【5月14日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2023 vol.06
鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は5月14日に行われる2023明治安田生命J3リーグ第10節、鹿児島ユナイテッドFC vs FC琉球のマッチデープログラムです。
日程表・順位表・テキスト速報
前回までの振り返り
2023年5月4日(木・祝)2023明治安田生命J3リーグ第9節
vs ギラヴァンツ北九州 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)
アウェイの岩手戦を2-0で勝利してから、中4日のゴールデンウィークに迎えたギラヴァンツ北九州とのバトルオブ九州。
雨が降るなかでもたくさんのサポーターが、バスでスタジアム入りする選手たちを迎える。
「雨だし正直そんなに多くないだろうと思っていたんですけど、スタジアムの近くからチャントが聞こえてきて、バスの中から多いなって思っていました。選手としてはやりがいしかないし、喜んで欲しいという気持ちだけです(有田光希)」
北九州からも300名を超えるサポーターが鹿児島まで訪れ、6,000名を超える観客が見守るなか、試合が始まった。
直後の50秒、北九州は左サイドのすばやい攻撃からペナルティエリアに迫る。
遠目からコースを狙ったシュートを打たれるが、しっかり備えていた松山健太が弾き出す。
12分、コーナーキックに広瀬健太が合わせる。
21分、北九州は左サイドからクロスを入れ、ファーサイドで元鹿児島のFW中山雄希が合わせるが、シュートは松山がキャッチする。
34分、北九州陣内に入れたボールを奪われた直後に中原秀人が奪い返し、左サイドの福田望久斗が打ったシュートはGKがセーブ。
35分、コーナキックを岡本將成が頭で合わせる。
鹿児島は前線の藤本憲明や福田、五領淳樹、端戸仁たちが積極的にボールを奪いに行くことで、チャンスを作る。
「今回も前からの守備は全員が意識していましたし、先制点の場面もその形でした。前からちゃんとハメにいこうというチームの意識が、相手のミスを誘うことだったり、得点に直結しているので続けていきたいです(端戸仁)」
37分、北九州最終ラインでのボール回しを狙っていた藤本が一気に加速する。
ボールを奪い去るとそのままペナルティエリアに侵入する。
藤本はファーサイドにシュートする。
GKが弾いた先で端戸仁が押し込む。
鹿児島が先制。
「最初横パスが来ると思ったけど、ノリくんがシュートモーションに切り替えた瞬間に、こぼれを狙って決められたので“ノリくん、ありがとう”です(端戸仁)」
鹿児島がリードして迎えた後半も主導権は渡さない。
「相手の守備どうこうではなく、自分たちがテンポを上げる、ペースを上げる、相手の弱点であるサイドバックの背後をどれだけ突けていけるかです。さらに相手にプレッシャーをかけることで、そこから取ったボールが点につながりました。チームの中で連動して切り替えることを、強度を上げてできたことは大きいです(大嶽直人監督)」
53分、左サイドの高い位置から渡邉英祐がボランチの木村祐志に戻すと、木村は縦に速いパスを入れる。
ペナルティエリア内で福田が受けてキープして、ゴール前に送る。
右サイドから五領が現れて左足で合わせるがGKがセーブする。
56分、松山が正確なパスを木村に入れると、木村はダイレクトで右前方へパスを送る。
パスを受けた星広太から五領へ、そして五領は中央へ入ってシュートを狙うと見せかけて背後を追い抜いた星にパスを送り、星はダイレクトでゴール前へ低いボールを入れる。
