【8月19日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2023 vol.13
鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は8月13日に行われる2023明治安田生命J3リーグ第23節、鹿児島ユナイテッドFC vs 松本山雅FCのマッチデープログラムです。
日程表・順位表・テキスト速報
前回までの振り返り
2023年8月13日(日)2023明治安田生命J3リーグ第22節
vs AC長野パルセイロ 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)
アウェイの南九州ダービー、テゲバジャーロ宮崎戦を2-3で落として迎えたAC長野パルセイロ戦。
2分、右サイドでボールを受けた木村祐志がペナルティエリア前に入れたボールを、左サイドバックの薩川淳貴が前方にトラップして、そのままシュートを打つ。
7分、右サイドでのつなぎからこぼれたセカンドボールを山口卓己が回収して、五領淳樹がファーサイドに入れたボールを米澤令衣が狙う。
27分、長野のコーナーキックから強烈なボレーシュートを決められ先制を許す。
47分、米澤令衣が1対1のチャンスを向かえるが長野GKに防がれる。
56分、コーナーキックから鈴木翔大が競り勝って落としたボールを、戸根一誓が合わせたヘディングが決まって同点に追いつく。
徐々に長野が攻める場面が増えてくるがGK松山健太たちが防ぐ。
鹿児島もカウンターのチャンスを作るがゴールには至らない。
95分、鹿児島ペナルティエリア前の直接FKが直接決まる。
そのまま1-2で敗戦した。
大嶽直人 監督コメント(8月16日トレーニング後の共同記者会見より抜粋)
どんどん上を向いて突き詰めていかなければなりません。
こういう状況で下を向いてはいけませんし、サポーターの応援に頼ってばかりではいけません。
自分たちがエネルギーを出して、逆に頼ってもらえるようにしなければなりません。
暑くて選手たちが苦しいのは分かりますが、どこだって苦しいのでそのなかでどれだけのものを普段の練習から積み上げていけるか、試合で出せるか。
ひとつひとつのプレーが勝負を変えてしまうものですが、これは上にいくほど厳しいところがあり、乗り越えないといけません。
どれだけ自分たちがやるべきことをピッチで表現できるか、体現できるかのトライが必要で、それができる試合とできない試合の差がありすぎたのが今の結果です。
次の試合も相手どうこうより、まず自分たちがこの連敗を乗り越える力をどれだけ出せるかだと思います。
力強い攻撃と守備のアクションを出せること、セカンドボールの球際でも負けずに拾えるようにすることにこだわっていきたいです。
薩川淳貴 選手コメント(8月16日トレーニング後の共同記者会見より抜粋)
ここ2試合で連敗して、落としてはいけないところで落としてしまった危機感があり、今までに感じたことがないくらいの雰囲気がありました。
監督から求めることも高まったと感じます。
監督の求める強度が今までのところと違いますし、要求が高くなっているので、僕らもやらなければならないという想いです。
鹿児島のサッカーはボールを保持するサッカーなので、ボールを大事に、負けている時ほどボールを大事にしなければならないというところはあります。
しかし、サッカーの目的はゴールにあるのですが、最近はミスを恐れて強気な部分が足りないと思っています。
よりゴールに向かうプレーは増やしていきたいです。
松本戦はどちらが勝つのかで、どちらが上位争いに残れるかの正念場です。
ファン、サポーターの皆さんはゴールと勝ちが見たいはずです。
あとは戦う気持ち、鹿児島のためにやる気持ちがすべてで、負けは絶対ないし引き分けもなく、とにかく勝ちにいくサッカーをしなければなりません。
千布一輝 選手コメント(8月16日トレーニング後の共同記者会見より抜粋)
前節は後半の1-1で勝たないといけない状況で出場して、持ち味である縦パスをイメージして入りましたが、そのプレーがなかなかできず、苦しい展開になりました。
今、悪いところは明白に出ているので、それを改善していくしかありません。
シーズンは長いので一喜一憂している暇はありません。
うまくいかないときこそ立ちふるまいに気をつけることで、ちょっとずつでも自分たちが上向きになっていけます。
試合が終わって反省することも大事ですが、ひとつひとつこつこつと積み重ねていく必要があります。
試合ではチームの戦術はありますが、アグレッシブに大胆に、相手を上回るようなプレー、自分が選択したものを正解に変えるようなプレーが必要だと思います。
相手よりやるのは最低限で、点が入らなくてもシュート数は毎試合増やすこと、気持ちを前面に出すアグレッシブさも大事です。
松本戦は緊迫した強度の高い試合になると思いますが、相手どうこうというよりは目の前の相手に負けないようにひとつひとつプレーすることが必要です。
コラム「鹿児島をもっとひとつに。vol.13(Total vol.25)」
川越さんは選手たちの笑顔を撮りたい!
