【5月6日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2024 vol.07
鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は5月6日に行われる2024明治安田J2リーグ第14節、鹿児島ユナイテッドFC vs ベガルタ仙台のマッチデープログラムです。
日程表・順位表・テキスト速報
前回までの振り返り
2024年4月28日(日)2024明治安田J2リーグ第12節
vs レノファ山口FC 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)
前節ホームで約1ヶ月ぶりの勝利を得て、続けてホームにレノファ山口FCを迎えた第12節。
7分、左サイドからのクロスをヘディングで合わされる。
11分、細かいパスワークからシュートを打たれるがGK泉森涼太がキャッチ。
12分にも左サイドから入ったクロスは外山凌が競った後を泉森がカバーしてキャッチ。
15分、鹿児島は泉森が前線へ送ったロングキックに抜け出た福田望久斗がGKとの1対1を迎えるが山口GKに防がれる。
29分、フリーキックの低い弾道に井林章が頭で合わせるがGKがキャッチ。
37分、右サイドからクロスが入り、ゴール前で競ってこぼれたところをいち早く押し込まれて山口が先制。
41分、藤村慶太から左サイドの圓道将良へ浮いたボールが送られ、圓道が頭で折り返したボールを福田が合わせるがゴールならず。
50分、山口の速攻から2対1の場面を作られるが、ラストパスを読んだ野嶽寛也がクリア。
55分にも山口が鹿児島ゴールに向けて迫るが、井林が冷静な対応で防ぐ。
58分、中盤でボールを奪った野嶽がGKの頭上を狙ったロングシュートを打つ。
65分、福田が左サイドからドリブルで持ち込んで入れたクロスはGKがパンチング。
こぼれ球をつないで右サイドから西堂久俊が左足で狙ったシュートも山口守備陣に跳ね返される。
67分、コーナーキックに合わせた戸根一誓のヘディングがわずかに外れる。
72分、右サイドからボールを受けた田中渉が浮かせたボールを福田がヘディングするがGKが抑える。
85分にフリーキックからファーサイドの岡本將成が合わせるが、これもコーナーキックに逃れられる。
93分にゴール前のこぼれ球を福田が打つが枠を捉えられない。
そのまま0−1で敗戦した。
2024年5月3日(金・祝)2024明治安田J2リーグ第13節
vs ロアッソ熊本 会場:えがお健康スタジアム(熊本県熊本市)
アウェイに2,000名以上のサポーターが鹿児島から詰めかけたロアッソ熊本戦。
2分、最初のコーナーキックで正確なミドルシュートを打たれて先制を許す。
反撃に出る鹿児島は14分、左サイドから中原秀人を経由して上がってきた野嶽寛也がボールを受けると強烈なミドルシュート。
17分、熊本陣内でボールを奪った五領淳樹がペナルティエリア内に侵入して最後は田中渉がダイレクトでシュートを打つ。
19分、セットプレーのボールを拾って2次攻撃をしかけ最後は五領が左足でゴールを狙う。
33分、熊本の縦パスを岡本將成が奪うと、藤村慶太を経由して左サイドで福田望久斗が受けてのドリブルで左足でのシュートまで持って行く。
後半に入った47分、熊本の直接FKはポストを直撃する。
50分、野嶽のクロスをファーサイドで岡本が折り返し、五領が合わせるがGKが身体で防ぐ。
59分、左サイドの突破からペナルティエリア内に入られ、打ったシュートが決まって0-2と熊本がリードを広げる。
62分、コーナーキックのこぼれ球を拾った野嶽の強烈なミドルシュートはわずかにバーの上を通過する。
79分、鹿児島陣内でボールを奪うと西堂久俊が右サイドを持ち上がり、その前方ではンドカ チャールスが裏へ向けて走り出す。
スペースでの競争に競り勝ったンドカはさらにもう1人かわすと、左足でGKの股を抜くシュートで初ゴールを決める。
ホームのような歓声が響き、ンドカは咆哮する。