藤本が軽く合わせたシュートはわずかに逆サイドのポストの外を通過する。
65分、北九州の選手が退場する。
77分、北九州陣内でボールを奪った端戸がボールをキープ。
横へ出したパスを中原がダイレクトで打つが、わずかに外れる。
なかなか追加点が奪えない。
89分、北九州ペナルティエリア内のクリアボールを途中出場の武星弥が遮り、ボールがこぼれる。
ゴール前には有田光希。
こぼれたボールを渡邉がダイレクトでゴール前へ送る。
「あのボールに(武)星弥と(渡邉)英祐がプレスに行っていて、取れたらチャンスだと思っていたのでポジションを取っていました。星弥がボールを奪った瞬間、英祐と目が合って、そこで声は出さずにボールが来て、それに合わせた感じです。合った瞬間に入れてくれた英祐が素晴らしいです(有田光希)」
ゴールが決まったことを確認した有田はそのままバックスタンドで応援するサポーターの方へ駆けていき、チームメイトもシーズン初ゴールを祝福するために駆け寄る。
「昨年は開幕戦から点を取れてコンスタントに取れましたが、今までのサッカー人生を振り返った時に、5月から決めたりすることが多かったので、5月に入ったら取れるだろうと思っていました。そのとおり取れたので、またチームの助けになるゴールをコンスタントに取っていければと思います(有田光希)」
雨中のバトルオブ九州を2-0で制した。
2023年5月7日(日)「西原商会Presents」第38回KFAサッカー選手権大会 決勝戦
vs 鹿屋体育大学 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)
雨中のバトルオブ九州を制した興奮が残る3日後の5月7日は、天皇杯予選を兼ねたKFAサッカー選手権大会の決勝。
対戦相手は3年連続となる鹿屋体育大学。
3日前をはるかに超える大雨のなか、それでも1,090名の観客が見守る中、キックオフ。
ユナイテッドは北九州戦から大幅に入れ替えたメンバーに臨む。
そのなかには鹿屋の小学校で育ち、鹿屋体育大学を卒業して加入した山口卓己の名前もあった。
「自分も去年あと一歩のところで敗戦して、悔しい思いをしていたので、今では逆の立場になって、なおさら負けられないという気持ちは強かったです。試合の入りからすごくモチベーションが高いのは感じて、圧倒される部分もありました(山口卓己)」
雨でお互いにプレーが難しい状況が続く。
右センターバックのウェズレイから右サイドバックの野嶽寛也にパスが入り、野嶽はダイレクトで中に入った山本駿亮へ、さらに山本からサイドチェンジで左サイドを走る河辺駿太郎へ。河辺のクロスはラインを割る。
さらに千布一輝からの縦パスを河辺、鈴木翔大が狙う場面などはあるが、チャンスには至らない。
逆に鹿屋体育大学の速攻に対しても、GK大内一生や戸根一誓、堀江貴大たちの守備で決定機は与えない。
0-0で後半を迎える。
「前半失点ゼロで終わったことをポジティブにとらえて、もうひとつ自分たちがテンポを上げること、集中力を切らさず戦うことを大事にしたので、それでいい入りになったと思います(大嶽直人監督)」
後半から右サイドに投入された武星弥が入れたボールが鹿屋体育大学にクリアされる。
こぼれ球にいち早く反応した山口卓己が強烈なミドルで合わせるが、わずかに枠を外れる。
山口は地面を叩く。
直後に鹿屋は右サイドの組み立てからゴール前にクロスを送り、混戦になるが、最後は大内がキャッチする。
4分、ウェズレイからのパスを受けた山口は、トップ下の圓道将良へ。
圓道から右前のスペースでパスを受けた野嶽はじっくりと周囲をうかがい、前方へ丁寧なスルーパスを送る。