ホームゲーム会場では紫色のビブスを着たカメラマンの姿が、まるで何人もいるようにあちこちで見ることができます。
スペシャルマッチスポンサーの配布物を撮るために改札へ。
イベントの様子を撮るためにユナステージへ。
今日のおすすめグルメを撮るためユナマルシェへ。
鹿児島銀行協賛のサッカー教室を撮るためにピッチ周辺へ。
他にも特別なことがあるたびに重い機材とともに東奔西走。
そうしていると監督や選手が乗るバスがスタジアムに入ってきて
GMと監督はスタンドのサポーターへあいさつをして
ピッチ内アップがはじまって終わって
スペシャルマッチスポンサーのあいさつと始球式があり
前半がはじまって
ハーフタイムもイベントがあって
後半がはじまって
試合後も撮って
試合が終わったら急いで写真を整理して納品!
写真は選手たちがSNSでアップするための、つまりサポーターが待ち望んでいる投稿を彩る大切な素材だからです。
ということで前回の写真での振り返りに続き、クラブオフィシャルカメラマン川越亮さんのエピソードを今回はお届けします。
前回のコラムはこちら
【8月13日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2023 vol.12 – 鹿児島ユナイテッドFC オフィシャルサイト
カメラマンへの道は一直線ではなく
川越さんは鹿児島市の生まれ。
お父さんがテレビ関係の仕事をしていたこともあり、家には時代の今を伝える様々な雑誌がありました。
それを見ながら10代の川越さんは徐々に雑誌、表現というものに興味を抱いていくようになります。
写真は、その世界を構成する重要な要素のひとつではありましたし、当時は手軽なカメラが普及して写真を撮ることもありましたが、プロのカメラマンになるという固い決意があったわけではなかったそうです。
そして当時からスポーツは好きで、Jリーグが発足したばかりの時代。
テレビ中継は観ていましたし、鴨池陸上競技場でベルマーレ平塚の試合が行われた時も観に行っています。
「対戦相手は覚えていないんですけど、中田英寿や田坂和昭がいて」
自身、食べても食べても身体ができあがらなかったという悩みを抱えながらもラグビーをする体育会系。
高校時代は色々と楽しいことに目移りしまくりながらも(中略笑)、無事に18歳の春、大阪芸術大学の写真学科へ進学します。
これがカメラマン川越亮の第一歩と思いきや…
「同級生すごい人ばかりで僕には無理だって思いました。そもそも一眼レフカメラを持っていなかったんですよ笑」
さらに先生にも「カメラマンやるつもりはありません」と言ってしまうという個性派っぷりは、今の川越さんのにこにこ笑顔からは想像もつきませんが…
そんなエピソードを話しながら大苦笑いしている川越さんですが、同級生たちが撮ってくる写真を発表する場としてイベントを大阪だけでなく東京でも企画運営したり、写真集を出したいと言われれば段取りをしたり、と撮影とはまったく異なる方向で才覚を発揮します。
愛校精神が強すぎたのか、日韓W杯が行われた2002年の夏を大学5回生として迎えることに笑
狭き門だったチケットは当然手に入りませんでしたが、日本vsチュニジアが行われた長居スタジアムの近くまで行って、みんなで日本の勝利に大歓喜!
