【9月2日マッチデープログラム】 KUFC MATCHDAY PROGRAM 2023 vol.14
鹿児島ユナイテッドFCのマッチデープログラム電子版。
今回は9月2日に行われる2023明治安田生命J3リーグ第25節、鹿児島ユナイテッドFC vs FC岐阜のマッチデープログラムです。
日程表・順位表・テキスト速報
前回までの振り返り
2023年8月19日(土)2023明治安田生命J3リーグ第23節
vs 松本山雅FC 会場:白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)
前節のホーム戦を1-2で敗れて迎えた松本山雅FC戦。
2分、左サイドから薩川淳貴が入れたクロスを鈴木翔大が頭で合わせる。
13分、右サイドへの大きな展開から、中央へのカットインシュートで先制を許す。
さらに20分、左サイドから入ったクロスをヘディングで合わせられるが、GK松山健太が防ぐ。
1点を追う鹿児島は28分、コーナーキックに合わせた鈴木のヘディングはわずかに外れ、同点にはならない。
後半開始から松本の攻勢を受ける。
53分、ペナルティエリア内のファウルでPKを与えてリードを2点に広げられる。
73分には高い位置でボールを奪い、そのまま復帰したばかりの有田光希がドリブルからシュートを打つ。
86分もコーナーキックのこぼれ球に有田が反応する。
90分にはフリーキックから途中出場の圓道将良、ロメロ フランクが相次いでシュートを打つ。
それでもゴールは決まらず、0-2で敗戦した。
2023年8月26日(土)2023明治安田生命J3リーグ第24節
vs ギラヴァンツ北九州 会場:ミクニワールドスタジアム北九州(福岡県北九州市)
大嶽直人監督から大島康明ヘッドコーチへ監督が交代して迎えた、ギラヴァンツ北九州とのバトルオブ九州。
1,500名ものサポーターの声援を受けた鹿児島は2分、中盤でボールを奪った木村祐志が前線へボールを送り、藤本憲明が1対1のチャンスを作る。
10分、北九州からボールを奪った藤本が、相手ゴールを急襲したところはファウルで止められる。
16分、21分と自陣内でのパス回しをさらわれてシュートを打たれるがなんとかしのぐ。
43分、北九州のパス回しを奪った藤本が相手GKからファウルを受けて1人優位な状況になる。
前半アディショナルタイムには星広太のクロスを米澤令衣が落とし、岡本將成が狙うがGKに防がれる。
しかし後半開始早々の47分、FKをヘディングで合わされ先制点を許す。
54分、山口卓己の突破から藤本が左足でシュートを打つ。
59分、木村のFKが跳ね返ったところを、直接ボレーで打った野嶽寛也のシュートがゴール隅に決まって同点に追いつく。
野嶽にとってのプロ初ゴールに、鹿児島側のスタンドが盛り上がりを増す。
74分、右サイドから中に入り込んだ途中出場の武星弥が、左足でゴールを狙う。
90分、FKから次々とシュートを打つが跳ね返される。
94分、圓道将良が左サイドからキーパーの頭上を狙ったシュートはわずかに遮られる。
スコアは動かないまま終了の笛が鳴り、バトルオブ九州は1-1で引き分けた。
大島康明 監督コメント(8月29日トレーニング後の共同記者会見より抜粋)
選手たちはここから自分たちが上がっていくために必要なことを意識して、日々トレーニングしてくれています。
自分たちがどうあるかを踏まえつつ、岐阜を意識すると、経験と能力のある選手が多いです。
J3はどこも混戦ですが、きちっと自分たちの相手を捉えながらトレーニングを重ねて、岐阜戦は勝ち点3をホームで取れるようにしたいです。
◇目指すサッカーのスタイル
クラブから打診をうけて残り14試合に責任と覚悟をもって挑みますので、結果を重視したサッカーになります。
自分たちのクラブとして掲げた目標を達成するために14試合を闘っていきたいです。
