【4月21日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2024 vol.05
鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は4月21日に行われる2024明治安田J2リーグ第11節、鹿児島ユナイテッドFC vs 栃木SCのマッチデープログラムです。


日程表・順位表・テキスト速報
前回までの振り返り
2024年4月3日(水)2024明治安田J2リーグ第8節
vs ヴァンフォーレ甲府 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)
ホームの第8節、ヴァンフォーレ甲府戦は雨の降る水曜ナイター。
そのなかでも3,000名を超えるサポーターがスタジアムに集まった。
5分、甲府はGKから速い攻撃に出るが、鹿児島も落ち着いた対応で藤村慶太がボールを奪い、シュートを打たせない。
13分、左サイドから米澤令衣が入れたクロスを逆サイドの五領淳樹がトラップして角度のないところからシュートを打つ。
スコアは動かないまま前半は0-0。
後半に入ったばかりの48分、甲府は左サイドからボールを運び、遠目から打ったシュートがニアサイドに決まって、甲府が先制する。
鹿児島も57分、センターバックの戸根一誓から渡邉英祐、鈴木翔大とつないで最後は裏に抜けた田中渉が右足でシュートするがGKが防ぐ。
66分、左サイドで細かくボールをつなぎ、米澤令衣が送ったクロスをファーサイドで福田望久斗が頭で合わせるが、GKがかき出す。
71分、裏に出たロングボールをぎりぎりのところで米澤が追いつき、野嶽寛也のクロスが鈴木に合う直前でクリアされる。
さらに拾った渡邉のクロスを鈴木がヘディングするがポストの外側。
83分、左サイドから野嶽寛也が送ったクロスは西堂久俊たちに合わない。
94分、藤村がペナルティエリア正面から打ったFKはわずかに外れる。
1点を取れないまま0-1で敗戦した。

2024年4月7日(日)2024明治安田J2リーグ第9節
vs モンテディオ山形 会場:NDソフトスタジアム山形(山形県天童市)
アウェイで迎えたモンテディオ山形戦
序盤から鹿児島は前へ前へとボールを奪いに圧力をかける。
1分、山形のクリアが浮いたところを米澤令衣がボレーで合わせる。
しかし11分、山形が最終ラインから鹿児島ゴール前に入れたボールを、GK大野哲煥が処理する前で奪われ、先制される。
22分、低い位置でのボール回しを奪われ、強烈なシュートを打たれる。
30分にはコーナーキックからヘディングで合わされる。
32分、鹿児島はペナルティエリア左サイドのパス回しから外山凌が入れたクロスがこぼれたところを、すばやく反応した五領淳樹が左足で打つがGKがセーブする。
55分には鹿児島ゴール前のセカンドボールから、ポストに当たるシュートを打たれる。
58分、鹿児島ペナルティエリア内でのファウル。
PKのピンチを大野が弾いて防ぐ。
76分、背後を取ったンドカ チャールスから右サイドを追い抜く福田望久斗へ。
福田のクロスがクリアされたところを野嶽寛也が拾ってミドルシュートを打つがGKに弾かれる。
79分、裏に抜けたンドカが入れたボールを福田が反転してシュートするが、わずかに決まらない。
87分、米澤令衣、木村祐志とつないで最後は有田光希がシュートする。
89分、木村がゴール前に入れたボールからンドカが打つがこれも決まらない。
90分、山形は右サイドの速攻から追加点を奪う。
ゴールを目指す鹿児島は93分、外山凌がミドルシュートを打つ。
それでも最後まで1点を奪えず0-2で敗戦した。

