【6月24日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2023 vol.08
鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は6月24日に行われる2023明治安田生命J3リーグ第15節、鹿児島ユナイテッドFC vs ガイナーレ鳥取のマッチデープログラムです。
日程表・順位表・テキスト速報
前回までの振り返り
2023年6月10日(土)2023明治安田生命J3リーグ第13節
vs ヴァンラーレ八戸 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)
6月10日は、ホーム鴨池にヴァンラーレ八戸を迎えての第13節。
大雨が降り注ぐなか、それでも3,709名の観客が声援が響く試合は、序盤は八戸がボールを奪ってからの速攻でチャンスを作る。
逆に鹿児島は26分に八戸守備陣からボールを奪った藤本憲明がGKとの1対1を迎えるが、浮かせたシュートはわずかに外れる。
28分に八戸はGKのロングボールをつないで左サイドからクロスが入り、シュート。
ポストに跳ね返ったところを押し込んで八戸が先制する。
後半の鹿児島は水はけの良いピッチでボールを動かしながら八戸ゴールに迫る。
サイドバックの野嶽寛也や渡邉英祐、中盤の底から中原秀人も上がってシュートを打つがGKに防がれる。
89分には木村祐志のFKを広瀬健太が頭で合わせるがこれもGKがセーブ。
14本のシュートを打ったがゴールを決められず、0-1で敗戦した。
2023年6月18日(日)2023明治安田生命J3リーグ第14節
vs AC長野パルセイロ 会場:長野Uスタジアム(長野県長野市)
6月18日の第14節は、アウェイでAC長野パルセイロと対戦。
28.8℃とかなり暑い長野にも、多くの鹿児島サポーターが応援に駆けつける。
序盤は前からプレスをかける長野に攻め込まれるが、鹿児島は落ち着いて守る。
そして徐々にいつものボールを動かす鹿児島のサッカーを展開する。
21分に1対1を迎えた中原秀人、さらに藤本や端戸がチャンスを作る。
そして28分、長野守備陣のミスを突いてボールをさらった五領淳樹がそのまま左足で流し込んで先制する。
後半メンバーを代えながら攻め寄せる長野は69分、鹿児島のクリアボールを拾ってつなぎ、最後は強烈なミドルシュートを決めて同点となる。
直後にも絶命のピンチを迎えたが、鹿児島は前線の圧力を強めながら長野のゴールに迫る。
89分、山口卓己が打ったシュートのこぼれ球を、木村祐志がボレーで合わせる。
ボールは一直線に長野ゴールに突き刺さり、木村をはじめ選手たちはサポーターに駆け寄る。
そのままボールを保ちながら2−1で3試合ぶりの勝利を得た。
今節はホームにガイナーレ鳥取を迎え撃つ。
「今シーズンのJ3にそんなに差はなく、楽な試合はありません。そんな中でも危機管理をしながら下を見ずに志を高く持って上を向いていくことが大切です。相手どうこうではありませんが、得点力があるチームなので、自分たちが主導権を握って集中力と注意力を持って入っていきたいです」
大嶽直人監督は鹿児島のやるべきことに注力している。
「今は自分たちがやることを整理できているので、続けることが大切です。相手は足元の上手い選手が多いですが、前回のホーム八戸戦では負けているので、結果で姿勢を示していきたいです」
中原秀人は自分たちの力に自信を抱きながら、冷静に次の試合に向かっている。
「相手の監督が変わって難しい試合になると思いますが、やることは変わらないし、自分たちのサッカーをできれば勝てると信じています。選手間の競争があり層の厚さがあります。そしてサポーターの後押しが力になって勝たせてもらっているので、これからは自分たちが鹿児島を勝たせられるようにしたいです」
穏やかな星広太からは、サポーターへの感謝と次戦への強い思いが語られる。
鳥取戦も、監督、選手、スタッフ、そしてサポーター、みんなが勝ち点3をめざし、最後の瞬間まで一体となって戦い続ける。
コラム「鹿児島をもっとひとつに。vol.8(Total vol.20)」
やるときめたらとことんやりきる。それを楽しく!
