【5月18日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2024 vol.08
鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は5月18日に行われる2024明治安田J2リーグ第16節、鹿児島ユナイテッドFC vs V・ファーレン長崎のマッチデープログラムです。
日程表・順位表・テキスト速報
前回までの振り返り
2024年5月6日(月・休)2024明治安田J2リーグ第14節
vs ベガルタ仙台 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)
前節のロアッソ熊本とのバトルオブ九州を引き分けてホームで迎えたベガルタ仙台戦。
7分、左サイドの展開から仙台がシュートを打つが、泉森涼太が弾く。
9分、右サイドバックの野嶽寛也から縦パスが入り、トップ下の端戸仁が受けてボールを運び、ペナルティエリア内に送ったボールをンドカ チャールスがシュートするがブロックされる。
15分、右サイドへパスが渡り、鹿児島の守備陣のスキをついた強烈なミドルシュートがゴール隅に刺さって仙台が先制する。
17分、仙台陣内でのパス交換から端戸がミドルシュートを打つ。
21分、ペナルティエリア右前の直接フリーキックを五領淳樹が左足で隅を狙う。
22分、藤村慶太のコーナーキックから競って浮いたボールを、福田望久斗がオーバーヘッドキックで合わせる。
63分、仙台GKのクリアを拾った福田がドリブル突破でシュートまで行く。
67分、スローインのこぼれ球を福田が胸トラップからのボレーで合わせる。
68分、ゴール前に入れたボールがこぼれたところを、星広太が強烈なボレーで狙う。
72分、コーナーキックから鈴木翔大が収めてシュートする。
76分、左サイドから福田がファーサイドに送ったボールはわずかに合わない。
78分、仙台の正確なパスワークから1対1の場面を作られるが泉森が飛び出して防ぐ。
81分、左サイドの展開からサイドで福田が抜け出て角度のないところからシュートを打つ。
94分、星のロングボールを鈴木が競ったところを田中渉が左足で狙う。
鹿児島が攻め続けるが、それでも最後まで仙台ゴールを割ることはできず、0-1で敗戦した。
2024年5月11日(土)2024明治安田J2リーグ第15節
vs 清水エスパルス 会場:IAIスタジアム日本平(静岡県静岡市)
アウェイの清水エスパルス戦は、スタンドがオレンジ色に染まるが、それでも鹿児島のサポーターが一角から大きな声援を送るなかキックオフ。
開始直後に清水がフリーキックを得て、ゴール前に送られたボールを合わされて先制を許す。
19分にも右サイドからペナルティエリア内にパスを送られるが、岡本將成と泉森涼太が連携して対応する。
36分、右サイドの渡邉英祐から五領淳樹とつないでプレスを突破。左サイドへの展開から福田望久斗がゴール前に速いクロスを入れるが合わない。
42分、鹿児島ペナルティエリア前からゴール左隅を正確にとらえたフリーキックを泉森が左手一本で弾き、福田が素早くカバーする。
直後のコーナーキックで、ニアサイドからすらしたボールをヘディングで合わされ2-0とリードを広げられる。
55分、岡本が縦に入れたパスを鈴木翔大が収めて、右サイドで呼び込んだ藤本憲明がダイレクトでゴール前に入れるがGKがキャッチ。
60分、清水陣内でのこぼれ球を千布一輝が左足で遠目から狙う。
63分、左サイドから福田がゴール前に入れたクロスは鈴木に合う直前でクリアされる。
67分、ペナルティエリア前から強烈なミドルシュートを打たれるが泉森が弾く。
直後のコーナーキックをヘディングで合わせられて3-0となる。
70分、守備陣を突破されペナルティエリア内まで侵入されるが、素早く戻った岡本がタックルで防ぎ、こぼれ球のシュートは泉森がキャッチ。
75分、ペナルティエリア左側へ抜けた外山凌のクロスを鈴木が頭でンドカ チャールスへ送ったボールは合わない。
82分、ペナルティエリア左側からシュートを打たれ、浮いたボールをヘディングしたところをボレーで合わされて4-0。
ゴールを奪えず、敗戦した。
大島康明 監督コメント(5月14日トレーニング後の共同会見より抜粋)
