【9月16日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2023 vol.15
鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は9月16日に行われる2023明治安田生命J3リーグ第27節、鹿児島ユナイテッドFC vs カマタマーレ讃岐のマッチデープログラムです。
日程表・順位表・テキスト速報
前回までの振り返り
2023年9月2日(土)2023明治安田生命J3リーグ第25節
vs FC岐阜 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)
大島監督が就任した最初のアウェイ北九州戦を1-1で引き分け、迎えたホームFC岐阜戦。
序盤は岐阜にボールを握られ劣勢に立たされるが、岡本將成や戸根一誓たちがよく集中して決定的な場面は作らせない。
10分、奪ったボールを前線で受けた米澤令衣がドリブルで持ち込みシュート。
徐々に鹿児島のペースとなる。
22分、端戸仁がゴール前に浮かせたボール米澤が頭で合わせるがGKがさわって弾かれる。
45分、コーナーキックをキャッチしたGK松山健太はフリーで駆ける米澤へ。
星広太を経由して左サイドから上がってきた野嶽寛也が、中をうかがってゴール前へボールを入れる。
米澤、藤本憲明の背後からゴール前に現れた山口卓己が「肩」で合わせて先制点が決まる。
直後の47分、ロングボールを収めた木村祐志が前線へ大きくボールを蹴り出すと、一気に藤本がダッシュ。
角度のないところから強引に打ったシュートがサイドネットに刺さって追加点。
後半も鹿児島は野嶽、五領とチャンスを作る。
84分、セットプレーから1点を返される。
それでも最後まで身体を張った守備でリードを守り、7月29日以来の勝利をつかんだ。
2023年9月9日(土)2023明治安田生命J3リーグ第26節
vs SC相模原 会場:相模原ギオンスタジアム(神奈川県相模原市)
200名を超える鹿児島サポーターが集ったアウェイ相模原戦。
2分、セットプレーの流れから決定的なヘディングを打たれるがGK松山健太が俊敏な反応で弾く。
直後にもスローインからヘディングを打たれるが、これも松山が防ぐ。
徐々に鹿児島の流れになる。
21分、相模原最終ラインのパス回しを狙った藤本憲明があわやのチャンスを作る。
22分、鹿児島のコーナーキックを奪った相模原が速攻に出るが、すばやい戻りで再びボールを奪い返す。
ボールを受けた五領淳樹は一気に相模原の背後へボールを送る。
米澤令衣が左サイドで後ろからの浮き球をトラップして、切り返すとそのまま正確なシュートで負傷からの復帰後初ゴールを奪う。
米澤は咆哮し、チームメイトでゆりかごダンスをすることで第二子が誕生した五領も祝福される。
38分も速攻から右サイドでボールを受けた五領が中に運びながら左足でゴール前に入れたボールを、端戸仁が確かな技術で合わせきって追加点。
2点を追う相模原もゴールを奪いに来るが、鹿児島の守備陣は集中して跳ね返す。
83分、コーナーキックのこぼれ球を受けた野嶽寛也が右足を振り抜いたシュートがネットに刺さって3−0と勝利を決定的なものにする。
終盤のピンチも防ぎ、7月1日の富山戦以来となる無失点で勝利した。
大島康明 監督コメント(9月12日トレーニング後の共同記者会見より抜粋)
相模原戦では裏のスペースの使い方、そこを見せておいてのビルドアップの使い方、相手の見極めを選手たちがうまくやってくれました。
得点も3点取れたので、それは自信にしていいところです。
守備もコンパクトに密集してボールを奪いにいくのか、ゴール前を塞ぐのかの使い分けも選手たちが自分たち自身でコントロールできてきました。
まだまだ細かい修正はありますが、一歩ずつ歩みを進めています。
スタッフも選手もですがピッチがすべてであり、どんなトレーニングも100%ですることを選手にも伝えていますし、自分自身にも求めています。
カマタマーレ讃岐は非常にフィジカルが強く、パワーがあります。
