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2023.07.28 お知らせ

【7月29日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2023 vol.11

鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は7月29日に行われる2023明治安田生命J3リーグ第20節、鹿児島ユナイテッドFC vs カターレ富山のマッチデープログラムです。

MBC開発 SPECIAL MATCH 2023明治安田生命J3リーグ第20節

日程表・順位表・テキスト速報

前回までの振り返り

2023年7月23日(日)2023明治安田生命J3リーグ第19節
vs 愛媛FC 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)

アスルクラロ沼津とのアウェイ戦を0-2で敗れて迎えたリーグ前半の折返しとなる第19節。
ホーム鴨池に愛媛FCを迎える。
6分、右サイドバックの渡邉英祐がパス交換からペナルティエリア内に侵入して、最後は左サイドハーフの福田望久斗がパスを受けてシュートを打つが枠の上へ外れる。
しかし直後の8分、五領淳樹、端戸仁と右サイドでボールを回し、渡邉がファーサイドへ送ったクロスを福田が合わせて鹿児島が先制する。
19分には左から最後ボランチの木村祐志が入れたボールを五領が頭で合わせる。
逆に24分、鹿児島ペナルティエリア内でこぼれたボールを巡った競り合いから薩川淳貴がファウルを取られてPK。
これを決められて1−1の同点で前半を終える。
後半の鹿児島も藤本憲明や福田がチャンスを迎えるが勝ち越し点を奪えない。
逆に64分、愛媛は鹿児島の守備に生じた穴からボールを運び、勝ち越し点を奪う。
愛媛のカウンターを防ぎながら鹿児島は圓道将良がボールを運び、88分には薩川のクロスから鈴木翔大がヘディングで合わせるがGKに防がれる。
スコアは動かず1-2で鹿児島は首位の愛媛を相手に敗戦を喫した。

2023明治安田生命J3リーグ第19節監督・選手コメント – 鹿児島ユナイテッドFC オフィシャルサイト (kufc.co.jp)

大嶽直人 監督コメント(7/26トレーニング後の共同会見より抜粋)

リーグ前半を振り返って、いい試合をしていても、もったいない失点で負けていますが、それはもう許されません。
ディフェンスはコンパクトに守り、ボックスの前で身体を張って、失点しないことが大切になります。
崩されていないけどシュートを打たれることで失点することもあるので、ミドルゾーンでの守備を強くすることの意識を持たせています。
これができるようになれば攻撃の良さも出てくると思います。
また、いつも熱く応援していただき力を引き出していただいているので、我々のいいプレーでサポーターの力を引き出していきたいです。
自分たちが上位を狙っていけるポジションにいますが、失点の仕方と負け方がよくなく、リーグ前半の6敗は3敗くらいにはできたはずです。
負けないサッカーができるようになれば、勝利が向いてくるはずなのでトライしていきたいです。
カターレ富山も前に速くクロスが多いサッカーなので、切り替えの部分が鍵になります。
自分たちが最初からいいパフォーマンスを出せるようにしていきたいです。

薩川淳貴 選手コメント(7/26トレーニング後の共同会見より抜粋)

愛媛戦は3ヶ月ぶりの出場で感じるものがたくさんあり、スタンドで聴く歓声とピッチで感じる歓声は違いましたし、サッカー選手としてプレーできることは幸せなことでした。
シーズン前半は思っているような結果ではありませんでしたし、負けも多かったです。
ただどこのチームにも苦しい時期はあります。
自分たちも昨シーズン夏以降に失速を経験しているけれど、その経験は絶対にこれから生きてくるはずです。
僕自身は二度目の対戦とかは考えず、一戦一戦目の前の相手に向かっていくだけですが、お互いに研究し研究された上での駆け引きも楽しみにしたいです。
攻守ともに必要なことはありますが、前線からのプレスは行けているのでもっと強度を上げて奪うことが大切です。
僕が入ることでクロスが増えるのでゴール前に入っていく選手と意思を合わせていければ、もっと点になるシーンは作れるので、仲間と連携しながら質を上げていきたいです。
富山は技術的なレベルは高いですが、僕たちも2連敗して、前節は上位対決を落としているので負けられません。
ここから全勝するくらいの気持ちでやっていきたいですし、僕も試合に関わり続けたいです。

鈴木翔大 選手コメント(7/26トレーニング後の共同会見より抜粋)

