのある相模原に対してもやるべきことは変わらない。

コラム鹿児島をもっとひとつに。vol.03(total vol.15):
にこやかさわやかスクールリーダーのちょっと枠を超えた貪欲なる積み上げ

アイマスクで視界を完全に封じられた大学生たちに向けて、ヒロコーチは大きな笑顔と伸びのある声で呼びかけていきます。
声がする方向に向けてパスを出してみましょう。
目が見える人は、相手がどうすれば正確に蹴ることができるのかちゃんと指示を出しましょう。
参加者には視覚障がい者サッカー以外にも知的障がいなど様々な障がい者サッカー関係者も含まれていますが、みんな普段の生活ではまったく遭遇することのない状況にも、一生懸命かつ楽しく取り組んでいます。

鹿児島国際大学でブラインドサッカーを活用したインクルーシブ教育が行われました(11/26) – 鹿児島ユナイテッドFC オフィシャルサイト (kufc.co.jp)

24歳にして鹿児島ユナイテッドFCのサッカー普及活動を統括する、山之内大晃(ひろあき)スクールリーダー。
平日は昼前後に幼稚園や保育園を巡回して運動教室を行い、夕方になると県内各地で実施しているサッカースクールの現場で小学生や幼児に週1回のレッスンを行い、それ以外の時間で他のスクールコーチたちと事務作業を進めて、イベントを企画して、週末はそういったイベントの現場で新しい子どもたちとサッカーをしたり、ホームゲーム会場でも試合前にサッカー教室をしたり、スクール生を募集するための取り組みを考えたり、他のスクールコーチといっしょに社会人の勉強会に参加したり。
ヒロコーチはやることたくさんの日々を、現場ではさわやか笑顔で、事務所ではパソコンに向かってこつこつこつこつこつこつこつこつするべき業務を推し進めています。

プロを夢見ていたサッカー少年時代

10年以上前、鹿児島でJリーグといえば「無理に決まっている」と言われるような時代。
鹿児島ユナイテッドFCの前身クラブであるヴォルカ鹿児島とFC KAGOSHIMAが、全国リーグのJFLを目指して九州リーグという舞台で競っていた時代。
兄の影響で幼稚園生からサッカーを始めていたヒロ少年はアミーゴス鹿児島の小学生チーム、中学生チームでプレーしていました。

アミーゴス鹿児島U-15時代。前列左から2人目が山之内大晃コーチ

当時FC KAGOSHIMAとアミーゴス鹿児島は提携関係にあり、選手たちも指導にあたっていたし、公式戦にもみんなで応援に行っていました。
同じ小学校出身の村口良平選手がゴールを守り、同じ小学校出身で元サガン鳥栖のFW谷口堅三選手(現ヴェロスクロノス都農)が毎試合のように正確なシュートで相手ゴールネットを揺らしているところを見続けてきました。

小学校の先輩でもあるFC KAGOSHIMA時代の村口良平(現アカデミーU-18GKコーチ)

そして今、みんなが「タノさん」と呼ぶ応援リーダー田上裕は、どうしても当時の呼び名が抜けず今でも「ユタカさん」と慕っているお兄ちゃん的な存在です。
ヒロ少年もごく自然に「プロサッカー選手になる」と夢を描きながらチームメイトといっしょにFC KAGOSHIMAを応援していました。
「鹿児島にプロ」など世間的には現実味が薄い時代でしたが、ヒロ少年にとって誇れる選手たちがピッチの上で躍動していました。
県内屈指の強豪だったアミーゴス鹿児島U-15で、レギュラーとしてプレーする左利きのヒロ少年。

しかし、ひとつ後輩には後にカマタマーレ讃岐やY.S.C.C.横浜でプレーすることになるFW林友哉選手がいて、「こういう選手がプロになるんだ」と感じさせられることになります。
高校進学に際しては、県外の高校からも特待生としての話があり、かなり迷いましたが、最終的に決めたのは鹿児島県立松陽高校です。
「公立高校で私立高校の強豪に勝ったらカッコいいよなって思って。当時公立で強いところと言えば松陽とか鹿児島中央高校とかでした。あとは兄も松陽だった影響もあります」
松陽高校では2年生の時に鹿児島県のベスト8入り。
「自分たちは強い」と思っていたけれど、先輩たちが引退してからなかなか勝つことができず「勘違いだったんだな」と痛感することに。
それでもキャプテンとしてチームを牽引して、高校サッカーをやりきった後、進路を考える時期を迎えます。