カウンターの勢いもあるのでそこに対してどう準備するのかしっかり練っていきます。
ただ今年のJ3は絶対に勝てる相手、絶対に負ける相手は存在しません。
今日を全力でやって、明日も全力でやって、そうやって讃岐戦を迎えたいです。
野嶽寛也 選手コメント(9月12日トレーニング後の共同記者会見より抜粋)
チームとして練習からコンパクトに強度を高くしているので、それが試合の結果につながっていると思います。
またボールを失った後のリアクションが早くなり、そこから自分たちの攻撃的なサッカーを出せる時間を長くできていることも大きいです。
選手自身で発信する声が多くなっていて、それがいい雰囲気になっています。
最近はボールが集まってくる感覚がありますが、それは日々の練習でやっていることなので、やり続けるしかありません。
守備でもディフェンスラインでしゃべってラインの上げ下げをして、奪ったらノリさん(藤本憲明)や(端戸)仁さんにつけて、という流れで自分たちのサッカーをできています。
ここから1試合1試合が大事になってきます。
変わらず日々レベルアップして、目の前の試合で勝ち点3を取れるようにしたいです。
米澤令衣 選手コメント(9月12日トレーニング後の共同記者会見より抜粋)
コンディションも試合勘も戻りつつあります。
復帰してからなかなかゴールできませんでしたが、相模原戦で決められてホッとしていますし、自分の得意な形だったので、ここからいい波に乗っていきたいです。
攻撃ではボールを奪った瞬間、相手の陣形もくずれているので、まず背後を狙うことを意識しています。
その意識がこの前の試合では形になりました。
監督が変わって責任感が強くなり、その姿勢が日々の練習に出て、そのまま試合に出せています。
讃岐戦も勝つだけです。
練習から100%が出ているので、これを続けていきたいです。
コラム「鹿児島をもっとひとつに。vol.15(Total vol.27)」
スタジアム一体の応援を育むFEUS年長者の勝利至上主義
鹿児島ユナイテッドFCのホーム鴨池のバックスタンド北側では熱烈なサポーターが太鼓を叩き、大旗を振り、立ってジャンプして、手拍子をして、チャントを歌い続けています。
それに呼応するかのように他のエリアからも応援する声や鳴り物の音が響き、会場が一体となり相手を包囲するような雰囲気が作られていきます。
そんなバックスタンド北側の前の方では選手たちのプレーに目を光らせながらも、若い人たちに混じって飛び跳ねて、声を出している丸本さんの姿。
サポーター団体「FEUS」でも年長者のほうで、古株でもありますが、誰もがそうであるように丸本さんも最初から飛び跳ねてチャントを歌って、というサポーターではありませんでした。
今回はのぼりや弾幕を制作するクラブサポーター「株式会社マルモト」の丸本宣利さん、愛称「丸さん」から見たFEUSのお話です。
丸本さんの居場所はメインスタンドだった
今から10年以上前、自分自身でチームを持って「プレーするサッカー」の方に夢中だった30代の丸本さん。
観る方はといえば、京都サンガなどが鴨池で公式戦を開催する時も、あまり興味はありませんでした。
そんな丸本さんの初観戦のきっかけとなったのは2012シーズン当時、鹿児島からJリーグを目指して活動していた九州リーグに所属するFCKAGOSHIMAからグッズの制作を依頼されたことでした。
パワフルな営業から商談の流れで「ぜひ試合も観に来て下さい!」とパワフルに言われ、誘われるがまま鴨池陸上競技場へ足を運びます。
そこでは「鹿児島」を名乗るチームが次々とゴールを奪う姿が見られました。
今までは高校野球や高校サッカーでしか味わえなかった「“鹿児島”が勝つ爽快感」にハマった丸本さんは、応援生活へ足を踏み入れていくことになります。
2013シーズン加入した山本啓人選手や水本勝成選手は、丸本さんにとって特に推し選手となり、思い入れはどんどん深くなっていきます。
と言っても今のようなスタイルではなく、椅子や芝生に座って選手たちの活躍を堪能する観戦スタイルで、県外での応援も2013シーズン最終戦の行われた佐賀へのバスツアーくらいでした。