三浦二千夏(にちか)さんは鹿児島大学4年生。
鹿児島ユナイテッドFCがイオン鹿児島鴨池店で運営するユナイテッド・ゾーンのアルバイトをしています。
受付のほかに、個人参加型フットサルでボールを蹴ったり、スクールのサポートをしたり。
障がい者サッカーイベントのお手伝いをしたり、大学ではアカペラサークルに入って歌ったり。
ミゴカリッサ鹿児島では右サイドバックでプレーしています。
と、書き連ねているとにぎやかな印象を受けるかもしれませんが、目の前の三浦さんは落ち着いた様子でひとつひとつ丁寧にお話してくれました。
かなり濃いサッカー人生のお話です。
サッカーとの出合い、そしてのめり込み
三浦さんは伊佐市生まれ。
お父さんはお医者さんで、お母さんは元気な主婦で、6歳上の兄と4歳上の兄がいて、女の子1人の末っ子。
兄2人の影響で、地元山野小学校でサッカーを始めたのは自然な成り行きでした。
男子に混じった少年団に加えて、伊佐の女子を集めた選抜チームでの活動もあり、どんどんサッカーにハマっていきます
2人の兄は中学から、お父さんと同じ熊本の一貫校に進学したため、いい意味での一人っ子のような環境にもありました。
しかし中学になるとプレーする場所が少なくなるのが全国的な、特に鹿児島では顕著な女子サッカーの悩みどころです。
そんななか、三浦さんは山野中学校サッカー部に所属しながら、鹿児島市の女子サッカーチーム、ペガサスFC鹿児島にも所属する道を選びました。
「兄2人はすでに県外にいたから、お母さんが私のために市内まで送迎できるよって判断してくれたんです」
中学校では男子に混じって練習して、週2日は送迎してもらい、鹿児島市でボールを追いかけて。
午前中は伊佐市でサッカーをして、午後から鹿児島市で練習なんてこともありました。
「私も体力すごかったなって思いますけど、その移動全部に付き合ってくれたお母さんすごいかも。多分私よりタフです笑」
お母さんのがんばりと、お父さんの理解でサッカー漬けの日々。
ちなみに当コラムにおける小中高校生時代の三浦さんの写真は大半がお母さんが撮影してくださったものです。
当時の女子は県内のリーグ戦と、いくつかのトーナメントが公式戦の舞台。
神村学園中等部、日置シーガルズFC、ペガサスが3強の構図でお互いにプライドをかけて競う日々。
このころから三浦さんはサイドバックでプレーするようになります。
「ペガサスはディフェンスライン4人の息が本当に合っていて、みんな賢くて、おもしろいぐらいオフサイドトラップかけまくって本当に楽しかったです」
失敗すると失点に直結しかねないハイリスクな守備戦術がほとんど破綻しないとなると、それは楽しいものだったことでしょう。
全国や九州の舞台は存在しない世界でしたが、目の前の勝負にこだわりながら、質の向上も追求できた日々でした。
2度の「やってしまった」と主将であり続けた日々
高校でもサッカーを続けることにした三浦さんは、南さつま市にある鳳凰高校を選びます。
一度のめり込んだサッカー生活、やるならとことん、の気質が芽生えていました。
「父も長男も医療の世界で、将来その道は考えていたので、しっかり勉強した上でサッカーをしたくて、専門性の高い高校ではなく、文理科のある鳳凰高校にしたんです」
鳳凰高校は選手権で日本一になったこともある強豪ですが、三浦さんは1年生から公式戦で出場機会を得ていました。
「でも客観的に見て他の同級生めちゃくちゃ上手いし、だから“なんで私が使われるんだろう”とか思ったりもして。決して自分を下に見ているとかはないんですけど。でもやっぱり出してもらうからには“自分にできることはなんだろう”って考えながらプレーしていたとは思います」
考えて、とにかく走り、苦しい時こそ「ここ集中だよ」と声を出しまくります。