いつもオフ明けのトレーニングはコンディション重視ですが、それは外さずに自分たちが試合を取っていく上で甘さの見える部分やフィニッシュのところを増やしていくことを意識しました。
修正に向けた意識づけにづいて
今日は意識できていましたが、それを継続できるかは私たち次第です。
選手たちがというより私たちスタッフも含めていいものを作っていきたいです。
清水戦で得たもの
自分たちがもっと求めていかなければならないことを突きつけられました。
そこは収穫とできるように努力していきたいです。
守備で重要なところ
立ち上がりのところは本当に抑えなければなりません。
清水戦のようになれば難しくなるので、何かというよりすべてです。
すべてにおいてスキなくできるかです。
外国籍の選手に対してもボールを抑えに行くことを意識したいです。
攻撃で必要なこと
もっとシュートを打ってもいいと思います。
遠いところからでもそうですし、思い切って打っていければと思います。
長崎戦に向けて
非常に前線の選手たちのクオリティが高く、守備もしっかりしたチームです。
そういった意味で上位にあるチームであり、私たちはどう闘っていくかを詰めていかなければなりません。
藤本憲明 選手コメント(5月14日トレーニング後の共同会見より抜粋)
前節ああいう負け方をしたので、トレーニングからしっかり取り組もうと話をしました。
球際の寄せのところとフィニッシュの精度を個人的には意識しました。
清水戦で得たもの
ありません。
完敗でしたし、あそこに追いつかなければならないという危機感を得られたくらいです。
今ベテランとして意識していること
ベテランとして若手に負けないようにフレッシュさで圧倒して、若手に「もっとお前らがもっとフレッシュにガツガツ来い」ということを意識しました。
FWとしての得点について
そこまでの作りだったり、ビルドアップの部分もあります。
さらに、もっとアクションして呼び込んだところにボールを入れ込んでもらえるような呼び込み方、分かりやすいアクションをもっと増やしていかなければなりません。
やはり鹿児島はボックス内に入っていくことが強みなので、そこは次の試合でしっかり出せるようにしたいです。
サイドからのクロスに合わせること
クロスの入り方はもっと求めていかないといけない部分はありますが、大きな変化はしていません。
ピンポイントの修正をどんどん繰り返して良くしていければと思います。
長崎戦に向けて
上位相手に同じ負け方はホームですし、できません。
皆さまの期待に応えられるようにしたいです。
五領淳樹 選手コメント(5月14日トレーニング後の共同会見より抜粋)
清水に0-4で負けた後の練習ですが、1人1人が切り替えて練習に臨んでいました。
それぞれが映像を見て反省したところがあるので、今日の練習では気持ちの部分も含めて見えた練習にはなったと思います。
声かけについて
この間の試合が終わった後もですが、ちょっと気持ち、感情を表にする選手が出ていました。
今の結果に満足していないのは全員なので、一番わかりやすい声は今日の練習から出ていたと思います。
今チームに必要なこと
闘い方とかで相手より劣っているという意識は誰一人として持っていません。
そのなかで結果として勝てておらず、最近でいうとなかなか点数を取れていません。
攻撃陣である僕としては、ゴールを取って状況を改善していく必要があります。
ただ後ろを向いたり下を向いている選手はいませんし、チーム全員でやっていくしかありません。
まだまだ修正してやり直していける時期ではあります。
攻撃の改善について
どんな形であれ得点を取らなければいけないなかで、泥臭くてもいいから取らなければならないことはみんなが意識を持っています。
形を追求していくことは大事ですが、気持ちを出してどんなゴールでも取りたいのが正直なところです。
その思いを含めて最後にシュート練習を入れています。
クロスを合わせることへの課題について
自分自身も何本かクロスを上げたなかで中にいる選手に合わなかったのは、中の選手からすればまだそのタイミングでは上がってこないという部分があったのかもしれません。
それは試合でいきなりというより、練習から見せていかないと中の選手と合ってきません。
これは練習だけではなくそれ以外のタイミングでも話しながら修正しながら、意識づけしていくしかありませんが、それは合ってくると思います。