2014シーズン、FCKAGOSHIMAがヴォルカ鹿児島とクラブ統合して鹿児島ユナイテッドFCとなり、全国リーグ、JFLへ舞台を移しても丸本さんの在り方は大きくは変わりません。
「株式会社マルモト」としてタオルマフラーやレインポンチョ、タオルパーカーなどのグッズやノベルティなどを制作納品する立場としてクラブと関わり、ゴール裏にも親交のあるサポーター仲間はいましたが、試合はメインスタンド観戦。
はじめての試合にはメディアの大々的な報道などもあり、3,000名を超える観客でメインスタンドがほぼ埋まった光景は感慨深いものでした。
そんなJFL時代を今振り返って丸本さんが感じる大きなことが「選手たちのがんばり」でした。
2,000名前後が普通に入り注目を集める環境で、鹿児島は初年度から年間14チーム中3位という好成績で終え、翌シーズンも昇格要件となる16チーム中4位を達成しました。
水本勝成は守備の絶対的な柱として君臨して、山本啓人は中盤の底で長短のパスとフリーキックでチャンスを作りながら。
「逆にあの時代になかなか勝てない状況を過ごしてたら、今でも本当に入場者数で苦労していたと思うし歴史は変わっていたかもしれない。やっぱりあの頃“鹿児島、強いじゃん”ってなったのは大きかったと思います」
2015シーズン、Jリーグ入りを達成して、チェアマンからの電話を徳重剛クラブ代表が受けるホテル会場に丸本さんの姿もありました。
「クラブが目指していた舞台に上がったんだなって素直に喜んでいました。まだJリーグってどういうものかよく分からなくて、“自分たちには関係ない世界”と思っていたのが降り掛かってくるってどういうものなんだろうって感じでした」
Jリーグ初年度の2016シーズンも丸本さんの観戦スタイルは変わりませんでしたが、ゴール裏では今振り返るととても大きな一歩が踏み出されています。
それがサポーター団体「FEUS」の設立です。
当時、鹿児島在住のゴール裏サポーターと県外在住の鹿児島出身サポーター有志が「この舞台で鹿児島が闘っていくためには、サポーターも成長しなければならない」という想いから立ち上げたサポーター団体でした。
丸本さんはその頃のことを聞いた話という前提で丁寧にお話してくれました。
「Jリーグに入ってホームとアウェイがくっきりしていくなかで、アウェイに行ってそこで“今日は誰がコールリーダーする?”みたいに話し合うとか、“今日太鼓ないから手拍子だけ”とかではダメだし、“いつもの人が責任持ってやってくれる”安心感がある状況を絶対に作らなければならないという想いだったんです」
Jリーグ初年度、首位争いを繰り広げた末に16チーム中5位で終えた鹿児島。
このシーズンをもって丸本さんの推しである山本啓人選手は現役を引退し、指導者に転身します。
そして2017シーズン、丸本さんの応援生活が一変するタイミングを迎えました。
丸本さん、ゴール裏の立ち見エリアへ
2020年のかごしま国体に向けて鴨池陸上競技場は大規模な改修が行われていて、2016シーズンの後半はバックスタンドが工事のために使えない状況に。
続く2017シーズンはメインスタンドが工事により使えない状況になります。
いつものエリアから離れた丸本さんが立ち見エリアの近くにいると…
「こっちでいっしょに応援しようよー!」
誘われるがまま、丸本さんは顔見知りが多くいるFEUSといっしょに応援することになりました。
「新鮮でしたよ。それまでもやりたかったけどできてなかったんだなと思いました。立って応援するところに行きたいけど勇気が出ない、一歩踏み出せない感覚がある人って多分すごくいっぱいいると思うんですよ。メインスタンドで観ている人とかでも。だから自分の場合はその願望があって、引き上げてもらった感覚です。それで50歳が近くなってきても同じことをしている笑」
かなり前の方で飛び跳ねている一方で、丸本さんがFEUSで担っているのは主に企画のところ。
団体のメッセージを込めた横断幕、選手1人1人の横断幕などの制作、そして例えばホーム最終戦で実施されるコレオグラフィーなどなど。
そういったすべてのサポーター活動を通じて感じるものは楽しさなのか、充実感なのでしょうか?