2024年4月13日(土)2024明治安田J2リーグ第10節
vs 愛媛FC 会場:ニンジニアスタジアム(愛媛県松山市)
アウェイでの連戦となる愛媛FC戦。
2分、ペナルティエリアから離れた位置で外山凌がミドルシュートで狙う。
14分、左サイドから福田望久斗がドリブルで中に入りながらニアサイドへのシュートを打つ。
しかし25分、こぼれ球をつなごうとしたところを奪われ、一気に背後を取られて愛媛が先制する。
31分、愛媛ペナルティエリア内で野嶽寛也、田中渉、野嶽、ンドカ チャールスとつないで藤村慶太が打ったミドルシュートはポストのわずか外側を通過する。
36分、愛媛のパス回しから1対1のピンチを迎えるがGK泉森涼太が防ぐ。
38分にも背後のスペースへボールを送り込まれるが、素早く飛び出した泉森がクリアする。
同じく38分、ペナルティエリア内で五領淳樹が左足でシュートを打つ。
前半終了間際、中盤でボールを奪いに行った中原秀人のタックルがレッドカードの判定で1人少なくなる。
後半に入った49分、愛媛はロングパス1本から追加点となるシュートを決める。
1人少ない鹿児島はそれでも攻める。
60分、藤村が長いスルーパスを左サイドに送り、途中出場の圓道将良が受ける。
そのまま中に入り込んで打ったシュートが決まって約1ヶ月ぶりのゴールで1点差に追い上げる。
71分、ロングパスを足元でトラップした圓道が抜けかけるがGKが対応する。
78分、高い位置でボールを奪われカウンターを受けるが、開幕戦以来のピッチに送り込まれた井林章がしっかりとした位置取りからシュートをブロックする。
88分、コーナーキックから井林が強烈なヘディングで合わせるがGKが弾く。
95分、愛媛が速攻からシュートまで行くが、泉森がキャッチ。
97分、愛媛陣内で田中が入れたフリーキックがクリアされる。
落下地点に走り込んだ野嶽が合わせたボールが、愛媛ゴールに突き刺さる。
そのまま終了のホイッスル。
2-2で引き分けた。

2024JリーグYBCルヴァンカップ1stラウンド2回戦
vs 東京ヴェルディ 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)
開始直後の3分、右サイドをヴェルディに突破され、折り返したシュートはバーを直撃する。
7分にもスローインの流れからシュートを打たれるが泉森涼太がキャッチする。
8分、河辺駿太郎がボールを運び、左サイド深いところを突破した圓道将良が入れたクロスを、角度のないところから有田光希が合わせたヘディングはポストに跳ね返される。
12分、ヴェルディに背後を取られたシュートはバーに当たる。
前半終了間際、ファーサイドのクロスが折り返されたところを、強烈なミドルシュートで決められる。
1点を追う鹿児島は67分、左サイドから小島凛士郎が入れたアーリークロスを、有田が合わせるがバーに当たる。
89分には途中出場の福田望久斗が左サイドを突破して入れたボールをンドカ チャールスが合わせるがGKが処理する。
1点が決まらず、0-1で初のルヴァンカップは2回戦で敗退となった。

コラム「鹿児島をもっとひとつに。vol.24(Total vol.36)」
谷口功さん(会社員、応援副リーダー)

4月13日の愛媛FC戦、終盤のコーナーキックで見せた井林章選手のヘディング。
GKのセーブで遮られましたが、177cmの身長だけでは測れない威力にこれからの期待を膨らませた方々は多いことでしょう。
その井林選手と大学時代に関西学生リーグで何度も対戦し、選抜チームではともにプレーしたのが谷口功さん。
鹿児島ユナイテッドFC発足の2014シーズンから2019シーズンまでプレーした谷口さんも、178cmの身長ながらヘディングを武器とするセンターバックでした。

プロとして責任を背負って闘った2014シーズン
大阪府出身ですが、高校時代は鹿児島実業高校で過ごした功さん。
赤尾公選手たちを擁して全国制覇を成し遂げた「鹿実」を見た中学生は、「日本一の高校に行く」という気持ちで鹿児島へやってきたのです。
とはいえ、そこから鹿児島の高校サッカーは功さんの1学年上では五領淳樹選手、永畑祐樹選手、鮫島翼選手たちを擁する神村学園が選手権ベスト4で旋風を起こし、同学年では「半端ない」大迫勇也選手を擁する鹿児島城西高校が選手権準優勝。
功さん2年生の時には鹿実が選手権に出場しますが、鹿児島高校サッカー界はどこが勝つか分からない時代になりつつありました。
そんな高校時代を経て大学は地元大阪の桃山学院大学へ。
関西学生リーグで上位争いをする環境で台頭する功さんは、ギラヴァンツ北九州への練習参加をするようになっていきます。
その頃のギラヴァンツは三浦泰年監督のもと、リーグでも上位争いに顔を出すようになっていた時代。
「オーシさん(大島康明選手)には“お前、また来たんか”ってかわいがってもらって」