長崎戦に向けて
相手は強敵ですが、どことやってもそうですが、自分たちのやっていくことは変わりません。
攻撃陣が点を取って守備陣を楽にする。
先制点を取って楽にゲームを運べるようにしなければなりません。
相手に取らせないことを意識することと、早く先制点を取ることを意識したいです。
コラム「鹿児島をもっとひとつに。vol.27(Total vol.39)」
山岡哲也さん(中京大学サッカー部GKコーチ)
ZOOMの画面に顔をあらわした山岡哲也さんは、現役時代と変わらないヒゲと髪型、そして笑顔でした。
現在は中京大学サッカー部のGKコーチを務める山岡さんとあいさつをかわすと、すぐに本題に入ることにしました。
まちがいなく濃く長い話になることが想定されたので、巻き目で大学卒業時のころから話をはじめます。
佐川印刷の社員サッカー選手として
国士舘大学でプレーしていた山岡さんはもちろんJリーグ志望。
とはいえ当時はまだJ2までしかなく、チーム数はJ1J2合わせて40あるかないか。
大学4年生だった山岡さんはJリーグへ入ることはできず、就職するか、サッカーを続けるか色々と考えていた時に話が出てきたのが、佐川印刷でした。
「大学のOBで佐川印刷のコーチだった伊藤健一さんに呼んでもらって」
佐川印刷は社会人サッカーの強豪チームであり、Jクラブへ選手としてステップアップする選手も輩出していました。
働きながらの環境ですが「会社の人間が仕事をしている間に僕らは練習ができている、本当にサッカーができるありがたみを感じながらでした」。
ちなみに佐川印刷の社員としての仕事は、佐川急便が使う送り状を作る仕事。
「トイレットペーパーのようなもののもっと大きやつを機械につめて、それをのりづけして、裁断して、箱詰めしてっていう本当に工場の仕事です」
画面越しにかなり丁寧にお話してくれましたが、素人に理解できたのはガチ工場の仕事というくらいですが、前向きに社業にも取り組んでいたことがうかがえます。
当時の佐川印刷SCが所属するのはJFL。
V・ファーレン長崎、AC長野パルセイロ、ツエーゲン金沢、FC琉球といった現在のJクラブがいて、Hondaやソニー仙台といった企業チームの強豪もいます。
山岡さんは高いレベルで実力と経験を養っていきます。
そんなJFLに大変革が訪れたのが2013シーズンから2014シーズンにかけてでした。
Jリーグ3番目のカテゴリーとしてJ3リーグが新設され、前述の長野、金沢、琉球など多くの希望するクラブがJ3へと舞台を移すことになり、地域リーグから6つのチームが昇格参入することになったのです。
そのうちのひとつが鹿児島ユナイテッドFC。
2クラブの統合とJFL昇格を同じタイミングで迎えたクラブでした。
2014シーズン第4節、アウェイ鴨池で山岡さんははじめて鹿児島を訪れます。
「この写真は本当に懐かしいですね。まだ電光掲示板も今みたいなのではなかったし。なんか鹿児島自体が暖かくてグラウンドはきれいだし、力強くて盛り上がっていて。できたばかりだけどプロになっていくクラブって分かりました」
試合は佐川印刷が先制したけれど、山本啓人選手の2ゴールで鹿児島が逆転勝利。
2014シーズンの2ndステージで優勝した佐川印刷は年間2位、鹿児島は3位でシーズンを終えます。
とはいえ山岡さんにとってこの時の鹿児島は、長崎や長野のようにいくつも見てきた「プロになる勢いあるクラブ」のひとつです。
その印象が変わったのが2015年10月でした。
奄美で真に出会った鹿児島
2015シーズン、SP京都FCと改称したチームのキャプテンとして山岡さんはゴールマウスに立ち続けていました。
しかし、9月末の国体に京都府代表として準優勝した頃から、「財政的に厳しいし、チームはなくなるのではないか」という話が聞こえてきます。
そしてアウェイ鹿児島戦を2日後に控えた10月23日、SP京都FCがJFLを退会する方向で調整していること、今後の活動については未定であることが報道されます。
サッカーのことも仕事のことも未来は不透明な状況。
それでも鹿児島空港からさらに乗り継いでやってきた奄美空港では、アウェイチームにも関わらず地元から「いもーれ(ようこそ)!」の歓迎があり、島全体で「離島初の全国リーグ公式戦開催」という一大イベントに向けて盛り上がる熱気が伝わってきました。