83分、右サイドのクロスからヘディングを打たれるが泉森涼太がキャッチ。
94分、左サイドでのボール交換から星広太がゴール前に入れたボールは、鈴木翔大が競り合ったところを超えて、そのまま熊本のゴールに吸い込まれる。
2−2。
95分、熊本陣内で藤村が粘ってゴール前に入れたボールを鈴木が頭で合わせるがGKがキャッチ。
そのまま引き分けに終わった。
コラム「鹿児島をもっとひとつに。vol.26(Total vol.38)」
本城宏紀ヘッドオブコーチング兼U-18コーチ
鹿児島ユナイテッドFC創設の2014シーズンから選手として活躍して、今もクラブの中で尽力しているスタッフたち。
田上裕応援リーダーや、強化部長の赤尾公は真っ先に思い浮かぶでしょうし、有望な大卒選手を見出してきた強化部の永畑祐樹、運営部長の冨成慎司の名前もすぐに出ることでしょう。
ちょっと通な感じのするところではスクールの“ヤマちゃんコーチ”こと山田裕也、営業部兼アカデミーGKコーチの満留芳顕。
でも…もうひとり、いました。
本城宏紀。
2014シーズンで現役を引退したあとはアカデミーの指導者に転身。
アカデミーのヘッドオブコーチング(HoC)として指導者を指導する役割を担いつつ、今シーズンはU-18コーチとして現場にも立っています。
アカデミーからトップチーム昇格を果たした角野翔汰、野嶽寛也、神野亮太、武星弥、小島凛士郎の5人全員と1年以上、監督やコーチとして関わってきた唯一の指導者でもあります。
という実績はすごいものがあるのだけれど、普段から緊迫感に乏しい雰囲気で、今ひとつすごさが伝わってきません。
今回はこどもの日にちなんで、次世代の育成を担う現場で鹿児島ユナイテッドFCに生きてきた本城宏紀HoCの歩みに迫ります。
意外と生意気だった選手時代
今では出水市となった旧高尾野町に生まれ育った本城少年は、サッカー部で頭角をあらわし、松澤隆司総監督に誘われ、鹿児島のサッカー少年が憧れた鹿児島実業高校に特待生として進学します。
同級生には赤尾公、西岡謙太、永岩貞亮と後にユナイテッドで活躍する面々。
その中でも「松澤監督に一番“かわいがられ”ました」と笑います。
2年生の時には選手権優勝のメンバーに名を連ね、3年生になるタイミングで進路面談がありました。
「僕はもうプロになりたいですと。高卒でなれなくても、関東とか関西の大学でがんばってプロ目指したいですって言ったんですね。そしたら監督が“いや、お前はもう福岡教育大学から推薦もらえてるから、そこに行け”って言われて、“は、はい”で終わりました笑」
えーと、確認したいんですけど、別に指導者志望だから教育系とかではなく?
「僕、福岡教育大学がどこなのかもわかってないし、なんでそこだったのかも、どんな大学なのかも分かんないです」
しかし先の話になりますが福岡教育大学4年生の時に松澤さんから「鹿児島に帰ってきて鹿実のコーチにならないか」という電話があったというくらいですから、ひょっとしたら松澤さんは高校生の段階から本城選手に指導者の適性を見ていたのかもしれません。
福岡教育大学で本城選手は対人に強いセンターバックとして頭角を現し、主将を務めた4年生の時にはサガン鳥栖の特別強化指定選手となります。
また当時の三本松監督が重い病にあったため、事実上の選手兼監督として練習メニューから公式戦の采配まで取り仕切るようにもなりました。
それも今思えば「指導者の道を考える第一歩だった」。
とはいえプロサッカー選手になることだけを考えていた本城選手ですが、サガン鳥栖への加入はならず「強化指定で入れないって普通ないぞ笑」と、今でも周囲からネタにされています。
ネタにされて、イジられて、笑って受け流して、結果みんな笑ってしまうのが本城宏紀です。
大卒プロは無理でも下から這い上がろうと本城選手はJFLの合同セレクションを経て、当時は北信越リーグからJFLそしてJリーグ入りを目指していたAC長野パルセイロへ加入。
シーズン途中からポジションをつかみ、チームは北信越リーグで優勝します。