ひと言で表すのであればアグレッシブに選手たちが躍動する、その上で勝利を届けるサッカーをしたいです。
◇ヘッドコーチから監督に立場が変わって
ピッチに立った時はどういう立場でも100%で彼らと接することは変わりません。
その時々にやりたいイメージを実現するために何が必要かを考えています。
練習ではできるだけコンパクトに、最大限選手が集中した中でベストを引き出すことを意識しています。
ただいつもトレーニングはたくさん時間を使って構築していますが、時間通りに進んだことはありません。
短くなることもありますし、長くなることもあります。
そこは選手が基準なので、時間を見ながらコントロールしています。
選手と接する上で大切にしていることは「本音で話す」それだけです。
◇鹿児島への想い
鹿児島に来て7年目になります。
この土地は特別な土地です。
ひとつのエンブレムを7年つけるということは、プロの世界ではそう多いことではないと思っています。
こういう状況の中で打診を受けて、この(北九州戦も含めた)15試合を率いる覚悟を持てたのは、鹿児島という土地や人が好きになりましたし、クラブもすごく好きになれたからです。
そこに自分が何かを残せる期間、100%でできる期間が与えられたことと、責任を取ることのできる立場を与えられたことに対してチャレンジしようと決めました。
◇残り14試合に向けて
今シーズンのJ3はひとつのゲームの勝敗で全チームの局面が変わるという、なかなか稀な展開になっていると思います。
14試合を見据えてというよりは「ひとつ、ひとつ」というところがいちばん大事なのではないかと考えています。
ひとつ勝っていけると思ったら次の節でどうなるか、ということをこのJ3リーグは最後まで繰り返す可能性が高いです。
ひとつひとつ取っていって、気づいたら目標を達成していることが大事だと思っています。
五領淳樹 選手コメント(8月29日トレーニング後の共同記者会見より抜粋)
北九州戦は監督交代があって、色々と難しい試合でしたが、やっている自分たちは手応えがありました。
勝つことは簡単ではなく、相手が10人でも絶対勝てるわけではなく、先に失点して今までなら負けてしまう展開でもおかしくない中で1点返して勝ち点1を取れた。
これは大きな勝ち点1だと思いますし、次はホームでできるので必ず勝ちたいです。
大島監督になってやり方が大きく変わることはないのですが、特に大きく変わったのは、ボールを失った後は1人で奪い返しにいくのではなく近くの選手全員でいく形です。
この形は北九州戦でも多く出せました。
相手陣内でボールを失ってもまた奪い返せばチャンスになるシーンが多くなるので、全部の試合で継続して増やしていきたいです。
今までもやっていないわけではないですが、より強く求められています。
それができなければ試合に出られないということをはっきりと言われているので、この形を練習から多く見られているのは変化だと思います。
監督が替わることは僕たち選手が一番責任を感じることですが、それを引きずっている場合ではありません。
新しい環境の中で日々の練習から刺激しあって、レギュラー争いが激しくなる中でお互いに求め合うことで、週末の試合をいい形で迎えられるので、まずはそれをやることだと思います。
岡本將成 選手コメント(8月29日トレーニング後の共同記者会見より抜粋)
最近失点が多いということは、試合に出させてもらっていて、責任を感じています。
それは練習でも甘さがあるからだと思っています。
大島監督になって新たな気持ちで練習をしていますが、サッカーはうまくいかないことが多いので、試合でうまくいくように練習から取り組んでいく必要があります。
大島監督は選手といい距離感で話してくれますし、思っていることをストレートに話してくれます。