右外から走り込んだ武が受けると、そのまま冷静なシュートを決める。
「(野嶽)寛也くんがボールを持った瞬間に相手の背後が空いたのが一瞬見えたので、すかさず狙いに行って、上手くそこにボールが出てきたので、冷静に流し込むことができたと思います(武星弥)」
1-0。
鹿屋体大も反撃に出る。
左サイドからクロスを入れてゴール前のヘディングで合わせるが、大内が身体で止める。
右サイドからU-22日本代表候補の吉田が中に入ってのシュートも、大内がキャッチ。
先制したあとは鹿屋体大が優勢に進めるが、集中を切らさない鹿児島が勝利と、鹿児島県王者として天皇杯への出場権をつかみとった。
「試合前からチームの円陣の中でもここで結果を出さなければならないと話をしていましたし、そういった意味では強い意志を持ってこの試合に臨んでいたと思います。試合としては天候もありますし、難しい展開になりましたが、クリーンシートで終わったということはその気持ちがつながったのかなと思います(山口卓己)」
今週末はホームにFC琉球を迎える。
「最近の試合をクリーンシートで終われたことで自信になっています。FC琉球はボールを多く握って攻撃的に来るイメージで、経験ある選手がいるので、そこを抑えることとで自信になります。連勝に意味をもたらすのは勝利です(広瀬健太)」
「チームは勝っていますし内容は改善することはたくさんあります。そこで勝ちながら反省できるのはいいことです。自分のプレーをしっかり出せればどことやっても大丈夫なので、自分のパフォーマンスを出すことに集中したいです。FC琉球には知っている選手もいます。すごく楽しみですし、J2でやってたチームでそこを叩いてこそ上に行くチャンスがあるのでいい内容で勝ちたいです(端戸仁)」
「チームは今1人1人の意識、コンディションが高まっていることを感じます。強度高く、やっていることを表現できることもポイントで、自信になります。要は球際を行くか行かないか、勇気を持って行くことです。そのトライを続けなければなりません。FC琉球は昨シーズンJ2のチームですが、一戦一戦、鹿児島のサッカーを先に出して、より判断スピードを早くして攻守に勢いのあるサッカーをしていきたいです」
大嶽監督はこれまでと同じように自分たちが攻守に積極的なプレーをすることで、鹿児島のペースをつかむサッカーを展開するつもりでいる。
Jリーグ30年の節目の試合でも、鹿児島はこれまでのように90分間闘い続けて、勝ち点3を取りに行く。
コラム「鹿児島をもっとひとつに。vol.6(Total vol.18)
大隅から見つめてきた鹿児島サッカーの20年
隅野先生に気づいた田上裕応援リーダーは、一気に距離を詰めると、力強く握手をしました。
隅野先生も笑顔で握手に応じて、そして2人は色々なことを話し始めました。
おなじクラブで闘っていたころのこと
鹿屋体育大学サッカー部にいた選手たちのこと
国体で鹿屋体大の選手たちと共闘した2018年のこと
そして今の鹿児島のこと
2人の話は放っておくと千夜一夜のごとく尽きそうにありません。
サッカーとの出会いと学生時代
鹿屋体育大学でスポーツマネジメントの准教授を務める隅野美砂輝(みさき)先生は山口県の生まれです。
お父さんの転勤で千葉県に住んでいた幼稚園児のころ、サッカースポーツ少年団の弟分カテゴリー的にできたチームがサッカーとの出会いでした。
それからサッカーボールを追いかけるようになり、キャプテン翼人気もあり、美砂輝少年はサッカー漬けの日々を送っていくことになります。
「7つ下の弟はキャプテン翼から名前つけられているんですよ。僕も“みさき”ですけど、岬太郎は名字で僕は名前で、僕は違うんですけど笑」
そして兄弟2人ともポジションはGKでした笑