しかし、JFL昇格をかけた地域決勝を前にした練習試合で、指の複雑な部位の骨折から早めのリハビリで強行出場していた本城選手は、痛みから満足なプレーができません。
本城選手を気に入ってくれていたアドバイザーにそのことをとがめられると、逆ギレぎみに「これが俺の実力ですよ」と言い捨ててしまいます。
チームはJFL昇格を達成しますが、首脳陣と衝突した本城選手はそのまま退団。
鹿児島に帰り、ヴォルカ鹿児島でプレーすることにしました。
「練習行ったら集まってるのが5人ぐらいで。それでボール回しして、ちょっとボール蹴って、ミニゲームみたいなので終わりみたいな。これ大丈夫か?みたいなスタートでしたね」
地域リーグの中では環境が整っていた長野とのギャップは大きいものでした。
それでも翌2012シーズンに赤尾公選手が加入して、翌2013シーズンはJ経験者の永畑祐樹選手や井上渉選手が加入して、チームとしてどんどん上を目指す体制ができてきました。
2013シーズンは九州リーグ優勝。
来シーズンからFC KAGOSHIMAとの統合が決まっているなかで迎えた地域決勝では「勝てば優勝、引き分けで2位、負ければ4位」で最終戦に挑みます。
ヴォルカは攻めに攻めるけれど1点を奪うことができず…最後の最後にカウンターで失点します。
カウンターの時にマークについていて、やられたのが本城選手。
結果、3位のFC KAGOSHIMAがJFL昇格を果たし、新クラブは公的な扱いとしてはFC KAGOSHIMAが体制を変える形で鹿児島ユナイテッドFCとなりました。
新しい体制で迎えた2014シーズン、ユナイテッドに残った本城選手は、出場機会は得られません。
谷口功選手と水本勝成選手がレギュラー。
本城選手は4月5月での3試合出場に留まります。
そんなある日、強化担当でもある登尾顕徳ヘッドコーチから呼び出されます。
「鴨池事務所に行ったら、来シーズンからユースを立ち上げる。そのコーチにならないかという話で」
当時トップチームで指揮を取っていた大久保毅監督は、S級ライセンスを持っていないためJリーグ入りまで導けたとしても、Jリーグで監督を務めることができません。
「それで大久保さんをユース監督兼アカデミーダイレクターにという話があって、その場合は本城をコーチにしたいという話になったみたいで」
とはいえこれはシーズン中です。
「タイミング早すぎないですか?みたいな。まだまだ俺は選手としてやれるしやりたいし」
大きな葛藤はありながらも、最終的に本城選手は現役引退とコーチ就任を受け入れました。
そこでは福岡教育大学4年生での選手兼監督の経験が大きく後押ししてくれました。
「その当時から指導の難しさとか楽しさとか、成功したときの嬉しさとか、失敗したときの悔しさみたいなのは感じていて、それで引退を決断して」
引退を決めながらも最後まで出場機会を求めてトレーニングに励み、それでも複数のポジションでプレーできる冨成慎司選手が優先される形でベンチに入ることもできず、大久保監督からは「秘密兵器のつもりだったのに、秘密で終わってしまったな笑」とネタにされています。
2014シーズンで現役を引退した本城さんは、2015シーズンから正式に立ち上がった育成組織アカデミーのスタッフとなります。
0133737
2015シーズン当時、クラブ事務所は鴨池緑地公園の前に間借りする形で所在していました。
U-18コーチに就任した本城さんは、その奥8畳に設けられたアカデミースタッフのスペースに出勤して、指導案を練り、スタッフミーティングで議論しながらさらに練り上げ、専用練習場などはないからあちこち当たって確保した練習グラウンドを転々としながら、という指導者生活がはじまります。