スポーツも、楽しいことも川越さんは好きなのです。
大学時代の最後に先生から「卒業したらこの権利は行使できないんだぞ」と言われて、当時約20万円する写真編集ソフト「Adobe Photoshop」を学割の5万円ほどで購入したのは、写真学科らしいところだったのかもしれません。
しかし当時の日本は就職氷河期です。
大学3年生4年生になると何十社、あるいは100社以上に願書を送って選考試験を受けて、毎週毎日のように「お祈りメール」の宣告を受けて心をぼきぼきに折られながらもがき続けて、なんとか就職できる、そんな時代です。
川越さんは「実はまだ親にも言っていないんですけど」と前置きしてお話してくれました。
「1社だけ新聞社を受けたんです。それで試験会場に行ってみたら、だーれもいなくて。試験が前の日だったんです。それで自分はこういうのに向いていないなと就職活動をやめました」
それでも大学時代の経験と人とのつながりがあり、東京にあるカメラマンのプロダクションに就職することができました。
事務所で内勤しながら電話を取って様々な媒体からカメラマンの派遣を依頼され、スケジュールを調整して、ギャラの交渉をしていく仕事です。
しかし勤めて2年半になる頃、東京のイントネーションや電話を取り続ける日々に疲弊してしまった川越さんは退職し、鹿児島へUターンすることになります。
鹿児島で徐々にカメラの道へ
川越さんは最初、雑誌編集の仕事に就いて、レイアウトを組んだり文章を書いたり、そして写真を撮ったりしていましたが、ここは半年で退職します。
が、その頃にデジタル一眼レフカメラを購入していたことが、購入したのはプロ向けではなく、Canonの家庭向け機種「EOS Kiss Digital X」でしたが、それが川越さんの転機となりました。
川越さんは朝、お父さんを会社に送っていくと、仕事を終えたお父さんを迎えに行くまでの時間、鹿児島のあちこちを車でまわりました。
観光名所から何気ない街の景色まで、撮れるものはなんでも撮ります。
大学時代の分を取り戻すように膨大な教則本を読み込んで撮り方を研究して、そして、東京で働いていた頃に同僚の仕事で眺めていたAdobe Photoshopも活用しながら写真を仕上げていきます。
学生時代に何気なく買っていたソフトが、フル稼働する時がやってきたのです。
◇「鹿児島中、まわっていないところはない」と言えるほどありとあらゆる場所で写真を撮ってきたこと。
◇フィルムからデジタルへと写真の主流が移り変わろうとしていたこと。
かくして出版社からは「こういうデジタルの写真ないですか?」という問い合わせが来るようになり、川越さんは速やかに納品することで生計が立つようになっていったのでした。
「坊津の007撮影記念碑? あります。いちき串木野の徐福像、あります、よく晴れた日の徐福像があります」
そして家庭向けの「Kiss」からプロ向けのフルサイズ機「EOS 5D Mark II」に乗り換える時には、これからはカメラマンとして生きていくのだと決意したのでした。
タイミングが良かった面はあるにしても、苦しい時も前を向いて今できることをやり続けたからこそ、何より相手の利便性まで考慮しているからこそ、川越さんの道が拓けていったのではないでしょうか。
サッカーとの出会い、ユナイテッドでの日々
プロのカメラマンとして鹿児島で活動していた川越さんがサッカーと関わるようになったのは2012年のこと。
東京のクリエイティブディレクターから知人を介して、ひとつの仕事を受けました。
鹿児島ユナイテッドFCの前身の片方、FC KAGOSHIMAのプロモーション用の撮影でした。
ちなみにそのクリエイティブディレクターが、今もユナイテッドのユニフォームやポスターなどのデザインを手がける株式会社シイツウの深尾さん。
クラブからの依頼で試合の写真を撮影することもありました。
一方で当時FC KAGOSHIMAとライバル関係にあったヴォルカ鹿児島についても、依頼を受けて写真を撮ることもあり、どちらを応援するとかでもなく、あくまで仕事として2つのクラブが競っていた時代を過ごしていました。
すべてが変わったのは2014年。
両者が統合して、鹿児島ユナイテッドFCとしてJFLに参戦するタイミングで、川越さんはプロのカメラマンとして深く関わっていくことになります。
年初の集合写真、選手1人1人の顔写真、そしてポスター撮影。
2014シーズンは他の仕事との兼ね合いもあって半分くらいの試合の撮影にとどまりましたが、2015シーズンからはほとんどの試合で撮影を担当することになります。
「自分も昔ラグビーをやっていて、それでタバコも吸ったことがないくらいなんですけど、若い人たちが勝利のためにがんばる姿って、やっぱり良いんですよね」
Jリーグに入ってからは松下年宏さんや上本大海さんのようにJ1で長く活躍した選手が鹿児島でその実力を発揮するところを撮ることができて、逆に藤本憲明選手のように鹿児島で大活躍して大分トリニータ、そしてヴィッセル神戸へと登って行く姿も見ることができました。
しかし、2年連続J3得点王を置き土産に藤本選手が移籍して迎えた2018シーズン、開幕戦を0-2で落とし、さすがに昇格への道のりは厳しいと川越さんは思っていました。
それでもユナイテッドは、終盤での逆転負け、大量失点での敗戦など胸が痛くなるような敗戦を何度も何度も乗り越えながら勝ち点を積み重ねていきます。