10月25日、いつものリーグ戦のようにバスで会場に入る時には鹿児島のサポーターたちから激励のエールが送られます。
試合が近づくにつれて鹿児島を応援する雰囲気の中でも山岡さんは昂った気持ちで「プロになっていくこの相手に自分はどれだけ近づけているか、チャレンジャーの気持ち」で挑みます。
前半にSP京都が先行して、後半には五領淳樹選手の“これぞゴラッソ”なミドルシュートで同点になりますが、直後にSP京都が勝ち越し、そして終了間際に勝負を決定づける3点目が決まり、、、山岡さんは両拳を握りながら地面に膝をつきました。
試合後、SP京都の選手たちは自然な流れで自分たちのサポーターだけでなく、場内の鹿児島サポーターにもあいさつに行っていました。
そこには「JFLの誇りSP京都 俺達は忘れない!」の横断幕。
鹿児島のサポーターを背景に集合写真を撮影しました。
「もちろんサポーターたちは鹿児島を応援していたと思いますけど、試合の後に僕たちのことを考えてくれたことは大きかったです。それまでの鹿児島のイメージは“プロに行くチーム”だけだったんですけど、“こんないい人たちだったんだ”ってイメージに変わりましたね。こんな良いサポーターがいるんだからこれから強くなっていくし、大きくなっていくし、どんどん良くなっていくんだなって思いました」
特別な思い出に変わった試合を経て、それからもSP京都はシーズン終わりまで闘い続けます。
「歴史ある佐川印刷で最後のキャプテンとして今までやってきたことを示さなければいけませんでした。練習とか試合で自分たちが抜けると、それだけ会社の業務で他の社員の負担になるなかで、それでも応援してくれていたし、その人たちのために“サッカー部があって良かった”って思ってもらえるようにプレーしました」
社員選手としての務めを果たしながら、上層部との今後どうするかの面談では「できるなら鹿児島に行きたい」と伝えました。
鹿児島からのオファーが来る前の段階からの素直な気持ちでした。
「あの人たちをもっと喜ばせたいと思いましたし、チームも選手もみんなが一体になっていったらどんどんすごいクラブになるだろうし、それを見たい、選手としても、人としてもその景色を見たいって気持ちが大きくなったんです」
その願いが通じるように、鹿児島からオファーが届きます。
他のクラブからもオファーはありましたが、即決でした。
「呼ばれたからには試合に出る出ないに関わらず、なんとしてでもクラブを大きくしたいって気持ちです。選手として呼ばれているんですけど、サポーターと同じ気持ちで」
プロのサッカー選手として
麻生瞬さん(現クレオサッカースクール コーチ)と、佐川印刷同期入社の藤本憲明選手とともに鹿児島へ移籍した山岡さんですが、実はJFL最終節で負傷していて、年末のJFL選抜による海外遠征も辞退していました。
「それでも呼んでもらったのだから治さないといけない、開幕に間に合わせないといけないって自分にできることに時間を費やしていって、開幕前最後の練習試合でスタメン組の方に出してもらって“あ、もうやらないといけないんだ”って気持ちになったんですよね」
Jリーグはじめての対戦相手はカターレ富山。
「強いのは分かっていても、どのくらいのレベルかは分からない」
そんなJ3リーグの舞台でしたが、開幕戦は0-0、第2節の大分トリニータ戦は0-1、第3節のY.S.C.C.横浜戦は1-0でJリーグ初勝利。
「徐々に徐々に自分たちにも自信がついてきてカツ(水本勝成)と(田中)秀人さんを中心に自分たちが我慢して守れば1点取ってくれるって思えて、実際負けなくて夏くらいまで首位で、自分自身にもどんどん自信がついてきましたし、選手としてチームを勝たせる、チームを大きくするっていう思考に変わっていきました」
前線では藤本選手がJ3得点王に輝き、最後尾では山岡さんがJ3屈指の堅守を支えました。
同じポジションでは「素晴らしい人間性の素晴らしいプロフェッショナル」と無条件で称賛する植田峻佑選手(現テゲバジャーロ宮崎)や「経験豊富で技術も高くて昔から有名だった」同学年の武田大さん(現FC東京U-15深川GKコーチ)がいて、そのなかでも1人しか出場できないポジションをつかんで活躍した充実感がありました。
すべてがうまく運んだ2016シーズンを経て迎えた2017シーズン。
2月に行われたJリーグDAZNニューイヤー杯ではギラヴァンツ北九州戦を1-1で引き分け、ロアッソ熊本には1-0で勝利。