富山戦はここひとつ勝てるか勝てないかの大一番ですが、あまり意識しすぎず、38節のうちのひとつとして勝ち点を取っていきたいですし、気負うことなく自分たちらしく闘って勝ち点3をサポーターにお届けしたいです。
FWははじめのゴール1本が重要なので、信じて狙い続けていきます。
得点が八割がた決まるような場面はPK以外ほぼないので、引かれた相手を崩すには五分五分の球をどんどん入れていくしかないと思っています。
そのボールを入れる勇気、前にプレーすることがチームとして得点を生むために求められていると思っています。
選手層はどこにも劣っていないと思いますし、競争のレベルも高いと感じていますが、それを試合の中で出せているかといえば出せていないと感じています。
選手自身もスタッフも改善しようといていますが、最後の勝敗を分けるのは目先のボールひとつ、球際ひとつを取れるか取れないかです。
90分プレーしますが、その1秒の攻防が勝敗に直結すると感じているので、そこの甘えを除くことが必要です。
それができたから去年いわきで優勝できたと思います。
シーズン前半を闘って、勝てないチームはなかったと思います。
今シーズンは混戦になっていて、どこにチャンスがあってもおかしくありません。
ここまで負ける試合も少なくありませんでしたが、それでもこれだけチャンスが残っているということはお互いレベルが拮抗しているということです。
どのチームがどれだけ色を出せるかが鍵になります。
サッカーは目先の勝ち点を積むこととが一番求められるし、それができれば優勝昇格は見えてくるので、目先のことにこだわっていきたいです。

コラム「鹿児島をもっとひとつに。vol.11(Total vol.23)」
楽しさを探しながら悔いのないように一年一年を生きる

車いす席からのスタジアムの風景

駐車場に停まったホンダ「VAMOS」からヘルパーさんが降りてきたのは…後部座席から?
怪訝に思ってよく見ると、運転席でハンドルを握っているのが山さんでした。
車を停めてドアを開けてもらった山さんは、片足ずつ曲げたり伸ばしたり、ひとつひとつ着実に動きながら降りてきました。
車にもたれかかると介添の方が手際よく出した机に手をついて、またひとつひとつ丁寧に身体を動かしながら車椅子に腰かけます。
そして取材場所まで移動しながら「ユナイテッドの試合を観にいく目標があるからがんばれるんですよ」とおっしゃいました。
今回はホームゲームで車いす席をご利用になる常連、山さんのお話です。

二十代で亡くなると言われた

お父さんが転勤族だった山さんは鹿児島市の生まれ。
よくよく聞いてみるとお父さんのご実家は長島研醸の長山さんや、登尾顕徳GMの近所です。
小さい頃からソフトボールとサッカーをするのが大好きな少年で、運動会でも主役級。
薩摩川内市の小学校に通っていた4年生のころ。
春先に行われた小運動会のかけっこでは、当然のように一番でした。
ところが。
「だんだん身体が鉛を載せてるように重くなってきて、秋の大運動会のかけっこでは途中で倒れてしまって」
ただごとではないと病院で診てもらった結果は「多発性筋炎」。
さらにお母さまは「二十歳すぎくらいまでかもしれません」と伝えられ、卒倒します。
そういったことを山さんは悲壮感なく語ります。
そして残酷な宣告を受けた当時のご両親とも捨て鉢になるなく、しっかりと受け止めた上で「それなら悔いのないように、とことん好きなように生きれば良い」となりました。

鹿児島市の中学を卒業すると鹿児島実業高校へ。
中学の段階で障がいを持っている生徒のクラスや学校へ入る可能性もありましたが、山さんは健常者のクラスでも普通にやれると意志を貫きます。
鹿児島実業には「なんとか階段を上り下りできて」入学することができました。
今のかごしま環境未来館周辺にキャンパスがあった時代で、サッカー部が全国大会の常連に、そして国立行きを果たすようになっていった時代です。
「歳がばれるから同級生の名前とかは秘密にしてね笑」とおっしゃったのでぼかしますが、後に日の丸をつけることになる選手がいて「貸した漫画返ってこないけど、多分本人覚えてない笑」
後にJリーグでプレーし、サッカー指導者になる先輩は山さんのことを知ると教室に入ってきて「みんな、こいつのことをいじめたりせず大切にしろよ」とクラスメイトに言ってくれたり。
山さんも明るく前向きなエネルギーで坂の上にある自宅から高校まで自転車で往復します。
本格的な自転車に乗るのは厳しかったのでママチャリで。
帰りは健常者でも苦しい坂道を(ITADAKI目指して…的に)登りきります。
「さすがに雨が降ったら車で送ってもらっていましたよ」
それは当然です笑