一時は地元メディアで「自力昇格の可能性が消滅」と報じられるところから、それでもチームもサポーターも誰もが諦めることなく投げ出すことなく前を向いて闘い続けました。
そして2018年11月25日。
J2昇格に必要な勝ち点は1と迫って迎えたホーム最終戦。
場外には初めて見る規模のサポーター、サポーター、サポーター、サポーター。
結果的に10,916名が入ることになるその光景を見ながら、川越さんは緊張でがちがちになりながら撮影をしていました。
いつもの流れでバスでスタジアムに入ってくる監督や選手を撮ろうとしていると、そこにはいつもの流れで登尾顕徳GM。
たくさんのものを背負った登尾GMは、それでも大一番を前に泰然としていました。
「人事を尽くして天命を待つ」の境地に至っているように川越さんには映りました。
登尾GMと言葉をかわすうちに川越さんはすっと緊張が解け、試合の撮影に集中していきます。
大切な瞬間を撮るために、自分の最善を尽くすために。
手堅い戦況が続き、キャプテン赤尾公が「観ている人は退屈だったかもしれない」と振り返りつつも、「俺たちが上がる」の気持ちでずっとサポーターは熱く応援を続けます。
そして74分。
野嶽惇也選手(現大分トリニータ)が右サイドを突破して、
低いクロスを入れて、
ファーサイドに走り込んできた中原秀人選手のゴールが決まって、
中原選手が両手を広げて笑顔になり、
選手たちが大歓喜して集まってきて、
誰もが感情を爆発させていたその時、
川越さんはファインダー越しに「惇也が行った、あ、秀人が入ってきた、決まった、集まってきた」と、澄み切った心でシャッターを切り続けていました。
あなたたちにこそ笑顔になって欲しい
J2を闘った2019シーズンが終わり、再びJ3が舞台となった2020シーズン。
言うまでもなくコロナの影響は甚大で、シーズンが開幕したのは6月末でした。
また、今までクラブオフィシャルの川越さんとは別に、Jリーグから依頼を受けたカメラマンがアウェイチームにまつわる写真を撮っていてくれたのが、クラブオフィシャルのみになりました。
ユナイテッドの選手1人1人はもちろん、アウェイチームの選手たちの写真も一定数撮る必要があり、分刻みのスケジュールで動き続け、試合が終わると、選手が自分たちのSNSでアップするための写真を速やかに用意して納品して…とばたばたです。
ばたばたですが人は不思議な適応力があるようで、川越さんは多忙なホームゲームの撮影をニコニコしながら乗り切っています。
「アウェイチームの分の撮影を通して、サッカーの見方が深まったような気がします」
川越さんはユナイテッドのカメラマンとして10年目を迎えました。
「今では年始めのここら辺で仙巌園の撮影が入るだろうと思われる日を前後3日くらい空けているし、試合日程が出たらすぐ手帳に書き込んでいます」
日程は鹿児島ユナイテッドFCが最優先。
そして撮影の機材もどんどんグレードアップしていっています。
最初は連写機能やオートフォーカス精度などスポーツ撮影に向いたEOS 7Dシリーズだったのが、2019シーズン終盤には写りの良さも含めて、全方向に一番優れた1DXシリーズを使うようになります。
そして2022シーズンからは望遠レンズも最高峰の一本に。
「2019シーズン、J2のカメラマンと接する機会が多くて、やっぱりこれだよなーって一年半くらい悩んで悩んで、買っちゃいましたー」
川越さんは大笑いしていますが、投資金額と撮影代のバランスはあまり取れておらず、個人の想いとしか言いようのない境地です。
この10年、川越さんが撮影してきた写真は、退団した選手たちも含めて、鹿児島のためにプレーしてくれた熱量を今に伝えてくれます。
しかし、なんでそこまで鹿児島ユナイテッドFCにハマってしまったのか、川越さんご自身もうまく説明できないようです。
が、言語化できるようなレベルは、ある意味超えてはいけなかった一線は、とっくに踏み越えてしまっているのでしょう。
そして川越さんの想いは「言語ではなく撮った写真にこそ宿る」ということも言えるように思えます。
これまでおうかがいしてきた川越さんの生き様からすれば至極順当と思えてしまいますが笑
これからも、クラブ創成期から撮っている川越さんだからこそ、普通にカッコいい場面を追っているだけでは見過ごす大切な場面にも気づき、写真という形で遺すことができる部分もあるはず。
カメラマンとは機材や腕や経験だけでなく、人間性が大切だということを川越さんの在り方から感じることができます。
「クラブから必要とされる限り撮り続けていきたいです。若いカメラマンが出てくるべきかもしれませんが、いっしょに撮れたらいいですね」
今、鹿児島ユナイテッドFCは連敗しています。
直近5試合で1勝4敗の苦境です。
ユナイテッドに期待することと問われた川越さんは言葉に力を込めました。
よく選手たちが言っているじゃないですか
“サポーターに笑顔で帰ってもらいたい”
とか
“笑顔を届けたい”って
僕は言いたい。
“あなたたちにこそ、笑顔になってもらいたい”と
それはかなりの数のサポーターにも共通する想いかもしれません。
今週も川越さんはピッチのそばでカメラを構えます。
大切な瞬間を逃さないために。
そして皆さんの笑顔とともに、最高に笑顔になる選手たちを撮るために。
その瞬間の熱さを、広く、未来を生きる人たちにまで伝えるために。