ほかにも登尾顕徳、永畑祐樹、高野光司、端戸仁、関光博、武田大、キローラン菜入、と鹿児島のファンにはなじみのある名前が顔を並べるチームです。
2013シーズンから大卒としてギラヴァンツへ入団。
三浦泰年監督をはじめ前述した面々はほとんどが移籍や引退でチームを去っていましたが、功さんはここでプロとしての一歩を踏み出しました。
ところが、1年目の功さんは試合に絡むことができません。
センターバックは経験や安定感が求められるため、レギュラー選手の怪我や出場停止などがない限りなかなか別の選手が出場する機会を得るのは難しいポジションです。
ベンチに入る試合はあったものの、1試合も出場することなく1年目を終えます。
その功さんに届いたのが、鹿児島に新しくできるクラブから、強化も担当するようになっていた登尾顕徳ヘッドコーチから、期限付き移籍で来て欲しいというオファーでした。

「1年目試合に絡めなくてそれでも残りたい気持ちはあって、あとJ2から当時できたばかりのJ3を超えてJFLだったのでどうかなっていうのはあったんです。色々な人にも相談したんですけど、顕徳さんから“1年でJ3に上げたい”って熱意もあって、やっぱり試合に出たいっていうのもあって決断しました。それから鹿児島だってことも大きかったです。他のところだったら行ってなかったかもしれないです」
こうして功さんは高校時代を過ごした鹿児島で、できたばかりのクラブ、鹿児島ユナイテッドFCへの期限付き移籍を決意しました。
前年まで九州リーグで競っていたヴォルカ鹿児島とFC KAGOSHIMAの2つが統合して誕生したクラブ。
両クラブの選手たちがいて「なんか色の違いはあって、“仲良くしないと”みたいな空気があって、でもそれはどちらかと言えばサポーターの方に感じたかもしれませんね。それで結局、俺で良かったんだってだんだん思えるようになってきました」
“俺で良かった”とは。

鹿児島ユナイテッドFC初の公式戦。
JFL第1節、アウェイのヴェルスパ大分戦。
スタメンで出場した功さんは、0-0で拮抗した試合の終盤、赤尾選手のコーナーキックをファーサイドからヘディングで叩き込み…それが100年後も変わることのない「鹿児島ユナイテッドFCの初ゴール」。
FC KAGOSHIMA時代に九州リーグ3年連続得点王に輝き、ユナイテッドでも得点源として期待されていた谷口堅三選手…ではなく谷口功選手。
「決めた瞬間は嬉しいと同時に“やってしまった”感はありましたよ笑。ずっと“じゃないほうの谷口”って言われていたし。FWにはスジさん(ヴォルカ鹿児島出身の中筋誠選手)とかもいたし。でもだんだんとファーストゴールがどちらの選手でもない俺で良かったって思いました」

続く第2節、ホーム開幕戦にはサッカー部以外にも高校時代の同級生たちが横断幕を作って応援に来てくれて、その前でまたもヘディングでゴールを決めます。
センターバックながら2得点という結果を出したこと、もちろん本分である守備でも1対1の強さを発揮して、ピッチ内外で大きな声を響かせるエネルギーで定位置をつかみました。
試合を重ねるごとに選手として成長を実感できたし、多くのチームメイトが他の仕事をしながらサッカーを続けるなか、J2から呼ばれた選手としてサッカー一本で生きる日々は責任ある充実感に満ちていました。
ただこのシーズン、クラブはJ3ライセンスを取得することができず、順位に関わりなく来シーズンもJFLであることが夏頃にははっきりしていました。
「もちろん鹿児島をJに上げるためと言われてきたのでダメだと知った最初は怒りはありました。でも鹿児島としても想定外のことだったんだろうなって思いました。サポーターこそキツいはずなのに変わらず応援してくれて強さを感じて。Jから呼ばれている俺が折れたらあかんって思っていました。レンタルって出す方は別ですけど、引き受ける方はほとんど試合に出れていない選手を引き受けるんだからリスクがあるし、その分応えないといけない、特別な存在でなければならないって切り替えられました」
強い気持ちで功さんは年間通して守備の柱として活躍して、Jリーグ入会の成績要件である「4位以上」となる3位で最初のシーズンを終えました。
さらにリーグ最少失点の堅守が、はじめてのシーズンを成功に導く礎だったと言えるでしょう。
そして功さんはシーズン終了後に完全移籍を決断します。