最終戦となるジュビロ磐田戦。
J1の強豪を相手に鹿児島は堂々と渡り合い、山岡さんも危うい場面で好セーブを披露します。
84分、コーナーキックのこぼれ球を藤本選手が決めて1-0で先制。
それが、、、終了間際の94分、ヘディングシュートがバーに当たって浮いたボールをGK山岡哲也がキャッチする、、、ことができず、磐田が同点に追いつきます。
1勝2分の3得点2失点で並んだ両クラブは抽選の結果で1位磐田、2位鹿児島。
もちろんその抽選の結果どうこうではなく、山岡さんにとって大きかったのは最後の最後に勝利を逃したこと。
「自分のミスで取りこぼしてしまったところで、自分に“Jリーガーとして本当にこれでいいのか、大丈夫なのか”ってクエスチョンが出ちゃって。ヤスさん(三浦泰年監督)には信頼してもらって試合で使ってもらいましたけど、何気ないプレーを何気なくできていたのが、徐々に徐々にこれで大丈夫なのか大丈夫なのかって不安になってきて。それまでは自分が出たら絶対勝てる、守りきれるって自信があったんですけど、あの1失点は僕のプロ生活のなかで大きかったなって思っているんですね」
傍目には大きな変化があったようには見えませんし、新加入のキローラン菜入さんと競う中でも、32試合中17試合に出場していますが、それでも山岡さんにとっては難しい2017シーズンでした。
たとえばFWは決定的なチャンスを外したとしても、次のチャンスを決めることで自信を取り戻せます。
しかしGKにとって自信とは日々の練習の積み重ねもありますが、なにより試合に出続けて、ひとつひとつのプレーを着実に遂行し続けて、ビッグセーブでチームの危機を救い、何試合もかけて徐々に徐々に回復していくしかなく、しかも試合に出られるのは3~4人のうち1人だけという難しさがあります。
そのなかでもシーズンを戦いきった山岡さんにとって、2018シーズンはまた違う意味での試練のシーズンとなりました。
上の舞台でプレーできる選手
2018シーズンのGKは山岡さんと、前年大卒で加入した岩﨑知瑳選手(現ジェイリースFC)が残り、新たにJ1のセレッソ大阪から年代別の韓国代表経験がある20歳のアン ジュンス選手(現 水原FC)が期限つき移籍で加入します。
「やっぱりすごいですよ。技術もすごいし、余裕があるんですよね。ボールを動かすところも後ろから全体を動かすところも、キックもすごくて。堂々としていて、何があっても絶対止める、自分が止める、自分が勝たせる、そういうメンタリティがありました。サッカーを離れれば二十歳なので甘いは甘いんです。でも試合に出た時とか練習中のゲームとかすごかったですよ」
東京オリンピックに韓国代表で出場するという目標とともに来日して、2021年の大会ではその目標通りメンバーに選ばれ、韓国に帰った今では、韓国最上位の「Kリーグ1」で活躍しています。
「ジュンスの存在は大きかったですよね。これがJ1とか上に行く選手で、この歳でこのプレーができるからのし上がっていくんだって。僕が目指していたカテゴリーを上げる、チームを勝たせる選手はこうなんだって」
ただ前年に悩みに悩んでいた山岡さんですが、前のシーズンから吉岡宏GKコーチと取り組んできたトレーニングが成果を発揮していたこと、若く才能あるGKとプレーすることで変化を実感していました。
「会社員からプロになって今まで仕事をしていた時間をサッカーに費やそうと思っていましたけど、1年目はまだまだ足りなくて、2年目3年目とやりながらプロフェッショナルに変われたのかなって思っています」
第2GKの立ち位置となった山岡さんはこのシーズン、天皇杯県予選と天皇杯本大会、そしてリーグ戦では4試合に出場。
J2昇格を達成した11月25日の沼津戦では、中原秀人選手が昇格を決定づけるゴールを決めた瞬間、ベンチから駆け寄って祝福しました。
「この試合に絡めていない選手もいますし、その分メンバーに入ったからにはチームを勝たせるために何をどれだけ果たすかを考えていたシーズンでした。本当は良くないんですけど、ある試合の時にリードしていてボールを僕が拾って時間を稼いですごく怒られたんですよ。でもなんとしても勝ちたくて時間を使いたくて、良くないことかもしれないけど、そういうこともしました。ジュンスが試合に出た時には自信をもってプレーして欲しくて、アップの時、ハーフタイムの時にどういう声かけをすればいいのか、サブの選手にもどういう声かけをするのがいいのかとか、すごくいい経験ができました。コーチになった今思うとこの時間がすごく大事だったのかなって思いますね」