18歳。
高校を卒業して大分の大学に進学しました。
この頃になると筋力が衰えてきたのを感じて、駅で電車に乗る時も車両の仕様次第では踏み出すのをためらい、次の電車を待つような状況です。
そんななかでも友だちと日々仲良くすごし、韓国からの留学生とも時に本気ではっきり言い合ったりしながらも親しくして、教育実習で母校に行った時には、後にJリーグで活躍する選手のやんちゃぶりを目の当たりしたりして「とにかく楽しいことを探しながら」学生生活を謳歌していました。
立川談志が公演で大分に来た時には友だちと2人で「弟子にして下さい」と直談判して、「俺は弟子は取らないんだ。でも俺の落語を好きなのはセンスがいいから、自信を持って生きろ!」と言われて、友人と吉本興業に入ろうか?と飲みながら話しました。

今では岡山県で公務員をしている友人と最近「吉本行ってたらM-1獲れたかな?」という話をしたりします。
ひょっとしたら「R-1ぐらんぷり」を獲った濱田祐太郎みたいになっていたかもしれません笑

韓国への留学

留学先の韓国で友人たちと

22歳。
2年前に成人式があり、気がつけば「約束の時間」は過ぎていました。
今を全力な山さんの生き様は変わることなく、大学を卒業した後は韓国へ留学します。
1988年にソウル五輪があって国に勢いを感じたこととか、大学時代に韓国人の同級生と接した経験があったこと、そして何より韓国代表DF洪明甫がかっこよすぎたからでした。

下宿しながら学校に通い、隣の下宿にも後にライターになる同じ九州人のサッカー好きがいたり、フランス人の友だちがいたり、楽しそうです。
ただ誤算は洪明甫が所属する浦項スティーラーズの練習場まで会いに行ったら、まさかで日本のベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)に移籍して、いなくなっていたこと。
今と違ってなかなか情報は入手できない時代でした。
ちなみに山さんは「洪明甫に憧れて韓国に留学した日本人」として新聞に取材されたことがあったそうです。
その時の記事をスクラップしたはずが今は捜索中です。

1997年11月1日のフランスW杯予選、韓国側から観た日本側のスタンド

1997年はW杯フランス大会予選が行われていて、ソウルで行われた韓国vs日本を観に行きました。
勝つしかない日本が名波浩と呂比須ワグナーのゴールで勝利した一戦。
日本側のチケットは完売していたため、山さんは韓国側のスタンドに日本代表のユニフォームを隠し着用して、得点が決まっても喜ぶなんてとんでもない! 環境でひっそりと日本を応援します。
そして試合が終わると一生懸命に日本側のスタンドに寄って歓喜をともにしました。

崖っぷちで迎えた日韓戦を制して歓喜する日本側のスタンド

2002年、W杯日韓大会では偉大なるキャプテン洪明甫のもと韓国はベスト4進出。
韓国中が熱狂し、山さんが暮らす下宿のあたりも夜通し「テーハミング!」の合唱が止むことはありません。
友人が風船に水を詰めて投げて直撃しても、何も変わらない気づかれることもない「テーハミング!」。
そんなこんな含めて山さんにとっては大切な思い出です。

鹿児島でユナイテッドと田上裕に出会った

鹿児島に帰ってきてから山さんは韓国語のマニュアルやレポートを日本語に翻訳する仕事などで暮らしていました。
しかし原因不明の腰痛が出てきたりして苦しい時期が続きます。
JFLでプレーする鹿児島ユナイテッドFCの試合が姶良かどこかで行われた時も連れて行ってもらったような気がするのですが、どこであったかも思い出せないような症状。
今は誰よりも大好きな田上裕応援リーダーについても、当時はいたかどうかすら記憶にありません。
あまりにも辛くて「本当に投げやりな時期だった」と振り返ります。
それでも、これまではどうしても抵抗があった行政からの支援を受けながら再出発しようとしていた2019年。
山さんの運命が大きく変わりはじめます。
「家の中でも歩く踏み出し方がだんだん弱くなってきていて、トイレに急いでいった時に膝から倒れて複雑骨折したんです。それで手術は成功したけれど、今度こそ厳しいかもしれないと言われて」
病室で頭が真っ白になりながら、その後は八反丸リハビリテーション病院に移ってリハビリをすることになります。
「そこが良いと聞いたので行ったら城西高校サッカー部だったPT(理学療法士)が多いわけです。何人か担当の方がいられるんですけど、そこにいたのが石下谷さんで」