それで自分の課題とか良いところが明確になるので、課題は改善してチームに貢献したいです。
残り14試合、うまくいく時いかない時ありますがチーム全体、鹿児島一丸となって一試合一試合臨んでいければ最後は笑えるはずです。
だからこそ毎日のひと場面ひと場面を大切にしていきたいです。
コラム「鹿児島をもっとひとつに。vol.14(Total vol.26)」
支援も応援も全力でできる、それが幸せ
サポーターから好評をいただいているユナイテッド時報のなかでも、武星弥選手が登場した回は色々な意味で話題になりました。
スイミングキャップを被って芸を披露する武選手のあとに続くスポンサー企業の写真は…白衣にゆないくーなりきりキャップを被った院長先生。
アカデミーからトップチームに昇格した武選手と、U-18やU-15が着用するユニフォームの胸スポンサー「指宿竹元病院」理事長のコラボ、さらに同じように被りものをしているタイミングの良さが秀逸でした。
そしてなりきりキャップを被って登場するあたりで想像がつくでしょうが、竹元先生はかなり深いサポーターでもあります。
竹元先生はフライパンに並べたスーパーのお寿司にマヨネーズをかけて、バーナーで軽く炙り「これで4倍の味になるんですよ」と笑いながら、色々なことをお話してくれました。
今回は「医療法人全隆会 指宿竹元病院」竹元隆英理事長のお話です。
竹元先生とサッカーとの出合い
竹元先生は病院の屋号通り、指宿市生まれ指宿市育ち。
鹿児島市の高校を卒業した後は、福岡の大学医学部へ。
もともとは野球人だったこともあり、九州で唯一のプロ野球球団、福岡ダイエーホークスのファンクラブに入って、外野席で小久保裕紀選手や大道典良選手を熱烈に応援する日々。
王貞治監督のもと、徐々に常勝球団へと変貌しつつある時代で、今でも竹元先生のご自宅にはホークスのユニフォームや通称「ガッチャマンヘルメット」が飾られているほど。
サッカーは一度だけアビスパ福岡vs鹿島アントラーズを博多の森で観戦したことがあり、負けてるのにアビスパが自軍でボールを回している光景が不可解なものでしたが、スター軍団アントラーズに対する作戦なのかとびっくりしたそうです。
大学を卒業してからは故郷でお父様が開設された精神科病院「指宿竹元病院」で、指宿で地域医療に携わるようになります。
その頃まだ鹿児島にプロスポーツはなく、チームを応援する日々は小休止といったところですが、池田湖でマリンスポーツを存分に楽しんでいました。
30代になり、結婚して、子どもたちも生まれて、仕事も遊びも最高に充実していた2010年末、竹元先生の人生がある意味大きく動き出します。
池田湖のマリーナ「WARNA(ワルナ)」の忘年会で、参加者の知人としてサッカー選手を紹介されたのです。
鹿児島実業高校出身で、FC岐阜でもプレーした元Jリーガー、そして当時鹿児島からJリーグを目指して活動していたヴォルカ鹿児島に所属する森洋介選手でした。
「もともとスポーツ選手に対しては憧れがありましたし、森選手の人柄に惚れてすぐに背番号2のユニフォームを購入しました」
こうして竹元先生は2011シーズンからヴォルカ鹿児島のサポーターとなります。
「トレーニングマッチってユニフォーム着て応援にいくんですっけ?」という今振り返ると素っ頓狂な電話に「何を着てきてもいいですよ」とやさしく応対してくれるクラブ職員。
昔から応援しているというコールリーダー川畑さんをはじめ、サポーターも温かく竹元先生を受け入れてくれて、同じ指宿出身の熱烈なサポーターもいて、竹元先生はたちまち家族でヴォルカのある生活にどハマりしていまいます。
ただ2011シーズンは、もうひとつ鹿児島からJリーグを目指して発足したFC KAGOSHIMAが九州リーグに参入してきて、勢いに乗っていた時期でもあります。