沼津戦を勝利で終え、J2昇格が決まり、山岡さんはペットボトルの水を撒きまくって派手に喜びを爆発させました。
「やっぱり鹿児島が好きで、チームが好きなんですよね。みんなで勝って、みんなで喜んで、その時間を過ごすことはサッカー選手として幸せなことなんです。奄美でこのサポーターに喜んでもらいたいって感情が生まれて、J3の1年目も昇格できそうだったけどできなくて、その時にサポーターの皆さんの悲しそうな気持ちも感じられて、昇格は自分もですけど、皆さんに経験してもらいたくて、それをいっしょに経験できたのは本当に大きなことでした」
こうして2019シーズン、鹿児島の舞台はJ2になりました。
ところが。
「夢が達成してしまったというか。プロになることも夢でしたけど、やっぱりJ3とJ2の差は選手としては結構あるものなんです。対戦相手もウタカとかオルンガとかテレビで見る選手たちばかりで。そこで試合に出るとか、活躍してもっと上にとか目標があったけど、ジュンスのレベルを見たことで自分には難しくて、パーセンテージが徐々に低くなっていることも感じていて」
クラブ全体としてももっと高い志で挑む気持ちがあれば、自身もそこに向かっていけたかもしれないという想いもあります。
「なかなか簡単なところではないし、環境もありますし。ただ2019年はお客さんというか、“僕たちJ3から来ました。よろしくお願いします”っていう感覚のチームに思えてしまって、もっとどんどんどんどん正面からチャレンジャーの気持ちで良かったんじゃないかって思うんです。鹿児島は上に行くためにどんどんチャレンジして、チャレンジして強くなるチーム、大きくなるチームなんだと思っているし、鹿児島だったらできると思っていたので、もっと自分が“上を目指しましょう”って言っても良かったって思います。負けていい試合なんて絶対ないし、今年自分たちは天皇杯1回戦で滋賀県と対戦しますけど、出るからにはJ1喰ってやろうって気持ちでやらないと目標を達成するのって難しいので、それを言い続けているんです」
残留争いになった2019シーズン、第34節の京都サンガFC戦に山岡さんは出場します。
「ここに立つ選手って限られた人で、でもこの写真の足といっしょで浮足立っているなかで夢の舞台に経っちゃった感覚ですね。チームを勝たせたいけど、まだ迷いながらやっている感じですね。1年目のプレーとは比べものにならないし、失点も目測を誤っているんですけど、ジュンスだったら多分止めているんですよ。J1で活躍している選手って気持ち的に難しいところをはねのけるメンタリティがあって、そういう意味では泉森選手とかそれがあるって思いますよ」
このシーズンは最終節で大西勝俉選手がゴールマウスを守り、アビスパ福岡に敗れ、22チーム中21位でJ3に降格します。
「おーちゃん(大西勝俉選手、現ヴァンラーレ八戸)は本当に努力する人で、矛先を自分に向ける人。人間的にも姿勢で色々と見せてくれるし、だから最終節もスタンドで見ながら勝って残留を決めて欲しかったですけど」
J2残留を願いながらも果たせず、たくさんの悔しい想いを自分とチームに対して抱く最後になり、そして契約満了で4年間を過ごした鹿児島を離れることになりました。
「本当に自分の力じゃなかったですね。結局は色んな人のおかげです。チームメイトも、コーチングスタッフもそうです。テツさん(浅野哲也 元監督)には最初怪我がある中でも試合に使ってもらって、ヤスさんにはミスをして失点してゲームを壊してしまったなかでも自分を必要としてくれて昇格を経験させてもらいました。ジョンソンさん(金鍾成 元監督)は天皇杯とかで使ってくれたし、J2デビューをさせてくれたし、選手のみんなとも良い時間を過ごせて、サポーターの皆さんには本当に助けてもらいました。本当はファン感謝祭以外でも、1人1人に挨拶したかったです。でも4年間は本当に楽しかったし、充実していましたね。プロサッカー選手になったのは鹿児島ですし、たくさんのサポーターの皆さんの前で好きなサッカーができて、大きな経験をさせてもらいました。本当に楽しかったです」
選手としての終着地、そして指導者へ