鹿児島県社会人リーグでプレーする石毛谷剛さん(中央)

鹿児島城西高校サッカー部出身で、現在は鹿児島ユナイテッドFCの知的障がい者チーム「フューチャーズ」をメディカルの立場でサポートしたり、社会人リーグではコーチ兼選手としてもプレーしている方です。
当時のユナイテッドには石毛谷さんにとって恐縮する大先輩の田上裕、吉井孝輔がいて、後輩の薗田卓馬(現ジェイリースFC)がいました。
石毛谷さんはヨーロッパのサッカーや鹿児島のサッカーの話をたくさんしてくれて、山さんは「鹿児島ユナイテッドFCの試合を観に行きたい」という想いを励みにリハビリを続けることになるのです。
結局退院したのは2019年12月。
現時点で唯一J2を舞台にしたシーズンが終わり、2020シーズンから世界はコロナ禍になります。

6月末まで試合が行われない異例の状況で、山さんが気になり始めたのは坊主頭の田上裕応援リーダーでした。
「その前から知ってるんですよ。で、なんか自分がひねくれてたから、熱い人が嫌いだったんですよ。自分がうまくいってないから。でも母はよく見ていて〝あなたが好きになる人って最初はみんな嫌いだなって言ってるじゃない〟って。その通りなんですよ」
こうして山さんは少しずつスタジアムに通うようになっていきます。
田上リーダーには韓国から贈りものが届くたびにおすそ分けを持っていきます。
「たのさんって(YouTubeライブ)ユナステでは〝それは違うと思いますよ〟とか僕のコメントに厳しいのにスタジアムではやさしく接してくれるんです。ツンデレなんです。でもそれってスタジアムでおそなえもの(差し入れ)を持っていくからじゃないんです。誰にでもスタジアムではやさしくて、おそなえもので特別扱いするようなことがない。マニアックかもしれないけれど、それが波長が合って僕には良いんです」
田上リーダーへの山さんの想いは熱く深く、当コラムが2倍になるくらいなので、ここでは一旦割愛させて下さい。

山さんの日常にユナイテッドがある生活

2021シーズン、徳重剛クラブ代表と

2021シーズン、ユナイテッドはホームゲーム14試合を5勝2分7敗と負け越します。
「僕は関係者入り口から出入りしているんですけど、ゴミを出す人、椅子を運ぶ人、裏方のスタッフさんが一生懸命やっているところを見ていたんです。あの時どんどんどんどん帰ろうとするお客さんに向けてスタッフさんが〝ありがとうございました。またよろしくお願いします〟って、ああいう姿を見て次行かないっていうのはないなって」
2022シーズンは一転して上位争いを繰り広げるシーズンに。
ホームで特に印象深いのは有田光希選手のハットトリックで勝った讃岐戦…だと思いますが、大事なのは試合後。
「気持ちよかったのかなんか知らないけど、涙涙になっていて、作業をしていた(クラブ職員の)竹之内さんと冨成さんと僕とヘルパーさんでいっしょに写真を撮ってもらったのがとっても印象に残っています」

一方で最近はメインスタンド上段の車いす席が満席になることが多くなり、エキサイティングシートやバックスタンドに回ることもあります。
ホーム最終戦の岐阜戦はバックスタンド大旗エリア周辺で応援しました。
「相当な点を取らないといけないけど、本当に誰も諦めていなくて最善を尽くしていて、自分たちも必死でしたね。でも全部の試合が特別で、どの試合がっていうのはないですよ」

9月24日に行われた鳥取戦は鳥取まで行きました。
スコアは0-6。
それでもメインスタンドで観ていた山さんは、ゴール裏のサポーターが声を出せない中でも、大敗濃厚となっても力いっぱいに応援している姿に心動かされ「この人たちは誇りです」とSNSに投稿しました。
その投稿にサポーター団体「FEUS」のメンバーからお礼が伝えられ、交流が深まります。

山さんは車いす席で応援する方々とも交流があり、ユニータまで通うようなサポーターとも交流がありサインを代わりにもらってきてもらったりして、かなり顔が広いのです。

チームまるごと箱推しを自認する山さんですが、推しと言える希少な選手の1人は昨シーズンまで所属していた衛藤幹弥選手。
表ではおとなしいけれどファンを大切にする姿勢、職人のようにサッカーに向き合う姿勢が、山さんの心をとらえました。
今では鹿児島時代から衛藤選手を応援するサポーター仲間と横断幕を作って、移籍した宮崎県のヴェロスクロノス都農まで応援に行くほどです。