「あのまま北九州に残って2年目を過ごしていたら、また違う道はあったかもしれません。でも試合に出られないまま契約満了になってから、声をかけてもらえるとは限らないじゃないですか。鹿児島はずっと完全移籍で欲しいと言ってくれていて、初年度からJに行くぞ、俺たちが作ったクラブでJに行くぞって熱気が自分たちだけじゃなくてフロントにもスポンサーにもサポーターにもあって、それに乗っていきたい、ここでがんばりたいって気持ちがありました」
限られた出場機会でも背番号3は前を向いてきた

それだけの想いを持って迎えた2015シーズン。
しかし、センターバックで先発するのは水本選手とFC岐阜から加入した田中秀人選手。
功さんはベンチに入るか入らないかという状況が続きますが、その状況でも腐ることなく前向きに準備を続け、チームは4位以上を保ったままシーズンを戦い続けます。
最多でも3連勝、しかし6度の敗戦後の試合は勝率100%。
粘り強く勝ち点を重ねるユナイテッドで功さんが出番を得たのは、セカンドステージ第8節からの残り8試合。
そして第14節、奈良クラブ戦で4位以上を確保して、観客数やライセンスの取得などの条件をすべてそろえてJリーグ入りを確定させました。
「昇格を決めて無事達成したっていう感覚が強かったですね。JFLでは勝たないといけないメンバーだったし。それからJリーグが見えていて、ちょっとずつチームからアマチュアの空気が抜けていった時期でもあります。関(光博)さんとか長くJリーグを経験してきた人たちが入ってきたのは大きかったんじゃないでしょうか」

無事に目標を達成して、JFL最後のホーム戦では鴨池陸上競技場に8,656名もの観客が集まってJリーグ入りをお祝いして、最後の集合写真ではどセンターに。
「写真はセンターを狙っていけって昔から言われていて、高校大学くらいから意識していたんですよ」
らしさ満開の功さんです。
しかし鹿児島にとっては念願の、功さんにとってはJへの再挑戦となった2016シーズンですが、チームは上位争いをするなかで功さんはほとんど試合に絡むことがありませんでした。
唯一の出場は第7節ホーム福島戦の終了間際。
「きつかったと思いますけど、でも結局やり続けることは変わらずですから。練習が終わってからもジムに行ってトレーニングするし、出番が来る時に備えて準備をするだけ。それだから6年も鹿児島におれたんじゃないかって思うんですけど」
シーズン最終戦も鹿児島に残り、スポンサー企業のイベント参加で終えました。

そして翌2017シーズン。
北九州に練習参加していた時の三浦泰年監督が、新たに鹿児島の監督に就任しました。
このシーズンのセンターバックには前年の水本勝成&田中秀人に、J1経験者として鹿児島実業高校出身の上本大海選手や丹羽竜平選手が加わり、他のポジションにも次々と実績豊富な選手たちが加入していきます。
選手層の厚みを増して「J2昇格」という目標へ向かうチーム。
功さんはこのシーズンも出場機会に恵まれません。
その流れが少し変わったのが第13節、アウェイの栃木SC戦。
2016シーズンJ3得点王の藤本憲明選手がPKを決めて先制しますが、終盤に逆転を許します。
そこで三浦監督は、右サイドバックの丹羽選手をセンターバックにして、功さんを右サイドバックとしてピッチに送り込み、どんどん高い位置を取らせます。