「いやもう、大変でしたね。本当に今の環境が整いすぎてて、今、新しく入ってきたスタッフとかなんかは、当時の多分大変さとかも分かんないと思うんですけど。U-18は新1年生8人でスタートしましたし、セカンドチームはあるけど、そこを運営する人たちもいないから、相手チームとかとやり取りして、試合の日程決めて、会場の手配をやって、朝の準備から終わりの準備も含めて、いろんな役割でやってて、それ全部僕がやってたんですよ。セカンドでは試合結果を新聞会社にも連絡して、連盟側ともやり取りして、選手登録とかもやったり、大会登録もやったり、宿舎の手配もやったり、バスの運転も自分がやって。だから基本知らないことがあんまりないっていうか。でも当時はもう何も分かんないから。とにかく人に聞きまくってやってました。一生懸命やるしかなかったです」
話を整理すると、2015シーズンにU-18が発足して、1期生として8名を迎えましたが当然11名には足りず、U-15の選手を借りる形で試合に行っていました。
一方で当時ユナイテッドは、ヴォルカ鹿児島とFC KAGOSHIMAが統合する際にトップに入れなかった選手の受け皿として、そして有望な選手をトップチームに送り出すことを目的に、九州リーグに所属するセカンドチームも運営していました。
そのセカンドチームには監督や担当スタッフがいなかったため、本城コーチがセカンドの監督も兼任して、そのまま前述の通り、あらゆる事務作業も引き受けます。
一度は引退した立場でしたが、選手層が薄いチームにあってみずからピッチに立ちます。
長崎で試合が行われたときは片道5時間かけてバスを運転して、試合では90分プレーして、また5時間かけて鹿児島に帰ってきて。
「ただこれがもともとなんのチームだったかといえばヴォルカ鹿児島なんですよ。ヴォルカ鹿児島のチーム登録番号を使う形で、鹿児島ユナイテッドFCセカンドというチームができた。あの地域決勝で最後僕がマークしていてやられたことで、そうなった。色々な登録関係を全部していたし、このチーム登録番号“0133737”が頭から離れないんですよね」
本城コーチはいつものんびりしている印象を受けます。
後輩からなかなかなイジりを受けても笑顔でツッコむし、笑顔で受け流す。
他の人だったら心身ともに根を上げそうな仕事にも粘り強く向き合う。
しかも傍目には悲壮感ゼロで、変わることなくニコニコ。
何を考えているのか今ひとつ測りかねるところがありますが、彼の中には燃えるような熱が脈打っていました。
セカンドチームは九州リーグに残留して、U-18は2期生を迎えていよいよチームとしての体制が整いつつあり、そのなかにはU-16国体代表候補に入る野嶽寛也という有望株もいて、そのタイミングでセカンドチームを離れてU-18コーチに専念することになりました。
セカンドチームは2016シーズン九州リーグ最下位に終わり、チームは活動を終了します。
置き土産に、角野翔汰という、唯一のトップチーム昇格選手を残して。
「彼は結果的にはトップチームでも同じポジションに赤尾とか西岡とかがいて、厳しいところはあったと思います。でも本当にうまくていい選手だったし、トップチームにふさわしい選手だっと思います」
大久保毅監督との「守」
現役時代は選手と監督という関係で、引退してからはU-18のコーチと監督として長い時間を過ごした大久保毅さん。
今でも指導者を養成する立場で、サッカー界の底上げに尽力しています。
その薫陶をもっとも受けたのが本城コーチでした。
「いやもうみんなに一度経験してもらいたいくらいです」
何がそんなにすごかったのでしょうか?
「すべてですね。ピッチ内外のすべてにおいて“強度”が高くて。
練習のこだわりもそうですし、準備やプランニングもそうですし、なぜそれするのかとか、なんでそのメニューなのかとか、なんでそのピッチの大きさなのか、なんでその向きなのかとか、鍛えられましたね。
なんで予備のボールをここに置くのかとか、めっちゃ細かいですよ。
鴨池の事務所に10人以上のスタッフがいて、週に1回ミーティングするんですけど、そこで必ず各カテゴリー担当のコーチが指導案を作って、みんなにプレゼンするんです。
僕だけでも1時間ぐらいかかったりとか。
全員で3時間4時間とか平気で、ずっとああでもない、こうでもないって。
なんでこのメニューにするの?なんでその意図なの?