「共闘」が答えでした。
ピッチの上でプレーする選手たちと共に勝ち点3を目指して、自分たちも闘う。
勝利も敗戦も、今までより濃密に感じられる生活に丸本さんはのめり込んでいきました。
そしてアウェイ遠征の頻度も増えていき、今では過半数のアウェイ戦を現地へ参戦するようになっています。
印象深いアウェイ戦の思い出をたずねたら、やはり現時点で唯一J2でプレーした2019シーズンの試合が出てきました。
「(2019年6月2日の)モンテディオ山形戦。20人対10,000人。山形駅なんてほとんど人がいないのに、スタジアムの近くになったらどんどん人が増えてきて、試合になったら応援の圧力もすごくて。スコアは0-1でもサッカーの内容では負けていなかったし、20人だけじゃなくて、もっとたくさんのサポーターで応援できていたら失点は防げたのかもしれない。だから選手たちにも“申し訳ない”って気持ちでした」
そしてもう1試合はファジアーノ岡山戦。
「後半先制していけるって思っていたら終了間際に直接FKとPKで逆転されて、15,000人の観客の雰囲気で最後持っていかれた悔しさがあります」
2016シーズンにJ3リーグが舞台になり、2019シーズンにJ2でたくさんの経験をして、同じサポーターとして、対戦相手からも「応援の力」を感じさせられるFEUSと丸本さん。
スタジアム全体で応援するスタイルへ
しかし2020年に世界を襲った新型コロナが、サポーター生活にも大きな影響を及ぼしました。
最初はそもそも無観客でスタジアムにも入れない。
観戦はできるようになっても鳴り物は叩けず旗は振れず、もちろん声援を送るなんて論外なご時世です。
しかし、そんなコロナ禍において、焼酎「さつま島美人」を空けたパックで作ったハリセン、通称「シマビハリセン」というアイテムが登場したことが、応援スタイルにも大きな変化を呼ぶことになったと振り返ります。
「コロナになって色々なことが何もできなかった時にハリセンを作って、メインもバックもみんなで叩いて応援した。あれで全員参加型で応援するスタジアムになれたことが大きかった」
2022年8月14日の松本山雅FC戦から声出し応援がバックスタンド北側で解禁になり、声出し応援エリア、立ち見エリアを選ぶ団体に所属していないサポーターも徐々に増えてきました。
しかし、丸本さんには別にFEUSの勢力を、数百人とかの規模まで増やしたいとかいう考えはありません。
「少ないからいいんですよ、極端に言えば50人くらいで十分。そのエリアみんなが団体とか、近寄りがたいじゃないですか」
現時点でのFEUSにとって応援とは、バックスタンドのほかのエリアとメインスタンドに座る5,000人6,000人を「共闘」へと巻き込むための発火点、きっかけづくりが目的のひとつ。
そして目先の勝利のためはもちろん、選手たちに「うちの応援はすばらしい」と誇りを持って欲しいという願いがあり、その先には「だから鹿児島でプレーしたい」と選手獲得のお手伝いにもなれたらという願いもあります。
だから団体には所属しなくても、いっしょに立って、声を出して応援してくれる人が増えることはうれしいもの。
8月5日のアウェイ宮崎戦は敗戦しましたが、ゴール裏にはびっしりと鹿児島のサポーターが集まり、ホームのような雰囲気を作ることができたことは到達点のひとつだと感じられました。
9月9日のSC相模原戦、ゴール裏からピッチまで距離がある上に位置も低くてゴールの真後ろにまで看板があり、「前半の2ゴールなんてあっちのネットが揺れて、選手たちの雰囲気で点が入ったのが分かるくらい」という環境。
それでも鹿児島側のゴール裏に200名ものサポーターが集まったことも「共に闘う」機運の高まりに感じられるのでした。
すべては鹿児島に勝って欲しいから。
その想いを丸本さんは「勝利至上主義」という言葉で表現しています。
僕はシーズンを一つのドラマとして観ているんです。
その中で全部勝てれば言うことないんですけど、やっぱりそうはいかないんです。
そこで酔ったおやじじゃないんだから、一回一回で喜怒哀楽をぶつけててもしょうがないなって。
でも勝たないと道は開けない世界です。
そこを変にごまかす必要はないと思う。
クラブが理念として、楽しく地域を盛り上げてというのは分かります。
それにはやっぱり勝利という「手段」が必要なんです。
やっぱり勝たないといけないので、我々はその「手段」の部分を得るために応援をしているんです。
「勝利至上主義」という言葉は長い目線での言葉でもあります。
敗戦したことに対してブーイングをすることもありません。
「だって“ブー”じゃ言いたいこと伝わらないじゃないですか。だから“顔を上げろ”“もっとやれるだろ”“次は絶対勝つぞ”“オレたちは諦めてないぞ”って言葉で伝えたほうがいい。もう終わった試合の結果は変えられないんだから、ここまでの勝ち点は増えもしないし、減りもしないんだから、ホイッスルが鳴ったらもう次の試合で勝ち点3を取るために、これからも自分たちもいっしょに闘う」
その上で「鹿児島はまだ気持ちを伝えることができる距離感にあるのも大きいと思います」と付け加えました。
もちろん結果が出ないと丸本さんも心の中は苦しいものでいっぱいですが、驚くべきことにそんな中でも自分たちの応援にもっとやりようがあったのではないかという視点は忘れません。
「応援ってただ音が大きくて激しければいいってものじゃなくて、ピッチで闘う選手たちと気持ちを合わせて、落ち着かせるべきと思った時はそういうチャントを選んで、ずっと彼らに寄り添いながら背中を押すことが大切なんです。本当に微妙なバランスですけど」
例えばアウェイの宮崎戦、丸本さんはゴール裏のすばらしい雰囲気がありながら、ひょっとしたら鹿児島の選手たちを後押しする以上に、ピッチを飛び越えて宮崎のサポーターを圧する方向に進んでいたかもしれないことが申し訳ない、と振り返ります。
逆にホームの富山戦や岐阜戦は開始早々に苦しい時間があったけれど、自分たちの応援とスタンド全体の応援が噛み合い、選手の雰囲気も噛み合い、流れを持ってきて勝利できたという感覚があります。
次世代へ継承していく応援
そのFEUSで今シーズンからメガホンを握ってコールリーダーを務めるのが、Jリーグ入りして以来のリーダーから、10歳ほど若いメンバーに代わりました。
代替わりは、スタジアムには常に新しい人を呼んで来ることが必要で、自分たちの組織にも若い人新しい人こそが必要だと思うから。
「おじさんばっかりじゃ若い人、来ないでしょ?」
若さを追求するあまり、というわけでもありませんが、ホーム・アウェイ問わず小学生以下の子どもたちも大歓迎!