山口県の公立高校の雄、宇部高校を卒業後は鹿屋体大へ進学します。
当時まだJリーグははじまったばかり。
「サッカーを仕事にする」と言えば学校の先生くらいしか選択肢はない時代です。
そのつもりで日本で唯一の国立体育大学を選んだ隅野さんは、2年生の頃にスポーツマネジメントという領域を知ります。
スポーツを「経営」という側面でとらえる新しい学問に興味を抱いた隅野さんは、大学卒業後はさらに大阪体育大学大学院に進学して、学びを深めます。
大学院ではより深い専門的な学習に加えて「Jリーグゼネラルマネージャー講座」のアシスタントスタッフを務めたり、大阪五輪招致委員会のインターンを務めたりといった特別な経験を重ねます。
そして大学院を卒業するタイミング。
同級生はプロ野球団、Jリーグクラブなどプロスポーツの現場に職員として就職を決めていきます。
「僕にもその選択肢がなかったわけじゃないんですけど、親会社の意向が大きくて、現場ではがんばっているとしても、クラブ単体でスポーツビジネスを回している感じじゃなかったんです。それで鹿屋体育大学の話があって、“次の人材を育てる場所”っていいなと」
2002年、隅野さんは母校に戻り、隅野先生となりました。
鹿児島からJリーグを目指す2000年代の闘い
当時はアルビレックス新潟や大分トリニータなど地方から誕生したクラブがJリーグで活躍していた時代。
「わが街にも!」とJリーグを目指すクラブが日本各地に誕生していました。
1995年から鹿児島で活動していたのは、教員団を母体としてするヴォルカ鹿児島。
2004年「大隅からJリーグを目指そう!」という声が起こり、鹿屋体育大学サッカー部員が試合経験を積むために作っていた社会人チームを母体とするクラブ「大隅NIFS UNITED FC」が誕生。
隅野先生にとってはヴォルカ鹿児島も含めて「地域からのJリーグを目指す動き」は興味深いものでした。
NIFSユナイテッドは、鹿屋体大サッカー部員の他に、大学院に進学した元サッカー部員、OBたち、そして鹿屋で働きながらサッカーを続ける社会人選手たちで構成され、九州リーグを舞台に戦うことになります。
しかし、その頃の九州リーグはロッソ熊本(現ロアッソ熊本)、V・ファーレン長崎、ニューウェーブ北九州(現ギラヴァンツ北九州)など強豪がひしめく舞台。
2004シーズンのNIFSユナイテッドは最下位で鹿児島県リーグへ降格。
翌シーズン九州リーグ復帰を果たしますが、上位に定着するには至らず、再び2008シーズン最下位で降格することになります。
その頃にはスポンサー企業がついていたこともあり、隅野先生は広報や営業面においてNIFSユナイテッドに携わっていましたが、クラブを経営面でマネジメントすること、地域の行政や企業を巻き込んでいくことの難しさを痛感する日々。
そうやって鹿児島県リーグを舞台にする2009シーズンのある日、様々なつながりから新しく鹿児島からJリーグを目指すクラブが立ち上がり、NIFSユナイテッドをその母体とすることが決まりました。
一方で鹿屋体育大学サッカー部は、徐々に九州内外で存在を発揮します。
飛躍の契機となったのは2009年。
後に鹿児島ユナイテッドFCでもプレーする中筋誠、與那嶺偉がいて、下級生には後にJリーグ入りすることになる多田高行、岡田翔平、坂井達弥など錚々たる顔ぶれ。
そして抜群の技術と運動量、強気のリーダーシップでチームを牽引するのは大隅半島、桜島生まれのキャプテン赤尾公。
鹿屋体大は天皇杯の県予選を勝ち抜き本大会に出場すると、2回戦でJ2の徳島ヴォルティスと対戦します。
柿谷曜一朗がいて、鹿児島県出身の徳重隆明、米田兼一郎、そして登尾顕徳たちを擁する徳島を相手に3-1で勝利!