ってずっとそういう突き詰められ方をして、僕もムキになっちゃうから、言い争いはいっぱい、いろんな人としましたけど。
でもそういうのは当たり前で、それがあって指導者にとって大事なものを学ばされたんで、今でもめちゃめちゃ感謝しています」
とことん大久保さんに指導者としての基礎を叩き込まれたことで、B級ライセンスやA級ライセンスを受講しに行った時も、他の受講者に比べてすべての話がすんなりと理解できたと言います。
2018シーズンまでU-18に在籍した本城コーチは県1部リーグ昇格と野嶽寛也選手のトップチーム昇格を見届けて、2019シーズンからU-15監督に就任します。
2018シーズンで現役を引退した鹿児島実業高校の大先輩で、J1で長年活躍した松下年宏コーチが新任として下につく環境からの監督生活スタートです。
「そういったところはリスペクトしてますよ。ただ僕は昔から人を馬鹿にする要素があるんでしょうね。人をイラつかせる要素みたいな。いっつもなんか俺、キレられてました。ワンちゃん(松下コーチ)にもう“絶対俺のこと馬鹿にしてるだろう”“いやしてないですよ”みたいな」
傍目には大先輩がコーチというのはやりづらそうですが、「まったく気にしないタイプだから。良いものは良いし悪いものは悪い、仕事なのだから」と本城監督は意に介しません。
プロとして仕事をまっとうするばかり。
そして3年生には武星弥がいて、2年生には小島凛士郎がいて、2024シーズンの今からみるとなかなかのチームですが、それはまた後ほど。
最初の頃の本城監督は、やはり大久保さんの影響を強く受けていました。
「試合会場に行ってトレーニングしていると“大久保毅がいる?”って言われていたみたいで。そのくらい声のかけ方伝え方、選手に対する要求、メニューが似ていたみたいです」
J3からJ2に昇格し、徐々にアカデミーにも優秀な選手が集まってきていて、大久保さんから吸収してきたものを発揮する本城監督のもとでU-15は着実に鹿児島有数の強豪としての地位を確立していました。
それでも「違うな、俺らしくないなって」と違和感を本城監督は抱いていました。
大久保毅さんからの「破離」
U-15監督最後となった2022シーズン夏、はじめて九州を勝ち抜いて北海道での日本クラブユースに出場した鹿児島ユナイテッドFCはちょっとした注目を集めました。
試合中もほとんど指示を出さずベンチに座る本城監督たちスタッフ。
あらゆる指示が的確に整えられた大久保さんのスタイルを無意識に模倣していた本城監督は、時間をかけて、選手たちが自分たちで考えるように仕向けるやり方に移行していました。
「(2021シーズンのはじめの宮崎遠征で)選手たちとミーティングをして“本気でプロにしたい”と思っている自分と、口では“プロになりたい”と言っているけどそうは映らない彼らについて色々と考えて。俺のマインドにするために俺なりにやってきたけど、180度変えてみたらどうなるんだろうっていう感覚ではじめたんです。
それが何かを与えるとかの方法ではなくて、どうやったら自分でやりたくなるのか、行動したくなるのかっていう観点で考えました。
ゴールを守ることを学ばせたいのであれば、身体を投げ出すしかないとか、いや味方を動かせばいいじゃないかと考えられるようになる、その環境だけを用意して、そこでどうする?どうしたい?みたいな感じで、子どもたちにやってもらう。
それでうまくいったら、成功体験ができる。
だから僕がしゃべるときはもう“やっちゃいなよ”ぐらい。
指導者の役割は挑戦させること、やっちゃえやっちゃえ、行っちゃえって伝えること。
もちろん最後まで諦めないとかベスト尽くすだとか、そこはもう言ってるんですよ。
鹿児島には勇猛果敢に、失敗を恐れずに行くよっていうスタイルがあるから。
だからやってみてダメだったらなんでダメだったのかを考えさせて、ずっとそれを辛抱強くやる。
でも、失敗を恐れずにいくためには、やっぱり失敗に対しての許容っていうか、余白を作ってあげないといけないんです。
あとはよくあるのが“今のシュート打てよ”みたいに言われると、やっぱり監督の顔色を気にしちゃったりするわけですよ。
子供たちだけでなくて大人も、失敗したくないじゃないですか。
そうなったら、その失敗しない方法をやっぱり選んじゃうのが人間だと思うんですよね。
だから1回それを取っ払った環境を作るわけです」