終了間際には赤尾選手のコーナーキックから得意のヘディングで合わせますが…
「このシーンはしばらく夢に出てきましたよ。打った瞬間決めたと思ったんですよ。それがスローモーションでポストの横を外れていくのが見えて、うわああああってぐらいめちゃめちゃ覚えています」
それでも、ここから功さんは常にベンチに入り続けます。
リードしている時にはそのまま試合を終わらせるために。
リードされている時はセットプレーで打開するために。
しかしチームは4位5位にとどまる時期が長く、なかなか昇格争いに絡むことができません。

もどかしい状況が続くなかで、はじめてスタメンで起用されたのは第30節、グルージャ盛岡戦でした。
この試合でも右サイドバックで起用された功さん。
13分に左サイドから関選手がクロスを入れると、ゴール前にこぼれたところを右足で合わせてJリーグ初ゴールを決めました。
「あれ練習の時からずっと言われてたやつだったんですよ。関さんはボールをキープできるから、右でなにかしなくても左サイドでゲームを作っていって“崩した時のクロスは全部突っ込め、決まらなかったらとにかく全力で戻れ、そのアップダウンをやり続けろ”って感じで。だから練習通り、指示通りではあったんですよ。ゴールは嬉しかったですよ。使ってもらって期待に応えたいって、その想いだけでしたね」
このシーズンは最終的に8試合1得点。
もっと試合に出たい気持ちはありましたし、もっと出場機会を得られそうな行き先もないわけではありませんでしたが、やはり功さんは目の前の環境で全力を尽くすタイプでした。
J2昇格を果たした2018シーズン
上本大海選手、丹羽竜平選手が退団して、センターバックに平出涼選手、右サイドバックに田中奏一選手が加わって迎えた2018シーズン。
このシーズンも序盤の功さんはなかなか出場機会がありません。
それでも鹿児島は昨シーズンと違い、1試合1試合で着実に勝ち点を重ねて、1位2位争いを続けます。
功さんの初出場はリーグ戦ではなく、天皇杯予選でもある鹿児島県サッカー選手権大会決勝の鹿屋体育大学戦。
ここではヘディングで先制点をアシスト。

さらに天皇杯本戦の1回戦では、セットプレーからシーズン初ゴール。
そして夏の中断期間が明けた8月18日、アウェイのギラヴァンツ北九州戦でリーグ戦初スタメン、初出場を、本職であるセンターバックで果たします。
「この試合もめっちゃ覚えてるんですよ。ヘディングがバーに当たってバーンって跳ね返って、あれを決めとけば、っていうのはめっちゃありました。もちろんお世話になったクラブとの対戦で点を取りたいっていうのはもちろんありましたが」
試合は0-0。
しかし、この試合から功さんは右センターバックに定着し、昇格争いに個人としても身を投じていくことになります。
「やっぱり(田中)奏一が大きかったですね。奏一にあずけておけば右サイドをぶち抜いてくれるんで」
功さんは持ち味としている相手FWを自由にさせない責任感と集中力、空中戦の強さ、そしてチームメイトと自分自身を鼓舞し続ける声の力を発揮し続けます。
そして街の雰囲気が変わってきたのも体感できました。
どこに行っても声をかけられるようになってきたんです。
練習が終わって声をかけられて、ご飯を食べてても昇格してくれって声をかけられて。
そっからカフェに行っても通りかかった人に言われて。
夜風呂に行ってもがんばってねってもう1日中言われ続けるみたいな。
なんかすげえなと思いましたよ。
こんなに色々なものを背負うような経験ってないじゃないですか。
有名人気取りとかじゃなくて、まわりの期待を受けて、がんばってね昇格してねって。
試合に出られていない期間だったらもどかしい気持ちを抱えながらチームに貢献しようとしたんでしょうけど、試合に出ていたし、自分の良し悪しが結果に関わることで、たくさんの期待を受けるのはありがたかったですね