移籍先となったFC刈谷は東海社会人リーグのクラブで、GKコーチを兼任することになった山岡さんは2番目の年長選手でした。
「挫折を経験してきたし、ジュンスやおーちゃんたちとやってきたことで自信がついていて、チームを勝たせるためにどう声かけをすればみんなが思い切ってプレーできるか分かっていましたし、普段の時間をどう使うかを伝えなければならないと思っていました」
2020シーズンに山岡さんは正GKとして君臨して、刈谷は「地獄の昇格戦」と言われる全国地域サッカーチャンピオンズリーグを勝ち抜き、6試合2失点の圧倒的堅守でJFL昇格を果たします。
そして久しぶりのJFLを舞台にした2021シーズン、しかし、それが山岡さんにとって現役最後のシーズンになりました。
「やっぱり身体もちょっとずつ動かなくなっていって、できたはずのプレーができなくなって。刈谷を満了になった後も欲しいと言ってくれるチームには応えたい気持ちはあったので“引退を考えてます”と伝えた上で話をして、会社で雇用してもらいながらサッカーができる話も魅力的だったんですけど、やっぱり家族がいて、家族に迷惑かけながら選手としてやって良いのか迷いがあったし、そんな時に色々なご縁があって中京大学からGKコーチの話をもらって、そのタイミングで選手としてはこれで一区切りにして、次は指導者としてサッカー界に関わって、チャレンジャーとして成長していきたくなりました」
J2から地域リーグまで。
なかには代表クラスのGKもいる環境を経験してきたからこそ、それぞれのカテゴリーで必要なレベルも分かっている自信があります。
中京大学から色々なところにGKを輩出して、特に鹿児島への恩を返すためにも、鹿児島に選手を送り出して鹿児島を強くして勝たせたいという想いです。
また同じ東海地方の東海学園大学出身である井堀二昭選手も対戦相手としても見ているからこそ、その能力は分かっているし、鹿児島でも活躍して欲しいと願っています。
「鹿児島に帰ってこいってサポーターとかに言われるんですよ。でも今の僕は中京大学のGKコーチですから。だから天皇杯でどっちも勝っていけばどっかで鹿児島と当たるので、それを目標に今はがんばっています」
鹿児島の方に目線を移すと、やはり気になるのは同じGK。
今鹿児島にいる3人に対しても、ずっと鹿児島の試合を追っているからこそ、それぞれに感じることはあります。
「泉森君は城西高校の時に選手権予選の決勝で負けた試合も見ていて、あの頃から能力は高いとは思っていたし、大阪体育大学でもキャプテンをやっていて、“あの鹿児島の子か”って思っていて、その子がまた鹿児島に戻ってきて。去年の途中まで試合に出ていない時でもいい準備をしていて良いメンタリティを持っていて、レベルの高い選手です。清水戦では4失点したし、1失点目なんて開始直後に取られたし、そこのリバウンドメンタリティって相当に難しいんです。マイナスから始まっているわけですから。そこであの(前半42分の)フリーキックを止められるのはすごいことなんです」
大野哲煥選手はFC岐阜にいた頃に、天皇杯やトレーニングマッチで何度も見てきた選手です。
「あの安定感は相当高いです。スタートから出るようになって(第7節のモンテディオ山形戦で)ああいうミスをしてしまったけど。ただベンチでもいい準備をして、その後のカップ戦とかでも、急きょ試合にパッと出てきても結果が残せるタイプだと思うんです」
そして今シーズン出場機会のない松山健太選手への想いも深いものがあります。
「レベルは高いと思います。ただ(昨シーズン第27節カマタマーレ讃岐戦で)コーナーキックが直接入ったりとかそういうところのミスでポジションを失って、いざ第3GKになったりとかがキーパーの難しさで、本当に大変なんですよね。やっぱり1つしかないポジションなので。でも能力があって頼もしいキーパーが3人もそろっていて、GK目線ですごくいいチームだなって思っています」
山岡さんの古巣への目線は変わることなく温かいものがあります。
鹿児島のサポーターへ
今、降格圏で苦しい状況にいる古巣に対して、そしてそのなかでも応援してくれているサポーターに対してどのようなことを思うのでしょう。
画面越しの山岡さんはゆっくりと丁寧に、しかし途切れることなく言葉を続けました。
不安だと思いますけどサポーターの皆さん、今までどうでした?