1993年の天皇杯1回戦でサンフレッチェ広島と対戦してから17年目、はじめてJクラブに勝利した報告を隅野先生は鹿屋で受け、テレビのダイジェストでその快挙を確認しました。
さらに3回戦では、ジュビロ磐田と対戦。
この試合はスタジアムに参じます。
鹿児島県出身の那須大亮に先制点を決められるも、終了間際に中筋のゴールで追いつき、延長戦へ。
最後は1-3で力尽きますが「鹿屋体育大学」の名前を高めました。
さらに年末のインカレでも準々決勝に進出し、優勝する明治大学とPK戦までもつれる激戦を演じ、大学サッカー界の雄として知られるようになっていくのです。
2010年3月、鹿児島出身東京在住の公認会計士、徳重剛たちが大隅NIFS UNITED FCから、新たに鹿児島からJリーグを目指すクラブ「FC KAGOSHIMA」を立ち上げることになりました。
創設したばかりのクラブで選手兼監督を務めることになった田上裕からはひんぱんに隅野先生に連絡があり、薩摩半島から大隅半島にまたがって移動する練習場所の確保、選手の送迎、試合への臨み方などを打ち合わせて、あるいは相談に乗っていきます。
隅野先生ご本人からは言いづらいでしょうから、応援リーダーの言葉を借りると「すべてを教わりました」。
もともと1人の選手であり、裏方の業務などほとんど知らない田上にとって貴重な頼れる存在でした。
まだ鹿児島にプロスポーツということに現実味が薄い時代に、どうすればクラブが応援してもらえる存在になっていけるのか、どうすれば現場が良い環境で動けるのか、知恵を絞っていました。
その後、FC KAGOSHIMAは田上裕を旗頭に鹿児島県での存在感をどんどん増していき、2014シーズンよりライバルのヴォルカ鹿児島と統合した鹿児島ユナイテッドFCとなり、舞台を全国へ移します。
そして2015年11月17日、「鹿児島にJリーグを」が現実のものとなりました。
「本当に行ったよーという感じでしたね。鹿児島にはサッカーのポテンシャルがあるのは分かっていたので、あとは事業としてまわしていく仕組みだと思っていました。ユナイテッドには徳重さんがいて、田上くんがいて、ヴォルカ鹿児島からのつながりがある湯脇さんたちがいて、そういう人たちが集まっていて良い環境を作るためにがんばってらっしゃるところにお邪魔させてもらって、関係させてもらっているのは楽しいですし、幸せなことですよね」
Jリーグに毎年複数の選手を送り出し、ユナイテッドにとっては今もOBとして山口卓己選手がいて、大学スタッフだった甲斐智大スポーツサイエンティストがトップチームで活躍して、アカデミーでも大学院出身の土井颯一郎コーチがU-15で指導に当たっています。
競技以外の領域でも観戦者調査や徳重代表による講演が行われ、かつてユナイテッドにインターンに訪れた生徒がスポーツ業界に携わるようになったり、ユナイテッドとの縁はとても語り尽くせません。
鹿屋体育大学vs鹿児島ユナイテッドFC
赤尾公たちが徳島ヴォルティスに勝利したのが2009年。
翌年も鹿屋体育大学が本戦に出場しますが、2011年はヴォルカ鹿児島に、2012年はFC KAGOSHIMAに準決勝で敗れ、県内ではどこが勝つか分からない争いになっていきます。
2013年は中原優生や福田晃斗たちを擁して県内を制するも、本大会では1回戦敗退。
そして鹿児島ユナイテッドFCの時代になってからは、、、
2014年の県大会準決勝では、PK戦の末にユナイテッドが勝利。
決勝で相まみえた2015年は先制するも五領淳樹、冨成慎司のゴールで逆転負け。
2016年も先制して前半を折り返したものの、藤本憲明、田上裕、川森有真のゴールで逆転負け。
2017年は準決勝で弟分の社会人チームNIFS KANOYA FCにまさかの敗戦。
2018年は萱沼優聖と田中奏一のゴールで0-2の敗戦。
「最初の頃はそんなに力の差はなくて勝負になっていたんですけど、Jリーグに入ったくらいから徐々に差が出てきたのは感じていました」
2019年、J2のユナイテッド不在の県大会をしっかり勝ち抜いた鹿屋体大は、本戦2回戦では名古屋グランパスと対戦。
根本凌や藤本一輝たち、卒業後はJクラブに進むことになる選手たちがそろってゴールを決めて、3-0で勝利!