「そしたら顧問の先生に“お前がだよ”って言われて笑。それがすごく印象的でした。分かっているんですよ。チームメイト以上に自分自身に“ここ集中だ”って言ってたんです」
先生はピッチ外の立ち振る舞いも踏まえて、試合に使ってくれていたのではないかと今では考えています。
「人間的な部分とかも重視する先生だったので。私も、サッカーしている時間より学校で勉強している時間のほうが長いんだし、そこを大切にする感覚はあったと思うんですけど」
2年生になり、レギュラーをつかんで、鳳凰高校が久しぶりに神村学園高等部に勝利して鹿児島県代表の座をつかんで、そして10月中旬から行われる九州大会が迫っていて。
10月8日。
いつもと変わらない練習中。
三浦さんの右膝がおかしくなり、そのままグラウンドに倒れました。
「これ大きいのやったかもって感覚で、先生もこけかた的に”やってしまったな”って思ったっておっしゃっていました」
診断結果は、右膝の前十字靭帯損傷。
「血が引くまで手術ができないから1ヶ月後なんですけど、その間も歩けるし、なんか走れそうだし、サッカーできそうな気がして」
もちろんできるわけはありません。
3年しかない高校サッカー生活の、1年近くが失われました。
「特に神村学園に勝っての九州大会だったのを外から見るだけになったのが、めちゃめちゃ悔しかったんですけど、でもプレーできない私も連れて行ってもらえて、そうなったらもう悔しいとか言ってる場合じゃないなって」
九州大会、さらに全国高校女子サッカー選手権でもマネージャー的な役割を担い、チームが1回戦を闘っている同時刻には別会場で次の対戦相手の試合を撮影しにいって、できることを尽くしました。
そして選手権後に3年生が引退して、三浦さんは新キャプテンに就任することになりました。
負傷で長期間プレーできない状態のキャプテン。
「キャプテンになってからがしんどくて」
練習を先生と2人でベンチから見ていると、間近に迫った大会に向けて誰を入れるか、逆に言えば誰を外すか、先生から「誰がいいと思う?」とか聞かれたり。
当然メンバーは先生が決めますが、今度は外れる選手への通達を三浦さんが任されます。
「その日のことはめちゃくちゃ覚えてるんですけど、寮でみんなひとつの部屋に集まって伝えました。同級生が6人いて、そのうちの1人はメンバーから外れて。私は怪我をしててもキャプテンだから行けるのに、その子は行けなくて」
そんな状況で三浦さんは自分の想いも伝えました。
「試合に行く人は行けない人よりも本気でやらなければならない。サッカーだけではなく、学校生活とか日々のことも人一倍こだわらないといけない。行けない人は何かが足りなかったわけだから、残っている間もやらなければならないことがあるってことを話したことをすごく覚えています」
三浦さんのなかにはたくさんの感情が複雑に渦巻いていました。
プレーすらできない悔しさ、だからこそサッカーができる人には本気でやり尽くして欲しいという想い、みんなにとってプレーできないキャプテンってどうなのかという不安。
「それもこれも含めていい経験をさせてもらったなって、今は、今では言えます」
春が来て夏になり秋が訪れ、歩けるようになり、装具が外れて、走れるようになり、ボールを蹴れるようになり、プレーできるようになり、残るは公式戦に復帰するだけでした。
しかし、3年生秋の九州大会でベンチ入りはしたものの、出場機会はなく、チームも選手権への出場権を得ることはできずに敗退。
公式戦への復帰は間に合いませんでした。
そのことへの失意はありながらも練習をしていたある日。
今度は左膝でした。
「今度は自分でも分かりました。“あー、やっちゃったな”みたいな。その日はたまたま先生がいらっしゃらなくて、それでみんな呼びに行かなきゃって慌てているんだけど、変に落ち着いていて、変に冷静で“大丈夫、自分で行けるから”って」
右に続き、左の前十字靭帯損傷。