負けた時どうでしたか?
チームを信じていなかったですか?
そこだと思うんですよね。
もう信じてあげた方がいいですよね。
絶対やってくれると思うんで。
難しい試合は絶対ありますし、なかなか勝てない試合も経験した訳ですから。
一度目のJ2の時にたぶん分かってると思うんですよね。
それでも、やっぱり勝つところを見たいと思います。
選手みんなが活躍しているところも見たいと思います。
チームが負けて悔しいのは選手だけじゃなくて、本当にサポーターの皆さんもいっしょだと思うんですよね。
でもそこから這い上がっていくのは鹿児島の良さだと思うんですよ。
だからこそ、信じてあげて欲しいです。
選手1人1人もそうだし、監督もそうですし、スタッフもそうですし、クラブもそうですし。
僕も信じてるんで。
だからこそ試合を観て応援していますし、不安に思うこともあります。
お金を払って毎週観に来てくれる人たちにとっては、この試合の時間がやっぱりすべてだと思うので不安になることもあるでしょう。
でもやっぱり結果を残してくれると信じて、観に来てくれていると思うんですよね。
だからそこは本当に変わらないと思うんです。
選手たちもやっぱりそういうサポーターのために、がんばってますから。
で、そういった方たちに笑顔になって欲しい。
今でも肩組んで踊っていますよね。
あれ多分、2016年の鳥取戦とかで僕がやり始めたところでもあるんです。
そういう伝統もあるし、みんなと喜ぶのが鹿児島の良さだと思うんですよね。
そのためにチームのみんなも努力していますし、悩むこともあります。
だからみんなを助けてあげて欲しいです。
やっぱり自分たちは応援してるっていうところを見せて欲しいです。
それが鹿児島の良さでもあると思うので。
最後は笑って終われるので。
絶対。
だから今、苦しい時間帯もいっしょにがんばって欲しいなって思っています。
毎試合観ていますけどやっぱりいいサッカーしているんで。
迷いながらプレーすることは僕は経験しているので、ここで自信がなくなって迷いながらにならないようにして欲しい。
チャレンジャーとして突き進んでやっていければ、良い結果が残っていくし、最後はみんな笑ってあんな時期もあったねって言いながらいいお酒が飲めるはずです。
山岡さんは変わらず信じて欲しいという想いを語ってくれました。
一方で「それは甘やかせることであり、厳しい声が必要だ」という意見もあります。
そのことをたずねると、ちょっと予想外の角度から答えが返ってきました。
サポーターが増えてきて、J1のことを知っているサポーターも増えていますよね。
それを鹿児島に持ち込むところもあるし、大事なことだと思うんです。
でもそれはブーイングをしろしないの問題ではなくて、選手のためになるんだったらしたほうがいいと思います。
それをチームに聞いてみてもいいかもしれない。
それを話せるのが鹿児島の良さだと思うんです。
もちろん言い過ぎることは良くないし、話をしすぎることが選手のストレスになるところはありますけど。
でもチームとサポーターの距離が遠くなると、鹿児島の良さがなくなると思うんです。
お互いに声を聞いたほうがいいと思うし、それが鹿児島の良さであり、温かさであり、強くなる方法だと思うんです。
サポーターに自分たちの想いを届け続ける選手といえば、藤本憲明選手のことを思い浮かべる方は多いことでしょう。
あいつは鹿児島のサポーターやチームのために帰ってきたようなものなので。
佐川印刷がなくなってプレーする場所がなくなるかもしれない時に鹿児島が呼んでくれたことで、多分あそこまでの選手になれた。
もちろんものすごく努力しているし、メンタリティはずば抜けたものがあります。
だからこそJ1に行って、ヴィッセル神戸で天皇杯で優勝するような経験ができたと思うんですけど。
でもそこには家族の支えもあるし、サポーターの支えもあるし、それを分かっているし、だからこそ鹿児島の皆さんのために結果を残したいって気持ちもあるんです。
だから藤本にもしっかり点を取ってもらってね。
GK3人にも応援してもらえたら、もっとゴールマウスを守る強さが出てくると思います。
本当に大丈夫です。
この今の苦しい時期もみんなで向かえば、絶対に大丈夫ですよ。
鹿児島はここからです。