ほとんど指示を出さず、選手たちがミスを重ねる姿をただ見守っているだけの本城監督は、当然多くの批判を浴びました。
同僚の指導者たちからも、保護者からも。
「目の前の勝負ではなく長い目で成長をうながす」という考えはともかく、もうちょっとやり方がないのかと言いたくなるのが普通の感覚でしょう。
それでも本城監督は手探りで微調整を施しながらも、大筋は変えずに貫きました。
日本クラブユース出場をはじめとした競技面での成果も上げましたが、それ以上に選手たちは自分で自分に何が必要なのかを考えて模索して試して、改善してという習慣が身についた手応えがあります。
そして自分もただ見ているだけではないという自負もあります。
「自分の中では全部考えているわけです。相手の試合とか特徴とか、何番がどんなプレーをするとか、それは選手時代からですし、今も2部リーグの相手の情報を見ていて。それでトレーニングでやるときは試合で起こりそうな要素環境を踏まえて、それが出るようなメニューをやるわけです」
ただ例えば「サイドに一旦展開してから中を追い越して…」というような具体的な指示で動かす以上に、深くサッカーを理解していなければできないやり方です。
ヘッドオブコーチングとして
独特のスタイルで結果を出した本城監督は2023シーズンから、アカデミーの指導者を育成するヘッドオブコーチングに就任しました。
主に向き合う対象は指導者に変わりました。
約40名のチームをひとつの目標に向かって進ませる立場から、少し離れてより多くの100名を超える集団を目標に向かって進ませる立場。
「大人に対してどこまで教えるべきなのかっていうのはすごく難しいです。で、選手といっしょで大人にも特徴があるわけですよ。良いところをどれだけ殺さずに、より質を高めていくかみたいなところのラリーがすごい難しくて。でもすごい新鮮で勉強になります」
本城HoCとしては今いる指導者たちが鹿児島ユナイテッドFCのことをより深く理解して、末永く現場にたずさわってもらって、継続的に子どもたちを育てて欲しいという願いです。
また今シーズンからはU-18のコーチも兼任していますが、かなり大きな声で細かい指示を出しています。
「U-15でやっていた選手はびっくりしていると思います。でもU-18になった彼らには時間がありません。トップチームにいるライバルを超えなければならないのだから、その基準を伝えている感じですね」
そのトップチームでは野嶽寛也、武星弥、小島凛士郎と3人のアカデミー出身選手がプレーしています。
この機会に彼らに共通する特徴があったのかを聞いてみました。
「2つですね。
1つはシンプルに負けず嫌いで、これは表現の仕方はそれぞれ違うけど共通しています。
そして2つ目は問題を見つける能力とそれを解決していこうと追求して、継続する能力。
こういったものが共通していると思います」
ボール扱いや身体能力といった言葉は出てきませんでした。
「たとえばヒロ(野嶽寛也)は、左では全然蹴れなかったんです。ずっと右足でばっかり蹴っていて、めちゃくちゃうまくて、しなやかで。それで僕はどっちも得意だから左でのプレーを見せてあいつの左足を軽くイジると、次の週くらいにはできるようになってくるんです。それで他の選手たちとヒロが持ってないものを比較して言うと、ムキになって取り組んでくるっていうか。だから教えなくても勝手にやってくる。自分で課題だと思ったことをやるタイプです」
そういう性格だからこそ、トップチームでも5年目にしてサイドバックとして定位置をつかみ、今も成長を重ねているのかもしれません。
「星弥は印象的だったのがある試合で前半3-0で勝っているのに、後半失点していって3-4で負けたことがあったんです。試合中に選手同士で言い争いとかはじめて。それでもあいつは1人ずっと泣きながら一生懸命チームを鼓舞していて、終わったあとも悔しくて泣いていて。それで“俺はお前みたいなやつを応援したいよ。他のやつは気にせずベストを尽くせ”って伝えて。今でも話すとトップチームであのポジションで自分は監督に何を求められていて、どうすれば試合に使ってもらえるのか、何が武器なのか、代表に入るには何をしなければいけないのか、具体的に話せるやつですから」
それでは中学生の頃からトップチームに2種登録されて、注目を集めてきた小島凛士郎はどうなのでしょう?