三浦さんの高校サッカー生活が終わりました。
2度の大怪我以上に、復帰できないまま最後の大会で敗退したことのほうが悔しかったですが、三浦さんがピッチ内外で自分にできることをやりきったことは間違いありません。
大学生活という新しい世界で
進路を決める時、先生は「大学は紹介できる」と言ってくれました。
しかし三浦さんは、プレーできない状態で新入生として入っていくことが受け入れがたく、競技としてのサッカーにピリオドを打ち、鹿児島大学を受験することにしました。
現状の成績から現役での合格は難しいと思えましたが、医学部に通う長兄の経験もあり、計画的に1年間の受験浪人を経て、2020年4月から教育学部に入学。
教育者になりたいと思ったのは、高校時代の先生たちの影響でした。
ところでその入試間近にもうひとつ出会いがありました。
中学生の頃に取得していたサッカー4級審判員の資格を更新するための講習を受けに行ったところ、もう1人だけ女性がいました。
当時、鹿児島ユナイテッドFCでスクールコーチをしていたモク ソンジョンさん。
「隣に座ってくれたモクさんに話しかけてもらって、ユナゾンでアルバイトしたらって誘ってくれて」
ようやく鹿児島ユナイテッドFCの名前が出てきました笑
入学直前から世の中がコロナ禍に見舞われたため、前期はほとんど家から出ることなく過ぎていきましたが、その後はユナイテッド・ゾーンでアルバイトをするようになります。
「大人の方々とも接する機会が多かったし、(同じアルバイトの)あやねさんや雪丸くんみたいにサッカーをしていたわけじゃないけど、ユナイテッドのことが大好きな人たちといっしょなことも新鮮で」
あやねさんについて詳しくは→https://kufc.co.jp/2022/08/13/mdp2022-10/
ユナゾンが実施する個人参加型フットサルではスタッフ兼プレーヤーとしても入り、グッズ販売や受付業務を行います。
同時に大学ではあえてサッカーから離れたことをしたくて、アカペラサークルへ。
あまり多くの人に気づかれていませんが、ユナイテッドのホームゲーム場外「ユナステージ」でも歌いました。
普段1人になったら自宅で延々と読書。
学業では「もっと計画的に考えておけば」と言いつつも、着実に単位を取得していっています。
大変なこと辛いことはたくさんありました。
それでもプレイヤーとしてのサッカーを終えてもなお「声をかけられれば(嫌でない限り)全部やる!」な三浦さんは日々充実しています。
……では、今回のお話は終わりませんでした。
もう一度選手として紡がれる物語
2022年、鹿児島から女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」をめざすミゴカリッサ鹿児島が発足しました。
最初その存在すら知らなかった三浦さんですが、7月に誘いを受けて練習に参加することになります。
そこで三浦さんは「選手としてやってみない?」と声をかけられ「やらせてください」の返事。
ミゴカリッサ鹿児島に選手登録して、再びピッチに立ちます。
「ブランクはありました。選手としてはまったくプレーしていなかったので。個サルとかでボールは蹴っていたのでまだ良かったですけど」
ポジションは慣れ親しんだサイドバックで、お隣のセンターバックに入るのは鳳凰高校サッカー部時代のコーチ、古城さん。
ミゴカリッサに誘ってくれたのも古城さんでした。
「ケガのことを知っているから“とにかく無理はしないでね”って気をかけてもらって」
選手としてピッチに立ち続けるかつてのコーチ、現チームメイトへの敬愛がうかがえます。
練習に11人そろうことも少なく、チームを構築しながら臨む鹿児島県2部リーグでしたが、個々の力は突出していました。