田上裕応援リーダーは今ではサッカー教室でいっしょになる機会が多い

大学生にしてスクールコーチに

新中剛史コーチ(左、現都城東高校)のもとで指導にあたる大学1年生のヒロコーチ

ヒロコーチは「マネージャーとか人のためにやる仕事も好きだった」と言います。
そしてサッカー界を志す上で最初に考えたのはホペイロ(用具係・キット)でした。
「スパイクが昔から好きだったんです。小学生の頃にアディダスのプレデターとかファルカスみたいな革のスパイクを買ってもらって、丁寧に手入れしていくと最初は固いスパイクがだんだんと柔らかくなって足になじんでくるのがうれしくて。“スパイクを育てる”みたいな感覚ですね。変な人に思われるかもしれないけど(笑)」
スパイクと言えば耐久性があって手入れも楽な人工皮革が一般的な時代に、なんともマニアックなこだわりぶりがうかがえます。
とはいえユニフォームと違ってスパイクはサッカー選手が自分で選べる貴重なアイテムであり、普段寡黙な選手もスパイクの話題になると饒舌にこわだりを披露したりする深淵な世界ではありますが。

現在トップチームのスパイクは柴原優キットが手入れをするが、練習後みずからスパイク磨く選手も少なくない

サッカー界で選手を支える側の仕事を志し、様々な資料を取り寄せ、顧問の先生をはじめ色々な人たちに相談をしていくなかで「石橋を叩いて渡らない性格」と自認するヒロは、結果的に鹿児島国際大学経済学部への進学を選びます。
そんななかでも、顧問の先生のつながりから、当時鹿児島ユナイテッドFCの育成チームで指導していた森永直彬コーチの電話番号を教えてもらっていました。
「“ここにかけるかけないもお前が決めていいよ”って言われて。勇気が必要だったけど、まったく知らない人にいきなり電話をかけて、あれが人生を変えるポイントになりました」
電話をした森永コーチは快く高校卒業を控えていたヒロを受け入れ、現場に連れて行ってもらうことになります。
ところがついてみたら、そこは小学生の子どもたちにサッカーを教えるスクールの現場。
そしてヒロは気がつけば、ヒロコーチとして、スクールのアシスタントとしてアルバイトをすることになってしまったのです。

森永直彬スクールリーダー(現FC岐阜)

中学生の頃に職場体験で幼稚園に行った時も全然うまくいかなかったし、そもそも子どもにどう向き合えばいいのか分からない。
レッスンをしようとしても、子どもは砂遊びからこっちに来てくれない。
なかなかうまくいかないなかでも、ヒロは一生懸命に子どもたちに向き合い続けます。
その頃、ユナイテッドで現役を引退してスクールコーチになったばかりの新中剛史コーチ、山本啓人コーチからも多くのことを教わりました。
「(新中)ツヨシさんからは月謝を4回で割ったら千いくら。その都度お金をもらっているわけじゃないけど、その意識は常に持っていなきゃいけないんだって教わりました。(山本)ヒロトさんからは生徒が退会した時に、1人の生徒が入ってくることがクラブにどれだけの意味を持っているのか、退会するってことがどういう意味なのか考えろって言われました。まだ学生(それも1年生)の自分に、本気で向き合ってもらえるのが大きかったです」

現役を引退したばかりだった山本啓人スクールコーチ(現日本大学)

うまくいかなくて車の中で涙するほど、本気でスクールコーチという仕事と子どもたちに向き合うヒロコーチ。(涙するところを新中コーチに撮られて、グループLINEで共有されるほど溶け込んでもいました笑)
レッスンのどこが良かった、ここを改善しなければならない、と振り返るサッカーノートは、毎日毎日つけ続けていました。
当時のクラブ事務所のすぐ目の前にあった鴨池緑地公園の片隅で3人の先輩とともに指導実践として教え方を磨いたりしながら、ヒロコーチは徐々に指導者として成長していきます。
そして成功体験も支えになりました。
「緑地公園で知的障がい者のサッカー大会があって、そこで自分も指導する機会があったんです。そこで選手みんな純粋に楽しんでくれて、指導が良かったとかじゃなくて単純に彼らがサッカーが好きだっただけかもしれないんですけど、全然できない自分の指導にも反応があって楽しさがあったのは自分にとって大きかったです」
この体験は冒頭でご紹介した障がい者サッカーにもつながっていきます。
なかなかの仕事馬鹿ぶりに忘れちゃいそうになるので繰り返しますが、この頃のヒロコーチはまだ二十歳なるかならないかの大学生です。
ホペイロを目指していたところから迷い込んではじめたアルバイトに対して、どえらいガチっぷりで取り組み、経験値を積み重ねていました。

障がい者サッカーという出会い

さらに人生をもうひとつ変えることになったのが、本分である鹿児島国際大学でした。
「所属していた中西先生のゼミで、ブラインドサッカーを活用したコミュニケーションの授業をすることになったんです」
ブラインドサッカーは、シャカシャカ鳴る専用ボールの音と、監督やガイドの声を頼りにプレーする視覚障がい者のサッカーです。