FC KAGOSHIMAの徳重剛クラブ代表たちは「いけ好かないやつ(笑)」であり、田上裕選手兼監督はとにかく足でかき回してくる「嫌な選手(笑)」でした。
一方、竹元先生をこの道に招き入れることになった森選手は怪我の影響で長期離脱するなどなかなか活躍する姿を見ることはできません。
2012シーズンの鹿児島直接対決では強烈なヘディングシュートを決めて、輝きを見せることもありましたが、最終的には2012シーズンで引退しました。
数年後、たまたま餃子の王将で森さんとお会いしました。
「竹元さんが家族で応援してくれていたので、怪我して引退しようと思っていたけど、がんばってもう1年プレーしました」
応援はその選手の人生をも変えることができる。
「うれしさと共にそのパワーに畏れすら感じました」
森選手が引退しても変わることなくヴォルカを応援していた2013年夏、2つのクラブが統合し来シーズンから1つのクラブとなることが決まります。
最後の舞台となった11月の地域リーグ決勝大会の決勝ラウンドも、新潟まで応援に行きました。
3年間競い合ったライバルとの最後の直接対決は3試合中の第2節で実現し、山田裕也選手や永畑祐樹選手たちのゴールで4-0でヴォルカ鹿児島が勝利。
かけがえのないクラブが最期を迎えようとするなかで、お互いのサポーター同士が歩み寄ると「悔しいけどあなたたち強かったよ」「来年からよろしく」と握手をしてハグをして「この人たちとだったらいっしょにやっていける」と確信したのでした。
そして翌日に行われた最終節、勝てば優勝、引き分けでも2位、負ければ最下位という状況で、ヴォルカはとことん勝利だけを目指して攻め続けます。
結果は終了間際にカウンターから失点。
試合後、キャプテン赤尾公たちは号泣しながらあいさつに来ました。
「試合後、自分たちも灰になっていました。でも、あの攻め続けるマインドは嫌いじゃなかったんですよね」
ユナイテッドそしてアカデミーへの応援支援
鹿児島ユナイテッドFCの時代になっても竹元先生はサポーターとして熱烈に応援を続けます。
森選手が引退してからは明るく子供好きな人柄に惹かれてGK植田駿佑選手や、同じ南薩地方の喜入出身FW山田選手を推しながらスタジアムに通います。
不安と希望を抱いて参戦した全国リーグ、JFL1年目は快進撃を続け3位になりながらも、J3ライセンスを取ることができずJリーグ入りは果たせず。
2015シーズン、選手、スタッフ、サポーター、スポンサー、行政、メディア、誰もが「今年Jリーグに行く」と固く決意して迎えたシーズンは、対戦相手だけでなく重圧とも闘い、もがきながらもアウェイ奈良クラブ戦でJリーグ入りを確定させます。
竹元先生はその奈良クラブ戦を天文館のパブリックビューイング会場で応援していました。
「試合後に司会をしていたマッキー(スタジアムMCの有賀真姫さん)と目が合って何か声をかけようとした時、すでにお互い涙がボロボロ出てたのを今でも思い出します」
鹿児島にとって悲願のJリーグ入りをかなえた瞬間でした。
この頃から竹元先生はゴール裏やバックスタンド北側で声を出しながら応援するサポーターとしてだけでなく、スポンサーとしても関わるようになっていきます。
まず2017シーズン、スクールコーチたちが着用していたウェアの胸のスポンサーに。
そして2018シーズンからはアカデミーパートナーとして鹿児島ユナイテッドFCの高校生チーム「U-18」と中学生チーム「U-15」の胸に「指宿竹元病院」のロゴが入ります。
現在トップチームで活躍する野嶽寛也選手も、武星弥選手も、今はヴェロスクロノス都農でプレーする神野亮太選手も、来シーズンからトップチーム昇格が決まった小島凛士郎選手も、みんな胸に「指宿竹元病院」をつけて育った選手たちなのです。
それにしてもトップチームの試合にも横断幕やピッチ看板など様々なメニューがあるなかで、なぜアカデミーという選択をしたのでしょう?