前線の突破力でゴールを奪い勝てる状況で、三浦さんは試合終了までピッチに立てるように、場合によっては2試合をやりきれるように考えながら、守備のバランスを取ることに重きを置きながらプレーしました。
2部を全勝優勝して、今シーズンから1部へ。
以前このコラムでご紹介した山口純さんが代表兼監督を務めるレイナ川内(→https://kufc.co.jp/2023/03/10/mdp2023-02/)、モゼーラ鹿児島、神村学園高等部、そして鳳凰高校などレベルの高いチームがそろいます。
1勝1分で終えた2節までの戦いからも、前線の決定力だけでなく、サイドバックもリスクを承知でもう少し攻撃参加をしなければならないと感じています。
「もっと走らないといけないですね……走ります!」
まだ2年目のチームですが、ユニフォームに協賛するスポンサーがいて、試合会場にも応援に駆けつけてくれる人たちの存在がいてくれることはまちがいなく大きな力です。
松下みなみ選手兼監督や、総監督を務める古薗功詞郎さんたちからは熱いものを感じますし、同時に現状に合わせてできることをやっていこうという堅実さもあります。
そういえば……古薗さんは鹿児島ユナイテッドFCの知的障がい者チーム「フューチャーズ」のコーチでもあり、その縁もあってフューチャーズと合同で練習をする機会も多くあります。
日本代表でもあるキャプテン、原良田龍彦選手は伊佐市の出身で……
「はじめていっしょに練習した時に“なんか会ったことあるよなー”って考えていたら、向こうから話しかけて来てくれたんです。原良田さんがひとつ上で、同じ伊佐市内のサッカー少年団でよく対戦していて。うれしかったです。覚えててくれて」
人と人とのつながり、サッカーがつなぐ縁は不思議で素敵です。
まだまだブランクはありますが、高校時代にやりきれなかった分まで、今度こそとことんまで選手としてやりきるつもりでいます。
高校でピリオドを打ったはずのサッカー選手生活には、次の物語が続いていました。
実はお母さんは、娘さんがユナゾンでバイトをする前からのユナサポで、今も毎試合のように伊佐から鴨池まで通って観戦してくれています。
都合が合う時は親子で観戦。
さらにペガサス時代のママ友といっしょに女子向け個サルに参加してくれています。
小さい頃から自身も楽しみながらサッカーに付き添ってくれたお母さん。
そしてお父さんは自身も持病があり治療をしながらも、しっかりと仕事に向き合い、母娘が出かける時は快く「行ってらっしゃい」と送り出して、家のことも自分でできることはしていました。
そんなお父さんだからお母さんは娘のサッカーに付き合ってこれた、と話してくれたことがあります。
「たくさんの人のおかげでサッカーができてこれたけど、やっぱり一番は父と母のおかげ」と三浦さんは振り返ります。
楽しく着実に、とことんやるべきことをやりきる三浦さんの中では、ご両親が示してきた生き様と愛情が熱く息づいているように映ります。
そして今、20年近いサッカー生活を通じて得た、つながりがあります。
「ユナイテッドとミゴカリッサをつないで両方を発展させたい」という思いもあります。
今年度で大学を卒業して、これから社会に出る三浦二千夏さん。
たとえば30歳になった時にどうなっていたいかをたずねると、ちょっとだけ考えましたが、迷いなくよどみなく答えてくれました。
「30歳まで選手ができているか分かりませんが、それまでには結婚して子どもが欲しいです。ミゴカリッサにも子供のいる選手がいるんですけど、大変だろうけど、楽しそうで。もちろん目指すところはあるとしても、本人が楽しそうっていちばん大切だなって。だから冗談半分本気半分くらいでやっぱり思います。結婚して、子供がいて、選手をして、もちろん仕事もちゃんとして」
1時間以上お話していた中で、一番大きな笑顔でした。
「だからまずは選手をやってもいいよって言ってくれる人と出会わないといけないんですけど……誰かいないですかね?」