「凛士郎に関しては環境を用意するとそこに適応するためにがんばるから、2年生のころからずっと使っていたんですけど、課題はあったんです。利き足の左足は通用するけど、むしろ結構下手というか身体つきはいいんだけどフィジカルに頼りがちで。だから中学3年生になるタイミングでその性格も分かっていたので“もうU-18でやらせて下さい”と上に伝えて。そうしたら苦労していたし、まわりからも“大丈夫か?”って言われたけど、もちろん花開くかどうかは長い目で見ないと分からないけど、自分で改善しようとするからどこかでマッチすると思っていました。この前(U-19日本代表として)ヨルダン遠征から帰ってきても同年代の本気でアジアカップの頂点を狙っている選手たちと接して変わったものがあったし、だから鹿児島ユナイテッドFCで試合に出るために何が必要なのかも考えているんですよ」
自分で自分に何が必要なのかを考える脳みそを作るのが指導者のいちばん大切な仕事、と本城HoCは位置づけています。
自分で考えられて、なおかつ負けず嫌いな選手すべてがプロとして大成するわけではないけど、この2つがないとプロで大成するのはかなり難しい。
けれど、その思考があればプロサッカー選手でなくても、他の職業でもちゃんと社会で生きていけるという思いもあります。
「だからサッカーだけどサッカーじゃない、サッカーじゃないけどサッカーなんですよね」
本城HoCが求めるのはたくさんの選手をトップチームに送り込むこともですが、アカデミーのOBたちがユナイテッドを好きでい続けてくれて、サポーターやあるいはスポンサーとかの立場で応援し続けてくれることでもあります。
U-18の1期生である緒方隼コーチは今シーズンからU-12のコーチに就任して後輩の育成に携わり、藤田翔輝コーチはサッカースクールで子どもたちにサッカーの魅力を伝えています。
それは本城HoCにとっても本当に喜ばしいことです。
もちろん1人の指導者として、自身がまだまだ成長過程にあることを自認しています。
いつもニコニコ。
周囲からかなり雑にイジられてもニコニコしながらきっちりツッコんでボケを拾います。
リアクション芸を求められれば150%で応えてくれます。
大舞台に立たせても動じることはありませんし、ひとつふたつの言い間違いやアクシデントやミラクルで周囲がざわついても、大爆笑が発生していても、まったく動じることなく最後まで完遂してしまいます。
おそらく野嶽寛也、武星弥、小島凛士郎の3選手に「本城さんってどんな人?」と聞いても、彼らは「え、本城さんですか?」とまず笑顔になることでしょう。
よく知る人たちに話を聞いても「なんでだろう?」と首を捻ります。
なんでこんなに憎めないのか、なぜつい笑ってしまうのか、なぜこんなに物事がうまく運ぶのか。
ただ今回の取材でひとつ分かったのは、指導者としての情熱は本物だということ。
そして野嶽寛也たちを評した「負けず嫌い」「自分で課題を見つけて解決する」の2つは本城宏紀にこそ言えるのではないかということ。
隠すことなく言葉を惜しまずたくさん語ってくれるし、おもしろいし、学ぶところは大いにあるのですが、正直「この人のことが分かった」という手応えは得られません。
とはいえ現役を引退してU-18のコーチに就任した時に、彼がアカデミーの支柱になっていく未来を想像できた人はどれだけいたでしょう?
タイムマシンに乗って2015年に戻ったとしても、やっぱりそんな2024年には納得できない気がします。
けれど、そんな本城宏紀を擁するアカデミーがこれからどんな若者を世に送り出していくのか、まったく想像ができませんし、だからこそ楽しみで仕方ありません。