「どのスポーツもですが、裾野の広がりが頂点を高めると言われています。ユナイテッドが新しいクラブとして誕生した時に、アカデミーの成長がクラブの未来につながると思ったので支援をはじめさせていただきました」
当時はまだ新卒ながらレギュラーで活躍する野嶽惇也選手(現大分トリニータ)の弟がU-18にいるらしい、くらいの話題しかなかったアカデミーが、鹿児島の未来を支える存在になることを信じていたのです。
その見立てが正しかったことは少しずつピッチの上で証明されつつあります。
ちなみに指宿竹元病院は女子サッカーの振興に対しても積極的で、鹿児島からweリーグを目指すミゴカリッサ鹿児島の胸スポンサーでもあります。
「鹿児島は才能のある選手が男女とも豊富ですが、特に女子選手は高校を卒業した後にサッカーをする場がなくてプレーを諦める選手が多いそうです。でもその中でミゴカリッサは仕事をしながらサッカーができる環境を用意してくださっているわけです。それは応援したくなりますよね? ミゴカリッサは先日の皇后杯県予選で優勝しているし、今後注目のクラブですよ」
ミゴカリッサの試合会場でも竹元先生の姿を見ることができて、その愛の幅広さがうかがえます。
ヴォルカ鹿児島時代から推している植田選手は今でも所属チームの背番号入りGKユニフォームを毎シーズン購入していて、不変の想いが感じられます。
それでも4月16日にU-18出身の武選手が植田選手が守るゴールから終了間際の同点ゴール、プロ初ゴールを決めた瞬間は悔しがる植田選手は視界になく「武が決めた、同点に追いついた!」で頭がいっぱいだったというように、ユナイテッド愛がすべてに勝っていることは言うまでもありません。
ユナイテッドを楽しみ尽くす姿勢で
こういう発言や行動だけを観ていると竹元先生は病院の院長らしく生真面目なように映るかもしれませんが、実際は試合だけでなくステージも場内の演出も、普段のSNSもひっくるめてユナイテッド全部を楽しんでらっしゃいます。
夏の風物詩「ユナ時報」で木出雄斗選手が「霊長類最速のしりとり」で話題になるや、ステージで「木出選手より早くしりとりを終わらせる挑戦者」をサポーターから募り、藤本憲明選手が「ゴイゴイスー」で話題を作るや「ゴイゴイスー選手権」を開催してしまうクラブ側と、それに全力で乗っかるサポーターたち。
バックスタンド北側の前の方で他のサポーターたちといっしょに竹元先生も全力で声を張り上げ、チャントを歌います。
「週末に楽しみができて仕事がキツい時でも、くじけない心を手に入れました。選手スタッフは鹿児島のために何倍も頑張ってると思うと負けてられません。それからいっしょに応援するサポーター仲間と奮い立ち、喜び、ときに悲しみを共有することは人生を豊かにしてくれます。感謝してもしきれません。誰かを応援する人たちは本当にやさしくて美しいんです。あとサポーターはおもしろい(おかしな?)人が多くて楽しいです」
そのあとに
「私は引っ込み思案でおもしろいことを言えないので、これも感謝しています」
と付け足してきた瞬間には若干首を捻ってしまいましたが笑
サポーターのなかでもコールリーダーをはじめ楽器を叩く人たちがいて、飛び跳ねる人たちがいて、声を出す人たちがいて、それぞれがサポーターですが、竹元先生にとって特に心を動かされるのは最前列で大旗を振っている人たち。
大旗隊は、2つのサポーター団体「FUES」と「SP@RK」と、どちらにも属していないサポーター、それぞれですが、その一体感がたまらないそうです。
「あれ本当にカッコいいんですよ! 試合前に彼らがスタンドに一角に集まって話をしている姿も尊いです。あの旗が揚がるのも、一斉に揚がったり、交互に揚がったり、波のように片方から順番に揚がったりして、それをサインひとつできれいにそろえるのがすごいし、同じサポーターとして誇りです」
大旗隊ともうひとつ竹元先生は「リスペクトすべき二巨塔」としてボランティア「ユナキャスト」を挙げていらしたことも付け加えておきます。