Jクラブ相手に2度目の勝利を飾ったのです。
コロナ禍だった2020年も3回戦に進出。
しかしユナイテッドと県大会決勝で当たった2021年は薗田卓馬の2ゴールと三宅海斗で、0-3の敗戦。
2022年は井原伸太郎のゴールでユナイテッドが先制するも、終盤の2ゴールで逆転リード。
「これは勝った」と隅野先生も思っていたところがラストプレーで同点に追いつかれ、延長で逆転負け。
「悔しいですけど、ユナイテッドを観に来た人たちがすごくいい試合だった、大学のサッカーもすごいって言ってもらえて、僕たちのサッカーをお見せするいい機会だったのかなって思います」
そして今年の決勝。
「まだ整理できていないんですけど」と前置きしながらお話してくれました。
「僕らゴールに迫るところまではいくけれど、なかなか点を取るのが難しくて、そんなにやられたというのはなかったのですが、でもやっぱり武(星弥)くんにやられたのも悔しいですよね。こちらが“お兄さん”側でやられるっていうのが初めてで。今までは大卒とかベテラン選手にやられていましたが、1年生年代の選手にやられたのも時代だなと思いました」
その直前に鹿屋体大出身の山口卓己選手がチャンスを外した場面を「あれやられてますよね」と苦笑いしましたが、”あれ”を確実に決められる選手になって、もっとユナイテッドで飛躍して欲しいという願いが込められているようでした。
「大雨で、お互いもっと良いコンディションでやりたかったというのはありますよね。でも1,090名も来てくれるってすごいですし、そちらも公式戦で負けられないという思いがあり、手堅さはありましたが、大学側もそれを凌駕していかないといけないんだって思いますよね」
ユナイテッドがJ2に再昇格すると、その障壁がなくなり、2019年のように本大会で大暴れできる可能性は高まります。
そのことは当然のこととして願いつつ「負けっぱなしだから、やっぱり1回は勝ちたいですよね」。
相変わらず隅野先生は笑顔です。
観るものとしての大学サッカーを確立したい
隅野先生は昨年、鹿屋体育大学勤続20年の表彰を受けました。
20年という月日には、感慨深いものがあるようです。
日本中が日韓W杯で熱狂していた時代から、隅野先生はずっと鹿屋から適切な距離感で、鹿児島と日本のプロスポーツシーンを見つめてこられました。
自身のするべきことは速やかに着実に遂行し、学生たちには適切に優しく伝えるべきはしっかり伝えながら成長できるように導きながら。
ずっと変わることのない微笑みを浮かべながら。
そんな隅野先生が今後取り組みたいのが「観る大学スポーツ」の発展でした。
「2019年にUNIVAS=一般社団法人大学スポーツ協会というのができたんです。アメリカでもNCAA(全米体育協会)がありますが、そういうものです。日本では高校スポーツがあってプロスポーツ、社会人スポーツがあって、それらは観るものとしても定着しています。大学は競技レベルは高いのだからもっと価値を高めていきたいですし、日本のスポーツ政策とか経済産業省のスポーツ産業を拡大していこうという流れがこれからのテーマになってきているんです。大学スポーツの盛り上がりがプロの盛り上がりとか、スポーツ産業、スポーツ振興の底上げにつながると思うんです」
時間がかかることは間違いない壮大な取り組みです。
しかし、この取り組みが成果を出すごとに大学スポーツや鹿屋体育大学の価値が高まっていくことはもちろんですが、きっと鹿屋ひいては大隅半島、鹿児島県全体にとっても新しい価値を創出することにつながるはずです。
そして鹿児島ユナイテッドFCが、プロスポーツという新しい価値を鹿児島に育んだことに隅野先生は最大限の敬意を評してくれています。
「ユナイテッドはもう運営のレベルはJ3を超えていると思います。カテゴリーはもちろんですが、これからもユニフォームみたいに“鹿児島っておもしろいことしている”って思わせて欲しいですし、鹿児島県内外をおもしろくしてくれる存在であり続けて欲しいですね」
鹿屋体育大学も鹿屋も大隅も、30周年を迎えたJリーグも10年目を迎えた鹿児島ユナイテッドFCも、もっともっとやれるはずです。