選手たちは、もちろん重圧がないわけではありませんが、前を向いて1試合1試合を闘いつづけました。
第29節のカターレ富山戦に敗れた時には、「自力昇格消滅」が報道で飛び交いましたが、選手たちの気持ちは揺らぎません。
「これまで積み上げてきたものは変わらないですし、やり続けるしかないし、試合に対してできる限りのベストに持っていく準備をする。可能性があるのに折れたらもったいないし、まずその負けた責任も自分たちだし、ここから勝ちに持っていけるだけの確率を上げるための準備をしないといけないっていうだけです。それはずっと染み付いていて、サッカー選手を辞めた今もそういう感覚はあるんですよね。自分のできる範囲のことはベストを尽くすっていう」
ここから鹿児島はまた勝ち続け、昇格の可能性をたぐりよせます。
そして11月25日の第33節、アスルクラロ沼津戦は、引き分け以上でJ2昇格という状況で迎えました。
澄み切った心で昇格を勝ち取ったJ2昇格

10,916名の観客でスタンドが埋まった光景。
入場する時にはバックスタンドに「UP to J2」のコレオグラフィーが視界に飛び込みます。
「この試合に向けて何週間もそのための生活をしていましたし、みんなの集中も持ってきていて、僕ら選手たちだけじゃなくてチームスタッフ、フロントも色々な人たちが全力を注いでいるのがビシバシ伝わってきたし、鹿児島県全体の熱気がめちゃくちゃ感じていたし。それでこのコレオグラフィーでしょ。選手として震えっていうか、これ昇格せんかったら男じゃないやろ、ここまでやってもらったらやらなあかんやろ、って色んな覚悟が決まった感じはしましたね」
重圧ではなかったのでしょうか?

重圧っていうか逆に集中できた感じがあるんです。
背中を押してもらう追い風ですね。いつもより一歩足が動くし、いつもよりみんなも姿勢が良くなるし、集中してまわりが見えるし、周りの声もよく聞こえるし。
まわりの声はすごいことになっているんだろうけど、それがまったく気にならずに集中できて、変な邪念がなくて。
スタンドの声がでかいからいつもよりでかい声を出さないとって感覚もなく、多分いつもより声は大きく出していたんでしょうけど。
なんか集中の一番高いところに押し上げてもらった感じです
サッカー人生一世一代の決戦で、功さんはサッカー人生で最高級の集中力を発揮していました。
が、集中しきった結果、試合の記憶は今ではぼんやりしていて、それでも鹿児島は手堅い守備からの速攻で中原秀人選手のゴールが決まり、J3の2位を確定させて、J2昇格が決まります。
試合終了後、選手の誰も彼もが歓喜を爆発させる中、功さんは比較的静かでした。

チームメイトとの抱擁の輪から離れて、グラウンドに伏して泣いている田中奏一選手のところへ歩み寄る様子は、普段のご陽気なキャラクターらしからぬたたずまいです。
「冷静でしたね。泣いているみんなを見て泣いたかもしれないですけど、自分から涙は出ずに。勝つための準備をやりきった、その先のこの場所でやり切れた、一番良い結果を持ってこれた達成感ですね。本当に穏やかな感じでした」
シーズン16試合に出場した功さんは手堅い守備を支えて、J2昇格の立役者となりました。
それでも“やりきった”2019シーズン
三浦泰年監督が退任して、FC琉球をJ3優勝に導いた金鍾成監督が就任。
初のJ2挑戦を新しい体制で迎えた2019シーズン、センターバックには昨シーズンに引き続いての平出涼選手、水本勝成選手、田中秀人選手にウイリアン選手、堤俊輔選手、ヨンジェミン選手が加入。
功さんはリーグ戦のベンチに入ることもなく、スタンドから見守る日々。

メンバーを大幅に入れ替えた天皇杯でも、後半から途中出場したのみ。
シーズン途中からはボランチを本職とする赤尾選手がセンターバックでスタメン出場する試合も増えてきて、いよいよリーグ戦の出場は難しい状況になります。
「それでチームがうまく行っていたら良かったんでしょうけど、なかなか勝てなかった。でも出ている選手が原因で僕が出れないんじゃなくて、ジョンソンさんが使う基準に僕が達せていないってことです。僕はジョンソンさんが人としても好きだし、嫌いとかはまったくないし、悔しさはもちろんありましたけど、自分の責任なだけですよ」
功さんはこれまでと変わることなくトレーニングに励み続けます。