竹元先生にとって印象に残っている試合は先の奈良クラブ戦やJ2昇格を決めたアスルクラロ沼津戦もありますが、特に2020シーズンのガンバ大阪U-23戦は外せません。
「あのシーズンはコロナ禍で声を出せないし、チームも調子が上がらないしもやもやしたシーズンでした。それでもあの試合、1-4から後半のラスト30分で5点決めたのは忘れられません。特に川森有真選手(現レイラック滋賀)の同点ゴール、水本選手の逆転ゴール、酒本選手の6点目と声を出せないはずの3,000人近くしかいなかった観客が10,000人レベルの盛り上がりで。自分は興奮しすぎて小声で“オーマイガー、オーマイガー”ってつぶやいていたんですけど、人間っておもしろいですよね」
もうひとつ違う意味で印象に残っているのが2019シーズンのホームFC琉球戦。
「あの試合の日、仕事を入れてしまっていて、すぐ近くだったんですけどスタジアムに行けなかったんです。それでスマホでチェックしていたら終了間際に五領淳樹選手のゴールが決まって勝っていて“おお!”って。あれ以来、ユナイテッドの試合は全部スケジュールアプリに入れておいて、他の予定と重ならないようにしています」
もう生活の中心が完全にユナイテッド。
サポーター歴は地域リーグ時代から10年を超えていて、それをひけらかすようなことはしませんが、クラブに対する想いはどこまでも深く温かいものがあります。
「自分が応援する前から地域リーグでもがいてたことを考えると、今そこに鹿児島の名を冠したJリーグクラブがあって“鹿児島!”と叫ぶ場があるだけで本当に感謝しています。ユナイテッドにはこれからもファンサポーターと、相思相愛な関係を維持してほしいです。昇格に関しては個人的には目的ではなく手段だと考えています。お客さんがたくさん来て楽しんでもらうことと、選手スタッフの待遇が良くなるのが目的。ひねくれてますが、そこは意識しています。もちろん今シーズンはJ2昇格できると信じて応援を続けます。そして高校を卒業して進路を考えた時、鹿児島に残りたい、県外に出てもまた戻りたいと思える鹿児島県になって欲しいです。そのきっかけがユナイテッドだと、うれしいなあ」
かつては「いけ好かない(笑)」存在だった徳重剛クラブ代表や湯脇運営部長たちの会社としての運営をはじめ、クラブに対する信頼は「スポンサーの撤退もほとんどなく観客数も増えている、それが証明していると思います」とゆらぐことはありません。
「スポンサーとして支援できて、サポーターとして声を出せる、幸せなことです」
お皿を洗いながら竹元先生は「口を出すことはないですけどね」と笑いました。
お金と声を出す、と言えばその筆頭はさつま島美人でおなじみ、長島研醸有限会社の長山正盛代表取締役と言えるでしょう。
昨シーズンから「声出しエリアで応援したい」とVIP席からバックスタンド北側へ居場所を移し、さつま島美人の紙パックから作ったハリセンを叩き、応援の声を上げる長山さん。
「こんな時代に10年も胸スポンサーをして、多種多様な支援もされている長島研醸様と長山社長には最大限のリスペクトをしています」
これからも竹元先生がスポンサーとして、サポーターとして、それぞれの立場を適切に共存させながら、鹿児島ユナイテッドFCがある生活に充実しながら過ごしてくださることを願うばかりです。
そしてクラブ側には、快くスポンサーを継続したくなるようなクラブであり続け、飽きることなく楽しめるホームゲーム空間を作り続けることが求められることでしょう。
ところで…さつま島美人といえば、ホームゲームの日になると、黒島美人を模した巨大紙パックをまとったサポーター、通称「さつま島美人マン」が出没することをご存じの方も多いことでしょう。
「さつま島美人マンって竹元先生じゃないんですか?」
どうしても気になり、かなりの確信をもって何回かたずねましたが、竹元先生は最後までニコニコと答えをはぐらかすばかりでした。