7月23日の愛媛FC戦、めずらしくホームゲームを欠席した山さんでしたが、それも都農で今シーズン最後のホームゲームが行われていたからでした。
「〝山さんが来ないから愛媛に負けたんだよ〟って言われちゃって」
その分、富山戦は全力で応援するつもりです。

思えば遠くへ来たもんだけど、これからも山さんらしく

今年は必勝祈願で南九州市の釜蓋神社へ参拝

山さんは体調を崩してなかなか動けなかった時期も、正月の人混みが落ち着いた頃に神社へお参りして「去年も一年間生きることができました。また一年よろしくお願いします」というご報告は欠かしません。
お父さまは亡くなりましたが、お父さまより長く生きられていることほどの親孝行はなかったのではないかと他人ながら思います。
そして、小学4年生の時にお医者さんに告げられた「二十歳くらいかもしれない」の期限は20年以上過ぎていました。

昨シーズン、はじめてお母さまといっしょにFC今治とのアウェイ戦まで遠征しました。
お母さまが日本で唯一行ったことのなかったのが四国だったからです。
何ヶ月も前からケアマネージャーと念入りに計画を立てて、山さんが運転して、西国八十八ヶ所をいくつか回りました。
そして広瀬健太選手のゴールが決まって1-0で勝利する姿を見届けることができました。

「周囲が韓国行きを反対した時も行かせてくれたし、最初嫌いだったタノさんが実は好きな存在なんじゃないかって気づかせてくれたし、ユナイテッドを観戦する目標を与えてくれたこと、本当にありがとうと伝えたいです」
今シーズンも9月の愛媛戦か11月の今治戦、どちらかに母子で応援に行くつもりでいます。
そしてこれからも、年に1回は母子で旅行に出たいと願っています。

もちろんそこには利用する事業所のケアマネージャーやヘルパーさんたちが欠かせません。
こういう話をしていると忘れかけてしまいますが、山さんは難病を抱え、車いす席で生活する難病患者です。
そんな山さんのスタジアム通いには、山さんのことをよく理解して丁寧にサポートしてくれるケアマネージャーたちの存在が大きく、どうやったら旅行のような希望も実現できるのかをいっしょに考えてくれていることへの感謝も尽きません。
同時にいっしょにユナイテッドの試合を楽しむ仲間でもあります。

誕生日に田上裕応援リーダーからサイン色紙のプレゼント

お母さまや事業所の方々と山さんたちはつながり「ともに目標に向かって挑戦する」ことができて、その充足感を味わうこともできています。
そのひとつのツールとして鹿児島ユナイテッドFCが在ることは、クラブにとってひとつの偉大なる勲章と表現しても言い過ぎではない気がします。
最後の恒例で、これからのユナイテッドに期待することをおたずねしました。

「鹿児島実業の質実剛健さ、城西高校のパスサッカー、神村学園の個人技が反映されたサッカー」続けて「高齢者にも障がい者にもやさしい新スタジアム」
ただ、もっと大切な想いがありました。
体調を崩して会社を休んでいた友人を気晴らしにユナイテッドの試合に連れていきました。
そうしたら試合後、〝何か久しぶりに故郷に帰ってきた感覚と似ていて、楽しかったがよ〟って感謝されたんです。
スタジアム全体から鹿児島ユナイテッドFCの温かさが伝わるチームづくりを願っています。
そして私と同じようにユナイテッドの試合を観てなにかのきっかけをつかんで、行動に移す人が増えたらいいなと思います。

山さんの目線から写されたバス待ちの風景

話はこれで美しく着地したと思いきや、山さんの言葉は止まりません。
韓国人選手が来たら通訳やりたいですし、田上さんを売り込んだりスポンサーを獲得する営業とかも、車椅子でもやりたいです
ユナイテッドの役に立ちたいんです。
それから…個人的な夢のひとつにユナイテッドがACLに出場して、韓国とのアウェイ戦があったらタノさんやトミさんたちとガイドブックに載っていない裏路地の飲食街で飲み食いすることがあります。
美味しいお店たくさんあります。
私が案内しますので、実現させましょう!
山さん、最高です。
途中何度か出かけた涙はすっかり乾いていました笑

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