「加藤(裕)くんがいて三栖(英揮)さんがいて、これまでで一番ピッチ外のトレーニングに時間を割けました」
これまでも功さんが出場機会を得られない時期がありましたが、いつも加藤さんはチームの全体練習以外に、エルグでの自主トレーニングにも付き添ってくれました。
「加藤くんにはコーディネーショントレーニングを試合前のルーティンにしてもらっていて。“いつものお願いします”って、クロスステップとか前後の相手についていく足の動きを確認してもらって。試合に出られないない時もずっとステップ練習とかダッシュとか色々と付き添ってくれていたので、本当に大きかったです。だから気持ちが切れずにやってこれました」
23歳でユナイテッドにやってきた功さんも、28歳になっていました。
これから成長する期待ではなく、眼の前のシーズンでどれだけ貢献できるかで評価される世代。
「今シーズン限りかも」という想いは、シーズンが進むにつれて当然ふくらみました。
それでも功さんは「できる準備はやりきっていたし、チームの結果を良くするためにできることはないのか常々考えていたので後悔とかはなかった」と言い切りました。

現地で「なんとか残ってくれ、自分は来シーズンいないとしてもJ2に残ってくれ」という想いで見守ったJ2第42節、アビスパ福岡戦に1-2で敗れ、J3降格へ。
そして功さんは契約満了となりました。
そして引退
「トライアウトには行きましたけど、正直行くかすら決めきれないくらい迷っていて。それでもう引退しようかなとうっすら思っていたのをシャケさん(酒本憲幸選手)とかに相談したんですけど“求めるチームはあるから行け”って言われて。変な話になるんですけど“トライアウトとか普通は経験できひんし、みんな死ぬ気でサッカー選手の仕事を勝ち取りに行く場所だ。ちょっと気楽な思いでもいいから行ってこい。絶対になにか感じることはあるから”って言われて、だから盛り上げていこうぜ、くらいの感じで行くことに決めたんです」
とはいえ客観的に見ればまだ28歳と脂の乗り切った年齢で、JFLとJ3で昇格経験があり、対人の強さや空中戦の強さや責任感は際どい勝負になるほど頼れるし、明るく素直で元気で前向きな人間性はピッチ外でもチームを牽引することが期待できます。
トライアウトを経て、かなりのオファーが届きました。
ただ「J3であれば鹿児島と対戦できるけど、Jからのオファーはなかった」。
同時に鹿児島県内のいくつかの企業から「引退するならうちに来ないか」という話はありましたし、東京からも大阪からも「ビジネスマン0年生の谷口功」を求める話が舞い込んできます。
一方でセカンドキャリアを見据えた時に、スクールコーチではなくビジネスマンとしての仕事をしながらサッカー選手として契約するという条件を提示された時は心動くものがありました。
けれど。
「結局ちょっと中途半端な気持ちというか一瞬消えかかってしまっている情熱でこのまま行ってもいいのか俺、っていうのがあったんです。俺の良さってそうじゃないし、本来の自分の良さを出せないんじゃないかって」
サッカー選手を続けるのか、ビジネスの世界に飛び込むのか、両方を追うのか。
あまりにも選択肢が多くて、迷いに迷った末に、誕生日の前日、2月15日に現役引退を表明して、まず「サッカー選手」という選択肢をすべて消しました。
【公式】DF谷口が現役引退を発表【鹿児島】:Jリーグ公式サイト(J.LEAGUE.jp) (jleague.jp)
引退のリリース末尾には「これから新たな道に進む自分自身にめちゃくちゃ期待しています」というひと言。
旧友でもある大西勝俉選手がクリーンシートで勝利した試合後に語った言葉をパクるあたりに、功さんの人柄が凝縮されているような気がしてなりません。

…と、ここまででもけっこうな長さになりました。
選手としてJFLで38試合2得点、J3で26試合1得点。
功さんが数字にとどまらない大きな足跡を残したことを疑う余地はありません。
しかし、多くの方がご承知の通り、ユナイテッドと功さんとの関わりはこれで薄れたり途切れることはなく、新しい展開が待っていて、現役時代に劣らぬ存在感を示すことになっていくのです。
次回の当コラムでは現役を引退した谷口功さんが、大阪からユナイテッドをどのように見てきたのか、その想いに迫ります。