視覚に頼れないからこそのコミュニケーションを育む研修ツールとして社会人の研修などにも活用されていて、ヒロコーチが所属するゼミでも「障がい者と健常者が違和感なく溶け込める=インクルーシブ社会の実現」を考えるために実施することになりました。
1回目は外部から講師を招いたけれど、以降はヒロコーチが講師を務めることになります。
「自分はサッカーの指導はできるようになっていたけど、イベントを企画したり運用することは全然できていなかった。そこで中西先生に教えてもらいながら、イベントの組み立てを学べたことは大きかったです」
昨年のホームゲームでは、親子を対象にしたブラインドサッカー体験会も実施しました。

大学生にして、自立したコーチとして地区を任されているヒロコーチは、鹿児島ユナイテッドFCに欠かせない存在になっていました。
「JAC(日本エアコミューター)で離島へサッカー教室をする機会があったんですけど、飛行機でCAさんに”がんばって下さい、応援してます”って言われたことがあるんです。選手でもない自分たちも含めて組織まるごと応援してもらえる、なかなかないよなって思います」
ホペイロやマネージャーという仕事への興味はまだありますし、同級生たちが一般企業に就職していくのを横目に、様々な選択肢を検討していった末に、2021年4月、大学を卒業してそのまま鹿児島ユナイテッドFCにスクールコーチとして就職することにしました。

与論にて。今も同僚の山田裕也スクールコーチ(右端)や、モクコーチ(後列左、現アルビレックス新潟レディース)と。

昨シーズンからはスクールコーチを統括するスクールリーダーを務めています。
24歳の自分は、先輩スクールリーダーたちに比べればまだまだ指導者としても社会人としても成長しなければならないところがあると自覚し、用事があるたびに与次郎の西原商会ビルに入っている事務所に足を運びます。
毎回大盛り上りになるスクール地区対抗戦の「デイリーpresentsユナスク杯」やスクール生のキャンプ、さらにホームゲームにおけるイベントなどを計画実施するにあたって社会人の先輩であるクラブ職員に計画を見てもらいます。
仕事なので当然容赦なく粗を指摘されますし、ヒロコーチはしっかりそこを修正して、より精度を上げようと努力を怠りません。
もっと自分の世界を広げたいという好奇心に満ちています。

「スクールを続けていて、小学生のころに教えていた子たちが中学生になり高校生になっているんです。それは応援したくなりますし、やりがいですよね」
ヒロコーチはそう言って、スマホに保存した生徒たちとの写真を見せながら「この子は最初のレッスンで教えていた子です」「この子は今度◯◯高校に入るって報告してくれました」と嬉しそうに話をしてくれます。

「スクールコーチは(U-18やU-15、U-12など)アカデミーコーチへの通り道みたいにとらえられることもあります。でも僕が尊敬する指導者は20年以上、スクールコーチをしながら障がい者サッカーのチームでも教えていて相談したら“人にはそれぞれ輝ける場所があるし、自分は普及コーチに誇りを持って続けている”っておっしゃったのが自分にとっては大きかったです」
週4日5日携わるアカデミーのコーチと違い、スクールは基本週に1回のレッスン。
通う目的も地元のチームに所属しながらもっとうまくなりたいと通う生徒、単純にサッカーが好きだという生徒、楽しく体を動かしたいという生徒など色々。
でもだからこそ1回1回のレッスンに重みがあり、子どもたちにサッカーを楽しんでもらい、うまくなってもらい、保護者の方々にも我が子の成長や笑顔を喜んでいただく。
そうやってサッカーを鹿児島に普及していく。
そんな仕事にヒロコーチは誇りを持って高い向上心とともに取り組んでいます。
毎日つけていたサッカーノートは20冊(!)を超えていました。

一方で学生時代からがっつりと関わっていたので、卒業就職の節目が薄く、それゆえに「枠に収まっているんじゃなくて、もっともっと挑戦しなければいけないんじゃないか」という想いは強いようです。

年末年始には「ろくに英語もしゃべれないけど」イングランドに渡って、マンチェスター・シティとエヴァートン、トッテナム・ホットスパーとアストン・ヴィラの試合を観て、世界最高峰のサッカーを堪能してきました。
鹿児島に対しても、観客数十名の時代に当事者として見てきたからこそ、今の姿に感慨深いものはありつつ「もっともっとユナイテッド一色に」とも思っています。
もっともっと鹿児島にユナイテッドFCが染み込んでいくために、ヒロコーチはさわやかな笑顔の裏に秘めた貪欲さで、普及という形のサッカーに向き合っています。
ヒロコーチがおぼろげに描いている枠を超えた存在になれた時、それはどんな姿になっているのか、楽しみで楽しみで仕方ありません。
ある意味、すでにちょっと枠を超えちゃっている気もしますが笑

鹿児島ユナイテッドFC公式YouTubeチャンネル

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