お兄ちゃんサポーターが旗の振り方やチャントの歌い方までしっかり面倒を見てくれていて、御礼の言葉は鹿児島県内外のお父さんお母さんサポーターから聞くことができます。
「こいつは小学生だった8年前にJFLの試合が姶良であった時が初観戦なんですよ」と、就職を控える二十歳のメンバーを紹介してくれました。
大旗を振っているメンバーにも、小さい頃からお父さんに連れられて鴨池に通っていた元少年たちがいます。
「子は国の宝」という西郷どんの島津斉彬公の言葉の先にある光景を見る想いです。
そんな小さい子どもたちも、胸スポンサーの社長も、みんなが等しくユナイテッドの勝利のために全力を尽くせる空間。
そして応援という領域においてさえ自分たちが主役なのではなく、あくまでスタンド全体の一体感を形成するために先導役(リードするもの)だと自認する姿勢。
目標とするサポーター団体はあまり浮かんでこなくて、地域リーグやJFL時代もしっかり経験してきた上で独自の進化を遂げてきたという感覚。
「Jリーグクラブのコアなサポーター」という言葉の奥にはたくさんの要素が詰まっていました。
たくさんの要素があるけれど、あくまで数ヶ月単位の話をすれば今シーズンこそJ2というステージへ行くこと、目先の話をすれば4月にアウェイで敗れているカマタマーレ讃岐戦で勝ち点3を獲ること。
すべてはそこに行き着きます。
最後にもう少しだけ丸本さんの本業のお話。
敬老の日を前にした讃岐戦ではJリーグとサントリーウエルネスとの共同企画「Be Supportes!」で、施設で生活する年配の方々から集めたメッセージ弾幕が掲出されます。
その横断幕のデータに不備がないか(PSDの添付漏れとか、アウトラインとかCMYKとか色々起こります)も含めて確認していた丸本さんはメッセージに「泣きそうになった」ともらしました。
「80歳90歳の戦争とかも体験した人生の先輩たちがどんなことを書いているんだろう、悟ったことを書いているのかなって思ったら“勝て”とか“勝たなきゃ未来はないぞ”とか。全然“勝ち負けだけじゃないよね”みたいなごまかす感じじゃない、勝利至上主義じゃないかって」
この弾幕はメインスタンド側の場外に掲出される予定です。
数十年先の未来に丸本さんたちはどんな風に鹿児島ユナイテッドFCと向き合っているのかも気になって来ます。
「同年代の仲間たちと(新スタジアムの?)ゴール裏の上のほうでああでもないこうでもないって言いながら見ているんじゃないかなあ。ぼうって立ちながら」
まさかの生涯立ち見宣言を聞くことができました笑
それにしても丸本さんは聞かれたことに対して快くたくさんお話してくださいました。
ただ10年以上のサポーター歴を振り返るなかでも、意識のほとんどが「あの頃」ではなく「今」そして「これから」に向いている印象を受けました。
そんな丸本さんだから今、頭の中にあるのは「讃岐に勝つこと」がほとんどで、それが終われば次、次、次、となっていくことでしょう。
結局、立場が少々変わったとしても、「勝つために今の自分ができること」が中心軸にあり続けるような気もします。
10年先、あるいは数十年先の未来においても変わることなく。
良い意味で重鎮感を出さない丸本さんらしさで。